2話 パリディユス(2)




「ひ、姫様っ! 朝食を、お持ち致しましたぁっ!」


 ゴンゴンというドアノッカーによる重たいノック音の後、女性特有の高い声が、パリディユスのいる部屋の外から聞こえた。

 張るような大きい声は所々裏返っていて、誰が聞いても声の主が緊張しているのが丸わかりである。

 また、使用人が代わったのだろうか。だとすれば、前の使用人は三日も続かなったのね。

 パリディユスはせせら笑いながら、ドレッサーの前から重たい腰をあげ、寝癖で乱れている真っ白な髪を手櫛で整えながら扉へと向かう。

  

「今開けるわ」

   

 小さく息を吐いてから、彼女は二ヶ所の内鍵を回し、ドアノブへと手をかけ扉を押し開けた。

 部屋の外には、パンやオムレツ、ハーブの乗ったチキンに湯気だっているスープ、他にも緑色の小さな林檎が乗っている銀製の大きなトレーを持った使用人が、肩を張った状態で立っていた。

 十五、六……といったところの年齢だろうか? 鼻と頬にあるそばかすと、纏めた髪から跳ねるように飛び出ている短い毛が、抜けきれていない田舎臭さを引き立てている――そこはかとなく野暮ったさを感じる少女だった。  

 パリッとした制服も、どこか着せられている感の残っている少女は、緊張しているのか冷や汗を垂らしながら、ぎこちない笑みを浮かべている。

 パリディユスも、釣られて口角を上げた。


「……!? お、お待たせしました!」

 

 彼女が笑ったせいか、少女は裏返った声を張り上げた。

 少女が口から出した声は、本人が思っていたよりも大きなものだったらしい。茶色の目を大きく見開いてから、パリディユスの顔色を伺うようにして視線を泳がせていた。 

 目の前に立っているパリディユスに取って食われる――とでも思っているのだろうか。華奢で、弱々しい印象をしたパラディユスが、まるで凶悪な化け物にでも見えているように、少女は顔を青くさせてカタカタと震える手で銀の取っ手を力強く握っていた。


「……新しい人?」

「え!? あ、はいっ!」


 少女は「三日前に、入ったばかりです」と、眉を下げながら困惑した様子で返事をした。

 思わぬ質問だったのだろう。パリディユスの反応を、片側の口角だけを上げるようなぎこちない笑みを貼り付けて伺っている。

 まるで、ああ、食べないでくれって、懇願しているようにも見える姿だ、パリディユスはそう思った。   

 

 「……そう。食べ終わったらベルを鳴らすわ」  

   

 パリディユスは、少女の震えてしまっている手に触れないようにして、ゆっくりとトレーを受け取った。

 彼女が文句を口にすることなくトレーを持ったことで緊張が少し和らいだのか、少女は分かりやすく安堵した表情を浮かべている。

 なんて、素直な反応をする子だろうか。良くも悪くも人間味の溢れる少女に、彼女は好感を持った。そして、同時に憐れみもした。

 

 王城に勤める使用人というのは、性格はさておいて洗練されている人が選出されている。

 王族からの不敬を買わないため、そして不快感を与えないため、目の前に現れる使用人はそれなりの人選が行われる。――しかし、どうだろう。今、パリデュスの目の前にいる少女は、それを掻い潜り選ばれたと云えるのだろうか?

 多分、それは違う。

 きっと、押し付けられたのだ。


「下がっていいわよ」

「か、かしこまりました!」


 勢いよく頭を下げた少女が、飛び跳ねている短い毛を揺らしながら逃げるように去っていく。その後ろ姿を見送った彼女は、室内に置いている金で作られたワゴンテーブルの上にトレーを置いて、大きく重たい扉を閉めた。開いた時と同じように、二箇所の内鍵をしっかりと閉めて。それを三度確認したパリディユスは、給仕の真似事のように、カラカラとワゴンテーブルを一人用のテーブルまで運んだ。

 

 決まった時間に配膳される食事は、一日三回。

 ティータイムはベルを鳴らせばいつでも用意させることができる。

 娯楽は、乗馬と読書。

 今、ベルを鳴らして誰か使用人を呼び『乗馬がしたい』と、このトレーを突き返したとしても、誰もわたしを責めやしないだろう.



 パリディユスは、テーブルに横付けたワゴンテーブルからトレーを移した。

 テーブルの縁から十五センチ。辺からは三センチ。

 細かいこだわりのある彼女は、その位置にトレーを置かなければ気が済まなかった。


「もう少し……そう、もう少し」


 いつからだろう。そのこだわりが生まれたのは。

 多分、幼少の頃にあったことが原因なんだろうけれど、明確な事柄が思い浮かぶことはなかった。きっと、パリディユスに元来よりある素質のようなものなんだろう。

 何か少しでも乱れた物を見るのが、我慢ならない。運ぶときにほんの三ミリ程度ずれてしまった食器も、許せない。

  

 ナイフとフォーク、そしてスプーンを左手の人差し指で整えれば、彼女は満足そうに笑みを浮かべ、引いていた椅子に浅く腰掛けた。背をピンと伸ばしたまま、ナイフと、フォークを手に持ち、流れる動作でチキンの皿まで手を動かした。鋸を引くようにキコキコと、チキンを一口サイズよりも小さく切り分けたパリディユスは、切った断面をじっくり見る。

 彼女の淡い灰色の目が、一つたりとも見逃さないとばかりに、瞬きひとつなくチキンの断面に注がれていた。


 ——持って来た子が、あまりにも挙動不審だったから心配したけれど、疑い過ぎ?


