四、母の願いは想いと成って

 両脇を屈強な男で固められ、ズルズルと新たな王の前に引きずられて来たのは……見るに堪えぬ程見窄らしい衣に身を包み、加虐を尽くされた身体と成り果てた白攣姫であった。


 白攣姫はドサッと崩れ落ちる様に膝を突き、新王の前で正座する。


「……此度のご即位、誠におめでとうございまする」

 弱々しいながらも、相も変わらぬ美しい声で、彼女は祝辞を述べた。


「ふん、思ってもない事を」

 秀光はかつての寵妃からの祝辞を冷酷に一蹴し、腫れぼったい目で己を見据える女を睨めつける。


「赤子はどうした」

「香凜、の事でございまするか」

 白攣姫は娘の名前を力強く述べて、他人の赤子と言う様に忌避する秀光と真っ向から対峙した。


 秀光はムッとして「そうだ」と、ぶっきらぼうに打ち返す。


「お前達を捕らえに部屋に踏み込んだ時には、どういう訳か、香凜だけがその場に居なかったと言う。生まれて三月ばかりの赤子が、たった一人で、母の元を離れ、どこかへ行ったとは考えにくい」

 どこへ隠した。と、白攣姫に物々しく問いかける。


 白攣姫は「恐れながら、王様」と、前からの圧に臆する事なく、毅然と答えた。


「運命の力があれば、母の元から赤子が一人で離れて行く事も容易き事でありましょう。故に、何ら不思議な事ではございませぬ。お分かりになりますか。あの子は、香凜は、今この時に散る命ではなかったと言うだけの話なのです」

 きっぱりと紡がれた答えに、秀光の右眉が「ほう?」と冷ややかに吊り上がる。


「では、其方は散る運命にあると言う事だな」

「……大変悲しい事ながら」

 白攣姫は目を伏せって答えると「これだけは申し上げましょう」と、静かに言葉を継いだ。


「この死は、人の力では抗えぬ運命に翻弄されてのもの。決して、麒麟様との不義密通の罪を認めたからではございませぬ。私は清廉潔白の身。香凜もまた潔白であり、間違いなく貴方様との間に出来た子でございまする」

「ふん。この状況で、よくもそんな事が嘯けるものだな」

 流石は毒婦だ、感心に値する。と、秀光は彼女の言い分を冷淡に払いのけ、「やれ」と処刑人に合図を送った。


 命を受け取った処刑人が、徐に動き出す。


 それを一瞥した白攣姫は「覚悟はとうに出来ております」と、居住まいをピシッと正してから、かつての夫をまっすぐ射抜いた。


「王様。我が子を手に掛けようとし、一方的に惚れ込んだ下賤な女を一方的に斬り捨てる貴方様の御世は、不穏と不幸ばかりが募っていく悍ましい世となるでしょう……しかし、安心なさいませ。それが長く続く事はありませぬ」

 白攣姫は一度言葉を区切る様に、切れてズキズキと痛む口角をフッと上げる。

「貴方の御世は持って数年。直にその玉座には座っていられなくなり、貴方は闇に追い立てられる」

 如何せん、真に王に相応しい者は他に居るのですから。と、謳う様に朗々と告げた。


 秀光はその挑発にカッと激昂し「何をしている!」と猛々しくいきり立って、処刑人に檄を飛ばした。


「早くその女の首を落とせ! さっさと殺すのだ!」

 彼の激怒が空気をビリビリと震撼させ、白攣姫を前に固まる処刑人にビシッと鋭く鞭を入れる。


 処刑人は「すぐに」と言わんばかりに、ドンッと白攣姫の頭を床に打ちつけた。


 艶をなくし、ボサボサと纏まりがなくなった黒髪がばらっと半円に広がり、華奢な首が露わとなる。


 白攣姫は交差して縛られた手でぎゅうっと拳を作り、地面に打ちつけた額を更に強く押し当てた。


 ……香凜。母親らしい事を一つもせずに、まだまだ幼い貴女を残して旅立つ母でごめんなさい。貴女の「先」を側で見続ける事が出来ない母でごめんなさい。貴女の成長に一喜一憂出来ない母でごめんなさい。


 許してくれとは言わないわ。生まれて三月の貴女を手放す私は、本当に酷い母親だと思うもの。例えそれが貴女を守る為と言う理由でも、子を手放す母は最悪の母親だから。


 でもね、香凜。これだけは、この母の想いだけは分かっていてちょうだい。


 私は貴女をずっと愛しているわ。この先、どんな貴女になっても、この愛が消える事はありません。貴女がどんな道を進む事になっても、母の愛情はずっと貴女の側にあります。


 だから香凜。貴女は好きに生きて、好きを謳歌する人生を送りなさい。


 そして何があっても、命を諦める様な事をしてはいけませんよ。母の様になっても駄目。必ず生きる道を進むの。良いわね。何があっても、絶対に貴女は生きるのよ。


 ……嗚呼、悔しいわ。こんな事も、直接貴女に言えないなんて。


 本当に悔しくて、寂しくて、悲しいわ。


 もっと、貴女をこの腕で抱き続けていたかったのに。もっと、貴女の成長を見守っていきたかったのに。もっと、もっと貴女の側で生きていたかったのに。もっと、もっともっと貴女の母として生きたかったのに……!


 白攣姫はグッと奥歯を噛みしめ、零れそうになる嗚咽を必死に押し込めた。ギュッと瞼も堅く閉ざし、ぼわぼわと歪む現実を遮断する。

 そうして真黒の世界から現れるのは、泣く泣く託した愛しい存在の笑顔。


 嗚呼、逢いたい。また逢いたいわ、香凜。私の可愛い娘。


 ……ザンッ。

 力強く振り下ろされる大刀が告げた。

 白攣姫の生命の終わりを……そして新たなる王政の始まりを。



 ある男の腕で、赤子が突然けたたましく泣き叫び始めた。


 安堵出来る腕から武骨な腕へと渡っても。城を飛び出し、西にある村に向かっている今でも、我関せずとばかりに寝入っていた赤子が涙を流し始めたのだ。

「……逝っちまったかぁ」

 男は泣き叫び始めた赤子を不器用にあやしてから、大きく天を仰ぐ。


 白攣よぅ。俺がお前の代わりにコイツを立派に育ててみせる……なんて事は言えねぇよ。俺は武道を極める事しかやってこなかったからな。人間の赤子を立派に育てる自信は、マジでねぇ。


 けど、お前と頭。その両方から託されたモノを無下にはしねぇ。

 約束するぜ、俺がコイツを守り育てると。


 男は自身を優しく包み込む風を受けてから、自身に託された宝を不慣れな手つきであやしはじめたのだった。

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