封筒と赤い文字の話

汐二

封筒と赤い文字の話 前編

 僕とその不気味ぶきみな封筒との出会いは、世界にコロナが蔓延まんえんする前にさかのぼる。ある日の仕事からの帰り道、メッセージアプリの通知にスマートフォンを取り上げると、なつかしい名前がそこに表示されていた。

 高校を卒業してから一度も連絡を取り合っていなかった友人の井口から、「話したいことがあるんだが、久し振りに会わないか」と。

 電車にられる僕に浮かんだのは二つの疑問である。まず、何を話したいのか。用件が書かれていないのはいささか妙ではないだろうか。そして、どうして数年会っていなかった僕にそれを話そうと思ったのか。えてべるならば、卒業以降、連絡を取る必要がなかったくらいの交友こうゆうをお互いにしていたはずなのだ。何を今さら僕を相手に……?

 マルチ商法や宗教勧誘のたぐいだろうかと嫌な想像をする。大人になって数年来に会う友人というのは、てしてそういう厄介やっかいごとを持ち合わしているのだと、これはネットで言っていた情報。

 だが、井口に限ってそんなことはないだろう――ないと思いたい。

 となると、話したいこととはいったいなんなのだろうか。猜疑さいぎ心の後にいてきたのは好奇心であった。それは井口と他の友人と過ごしてきた日々がゆっくりとよみがえってきたからでもある。

「これどう思う?」と井口が持ってくる話題は、なかなか興味深いものであった。今考えると馬鹿らしいことばかりだったが、特別な視点でものごとを考えている。悪く言えば、ひねくれ者。僕たちはそんな捻りを楽しんでいたものだった。

 壺を売られる覚悟をほんのひと欠片かけらだけ持って、僕は会おうという意思を伝えた。

 

 十日後の夜、ここに住む誰もが知っている待ち合わせスポットに向かった僕は名前を呼ばれた。こういう雑踏ざっとうの中でも自分の名前を聞き分けられることを、音声の選択的聴取ちょうしゅ――カクテルパーティ効果というらしい。かつて井口が口にしていた言葉だ。

「おお、井口。久し振り」

「久し振り」

 だが、晴れやかな笑顔が浮かんだ僕とは対称的に、井口は申し訳なさそうな表情を見せてきた。

「すまんな、急に」

かまわんって。むしろ会えて嬉しいわ」

 居酒屋いざかやに向かう道中どうちゅうはお互いの近況きんきょうについて話し合った。どこで働いているだの、どういうことをしているだの。井口がよく知られた銀行に勤めているらしいことを知った僕は、とりあえず壺を買わされる可能性を切り落とす。

 そして、酒の話。思えば十八の春から話していない僕たちは酒を交えたことがない。僕は弱いものでも一、二杯飲めばかなり気持ちよくなってしまう性質たちなのだが、井口はそれなりに飲める口らしい。うらやましいものだ。

「あそこの日本酒、ええのがそろってるんやけどな」

「すまんね」

 人通りとキャッチをけた先の地下にりる。「予約した井口です」と彼が答えると、テーブル席に通された。

「お客さんいっぱおるのに、カウンターやなくてええの?」

「カウンターやと他人の目があるからな」

 首を傾げそうになる。不特定の人間に聞かれたくないほどの内緒話なのだろうか。

 ひとつ過ぎったのが、いわゆるグループ――先述した僕たちの友人の話ではないかということだ。誰かが結婚したとか、はたまた亡くなったとか、あり得ない話ではない。しかし、だとすると用件が書かれてなかったメッセージという謎が残る。それくらいなら文字にしてもいいはずなのに、結局最後まで教えてくれないままだった。

 席に着いて、井口は生ビールを、僕はレモンサワーを頼む。

「ビールは苦手なんや」

「俺も最初に飲んだ時はなんやこれと思ったけど、仕事し始めてから味がわかるようになった。お前もまだまだ子どもということやな」

「しゃあないやろ。苦すぎるし」

 数年間のブランクがあったとは思えないほど、意外と話すネタに尽きない。乾杯に始まり、おつまみをはさみ、刺身にうなりながら、一時間があっという間に過ぎていった。このまま終われば、楽しかった、また会おうで終わったはずだったのだ。

 井口から話題を変えさせるのもこくだろうと――は思いもせず、すっかり酔っていた僕は水を向けてやる。

「それで、話したいことってなんなん? そろそろ教えてくれ」

「ああ……」

 妙な間。

 何故だか、このまま話さずに解散できればよかったのにと思っているように、僕は感じてしまった。

 井口は決心したような表情を見せ、鞄を探る。そこから取り出したのは一枚のクリアファイルだった。茶色の何かが挟まれている。それを僕に渡してきた。

「ダイレクトメール……?」

 A4紙を縦に半分にしたくらいの茶封筒だった。料金後納こうのうの印、井口の住所と名前、僕でも知っているような会社の住所と名前が書かれている。

「裏返してくれ」

「裏?」

 おもむろに反対を向けると、赤い模様が目に飛び込んできた。文字のようだ。

「なんやこれ……? こ、こ、か、ら、だ、し、て……?」

 ここからだして。

 ここから、

 だして。

 僕は「なんやこれ」と繰り返し、その七文字を改めて確認する。

 配列は整っているともまばらとも言い難い。他人に伝えたいのならもう少し綺麗に並べていてもいいだろうと感じるくらいの間隔。ひと文字ひと文字は汚いわけではないが、にじんでいるせいで滑稽こっけいさを感じてしまう。

