3話 パリディユス(3)




 パリディユスが、人から嫌われていると気が付いたのは、人格が形成され始める時期――三歳頃のことだった。



 それ以前のパリディユスは、人目につくような場所へは出されず、王城の一室から出ることなく育てられてきた。

 全ては、人と違う容姿で生まれてきたパリディユスのことが受け入れられずにいる王妃イーリスが決めたこと。彼女の特異的な見た目を、人に見られないよう隠してしまおうと、娘の部屋に入る人間を制限したことが、王城で働く人々や民衆の好奇心や不安を掻き立てた。

 当時、部屋に入ることができたのは、王妃の他に、王と乳母――そして医師のエブルだけ。


 医師も含まれているとなれば、生まれてきた姫は、病弱なのか?

 それとも、大層醜い見た目をしているのか?

 それとも――。

 

 人々の良からぬ噂が高まる中、王妃は毎日エブルに問いたそうだ――私の娘は、いつ正常になるの? 貴方優秀な医者でしょう? わからないの!?

 人前に出せない恐ろしい容姿をしている娘。それをどうにかしろと、捲し立て続けていたらしい。

 日を追うごとに感情の起伏が激しくなり、何かに取り憑かれたようにエブルや王に暴言を吐いたかと思えば、色のない容姿で娘が生まれてきたことは自分のせいだと悲観して泣き喚く。――そして、彼女が三歳を迎える頃には、精神に異常をきたし徐々に自傷行為をするようになった。


 思い悩んだ王妃イーリスは、パリディユスが原因で壊れてしまった。

 それを知っているのは、王と乳母、そして医師のエブルだけ。――他の者には、その内情は秘匿とされた。


 しかし、乳母はそれを、幼いパリディユスに伝えた。

 事細かに、一から十まで全て。

 所々の言葉に恨みを乗せ、パリディユスに残酷な事実を突きつけた。

 乳母は王妃の、侍女であり友人だった。王妃よりも半年前に出産を終え、パリディユスの乳母を経験した後に王妃の侍女に戻ることを約束していたらしい。

 

「姫様。今日より貴女様の元へは、両陛下ともに足を運ばれないこととなりました」


 パリディユスの記憶にある初めての悪意は、そんな乳母の冷たい目だった。

 

 ――どうして?

「姫様が原因で、ございます」

 ――?


 三歳になったばかりの幼い彼女に、両親が来なくなった理由を理解するなんて出来るわけがない。乳母の長々とした説明に、首を傾げることしか出来ないパリディユスは、また明日にでも両親は来てくれると思っていた。


 しかし、翌日になっても来て欲しい人は現れず、部屋にやって来た乳母は、いつも以上に眉も目も吊り上げていた。元々快活に笑うような人でもなかったけれど、口までへの字にしているような人でもなかった。


「今日より、乳母である私をはじめ、この者達が姫様のお世話を致します」

 

 声も低く、冷たかった。

 乳母が、母であるイーリスに向けている柔らかな声とは、似ても似つかなかった。

 乳母も、乳母が引き連れきた使用人達も、同じような目でパリディユスを見ている。

 ただ『怖い』ということだけは、なんとなく体で感じていた――けれど彼女は、その目をなんと表現すればいいのか、わからなかった。



 

 ある日、パリディユスは、ドレッサーに付いている鏡の前で笑っていた若い使用人に声をかけた。乳母より少し年下で、結婚適齢期ぐらいの若い女性。名前や、顔は覚えていないけれど、女性に聞いたことも、言われたことも、そして――されたことも、パリディユスは覚えていた。

 声をかけた理由そのものは、 覚えていない。

 多分、その使用人がそこに居たからとか、声を掛けやすかったからなんだと思う。理由も何もない、と思う。

 

 ――ねぇ、なんで?

  声をかけた使用人は、パリディユスの宝石箱を指で触りながら「何がですかぁ?」と目も合わせず、返事した。面倒だと、思っていたのだろうか。返事に覇気はなかった。

 ――め。め。――おんなじ、め。


「め? ……ああ、目ですかぁ? 目がどうかしたんですぅ?」


 パカッと、宝石箱を開けた使用人は、その中を見て目を輝かせていた。

 そしてニヤニヤ笑ったかと思えば、徐に中身を取り出して上に掲げ、指で角度を調整しながらじっくり見ている。

 何かを訴えようとしている幼いパリディユスの方を見ず、使用人の黒い目はキラキラと輝く宝石にしか向いていなかった。

 ――おんなじ、め! なんで? なんで?

