二、来る不穏

「あぁあぁ。今日も一本も取れず、だなぁ」

 お爺ちゃん相手にこれは恥ずかしいなぁ。と、牙琥はにんまりとした笑みを見せつけた。打たれてボロボロになり、地に伏せってへばる紅怜に対して。


 紅怜はぷうっと頬を膨らませて、「そんな根に持つ事じゃないのに」と言った。


 牙琥は首に木刀を回し、両手を端にもたらせてしゃがみ込む。

「大人に対して、歳と見た目を突っ込むのはタブーって事だぁ。分かったかぁ?」

 にんまりとしている口角を更に上げ、意地悪極まりない顔で言った。


「大人げないよ、父さん」

 紅怜はぶすっとして突っ込む。


 だが牙琥は、痛くも痒くもない突っ込みだと言わんばかりに「それが大人ってもんだぁ」と、平然と打ち返した。


 これだよ、本当に父さんは大人げない。大人げない大人だよ。

 紅怜は心の中で苦言を呟いてから「もう良いよ、分かったよ」と、白旗をあげた。


「アタシの負け」

「色々と、な」

 牙琥は満面の笑みで、眼前で渋々上がった白旗を大いに煽ぐ。

 紅怜はぐぬぬと歯がみしてから「……別にいいもん」と、スッと立ち上がって、自分に付いた土汚れをパンパンッと払った。

「父さんに勝つ事は二の次ってものだし。例え父さんに勝てなくても、ここの皆を守れる位の力になれば良いもん」

 ツンとした物言いで、負けの悔しさを紛らわせる。


 そんな紅怜に、牙琥はフッと笑って立ち上がった。

「紅怜、それはいつも言ってるがよぅ。守る為の力なら、尚更俺程度には勝たなくちゃ駄目なんじゃねぇかぁ?」

 くつくつと楽しそうに紡がれた言葉には、紅怜の心を刺激させる力が大いにあった。


 瞬く間にぶわっと燃え盛る心の炎、その炎が手を伸ばして襲いかかる様に、紅怜は「うるさぁいっ!」と、木刀を素早く振り下ろした。

 刹那、ガツンッと木刀同士が激しく打ち当たり、ギリギリッと拮抗する音が弾ける。


「ハハハッ。心も体も、お前はまだまだガキだなぁ」

 紅怜の奇襲を読んでいた牙琥が、後ろに構えていた木刀を素早く抜き、前からの攻撃を受け止めたのだ。


 紅怜にとっては、これは速攻であり奇襲。


 そんな攻撃を易々と受け止められてしまったせいで、紅怜の顔は更に紅潮し、食いしばった歯の隙間からは憤懣の呻きが悍ましげに漏れ出ていた。

 牙琥の口から、再びクツクツと楽しげな笑いが零れる。

 

 だが、今回のそれは彼女の悔しさと怒りを助長させなかった。

「よしよし、今日はここまでだぁ」

 満面の笑みで告げられた手打ちに、紅怜は収めざるを得なかったのである。彼に向けた全てを。


 紅怜は「はぁい」と、ぶすっとした面持ちでゆるゆると木刀を引いた。


 その時だった。


「が、牙琥の旦那!」

 彼等の家に続く一本道から、一人の青年がわたわたと慌ただしく駆け込んでくる。

 紅怜は、その慌て具合に「何だろう、どうしたんだろう?」と眉を顰めたが。牙琥は咥えていた煙管をゆっくりと離し、「浩然はおらんよぉ。ちったぁ落ち着けぇ」と安穏と宥めた。


