第2話 後編
カルちゃんは良い子だ。
表面上は冷たくしててもなんだかんだで話しかければ応えてくれるし、根が優しいんだと思う。
そんな子を騙すのに心が痛まないわけではない。
(……けど、俺だって仕事なんでね?)
俺、スオウは政府の役人をやっている。あぁ、役人なんて綺麗な言い方は語弊があるか。俺がするのは汚れ仕事。国にとっての邪魔者を消すのが俺の仕事だ。
今回の仕事は、『アリー=シェーラントの研究内容の調査』である。
また、場合によっては『研究所の破壊』も命じられている。
アリー=シェーラントに接触するのはまだ出来ていないが、必要な情報はカルちゃんから充分もらえた。
(……にしても、人と見紛うアンドロイドを作れるなんて凄いよなぁ、アリー=シェーラント。殺すのも勿体ないと思うんだけど)
仕事云々ではなく、個人的にも興味がある。
(……とはいえ、仕事は仕事だから仕方ないか)
俺の存在意義は国の為に働くこと。
浮浪児だった俺に、食事も住居も、金も名前も、全てを与えてくれたのが政府だ。
手を汚すことと引き換えに。
別にそれをどうとは思わない。
清廉潔白に生きたいなんて思わない。
そんな考えはきっと、どこか遠く離れたところに落としてきてしまった。
けど。
「……良いな、カルちゃんは」
不意に漏れた本心に、思わず嗤ってしまった。
さあ、覚悟を決めようか。
チクタクチクタク……
いつも通り、響くのは秒針の動く音だけ。
退屈で、寂しくて、平和な世界。
「お姉さん、最近来てくれないなぁ……」
やはり忙しいのだろうか。この前来てくれた時も、どこか上の空だった。
もう私といるのは飽きたのだろうか。
「……ううん、きっと待ってれば来てくれるよね」
そう自分に言い聞かせる。
コンコン
あぁ、もうそんな時間か。
「……どうぞ」
「入るよ〜」
滅多に聞かない明るい声に、私は思わず変な声を上げそうになった。
「あは、君がスキラちゃん?話には聞いてたけどやっぱり可愛いね」
入ってきた青年は、一目私を見るなり饒舌に話し出した。
「あ、え、ありが、と?」
混乱して咄嗟にそう返す。
(……え?)
「す、きら?」
スキラ。初めて聞いた言葉だけど、もしかして。
「それ……私の名前?」
「あれっ?」
青年はキョトンとして首を傾げた。
「……もしかして違う?」
「……名前、知らない」
「あれぇ、カルちゃん達はスキラって呼んでたんだけどなぁ……」
ブツブツ呟きながら青年は私の手を取って、器用に機械に嵌めた。
ピピッ
「……うん、正常だね」
そう言って機械を片付ける。
「あ、あのっ!私の名前……」
「ん〜?カルちゃん達はスキラって呼んでたよ。だからスキラちゃんであってると思うけど」
青年はニコリと笑った。
「良い名前だよ」
「……」
スキラ。確かに良い名前なのかもしれない。
けど。
「……違う」
「え?」
「違う……と思う」
頭の奥で、誰かが叫んでいた。
それは私の名前じゃない。
それは、ママがくれた名前じゃない。
私の名前は……!
