4話 ラルウァ(1)
「それで……」
特段、急ぎでも重要でもない書類が重ねられている机で、ラルウァは肘をつき両手の指と指を合わせていた。
カチカチ――と、人の背よりも大きい木製時計の秒針が、規則的な音を立てている。そのリズムに合わせるかの如く、ラルウァの冷めた視線を一身に受ける中年の男が、浅く息をしていた。
「なぜ、ここに連れて来られたか――理解しているか?」
彼の低い声に、背中を縮こませるようにして丸めている中年の男は「も、もちろんでございます!」と勢いよく頭を下げた。
男が身に付けている皺の寄ったシャツと曲がったタイを見て、皇帝の御前だというのに愚かな奴だとラルウァは鼻で笑う。
「なら、言ってみろ」
彼の言葉に、男はびくりと肩を震わせた。
未だ頭を下げたままでいる男は、二十も年下であるはずのラルウァに怯え、肩だけでなく体全体もガタガタと震わせていた。
ポタ――ポタ――。不規則に落ちていく男の汗が、高価な青いパルメット文様の絨毯にシミを作っていく最中。男は覚悟を決めたのか、ゆっくりと頭を上げ掠れた声を出す。
「えぇと、その……なんと言いますか」
頭を上げた男――ケラスス伯爵が脂汗の浮いた額をハンカチで拭き取りながら、カサカサとひび割れた唇をモゴモゴ動かし「いやぁ、あれに関しましては、あの……」といった要領の得ない言葉ばかりを並べていた。
鼻下の髭に触れ、キョロキョロと動いている青い目は、ラルウァの怒りを抑えるための言い訳を探しているようにも見えた。
実に、不快だ。不愉快極まりない。
この男を執務室から出した後には、絨毯を取り替えるよう指示を出そう――ラルウァはそう思いながら、伯爵を観察していた。
ラルウァの前に、辛うじて立っているような伯爵は、よほど喉が渇いているらしい。
この執務室に足を踏み入れてから、もう、何十回もごくりと喉を鳴らしていた。
「私が、貴様の心の内を代弁してやろうか?」
この状況を少し楽しんでいるラルウァは、形の良い顎を前へと突き出し、少し厚めの唇を緩ませた。
「計画は完璧だった。監査が入る前に、証拠は全て別の場所に移した。一部、計画に狂いが生じたが、押し付けた犯人役は口封じしたし、第一犯人は、依頼者である自分の顔を知らないはずだ」
ラルウァの言葉一つ一つに、伯爵は視線を揺らし、喉仏を上下させていた。
「では、どこから情報が漏れたと思う? どうして、私が貴様をここに呼び、質問していると思う?」
ラルウァはクツクツと笑いながら、豪奢な椅子から立ち上がり伯爵の前まで向かう。
わざと、靴音を鳴らしながら近づいていけば、伯爵の表情は面白いくらいに変化していった。――眉を下げ、今にも泣きそうな表情だ。
そして、さまざまな感情が入り混じっているのだろう。怯え、困惑したような表情を浮かべている伯爵の肩に、ラルウァは手を置き、囁くように言ってみせた。
「私は、自分のコレクションが他人の手に渡るのが嫌いなんだ。例えそれが、飽きて埃が被ってしまった物や、ガラクタだろうとね」
* * *
「それで如何なさいますか?」
ラルウァの忠実な部下――フィデスは、正気を無くした伯爵が衛兵によって連れ出されていった扉を見て淡々と言った。
彼らと入れ替わるようにして執務室へとやって来たフィデスは「一応、伯爵家は取り潰しの方向で書類を作っています」と言いながらラルウァの前に書類を差し出し、分厚いメガネを押し上げる。
「伯爵とその実弟については、今回の件もありますので帝国法に則ると賜死になりますが――」
「見せしめだ。斬首にしよう」
「かしこまりました。夫人や令嬢に関しましては、いかがなさいますか?」
「そうだな、斬首になることを伝えた上で『妻が告発した』とでもお前が伯爵に囁いてやれ。そうすれば勝手に自滅していくだろ。あそこは夫人も金に執着し過ぎだ」
