大蔓穂は三度咲く
桜月夜宵
第1話 前編
紅い炎が暗闇に踊る。私の大切なものを、呑み込んでいく。
一体、どこで、どこから間違っていたのだろう。もう何もかもが分からない。いや、ただ一つ分かることは。
私は、これからも間違いを積み重ねていく、ということだけだ。
チクタクチクタク……
「……暇」
響くのは秒針の動く音だけ。外の光すら届かない。
そんな部屋の中で、自分の名前すら知らない私は生きている。飼い殺されている、の方が正しいかもしれない。私は、この狭い世界から出られない。
一体何年ここにいるのかも覚えていないが、ただ一つ知っていることは、ここは病院で、病棟のとある一室に隔離されているということだ。
コンコン
「入るぞ」
「……はい」
一日に三度、白衣の誰かがよく分からない機械を持ってくる。機械に指を挟まれるだけなので、痛くもないし慣れてしまったが、正直何をしているのかくらいは知りたい。
ピピッ
短い機械音と共に、指が解放される。
「正常だ」
一言だけ言って、白衣の人物は部屋から出ていく。いつもそうだ。毎回違う人が来るくせに、誰も短いお喋りすらしてくれない。
いや、一人だけ例外がいた。
名前は知らないし、年齢の予測すらつけられない。見た目は二十路くらいだが、雰囲気的に三十路か、下手したら四十路も過ぎていそうだ。いわゆる美魔女というやつである。時々診察兼遊びに来るその人だけは、私を大事に扱ってくれる。
ちなみに、私はその人を『お姉さん』と呼んでいる。お姉さんは病院内でもなかなかの権力者であるようで、お姉さんに頼めば部屋から出ること以外は大概何でもやらせてくれる。
この前は流行りだというRPGをやらせてくれたし、面白い小説や映画も貸してくれた。だから、私は暇死にせずに済んでいる。
「さあ、今日はボードゲームを持ってきたわよ」
今日は、ボードゲームというものを持ってきてくれたらしい。
「ぼーどげーむ」
「……あら?持ってきたのは初めてだったかしら」
お姉さんは首を傾げて私を見つめて、フッと微笑んだ。
「これはオセロ。こっちがチェスよ」
「ちぇす?」
知らない言葉ばかりだ。外には、本当にたくさんの遊びがあるらしい。
「どっちからやりたい?」
「……こっち。こっちの方簡単そう」
丸い石の方を指すと、お姉さんは嬉しそうに笑った。
「そうね。じゃあオセロをして遊びましょうか。ルールはやりながら教えてあげるわ」
「嬉しい」
だって、最後に一緒にゲームで遊んでもらったのは……もうずぅっと前なんだから。
パチリ、パチリ。
石を置く音だけが部屋に響く。
説明を聞いた感じシンプルなゲームだが、やっぱりお姉さんは強くて勝てそうな気がしない。
「お姉さん強い。勝てない」
「ふふん。貴方が私に勝とうなんて100年早いわよ」
お姉さんは自慢げに胸を張った。
「……100年?100年経てば勝てるようになる?」
そう聞き返すと、不意にお姉さんの顔が翳った。
「そうね……きっと、貴方の方が強くなってるわよ」
お姉さんはどことなく悲しそうだった。
お姉さんは時々そういう顔をする。寂しそうな、今にも消えてしまいそうな。
いつか置いていかれそうで怖くなる。
「お姉さん……もう一戦」
怖々そう言うと、お姉さんはいつものお姉さんに戻った。
自信家で聡明で、とっても優しいお姉さん。
「えぇ。まぁ……結果は見えてるけどね」
ニヤリと笑うお姉さんは、私の目には何よりも綺麗で、かっこよくて、理想的な人に映った。
「それじゃあ、また来るわね。良い子でいるのよ」
「うん!!︎ 待ってる」
満面の笑みで手を振る様子を見ながら、私は隔離部屋から出た。
隔離部屋は、この病院兼研究所の最奥にある。理由は簡単で、あの子が人の目についてはマズいからである。だから彼女の検査には、信頼できる寡黙な人材を送っている。
そのせいで、あの子には寂しい思いをさせてしまっているが。
(もう少し……もう少しだから)
もう少しで、あの狭い部屋から出してあげられる。あぁ、早く外の世界を見せてあげたい。
「ーーせい、アリー先生?」
ハッと声の主を見ると、研究員の一人が、心配気に私を見つめていた。
「⁈……あら、ごめんなさい。カルセリア」
「いえ。大丈夫です」
カルセリアは慇懃に答えた。
彼女とはもう長い付き合いで、いつも助けてもらっている。
「少し考え事をしていたわ。何かしら?」
「……スキラ様の件が、外部に漏れたかもしれません」
彼女は神妙な面持ちで囁いた。
「……」
しばらく声が出なかった。スキラのことが、外部に漏れた?