 いずれにせよ明らかなのが、これが機械で印字いんじされたものではなく、人の手を通して書かれたものであるということだ。

 赤いインクで……?

「どう思う?」

 井口のひと言で現実と一瞬の過去が重なり合う。あの頃の井口はこうやって僕たちに問うてきたのだった。とはいえ、気のいた返しができるわけでもない。

「判らん。中身を出して読んでくれということか?」

「その送り主がか?」

 確かに有名企業がそんなことをするはずがないだろう。もし発覚すれば大問題だ。

「なりすましかもしれん」

「手が混みすぎや」

 仕様しよう如何いかにも本物っぽいのは、確かに手が込んでいる。

 だが、そうではないとなると、

「いたずら? 誰かがポストの隙間からってって」

 誰がわざわざこんなことを――などと反論を受けると思っていたが、井口は意外にも、

「俺もそうやと思ったんや」

 そして、再び鞄に手を入れた。

「一回だけならな」

 同じようなファイルがもう二つ、僕に手渡される。さっきとはまったく別もので、サイズや色も異なっている。だが、やはり裏面には、

 ここからだして。

 赤い文字で。

「それが最初のから三週間後、そっちがさらに二週間後に届いてたやつや」

「三週間後と二週間後?」

 ならばと思って月並みな推測を披露ひろうしようとしたのだが、井口も当然それは思考済みだったようで、

「今日はもう三週間すぎてる。カウントダウンみたいになってたわけやない」井口はかぶりを振る。「それよりも問題は犯人や。ただのいたずらやとしたらおかしなことになるやろ?」

「おかしなこと」

「まず、犯人がこの封筒を作ったわけやないことは認めてくれ。やとすると、犯人は封筒が投函とうかんされた時刻から俺が取り出すまでの時刻までの間に、この不気味な文字を書かなあかんということになる。そして、封筒は不定期に届く。この意味、判るよな?」

 井口は僕に挑戦状を叩きつけてきた。だが、これくらいは朝飯前だ。

「犯人は一ヶ月以上ずっと井口の家のポストを見張ってたということになる」

「ああ。いたずらというよりこれはもうストーカーや。だが、ストーカーが犯人だと考えると、今度は『ここからだして』というメッセージに違和感を覚えるやろ?」

「仮に井口のストーカーだとして、封筒に赤い文字を書くだけというのも妙な話やな。他に――封筒以外に接触があったわけでもないんやろ?」

 ここでないと言われれば、無理矢理にでも理解不能な愉快犯として片付けることができていたのかもしれない。しかし、井口はしかめ面を見せながら口を開いた。

「……何かがおるような気がするんや」

「何か?」

 言葉づかいに引っかかりを覚える。

「実はな、三ヶ月前に引っ越したばかりなんや。しばらく名古屋の方に勤めてたんやけど、転勤に伴ってこっちに戻ってきた。まあ、一人暮らしが長いんで、実家には戻らんことにしたけどな」

「そんで?」

「赤い字の書かれた封筒が届き始めたの、引っ越してからなんや」

「それが、何か関係してるのか?」

 いや、何かが関係しているかもしれないから言っているのだろうが、残念ながら僕には繋がりが判らない。

「何かが引っかれるような音がしたり金縛りにあったりする――と言ったらどうや?」

「……気味の悪い話や。まるで井口らしくない」

「そうか。だが、俺はもう、このことと封筒の件とが何か関連があるとしか思わなくなってしまってる。あのアパートに何かがいていて、それが原因で一連いちれんのことが起こってるんちゃうかと」

 もともとそこまで飲んでいないのもあるが、急な話の展開に酔いはすうっとめてしまった。数年振りの出会いでこんな話になるなんて。

「井口、本当にらしくないぞ? 幽霊なんて信じるような性質じゃなかっただろうに」

「おかしいのは判ってる。だからお前に聞くことにしたんや。久し振りに会って話したかったのはいつわらざる本音やけど、俺はお前に助けて欲しくて声をかけたんや。高校の時、一番俺の話に乗ってくれたのがお前や。あの時みたいに助けて欲しい。頼む」

「助けるって……」

「俺だって幽霊を信じたいわけではない。やけど、あの部屋がそうさせてくれへんのや。お前には幽霊なんていないと俺を納得させて欲しい」

 頼む――と、井口は繰り返した。

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