封筒と赤い文字の話 中編
翌日、土曜日。前々から入っていた用事を終えた僕は井口の家の最寄り駅に向かう。一度家に来て欲しいとお願いされ、その必死さから同意してしまったのだ。一日行ったからといって、何か解決するとは思えない――という言葉は飲み込んで。
実をいうと、僕は怖いものが得意ではない。いや、怖いものというよりもびっくりさせてくるものとするべきなのだろうか、何かが突然現れたり大きな音を急に出されたりすることが大の苦手なのである。そのため、ホラー小説――基本的にはミステリーが絡んでいるものが好みだ――はたまに読むのだが、ホラー映画やホラーゲームからは目を背けてしまう。当然、お化け屋敷なども入ろうとしたことがない。
そんな僕ではどう考えても力不足なのだが、猫の手でも
駅に到着すると、井口が開口一番、
「ありがとう」
僕は「構わんって」と微笑む。
「夜更かしできるようにゲームもたくさん持ってきたから」
鞄には二人で遊べるボードゲームを詰め込んでいる。ただただ
「四通目が届いた」
「え?」
「夕食の準備をするためにスーパーまで出たんやが、帰ってきてポストを見たら入ってたんや。今までと同じで『ここからだして』と書いてあった」
「……そうか」
「とりあえず、行こうか」
正直気が進まない。しかし、もう後に引くわけにはいかないのだ。
井口に連れられて向かった先は、築三十年くらいに見える二階建てのアパート。一フロアに七つほど扉があり、井口の家は二階の西側の角部屋だった。玄関からまっすぐに廊下が伸びており、その先には八畳くらいの空間が広がっている。ミニマリストとまではいかないものの、ものはそこまで多くない。
折りたたみができそうなテーブルの上には
井口が裏を向けると、七つの赤い文字。
ここからだして。
「いつぐらいに?」
「お前が来る二時間ほど前やから、六時ぐらいといったところやな」冷蔵庫のある廊下の方から井口がやって来る。「これを買いに行っとった」
寿司だ。スーパーの中にある寿司屋でわざわざ買ってきたらしい。お金を出そうとしたのだが、こんなところに来てくれたんやからと拒絶される。せめて飲みもの代だけはと井口が折れたところで、話が戻っていく。
「その前にポストを見たんは?」
「休日でも毎朝見ることにしてる。その時はなかったんや」
ポストはドアに直接取り付けられている、いわゆるドアポストというもので、外から受け取り口に入れると玄関にあるスチールのボックスに貯められていく。留め金を下ろすとボックスの下側がくの字――上下を合わせるのならレの字か――に開くようになっていて、そこから投函されたものを取り出すことができる。
「朝入ってたけど、引っかかってたみたいなことはないか?」
「いや、それやと気付く。ボックスを開くと受け取り口が見えるんや。何かが引っかかってても判るようになっとる」
井口が「見せたるわ」と言ってきたので、僕たちは玄関の方まで向かう。確かに開くとボックスの下四分の三くらいが開かれ、しゃがむと受け取り口を目視することができた。残りの四分の一くらいの蓋――というよりも
そこで、きぃ、ぎぃ……と聞こえて。
「なんか聞こえへん?」
「ああ、隣の住民がドアでも開けたんやと思う」井口はポストを閉じる。「この辺りにしては安かったからしゃあない」
「……曰く付きというやつか?」
僕は恐る恐る聞くが、井口はかぶりを振る。
「そういうのやない。築年数がそれなりに経ってるし、学生が多いエリアやから周りよりは少し安なってるくらいや。五万で住んどる」
確かにこの辺りの相場よりは全然お買い――借り得だろう、多分。
「どうせ給料もええやろうから、もう少しええところ住めばいいのに」
「住むとこ
まあ、それも道理だ。
寿司の前に戻った僕たちはしばらく
「実はな、三週間前からドアの前に監視カメラを取り付けてた」
「監視カメラって」
そんな
「二通目が届いた後に買おうと思って注文してたんやけどな。到着したんが三通目の届いた後やったんや。これを見たらいたずらの犯人が判る」
「でも、井口。いたずらやと思えへん言ってなかったか?」
「ああ。だから一人じゃない今しか見られへん」
「…………」
「ここに誰も映ってなかったら、もう絶対にいたずらという考えはできんくなる。でも、本当にいたずらやったら、これを見な犯人が判らんということになる」
嫌な予感――はずっとしているのだが、監視カメラと聞いて、テレビかネットかで見たあるストーリーを思い出してしまった。
ある女性に付き
あの押し入れの中に、今も、息を
見てしまうことによって、結果が判ってしまう。それがどんな結末であってもだ。悪い予感がもっと悪い結果に繋がってしまう。僕たちはいつの間にかそういう状況に置かれていた。知らないままでいたい。知るのは怖い。
「再生するぞ」
僕が黙っている間に井口は準備を進めていた。昨日、怯えを口にしていた友人と同一人物に思えなくなってくる。まさか、僕は、とんでもない空間に連れてこられてしまったのではないだろうか。
井口が起床した午前七時から六十倍――つまり、一分を一秒に圧縮して映像が流れていく。たった十分ほどで答えが判ってしまうのだ。
――誰か映っていてくれ。
食い入るように画面を見る井口の後ろで、手を組んで祈る。
僕の後ろからは、音が聞こえてくるような。
きぃ、きぃ……。
きぃ、きぃ……。
ぎぃ、ぎぃ……。
何かを、引っ掻くような。
でも、この音はさっき。
「あ!」
井口が突然叫び、僕は悲鳴を上げそうになるのを抑える。
「ど、どうした?」
「郵便や。郵便が来たのが四時やった」
「つまり、それから二時間の間に入れられたってことか?」
当たり前のことを言う僕に、「そうや」と返される。一時停止が解除された。
もう止めよう――いや、止められなかったとしても、僕だけでも逃げたかった。どうしてこんなことに巻き込まれてしまったのだろう。どうして数年振りに出会った友人に、こんな仕打ちをされなければならないのだろう。
そして、ついに二分が経過し、何も映っていないことが判ってしまった。
「おかしい」
井口はシークバーを二時間分戻し、速度を少し落として再生する。もちろん、結果が変わるはずない。井口は再びシークバーを二時間分戻し、速度をさらに落として再生する。もちろん、結果が変わるはずない。井口は
「井口!」
耐えきれなくなった僕は彼の手からマウスを奪った。
「もう十分見ただろう? 二時間の間に人の姿はなかった」
「それやったらこの現象は」井口は封筒を指差し、「いったいどういうことやねん! 幽霊が本当におるって言うんか?」
違う。答えは一つしかない。
「配達員がやった。そうとしか考えられへんやろ?」
井口は目を見開く。
「は? なんで配達員にこんなことされなあかんねん」
「それは判らん」
動機は一切考えていない。だけど、配達員が犯人ならこれまでのすべての現象に説明が付いてしまうのだ。そもそも、送り主でもストーカーでもないのだから、この可能性しか残っていない。
「だがな、幽霊が犯人なんか言うよりもよっぽど現実的やと思わんか?」
「…………」
「井口。ものごとは思ったより単純に考えなあかん。お前の口癖やったやろ?」
「……口癖というほどでもない」
「いずれにせよ、不気味なことが起きたからといって、考えんでええことまで考えてしまった。少し頭を冷やせ」
不機嫌な表情を見せていた井口だったが、やがてそれが落ち着いてくる。ゆっくりと溜め息を吐いた。
「はは……俺の負けだな」
それは納得したという降参の合図だった。
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