 宝石ばかりを見て、質問をちゃんと返してくれない使用人に対し、パリディユスはその場で、地団駄を踏んだ。

 女性の制服のスカートをギュッと掴み、ダンダンと、幼い子供の力ながらヒールの低いパンプスで床を叩いた。

  

「ああ、もう! うるさいなぁ!」

 

 バンッ。――使用人がドレッサーを叩き、パリディユスへと声を張り上げた。


「目がなんだってのよ! あたしの黒目とあんたみたいな気持ちの悪い黒になり損ねたような灰色の目が同じなわけないでしょ!?」


 眉を吊り上げて、顔を真っ赤にして、唾が飛ぶ勢いで使用人は言った。

 目を丸くして驚くパリディユスに、怒りが収まらない様子の使用人は、制服のスカートを掴んでいる小さい手を振り払う。その拍子で、尻もちをついたパリディユスに、使用人は悪びれもせず、寧ろ満面の笑みを浮かべていた。


「ああ、今のは姫様が悪いんですよぅ? あたしのスカート、その気持ち悪い肌をした手で掴んだんですもん」


 ケラケラ笑ったかと思えば、女性は眉を顰めて、尻もちをついたままでいるパリディユスの前に、スカートを膝裏で押さえながらしゃがみ込んだ。

 

「給料が上乗せされるから立候補したんだけどぉ――こんな見た目なんだったら選ばなかったなぁ」


 ――え?

 パリディユスの声も気にせず、使用人は笑いながら声を荒げた。

 

「きっと両陛下も、その気持ち悪い見た目が嫌で来ないのよ! きっとそうだわ! だってこんなに気持ち悪い見た目してるんだもの! ああ、気持ち悪いっ!!」


 気持ち悪い――。

 パリディユスの前に、大きな面で罵倒してくる使用人の蔑むような目が、王や王妃が来なくなってから乳母や他の使用人から向けているものだと気付くのに、時間は掛からなかった。――この時、やっと彼女は、自分に向けられている目が『気持ち悪い』という感情から起こるものだと理解した。

 

 一通り暴言を吐いたからか、肩で息をする使用人は「姫様が悪いんですからぁ」と言い、手に持っていた宝石を制服のポケットに入れ、部屋から出て行った。

 

 そして、ぽつりと残されたパリディユスは、自分が嫌われていることに気づいたのだ。



 ――どうして、きらいなの?

 その問いに、ある使用人は答えた。


「姫様の、その死人みたいな青白い肌が気持ち悪いんです。真っ白な髪もまるで老婆みたいで」


 ――どうして、ママとパパ、こないの?

 その問いに、乳母は答えた。


「姫様が悪いんですよ。姫様がその見た目ですから、王妃が心を病まれたのです。国王も姫様をお恨みですよ。王妃がそうなったのは姫様が原因ですから」


 ――なんで、わたし、まっしろ?

 その問いに、医師は答えた。


「ええ? ……ああ、私でも分かりかねます。ですが、成長と共に色が変わる症例もございます……ええ、きっと姫様も――」




 * * *

 



 焼け焦げているような、鼻をつく臭いがした。

 他にも、何かが壊れる音とジャラジャラ何かが揺れる音――そんな騒々しい音と悪臭に、パリディユスは叩き起こされるようにして、自室のベッドで目を覚ました。

 まだ眠たそうに揺れている彼女の目は、ゆらゆらと豪奢なシャンデリアが左右に動いている様子を見つめている。

  

 揺れ、てる? なんで? それに、この臭い……。


 大きな揺れでもない限り、動かないシャンデリアが振り子のように揺れていた。

 部屋の中を漂う悪臭は、キッチンから漂う肉を焼く臭いでも、暖炉で薪が焼けるような臭いでもない。嗅いだことのない臭いに顔を顰め、この状況を不思議に思いながら何日も眠っていたような――そんな感じの固まった体を無理矢理動かした。バキバキと首や肩が音を鳴らしながら、なんとか起き上がると、重い体を引き摺るように大きなベッドから出る。

