1.ニュアージュ基地と穢れた魔導騎士
三日前の出来事を思いだしながら、レミレルーアは嘆息した。
がたん、と座面が跳ねる。もうずっとこんな調子で、馬車に揺られ続けていた。窓の外の景色は、人家が減り、緑が減り、色を失くし始めている。
「どうしたの、レミィ。疲れちゃった?」
向かいからかけられた声に、レミレルーアははっと我に返った。
ベルンハルトが、レミレルーアを見つめて首を傾げている。片側で三つ編みにされた豊かな黒髪が、馬車の揺れに合わせて跳ねた。
「いえ、ユティは大丈夫かと思ったんです」
ユティアーヌの代理として、ベルンハルトの遠征についていくこと、それを命じられてから三日。ユティアーヌが嫁ぐはずだった日に、レミレルーアは、ベルンハルトと揃ってニュアージュに向かっていた。
「順調に回復していると言っていたね。レミィが付き添ってくれたからだよ。きっと大丈夫さ」
「そうだといいのですが」
こちらを安心させるように微笑んだベルンハルトに、レミレルーアは生返事をした。
レミレルーアが心配しているのは、ユティアーヌの体調のことではない。
(……ユティ、本当に大丈夫かしら)
レミレルーアが自分の代わりにベルンハルトのもとへ行くと決まったあの日。ユティアーヌは最後までずっと反対していた。もちろんレミレルーアだって反対したが、ユティアーヌの剣幕がそれ以上だったのだ。
「だめよ! よりによってレミィが行くなんて! あたしは絶対に認めない!」
寝台から転がり落ちる勢いで、カグレスに訴えていた姿を思いだす。
ユティアーヌが反対するのも当然だ。レミレルーアだって気が乗らなかった。
だって、レミレルーアは。
つきり、と胸が痛む。
(ばかだなぁ、私。片想いしてるうちに、いつの間にかこんなことになっちゃって)
レミレルーアは、ベルンハルトが好きだった。ずっと昔。レミレルーアも、ユティアーヌも、ベルンハルトもまだ幼かったころから。
味わうように、心のなかで何度も噛みしめてきた言葉がある。
「ぼくは、たくさんしゃべるきみが好きだよ」
そう言って笑った顔を、日の光のもとで金のように輝いたブラウンの瞳を覚えている。あのとき芽生えたちいさな恋心の花を、レミレルーアはずっと大切にしてきたのだ。
てっきりベルンハルトもレミレルーアを好いてくれているのだと思っていたのが、ただの自惚れだとわかったのは二年前である。
ユティアーヌとベルンハルトの婚約が成立した。
ユティアーヌと婚約する前後で、ベルンハルトのレミレルーアに対する態度は微塵も変化しなかった。変わらず優しい。いつだって、レミレルーアがのぼせ上ってしまうような笑みを向けてくる。
つまり、そういうことだ。
態度が変わらないということは、異性として意識していない相手に対するベルンハルトが、もとからこうなのだ。ベルンハルトの優しさが、レミレルーアに特別な感情を抱いているがゆえのものなら、どれほどよかったか。
レミレルーアがベルンハルトに嫁ぐのだったら、どんなによかったことか。
そうではないのに、彼と共に遠征にいくことが、どれほど辛いか。
がたん、とひときわ大きく馬車が跳ねた。
(いけない……私はユティの代理。それだけなんだから)
ユティアーヌが復帰するより前に、達成しておかなければいけないことがあるのだ。
(ユティを傷つけた魔物は絶対に見つけてやる)
ユティアーヌが安心してニュアージュ基地にやって来れるように、彼女を害したものは極力取り除いておきたかった。それができて初めて、レミレルーアは、自分が代理としてベルンハルトの隣に立ててよかったと思える。ユティアーヌに胸を張ってあとを託せる。
「着いたようだね」
ベルンハルトが外の様子をうかがうのとほぼ同時に、扉が開く。顔を覗かせたのは、ここまで馬車を勧めてくれた御者……ではなく、このニュアージュ基地で働いているらしい使用人だった。
「お二方、長旅お疲れさまでした。ご案内させていただきます」