なのに、肝心の名前は、その誰かは教えてくれなかった。
「スキラ……は、私の名前じゃないよ」
そう訴えかけると青年は戸惑ったようにこちらを見つめ返してきた。
そして。
「シラー」
とだけ呟いた。
「シラー……」
思わず復唱する。
あぁ、これだ。
あったかくて、きれいで、あまい言葉。
私の、名前だ。
ガチャッ
扉が閉まる音で、私は我に返った。
私の大事なものを返してくれた青年は、お礼を言う間もなく去ってしまった。
シラー=シェーラント。
十数年前、家で起きた火災に巻き込まれて死亡した、アリー=シェーラントの娘だ。
「っはは、死者蘇生か」
スキラはアンドロイドだと思っていた。実際、カルちゃんからもそう聞いた。
娘を亡くした悲しみに駆られて、アリー=シェーラントが作ったアンドロイドだと。
だが、彼女がシラー=シェーラントとしての記憶を持っている可能性が出てきた。
で、あるならば。
(不老不死も、夢じゃないかもな)
機械の身体があれば、永遠の命を得ることが出来るかもしれない。
(……壊さないと)
こんな技術が知れ渡れば、国が混乱するに決まっている。
今までは、精巧なアンドロイドを作る技量があるアリー=シェーラントを始末するつもりだった。
だが。
(研究所ごと破壊した方が良いな)
不死なんてものは、あらゆる人々を狂わせる。
芽は摘んでおかねばならない。
俺が向かったのは研究所の中心部だった。
機械の爆破事故に見せかけて、全員殺す。
(えーと、自分が逃げる時間と、かと言って気づかれたらマズイし……まぁ余裕を持って15分後っと)
機材をいじって、爆発するように細工する。
(……あとはこのボタンを押すだけ)
ボタンに指を乗せた瞬間だった。
「何をしているんです」
冷ややかな声が辺りに響く。
「……別にぃ?どんな機械なのかなって思ってさ」
振り向くとカルちゃんがこちらを睨んでいた。
「嘘が得意なんですね?政府のお役人さんは」
息が止まった。
「……どこでそれを?」
普段よりずっと低い声が出た。
「調べただけです。貴方が怪しいと思って」
カルちゃんは一歩前に出て、シニカルな笑みを浮かべた。
「どうかこの研究所から手を引いてください。国に害を為すようなことはしませんよ」
この言葉で、なんとなく分かった。
踊らされていたのは俺の方。
でも、やっぱりカルちゃんは。
「っはは、甘いよカルちゃん。本当、甘い……」
「……何がです?」
眉を顰めるカルちゃんに、薄く笑いかける。
「俺もね、カルちゃんについては調べたんだ。俺と同じ、元孤児なんだってね」
俺と同じ、と聞いて、カルちゃんは少し動揺したようだった。
「生まれつき両腕がなかったカルちゃんは、周りから冷たい目で見られたんだってね。義手を着けてから生活には困らなくても、この国は、義手ですら受け入れない」
「……人は、異質を怖がります」
カルちゃんは寂しげに呟いた。
「アリー先生は、普通の人と同じ手をくれました。だから、私はアリー先生の為に生きると決めました。アリー先生が人々を救う為に生きるなら、私も人を救いたい」
凛とした姿で、真っ直ぐな瞳で、カルちゃんは俺を見つめた。
「この研究は、人を救います。だから邪魔はしないでください」
「……あぁ、本当、カルちゃんは眩しいね」
そう返すと彼女は目を瞬いた。理解が出来ないというように。
「あのね、カルちゃん。人はそんなに綺麗な生き物じゃないんだよ」
俺は今まで、ずーっと見てきた。人がどれだけ醜い生き物か。
「人と見紛うアンドロイドか、それとも死者の蘇生か。この際スキラちゃんとシラーちゃんのことは置いておくとして。そんなのはね、人殺しの材料にされるだけだよ。人を駆り出さなくても戦争できる。死のうが無理矢理直して働かせられる。それがどれだけ怖いことか、残酷なことか分からないとは言わせない」
一息に言ってやると、初めてカルちゃんは泣きそうな顔を見せた。
「私は、そんなことの為にシラー様を蘇生したんじゃない‼︎」
心からの叫びだった。それが分かった。
そして。
「あ……」
半ば放心状態のカルちゃんを横目に、俺は考え込んでいた。
(やっぱり……あの子はアンドロイドというより、シラーを核にして作った改造人間って感じなのかな。それを……アリー=シェーラントではなくカルちゃんが作ったと)
まだまだ不可解な部分はあるがこれで良い。
もう充分だ。
機械の身体を持つ不老不死の人間なんて夢物語を、現実に出来るほどの頭脳と技術を持つ女。
それがカルセリアなのだろう。
きっと彼女はその技術を悪用なんてしないだろう。
けど周りがそうとは限らない。
だからーー
「ごめんね、カルちゃん」
ーー俺は、この研究所を破壊する。
カチリ、とボタンを押す。
「……あと15分で、この建物は爆発するよ」
なんでこんなことを言ってしまったのだろう。
「……だから、逃げればいい」
泣き崩れているカルセリアを放って、俺はその場を後にした。
また間違った。
このままだとまた大切なものを喪ってしまう。
スオウを泳がせていたのが悪かったのだろうか。それともシラー様の検査に毎回別の人を行かせていたのが失敗だったか。