 凝らすように淡い灰色の目を細め、変色や意図的に繊維が断ち切られていないかを、ゆっくりと観察する。

 シンプルに焼かれたチキンが、紫や緑に変色しているわけでも、ナイフを入れた方向とは別の方向に肉の繊維が切られているわけでもない。色々な角度から見ても変わりがないことを確認しきってから、パリディユスはそれを口の中へと含ませた。

 臭み消しのローズマリーが鼻を抜け、柔らかい肉を噛んだ瞬間も、香りも味もおかしい所はない。――杞憂だったようだ。

 

 流石にもう、食事に異物を入れる人はいないだろう。

 パリディユスはそう心の中で自分に言い聞かせながら、オムレツを切って口に入れた。

 

 パリディユスは昔、食事に悪戯をされたことがあった。

 あれは、パリディユスがナイフとフォークの使い方を覚えてまもない頃のことだった。

 思い出すだけでも吐き気を催すような――今もここにある料理の中でも蠢いていて、『わたしに』食べられるのを待っているような、そんな、かなり趣味の悪い悪戯で……。


 パリディユスは思い出さないようにしながら、口の中にあるトロリとしたオムレツを噛まずに飲み込んだ。


 そういえば、あの時も……。

 あの時も、パリディユスの前に現れたのは、見慣れない若い使用人だった。

 今回、食事を持ってきた少女のような顔に出やすい人ではなく、どちらかといえば印象に残らないような人だ。そう、若い女。それくらいしか印象に残らいようなどこにでもいる顔だ。

 幼い頃の彼女は、人を疑うことを知らず、なんの気になしに豪華な食事を口に詰め込んだのだが――あの頃は、なんて愚かだったのだろう、そう思えて仕方がなかった。

   

 

 過去の苦しんだ記憶から、今回の食事を激しく警戒をしていた彼女も、調理された料理に何も細工されていなかったのもあり、林檎以外の皿は、もう空になっていた。

 普段以上に時間をかけて食べたからか、少し気疲れもしていたが、最後に残った林檎に手を伸ばす。

 

「……思ったよりも、小さいのね」


 丸ごと置かれていた林檎は、些か小ぶりではあるが、ハリとツヤのある立派なそれを持ち上げると、ズシリとした重さがあった。

 見たことがない林檎だ。——輸入品? 見た目の割に重たいから、蜜がたっぷり入っていて、甘くてジューシーなのかも


 パリディユスは持っていた緑色の林檎を鼻に近づけ、スゥッと息を吸った。――手にしていた林檎からは果実独特の、甘い香りがした。


 シャクリ。

 パリディユスが前歯を当てて齧れば、口の中にジュワリと甘い蜜が広がった。あまりの甘さに、もう一口二口と、齧り進めていく。林檎を持つ手には、齧った場所から溢れた蜜が伝っていた。

 

 こんなに甘い林檎があったなんて!

 あまりの甘さに感動した彼女は、気が付けば真ん中の種が見えてくるくらい、食べ進めていた。――けれど、口の中に少しの違和感を覚えた。種を齧ってしまったのか、彼女はピリピリとする口内の粘膜や舌に、眉を顰め、掴んでいる食べかけの林檎を見つめる。


「最初は甘かったのに、だんだんとスパイシーになってくる果物なんて不思議ね」


 味にも変化があったのだ。

 まるで、香辛料のような、そんな――。


「?」


 途端――ぐらりと視界が揺れた。

 口の中は燃えるように熱く、蜜が伝っていた手も、青白い肌が赤く変化していたのだ。

 パリディユスは目を見開き、声にならない叫びを上げる。


 ――誰か!?

 息が出るだけで、言葉はでなかった。

 ベッドサイドのベルを鳴らすため、勢いよく立ち上がるも、バランスを崩し、机の上にある銀製のトレーへと突っ込んだ。

 ガシャンッ――大きな音が、部屋の中に響く。

 テーブルごと倒れた体は、空になった皿にシルクのワンピースが汚れ、どんどんと痺れていく体に、彼女は落ち窪んだ目から涙を溢していた。


 まさか、林檎に毒を?


 はくはくと、動かすことしかできない口は、呼吸をすることで精一杯だ。

 徐々に体が痺れ始め、パリディユスは林檎の蜜でベタつく手で這いつくばりながらも、ベッドサイドまで向かう。


 グラグラと揺れる頭で思い出すのは、幼い日のこと。

 何も知らないパリディユスが、魚のソテーを一口で食べた時――口の中に広がったドロリとしたなんとも言えない苦い味。

 思わず吐き出した時に見えた、青白い、ぐねぐねと蠢く――


 彼女の震える指先が、ベルを掠め鳴らした。

 リンリン――リンリン――。

 鳴り続けるベルの音と、誰かがドアノッカーを叩きつける音を最後に、パリディユスは意識を手放した。


 

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