彼に誘導されるがまま、馬車から降りる。
白いテントがあちこちに建っている。行き交う人々は、ほとんどが魔道騎士の黒い制服をまとっていた。
ちらほらと見られる白いローブ姿の女たちは、聖女である。レミレルーアもほとんど同じ格好だが、フリーの聖女と魔導騎士に嫁いだ聖女は、区別をするために、身につけるローブが少しだけ違っている。胸元に施された刺繍がそれだ。レミレルーアは、代理とはいえベルンハルトの聖女として来ているので、刺繡が入ったローブを着ている。
林立するテントの奥には、荒れ地のなかにぽつんと取り残されたような、不自然に豊かな森があった。周囲の木々が枯れていくなかでこの森だけ残ったのは、魔物がいっとう多く生息していて、その魔力を受け、植物が進化を遂げたからだと言われている。
ニュアージュの地と、霧の森だ。
「騎士どのは向こう、聖女どのはそちらの群のテントを使用していただいております。なにぶん入れ替わりが激しいもので、どこが空いているかはわたくしどもも把握できておらず……」
「ああ、大丈夫だよ。自分たちで探すさ。ねぇ、レミィ?」
「はい。知り合いも何人かいるみたいですし、声をかけてみます」
「お疲れさま、ありがとう」とベルンハルトに軽く背を叩かれた使用人は、礼を言って軽く頭を下げた。本当にありがたそうである。よほど切羽詰まった状況らしい。
「ユティを襲った魔物も、まだ見つかっていないんですよね?」
「は、はい。ユティアーヌ・ディミエどのと一緒におられた騎士たちもまだ……」
ユティアーヌの話では、とても濃い魔力だったと。それをまともにぶつけられて意識がもうろうとするなか、騎士たちに庇われて逃げるようにその場を離れたので、魔物の姿は確認できなかったということだった。
「僕たちで見つけられるといいんだけど。仇はとらないとね」
霧の森を静かに見据えるベルンハルトに、レミレルーアはしっかりと頷いた。声が出なかったのは、心臓を針で刺された気分だったからだ。
(っい、いけないいけない! そんなつまらないことに気を取られている場合じゃないんだから)
悲しいことに、レミレルーアが妹を想う気持ちと、妹を気遣う初恋の人に嫉妬する気持ちは、両立する。レミレルーアは両手でこっそり頬をつねった。
改めて、「もちろんです!」と声を張る。
目を丸くしたベルンハルトが振り返った。
「大事な妹をやられたんです。ただで済ませてやるもんですか! 頑張りましょう、ベルンハルトさま!」
大丈夫、私はできる。全部声に出したら、少しだけすっきりした。
「……はは、うん。レミィらしいね。僕らならきっとできるさ」
楽しそうに目を細めるベルンハルトに一瞬意識を取られて、レミレルーアは慌てて目を逸らす。調子が狂う。
にわかに、周囲が騒がしくなった。
「戻ってきたぞ! セレヴェンスだ!」
見張りに立っていた騎士が霧の森を指す。ゆったりと歩いてくるひとりの青年だった。
彼の姿を見たのか、どこかで聖女が悲鳴を上げた。気持ちはわからないでもない。青年が歩いたあとを追うように、黒いものが滴る。魔力の使いすぎによる澱みが、かたちとなって表れているのである。そんなこと、普通はあり得ない。澱みがかたちになるのは、こまめな浄化を怠って、澱みをからだの内に溜めこみすぎたときに起こる現象だ。
澱みだらけの青年の透き通った金の瞳が、レミレルーアに向いた。どきりとする。
片側に流された長い前髪。腰ほどまである後ろ髪は、顔の横で二段に切りそろえられた部分以外、まとめてハーフアップにされている。
絹糸のように繊細になびく髪は、頭のてっぺんから毛先まで、純白に染まっていた。
――セレヴェンス・グラディオール。
噂に聞いたことがある。
魔力の使いすぎですっかり色が抜け落ちてしまったという白い髪。
人よりはるかにたくさんの澱みを抱えた、穢れた魔道騎士である、と。
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