サラサラと、フィデスが作った罪状に署名をしながら問いに答え、書類を突き返す。
今、ラルウァが突き返した書類によって、二人の斬首刑が決定された。
彼の一筆で、刑が決定され「三日後。見晴らしの良い広場で刑を執行しよう」という彼の一声で、執行日も決定する。
本来であれば、帝国法に基づいた裁判制度を利用し、そこで判決を下す必要があった。権力や金でモノを言わせることが出来る帝国で、至極優秀な弁護士を立てられたとすれば、そのままの地位でいることは無理でも平民として生きながらえることだって出来るだろう。
しかし、それは皇帝であるラルウァが関わっていなかった場合だ。
帝国の裁判機関自体、ラルウァ自身が不利にならないよう、彼の息がかかった貴族で構成されている。優秀な弁護士も、ラルウァが相手と分かった時点で、仕事を受けやしない。全ては、彼の思い通りなのだ。
法なんて、あってもないようなものだ。
ラルウァは椅子の背もたれに体を預け、両方の肘置きに両腕を乗せ、長い足を組んだ。胸を張るようにして「令嬢は、修道院だな」と笑う。
「実弟を庇うなどせず、私の前に突き出せばよかったものを」
伯爵の実弟――アビッソは、ラルウァのコレクションを一つ盗んだ。
主にガラクタだと判明した物を保管している宝物庫で、使い物にならないを知ったラルウァが興味を無くし、近寄ることもなければ開けることもないからと衛兵すら配置をしていなかった。
その経緯もあり、開かずの間と呼ばれるようになった第一宝物庫、そこからアビッソは杯を盗み出した。
手に入れる前は、西の方にあった公国の秘宝であると聞いていた。現地では聖杯と呼ばれ、謎めいた力を持つと言われていたが――。
「手にしてみれば、仕掛けも何もない銀色の杯だ。金でもプラチナでもなく、ただの銀。貴族であれば、あれに価値なんて無いことはわかるはずだ。――確かに装飾だけは良いものだったが、ただそれだけだ。そんなガラクタを、盗み出し、誰かに売っ払った、だと?」
「……アビッソ本人を尋問しましたが、誰に売ったかは……」
表情を変えることなく、ただ声音だけは暗く答えるフィデスは「ですが、彼の自室からこんなものを見つけました」とジャケットの内ポケットから一枚の封筒を差し出した。
「差出人の名前はありませんが――内容は陛下好みのものです」
受け取った封筒は、フィデスの言うように、差出人の明記はない。
見たところ平民の間でも流通しているような、普通の白い封筒で、記載されている宛名は、伯爵ではなくアビッソ本人。――ただ、誰かが書いたような筆記体ではなく、活字で印刷したかのような機械的なものだ。しかも、封をするのに使用されていたシーリングスタンプは、よく見れば帝国内で使用されているものではない。
「国外――か?」
「念のため、外交を担っている者数名に聞いてみたのですが、不明のままです」
ラルウァは顔を顰め、中の手紙を出す。手紙の内容も、活字が使用されていた。
どうやら、手紙の差出人は、随分と慎重な人間らしい。
ラルウァは手紙の内容を読む前に、期待を膨らませた。――そして、腹を立てた。
何故、私ではなく、アビッソという小者に手紙を送ったのか、と――。
ラルウァは、眉間に皺を寄せたまま紫紺の眼だけを動かし、活字を辿る。
そして、手紙を半分まで読み進めた所で、彼の表情は険しいものから徐々に柔らかいものへと変化していった。
「進軍の準備をしろ」
「――かしこまりました」
頭を下げ執務室を出ようとするフィデスを、ラルウァは呼び止める。
「この部屋の絨毯を替えてくれ」
「同じ柄に致しますか?」
ラルウァは、少し考えるよう顎を触る。
「いや、変えよう――赤だ。赤のメダリオン。一番豪奢なやつにしてくれ」
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