「シラー様を……助けないと」
フラフラと立ち上がる。
「今度は……ちゃんと助けなきゃ……!」
そう思ったのに。
「ーーどうして!もうすぐここは爆破されます!ここにいたら危険です!早く逃げましょう!」
そう言ってもシラー様は首を振る。
「……私は、行かない」
「何でです⁈」
問う声は、もう甲高い悲鳴のようになっていた。
「お姉さんが、ここにいてって言ったから」
シラー様は澄んだ瞳でそう言った。
「ここから出ちゃダメって言ったから」
それを聞いて、少し私は平静を取り戻した。そうだ、今のシラー様は、カルセリアなんて女は知らないのだ。信頼できるわけがない。
(……じゃあ、これを使って)
私は懐から小箱を取り出した。
震える手で鍵を開ける。
中に入っているのはメモリーカードだ。
「手を……お借りしても?」
「え……?」
戸惑いつつ差し出された右手を優しく取る。
普段は充電器を差し込んでいる掌に、メモリーカードを代わりに入れる。
このメモリーカードには、シラー様の記憶が記録されている。
脳死する前に、シラー様の記憶を機械に移す方法を思いついたのが幸運だった。
結局、アリー先生のお陰で使うことはなかったけれど。
「これは……!」
大きく目を見開いたシラー様は、私を見て呆然と呟いた。
「カルセリア、さん……?私、生きて……?」
「はい、生きていますよ。詳しい事情は後ほどお伝えするので、まずはここを出ましょう」
そう言った時だった。
視界が真っ白に染まった。
何が起きたのか理解できなかった。
視界が真っ黒に染まった。
何も分からなくなった。
「ーーさん、カルセリアさん、起きて」
優しい声音が耳に届いて、私は意識を取り戻した。
「……ぅ、ぁ、あ、しらぁさま?」
言葉を発すると意識がハッキリした。
無理矢理身体を起こす。
「シラー様⁈痛っ……」
「カルセリアさんっ‼︎」
周りを見回して、私は思わず息を呑んだ。
周りは火の海だった。
瓦礫がそこら中に散らばっている。
「そんな……」
しばし呆然としたが、そんな暇はないことを思い出した。
「シラー様、早く出ましょ…………」
言葉は最後まで続かなかった。
力なく微笑むシラー様の右脚は、瓦礫の下に挟まっていた。
「シラー様⁈あ、すぐ!すぐ退かします!」
「無理」
シラー様は短くそう切り捨てた。
「私を置いていって、カルセリアさん。私と違って、カルセリアさんには火も煙も毒だもの」
「ですが……!」
シラー様は優しく微笑んだ。
「ほんとはね、私は十歳の時に死んでた。でもカルセリアさんが生かしてくれた。だから、カルセリアさんは生きなきゃ駄目」
言葉が出なかった。
「ママに伝えて。『誕生日、祝えなくてごめんなさい』って」
「……‼︎」
その言葉で、私は覚悟を決めた。
「……分かりました。……ごめんなさい、シラー様。私は、2回も貴方を殺してしまった。……許して、くれますか」
そして、私は。
シラー様の返事を聞く前に、駆け出した。
返事なんて分かりきっていたから。
あぁ、まただ。
なんで、私が研究所にいない時を見計らったみたいに。
燃え盛る炎の前で呆然としていると。
「……!カルセリア!」
ボロボロのカルセリアが、炎の中から飛び出してきた。
カルセリアは泣いていた。
「カルセリア!無事なの⁈」
私を見ると、カルセリアはその場に崩れ落ちた。
「ごめんなさい、ごめんなさいアリー先生」
「どうしたの、カルセリア?落ち着いて」
カルセリアは目を伏せつつ呟いた。
「私は、スキラ様を見殺しました」
「……」
カルセリアの独白は続く。
「……シラー様の蘇生に成功したなんて嘘です。あれはただのアンドロイドでした。だから見捨てました。貴方を騙していたんです」
彼女は何度も何度も頭を下げた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい、アリー先生。……私を許してくれますか?」
私はカルセリアの頭を撫でた。
「えぇ……良いのよ、カルセリア。貴方の嘘は、いつだって私の為だもの」
数日後、俺は無事に消火された研究所跡を訪れた。
とある探し物があったからだ。
「……あった」
その少女は、穏やかな顔で笑っていた。
「……」
(本当は回収命令が出ているけど)
俺は黙ってその場を去った。
あの日は、ママの誕生日だったの。
だから私は、ママの為にアップルパイを焼くことにした。一人でやってみせたかったから、カルセリアさんにはママの監視を頼んで。
でも失敗しちゃった。オーブンがバンッて音を立てた時はビックリしたなぁ。
なんかモクモクし始めて戸惑ったけど、ママには家から出るなって言われてたからそこで待った。
そしたら、ちゃんと助け出してくれたみたいだね。
ねぇ、何年だって待つから。
もう人間だって思えないかもしれないけど。
いつか、どうかもう一度、この寂しい場所から救い出して。
大蔓穂は三度咲く 桜月夜宵 @Capejasmine
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