一章
1話 パリディユス(1)
王妃イーリスは、今にも意識が飛びそうだった。
かれこれ何時間、シーツを握りしめて奥歯を食いしばっているのだろうか。獣のような唸り声と、絶叫を上げ続けて、声はすでに枯れ始めてしまっている。
「も、もう少し、もう少しでございます! 頭が見えて来ております!」
産婆が、皺がれた声で叫んだ。
まだ出てないの!? イーリスは、その言葉を出す代わりに、近くのクッションを力の限り殴った。
産気づいたのは、空がオレンジになった頃だった。しかし、今は何時だ。霞む目を動かして窓の外を見てみれば、日が高く昇っていた。
もう、二十時間近く、イーリスは痛みに耐え続けていたようだった。
「王妃様! 頑張ってくださいませ!」
侍女の声に、暴言を返してしまいそうだった。
危険でもいいから、もう腹を開いて取り上げて欲しいと、イーリスが叫ぼうとしたその時だ。
ズルンっとした感覚と共に、はちきれんばかりに膨らんでいた腹が、少しだけ萎んだ気がした。
「え?」
驚いた様子の、イーリスがあげた声と重なるように、産声が部屋中に響く。
目を丸くした彼女は「う、生まれたの!?」と隣にいた侍女や、生まれたばかりの我が子を抱いているであろう産婆の方へと顔を動かした。
しかし、侍女も産婆も、すぐにイーリスの問いに答えることはなく、困惑した様子だった。
「……何、何かあったの!? 教えなさい、私の子に、何が……っ」
上下左右にグラグラとしている視界の中で、イーリスは叫んだ。
生まれたばかりの我が子に何があったのだろうか、王妃としての威厳や清廉なイメージをかなぐり捨て半狂乱で「教えろ!!」と叫び続けた。
「お、王妃様、その、驚かないでくださいますよう。ああ、私も産婆として多くの子を取り上げて来ましたが、このケースは見たことがないものですから……」
眉を下げ、皺だらけの顔で引き攣った笑みを浮かべる産婆は、泣き声を上げている赤子をイーリスの元へと連れてくる。
皺だらけの腕には、ふわふわとした白い布に包まれているであろう愛しい我が子。
侍女の手を借りながら体を起こしたイーリスは、産婆の言葉に「たとえ、我が子が、どんなに醜くとも、母である私は愛せるでしょう」と汗で沁みる目を細めながら微笑んでいた。
まだ、顔も見ていないが、すでにイーリスの中には生まれ落ちたばかりの我が子を愛おしく思う気持ちでいっぱいだ。
「髪は、何色? 私と同じ茶色かしら。それとも、王と同じ黄金? 隔世遺伝で黒もありえるわ。瞳の色は……緑だと嬉しいわね。私も王も緑だもの。でも親族には、色んな色がいるから……何色でも嬉しい――」
たとえ顔の造形が、イーリスのつぶれたような低い鼻と、王の見えているんだかわからないような細い目、そして先代王の割れた顎をそれぞれ受け継いでしまったような顔をしていても、彼女は我が子を愛せる自信があった。
イーリスの母のような地味な茶色の癖毛でも、先代王妃のような地味な榛色の瞳でも、それぞれの悪いところを受け継いでしまったとしても、それが家族の絆のようで愛おしく思えるだろう。
「さぁ、見せて。愛しい我が子」
その言葉とともに、イーリスの前に生まれたばかりの赤子が差し出される。
そして、泣いている我が子の温もりに、彼女は涙をこぼした。
「やっと会えた。私があなたの……」
イーリスの緑色の両目が、飛び出てそのまま落ちてしまうのではないか、それほどまでに大きく見開かれた。「ママよ」その言葉は、腕の中にいる赤子に落とされることはなく、彼女の絶叫が部屋に響き渡る。
彼女の腕の中にいた赤子は、生まれたばかりでむくみがあるにも関わらず、目鼻立ちが整い過ぎていた。親族の良いところばかりを選りすぐったような、それでいて歪がない顔。