 だが、浩然は「落ち着いてなんかいられねぇっすよ!」とかかり気味に突っ込む。

「今役人共が来て、広場に村人全員を集めろと命じて来たんす!」

 息も雰囲気も切羽詰まったまま告げられた異常事態に、悠然としていた牙琥の顔がぐにゃりと歪んだ。


「……どういうこったぁ? いつもの取り立てじゃあねぇのかぁ?」

 怪訝と困惑を滲ませながら問いかけると、直ぐさま前から力強い否定が飛ぶ。


「それだったら、国王軍の連中なんていやせんよ!」

 国王軍。その不穏な響きを持つ名に、牙琥だけでなく紅怜にも衝撃が走った。


「国王軍の奴等が、今ここにいんのかぁ?」

 牙琥がギチギチと強張った声で訊ねると、浩然は「そうっす」と、彼と同じ声音で言葉を返す。


「どういう訳か、アイツ等。国王軍の連中も引き連れて来たんすよ。だからいつもの取り立てじゃねぇって事でしょ。牙琥の旦那、俺ぁ、何やらマズい予感が」

「浩然」

 牙琥は彼の名を物々しく呼び、おずおずとそして弱々しく紡がれていた言葉をバッサリと遮った。そして手にしていた煙管の中身を下にスッと向け、パラパラと零れ出る灰達をジャッと力強い一歩で地面に押し潰す。

「行くぞぉ」

「……は、はいっす!」


 浩然は自分達の助けを受け取り、ゆらりと動き出す牙琥の前で、慌てて答えた。


 二人の会話には、まるきり蚊帳の外であった紅怜だが。慌てる浩然と泰然と村へ向かう牙琥の背を「アタシも!」と言う様に追いかけた。


「紅怜、お前は留守番してろぉ」

 唐突に牙琥がサッと振り返り、歩み出す紅怜をその場で固めさせる。


「えっ。な、何で! ?」

 当然の様に自分もついて行けると思っていた紅怜は、前から冷淡に告げられた留守番に、ひどく愕然として食い下がった。

「アタシだって、この村の一員よ!」

「だから何だってんだぁ? お前みたいなガキが居た所で、何になるぅ? 争いの火種にしかなんねぇだろぉ? だから付いてくんなって言ってんだぁ」

 お前一人居ても居なくても、相手には気付かれやしねぇし、変わりゃしねぇんだよ。と、牙琥は剣呑に言葉をぶつけた。


 そしてまだ食い下がろうと口を開きかける彼女をギロリと睨めつけ、「紅怜」と物々しく名を呼ぶ。

「ハッキリ言わなきゃ分からねぇかぁ? 俺ぁ、ガキは邪魔だからしゃしゃり出てくるなって言ってんだぁ。自分の能力を過信し、国王軍相手でも渡り合える・何か出来ると思ってるクソガキは殊更要らねぇんだよぉ」


 紅怜は次々とぶつけられる礫に閉口し、ギュッと拳を作った。


 ……確かに思ってた、過信してた。アタシも何か出来る、力になれるって。

 でも、でもさ。邪魔にしかならないって言うのは、まだ分からない事でしょ。アタシも戦力の一部に成れる可能性があるでしょ?

 父さん。アタシ、非力って訳じゃないんだよ。


 そうでしょ?

 だってアタシには、ここの皆を護る為に、ここの皆の笑顔を護る為にって、付け続けている力があるんだよ。


 毎日直々にその力を教え続けている父さんが、それを分からない訳じゃないでしょ?


 紅怜は唇をキツく噛みしめて、牙琥をまっすぐ射抜いた。


 牙琥はその眼差しから、ふいっと目を落として「駄目だ」と力強く告げる。

 そしてくるっと背を向けてから「俺が帰ってくるまで待ってろ、分かったなぁ?」と剣呑にぶつけた。


 紅怜は、何一つとして変わらなかった言い分に、更なる苦渋で顔を歪ませる。

 しかし牙琥には、それを微塵も受け止められなかった。


 牙琥は「何ぼさっとしてんだぁ、行くぞぉ」と、浩然のみを促して歩き出す。

 浩然はおずおずと何度も後ろを気にして振り返ったものの、彼が後ろを振り返る事はなかった。


 紅怜は唇を強く噛みしめ、手の平の肉が「もう辞めて」と訴える程に爪を深々と突き立てて拳を作る。そして自分を一瞥もしないで、淡々と置き去りにする背を見据え続けた。


「……なんでよ、父さん」

 悔しさと悲しさに塗れた問いを静かに吐き出す。


 その問いかけに、答えが返ってくる事はなかった。


 もう自分を置き去りにする冷酷な背が見えなくなったからだろうか。それとも虚空に溶け消えていったからだろうか。


 一人その場に残された紅怜には、分からなかった。

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