 

 鼻をつき、脳まで刺激するような悪臭は、どうやら外から入って来ているようだった。

 パリディユスはふらつく体で窓際のカーテンを開き、外を覗く。――瞬間、ぶわりと臭いが強くなった。

 思わず目を閉じたパリディユスだったが、ゆっくりと瞼を開く。そして、その先に広がる光景を見て、淡い灰色の目を大きく開き、呆然としていた。


 一番最初に、彼女の視界に入っていきたのは――赤だった。

 暗闇を一部残し、轟々と燃える炎が辺りを照らしている。


「……っ、そんな、まさか……」


 目の前を、火の粉が横切る。

 カーテンを掴んだまま、彼女は崩れるようにして、金色から炎に照らされてオレンジに変わっている床へと、へたり込んだ。


 窓の外は、炎の海だった。

 庭師が管理している庭園も、城より丘下に位置する街も、焼け崩れていた。

 

「……他国の、攻撃?」


 遠目だったが、パリディユスの目は、はっきりと丘下の町を破壊する悪魔のような男達の鎧、そして棚引く旗を見た。

 この状況は、どこか強力な国が、ウルペース国を攻め落とそうと進軍してきたことによって起こされているようだ。

 今、パリディユスがいる王城は、抵抗の跡が見えるように、破壊された城門付近には騎士の体が幾えにも積み重ねられている。


 なんて、酷い。


 座り込んでいても、ここから小さく見える西の塔に至っては、窓が割れ、今まさに燃え盛る炎が噴き出している。


「……なんてこと」


 あの燃え盛っている場所は、使用人が寝泊まりしている当直部屋のある塔だ。

 加えて、あそこには王の側妃や王子、王子妃も出入りする部屋もある。

 パリディユスは、炎に照らされてオレンジに見える手で、口元を覆う。

 ああ、まただわ。また、不幸になってしまった!


 パリディユス・ウルペースは、三歳の頃、人から嫌われていた。

 その特異的な見た目や、人から慕われている王妃イーリスの精神を病ませたことで、人から悪意を向けられ疎まれる対象となった。もちろん、それは乳母や乳母が連れてきた若い使用人だったのだが、パリディユスに危害を加えた人は皆、例外なく不幸になっていった。


 多分、今、使用人の当直部屋が燃え盛っているのも、国が攻め入られているのも、全てはパリディユスが原因だ。


 人に不幸を呼び寄せるという『災い姫』のパリディユス。

 金色のカーテンを強く掴み、彼女は死を覚悟した。


 他国に攻め入られて、きっと、王族は皆晒し首になるだろう。その中で、わたしはどうなるだろう? このまま火が回ってくるのを待つか、はたまた……。


 一人焼け死ぬのか、それとも王族として首を落とされるのか。

 パリディユスは、もう、どちらでもよかった。恐怖なんて一切ない、そんなことを思いながら、口元に笑みを浮かべ、未だ小さく揺れ続けているシャンデリアを見上げた。


 その時だ。

 バキンッ――という大きな音が、扉の方から聞こえた。

 パリディユスは、音がした扉の方へと顔を向ける。彼女の目に飛び込んできたのは、木製とはいえ、分厚い板でできている部屋の扉が、ひしゃげている姿だった。瞬きをする彼女を他所に、同じ音と共に、次は扉の破片が飛び散った。


 どうやら、誰かが、扉を壊そうとしているらしい。

 パリディユスは、肩を震わせた。ここで見つかったら、何をされるのだろう。その恐怖心が、彼女の華奢な肩を小刻みに揺らし、呼吸を浅くさせていた。

 掴んでいるカーテンに縋るようにして、彼女は今、開かれようとしている扉を、見つめている。恐怖に目を瞑らないのは、何も見えなくなってしまう方が怖いから――瞬きもせず、パリディユスは見つめていた。


 破砕音を立て、蹴破られた扉を。

 暗闇の奥から入ってくる、黒い鎧に身を隠した、長身の男を。

 

「やっと、見つけたぞ。災い姫――いや、私のコレクション」

 

 

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