「あの子の、ことが?」
声が震えているのが自分でも分かった。
「……どうして?」
「……分かりません」
思わず眉を顰めると、彼女は深く頭を下げた。
「申し訳ありません。処罰は、謹んでお受けします」
「……いえ、貴方に落ち度はないわ、カルセリア。調査をお願いできる?」
「承知しました」
カルセリアはもう一度深く頭を下げて、スタスタと歩いていってしまった。
「じゃあ……私も、本当にスキラのことが外に広まってしまったのか調べなきゃいけないわね。広まっていたとして、どう誤魔化すかも考えないと……」
ようやくここまで来たのだ。もう少しで、あの子は普通の人間になれる。あの狭い部屋から出してやれる。
絶対に、邪魔はさせない。
もう二度と、あの時みたいな後悔はしたくない。
あの頃、私は今と同じく医者兼研究員として働いていた。研究内容は、人工臓器の発明、及び移植についてだ。
両親とは縁を切っていたし、愛していた夫にも研究を理解されず離婚した。娘は一人いたが、もう十歳を過ぎていたので基本的に家で留守番をさせていた。私は仕事一筋だった。
でも、そう。あの日はあの子の頼みで早めに家に帰ったのだった。
そして目にしたのはーー
燃え盛る炎と、焼け崩れかけた自分の家。
「……嘘でしょ?どうして……」
けたたましく鳴るサイレンの音で初めて、私は自分の家が火事になっているということを理解した。理解せざるを得なかった。
その中に、まだ我が子がいるということも。
「……シラー、シラーは?早く、助けないと……!」
後から聞いた話だと、周りの制止を振り切って炎の中に飛び込んだらしいが、その時のことはよく覚えていない。
鮮明に覚えているのはあの子の、シラーの焼け焦げた身体を見つけた瞬間だ。
「シラー……?」
それは、何故か台所の脇にあった。可憐なあの子は、見る影もなかった。
そこから先のことはまたあやふやだが、ボロボロのそれを抱えて家から出てきたそうだ。
火事を聞きつけたカルセリアが慌てて駆けつけてきた辺りからはしっかりと覚えている。
「アリー先生......!シラー様は」
私の腕の中のものを見て、カルセリアは言葉を失った。
「……たぶんもう助からない」
私がどうしても忙しい時、シラーの世話をしてくれたのはカルセリアだ。カルセリアも動揺していたと思う。
「……大丈夫です」
それでも、カルセリアは気丈に励ましてくれた。
濡れたその瞳には、強い気持ちが込もっていた。
「先生、私達は、何の研究をしてるんです?」
「何の……?」
カルセリアは一瞬周りを睨んで、囁いてきた。
「私達の研究は、人工臓器の発明と移植で、人々の命を救う為にあります。……貴方が、私に両腕を下さったように」
そう言って、カルセリアは私が持っているものを撫でた。
「研究所に連れていきましょう。大丈夫です、アリー先生。私にお任せください。貴方がくれたものに、必ず報いてみせますから」
「……それが、違法なことだとしても?」
私はポツリと呟いた。
正確に言えば、違法というわけではない。が、世間では身体の一部を無機物に置き換えることは嫌悪されている。義手も義足も義眼も、それらは本来あるべき姿を歪めるから。
だから私達は、訳あって身体の一部が機械化されている人達の為に、擬似表皮などの発明も行っている。彼らが普通の人として生きていけるように。
ただし、世間一般で褒められた仕事ではないので飽くまで内密に、だ。
しかも最近では、それらを法律で禁止すべきだという声も上がっている。
「……人というのは、徹底的に異端を排除したがるものよ。もしシラーを蘇生できたとして、きっと今まで通りの生活は出来ないし、下手なことをすれば私達も罪に問われる」
そう言ってもカルセリアは揺るがなかった。
「先生は心配なさらないで。必ず、シラー様をお助けします」
そう宣言してからのカルセリアは早かった。
何ヶ月も研究室に閉じこもって何かをしていた。
そして、ちょうど一年経った辺りだろうか。
「アリー先生……見てほしいものがあるんです」
そう言うカルセリアに連れられて行った部屋には、巨大な水槽があった。
「……シラー……?」
透明な液体に満たされた水槽の中に、シラーはいた。
私の、可憐な娘が。
ーー身体中をコードで繋がれて。
「……脳と機械をどう繋げるかが課題でしたが、それも無事に解決しました」
カルセリアは淡々と言った。
「……身体を全て、機械で作り直したというの……?」
寸分違わずシラーそのままだった。その見た目が、全て人の手で再現されたものだと言うのか。
(あぁ……そういう技術が疎まれる理由がよく分かったわ)
親である自分ですら見分けられないほどの正確な複製だ。
(とても……恐ろしい技術)
カルセリアは、そっと水槽に触れた。
「あとは、コードがなくても身体を動かせるように、長持ちする電池と充電器を作るだけです」
カルセリアは、うわ言のように呟いた。