それだけであれば、イーリスは恐怖心からあげられる絶叫ではなく、歓喜の声を上げていただろうし、産婆も侍女も満面の笑みで誕生を喜んだだろう。
しかし、彼女の震え続ける腕に抱えられている赤子は、その場にいる者を、戦慄させていた。
彼女の腹から出てきた赤子は、生きているのも不思議なほどの青白い肌膚と、うっすらと生えている毛という毛は、白い布に同化してしまうくらい白いものだったのだから。
* * *
朝起きてすぐに、鏡を確認する癖がついているパリディユスは、金の装飾が施されたドレッサーの前に座っていた。
予定なんて作らなければ無いも同然、その中で毎朝鏡を見ることだけは日課にしているパリディユスは、映されている自分自身を、昨日と同様に絶望の色が滲んだ目で見つめていた。
彼女の落ち窪んだ目が向けられている鏡には、表情の乏しい女が、虚な目で見つめ返していた。
細く長い髪が寝癖で乱れているのもあって些か陰気に見えるが、左右対称の造形だけを見るならば、国を滅ぼす事も出来てしまいそうな美貌である。
非対称になると言われている口角も、一ミリとて左右差などない。高さだって同じ場所にある。
人工でなければありえないような、人間離れしている顔貌に、本人であるパリディユスさえも恐ろしさを感じていた。
暫く己自身と見つめ合っていた彼女は、鏡の前で顔を覆い、長い息を吐く。
壁も柱も、ベッドフレームも。シーツやクッション、その他細部に至るまで、全てが金色で構成されている広い部屋の中で、差し色のように存在しているパリディユスは異質だった。
パリディユス・ウルペースは、ウルペース王国の王妃イーリスの第二子として生を受けた。
第一子は出産と同時に亡くなってしまったのもあり、健康に生まれてきてくれさえすれば女児でも男児でも、醜くともなんでも良いと言われる中で誕生した。
難産の末、産婆によって取り上げられた彼女は、元気に産声を上げていた。
それはもう、部屋の外にまで声が漏れ出てしまうくらいに。誰もが歓喜する中で、取り上げた産婆と側にいた数人の侍女達は狼狽えていたらしい。
産みの親であるイーリスに至っては、生まれたばかりの我が子を見て絶叫し、精神的に病んでしまった。
人は皆、「普通」ならば色を持って生まれてくる。
髪は、金色や茶色、黒が多い。赤や青、桃色だって探せばいるだろう。
肌は、陽に当たることで変わってくるけれど、大体が黄色と赤と白が混ざったような健康的な色。個性はあれど、その範疇内。
目の色は、これまたそれぞれで、個性が一番出てくるような部分でもある。赤や青、紫に緑。茶色や黒などカラフルだ。
それが「普通」の人間が持つ色だ。
だが、パリディユスは違った。
生まれたばかりの彼女は、真っ白だったのだ。
ただ、うっすらと生えていた毛はかろうじて白金にも見えたようで、肌の色が青白かったのは、難産により長時間産道に詰まっていた事で見えたのかもしれないと王宮の医師エブルはそう進言したようだ。
見たこともない症例だったようで、今でも定期的にパリデイユスの前へとやってくるエブルは、冷や汗を流しながらも「生まれたては金色の髪だった子が、次第に茶色の髪に変わっていた例もあるので……。だから、姫様も、生まれた直後は限りなく白に近い白金でも成長過程で変わっていくと……」そう、慰めの言葉をくれていた。
「今日も、真っ白……」
しかし、成人を越えた今も、パリディユスの毛という毛は真っ白。
肌に至っては、何か隠れた病気を患っているのではないかと、思わせるくらいに青白かった。
医師のエブルによれば、生まれた時と変わらず、らしい。だが、そんなパリディアスにも色はあった。
黒になり損ねた淡い灰色の双眼と、限りなく白に近い淡いピンクの唇だけが、彼女に存在している色だった。
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