「ようやく、シラー様をお助けできる」
シラーが助かる。
その時を、どれだけ待ち望んだことだろう。
でも。
「……嘘つき」
私は思わず呟いていた。幸い、カルセリアには聞こえなかったようだが。
確かに、コードに繋がれていること以外、目の前のものはシラーそっくりだ。
それでも、論理的に考えてあり得ない。
火事に巻き込まれたシラーの身体は酷く損傷していた。脳が無事だったとは思えない。
まして、一年間もそれを生きたまま保存できるはずはない。
きっと、カルセリアの優しい嘘だろう。
私が傷つかないように、シラーの蘇生に成功したなんて嘘をついた。
(……分かっていたことよ)
シラーは死んだ。もうこの世にはいない。
目の前にあるのは、シラーを模したただのアンドロイドだ。
それでも、私の為に必死にこれを創り上げたであろうカルセリアを、裏切ることはしたくない。
「ねぇ、カルセリア。シラーの記憶は、あるのかしら?」
そう問うとカルセリアはクルリと振り返った。微かに動揺しているようにも見える。
「どうでしょう……。海馬は損傷していなかったと思いますが」
「……記憶、消してもらえる?」
「⁈な、何故です⁈」
カルセリアにしては珍しく、声を荒げていた。
「……なんとなく、思ったのよ。私は、出来の悪い母親だったわ」
「アリー先生……」
「あまり構ってあげられなかったし、もっと一緒に話したり遊んだりしてあげれば良かった」
後悔の言葉は止まらなかった。
「いいえ‼︎アリー先生は、確かに忙しかったかもしれませんが、ちゃんとシラー様のことを考えておられました。それに、今からでも遅くはないでしょう?」
「えぇ……だから、シラーの記憶を消してほしいの。もう一度、やり直したい」
カルセリアは何かを言おうとして、やめた。次の瞬間には、ニコリと微笑んでいた。
「分かりました。では、海馬を切除して機械のものに置き換えておきますね」
「えぇ……頼むわね。それと」
この時の私は、どんな表情をしていたのだろう。
「……記憶をリセットするついでに、この子には新しい名前をつけようと思うの」
「新しい名前……ですか」
たとえ本物と瓜二つだとしても、シラーとの思い出とは、きっちり分けておきたかった。
「スキラ、とかどうかしら?」
「スキラ様……素敵なお名前ですね」
シラーを模したアンドロイドは、研究員達の中でスキラと呼ばれるようになった。
でも結局。
無事に自律して動くようになった彼女を、名前で呼んだことは一度もない。
どうしても、シラーを思い出して苦しくなるのだ。
だからあの子は、自分の名前すら知らないだろう。
きっとあの狭い世界に閉じ込められて寂しいだろう。
それでも、私と過ごす時間を、少しでも楽しいと思ってくれているだろうか。
そうだったら良いと思う。
アリー先生と別れた私は、研究所の廊下を歩いていた。
「カルちゃーん!今日も可愛いね‼︎世界一!」
底抜けに明るい声で名を呼ばれ、思わずキッと睨みつける。
「煩いです。……スオウ」
「嫌だなー、そんな冷たくされると泣いちゃうぜ?」
見た目からして軽薄そうなこの青年は、不服だが新米でありながら凄腕の医者である。
「何の用ですか」
「んー?それはもちろん、スキラちゃんについてもっと詳しく聞きたいなぁって」
そう言って、スオウは気障ったらしくウインクした。
「……もう十分話したじゃないですか」
「えぇ〜。そんな冷たいこと言わないでよ。気になるじゃん。人と見分けがつかないくらい精巧なアンドロイドなんでしょ?」
「……そうですね」
自分で言うのも何だが、かなり精巧に創ることが出来たと思う。
シラー様との記憶を、少しずつ少しずつ、思い出しながら創った。
「見て!カルセリアさん!ママとカルセリアさん描いたの!」
「わあ、ありがとうございます。とてもお上手です」
似顔絵を差し出してきた時の満面の笑みも。
「ふふ、シラー様、また上達したのでは?」
「ママと特訓したの!そのうちカルセリアさんにも勝つんだから!」
オセロをする時の真剣な顔も。
全て覚えている。
全て、カルセリアの大事な宝物だ。
「カルセリアさん、あのね、ちょっとお願いがあるの……」
あぁ、もしこの時、私が反対していたら。
あの時、私が側にいれば。
シラー様は、あんな目に遭わずに済んだのに。
「ーーちゃん、カルちゃんってば、聞いてる?」
騒々しい声で、私は現実に引き戻された。
「すみません、興味がなくて聞いてませんでした」
「え、普通に酷い」
喚くスオウを睨みつけて私はため息を吐いた。
「そんなことより仕事をしたらどうなんです?」
「はいはい」
ヘラリと笑って去っていくスオウ。
「……カルちゃんのお陰で捗ってるよ」
それがどういう意味か、理解していないと思われているのだろうか。
だとしたら心外だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます