第26話 決意とまた来たアイツ

 本邸にて十日間しっかりと療養してエルシドは屋敷に帰ってきた。

 あれから毎日夕方から夜まで本邸のエルシドの元へ通う生活がやっと落ち着いた気がする。

 昨年予定していた隣国行きの計画も順調に進んでいる。

 この世界で砂糖はスパイス類と並び貴重品だ、そもそも農作物の安定した供給というのも難しい、天候や気温だけではなく魔物被害もある。

 私が手がけている砂糖事業は今まで領内と王都にしか広げていなかったのだけど、今年からはそこに隣国の商会が加わる。

 今回の顔合わせでは初期の三年契約として年間に取引する砂糖と金額を擦り合わせる。

 向こうの先鋒は案の定隣国でかなりのやり手だと平民から絶大な支持を得ている第三王子アーノルドだ、彼の情報を細やかにチェックする。

 「うわぁ、曲者感すごいなぁ」

 数々の外交事業の成功に加え情報収集力の強さ、懐に入り込む話術となかなかの人物。

 悪評らしい悪評もない。

 「エル、隣国の第三王子ってどんな感じ?」

 私の手伝いとして帳簿のチェックをしていたエルシドに声をかけると、エルシドは帳簿から私に視線を移した。

 「アーノルドか、早々に王位継承権を放棄して王太子の懐刀になると宣言したとして一時期話題にはなったな、腹の中のわからない人の良さそうな笑みで常に寝首を搔く機会を伺ってそうな印象で俺はあまり信用出来なかったが、弟……うちの第二王子とは仲が良かったはずだ」

 「ああ、腹黒と腹黒かぁ」

 私の言葉にエルシドは目を丸くした後珍しく豪快に笑った。

 「リアからはそう見えたのか」

 笑われたことにムッとしながらも、学園時代に見たレイアードと第二王子を思い出す。

 感情的になりやすく頭がいいのに残念な面が目立っていたレイアード、癇癪を起こしたりと面倒な性格は敬遠されがちではあったけれど、ある意味真っ直ぐで裏表がないといえば無かった。

 対して評価の高かった第二王子は穏和で温厚、思慮深く常に笑顔の胡散臭さが私には怖いと感じた。

 まあ人気は高かったけれど。

 エルシドからも情報を貰いながら再来週に迫る隣国入りの準備を進めていた。

 エルシドは本邸療養中から父と何か話し合いをしていたようだが、特に何も言って来ないのと一度逃げ出した手前蒸し返す事が憚られて何も聞けなかった。

 リハビリを兼ねて本邸に毎日行っているけれど、私としてはもうダンジョンや魔物討伐に参加をして欲しくはない、それを伝えれば「クレッセンに居るうちはやるべきことだろう」と返されてしまい、やりたいことをやっていいと言った手前それも言い返せなかった。


 「少しいいだろうか」

 間近に隣国行きを控えたある夜、私の部屋を訪ねて来たエルシドが改って話をしたいと言い出した。

 ソファに案内して向かい側に腰掛ける。

 暫く目を閉じていたエルシドが私の顔を真っ直ぐに見た。

 空色の瞳に私の顔が写り居心地悪く息を呑んだ。

 「リア、結婚しないか?」

 突然の言葉に「は?」と間抜けな声が飛び出してしまった。

 「クレッセン男爵からは許可を取ってある、リアが頷けばそう動くと」

 いつの間にそんな話をしていたのかと空いた口が塞がらない。

 「え?いや、何、言って……」

 「岩の下敷きになった時に浮かんだのはリアのことだったし、ルカたちだった」

 エルシドは私を見据えたままゆっくりけれど力強く話を続ける。

 「王宮の連中のことなんかひとつも思い出さなかった、本邸で治療を受けている間は早くリアのいるこの屋敷に帰りたいと思っていた」

 「リアが言ったように俺がやりたいことを考えた、俺は平民のエルシドとしてリアとここで生きたい」

 頭の中が真っ白になる。

 「父には、エルシドとして生きると連絡した」

 いや早いわ!先走りすぎ!

 「リアが結婚を考えていないことは知っている、だから俺に気持ちが向くように頑張らせて欲しい」

 は?今以上ですか?既に手放せないと悩んでるのに?なんて恐ろしいことを言い出すの?

 オロオロと言葉を探す私をクスリと小さく笑って「諦める気はないから覚悟をしてくれ」とそれだけ言ってソファから立ち上がり、見上げる私の頬に屈んで手を当てたエルシドの空色の瞳がゆっくり近づいて来た。

 額に柔らかな感触が一瞬触れて口角を上げたエルシドが「おやすみ」と耳元で言って部屋を去っていった、私は固まったまま暫く閉じた扉を見ていた。

 

 何となくわかっていて目を背けていたことに向かい合わなくてはいけなくなったけれど、今は隣国との商談をまずはまとめる必要がある。

 ただここで第三王子が出張ってくる以上こちらに不利な条件を突きつけて来ないとは言えない。

 引く気は無くても向こうも王族、簡単にはいかないだろう。

 実際向こうからの要求を見るにこちらの利益が美味しいとは言えない、これを取っ掛かりに手広くという気もないのでどうしたものか。

 本邸の晩餐に呼ばれてエルシドを伴い久しぶりに家族で顔を合わせていると、丁度その話になった。

 「エルシドはリアに話したのか?」

 父が何気なく私の隣に座るエルシドに声をかけた。

 「はい、今は承諾を貰えるように口説いている最中ですね」

 「そうか、ならリアとっととエルシドと婚約すれば良いだろう」

 「は?」

 父の突拍子もない提案に思ったより低い声が出た。

 「どうせ時間の問題なんだ、怖い顔をしないで腹を括れば良かろう、お前の婚約者の立場なら彼方の第三王子との商談にエルシドが口を挟めるしな」

 直ぐに言い返せないほど有用な提案に私が口籠る。

 「俺は願ったり叶ったりだが?」

 「なら、直ぐに手続きに入ろう」

 私の意思を置き去りに話が進んでいくのを止めようと口を開いた瞬間、それまで黙っていた母が更に恐ろしいひと言を告げた。

 「ビクターがまた来るのよ、丁度出発の日に」

 「は?え?何しに?」

 「プロポーズよ、何惚けたことを……」

 呆れたような目を向けられてビクッと肩が震えた。

 「お断りしてるのですが?」

 「長期滞在の許可を出して来たわよ」

 暑苦しい幼馴染を思い出し私はエルシドを見た。

 青銀の髪を揺らせて空色の瞳がゆっくり弧を描く。

 「リア」

 「わかったわよ、エルと婚約するわ!婚約するだけだから!」

 効果のない抵抗を試みたが、私の返答にエルシドがふわりと柔らかな笑顔を見せた、ドキドキと心臓が煩い。

 ぐっ、元々割と好きな顔立ちだったから余計に……。

 悔しさを少し残しながら、先々の面倒は言い出した父に丸投げしようと心に誓った。


 出発の日、昼前に予告通りビクターがやってきた。

 「リア!」

 「あらビクター、お久しぶりね」

 慌ただしく馬車に荷物を積み込む私たちを見てビクターが不思議そうに私を見た。

 「どこか行くのか?」

 「ええ、商談にね、そうだ!ビクター!」

 声を張り上げた私にビクターがビクッとする。

 「私婚約したの」

 「え?」

 「うん、婚約」

 「は?え?だ、だれと?」

 掴みかからん勢いで前のめりになったビクターから私を庇うように後ろから伸びて来た手に引き寄せられ腕が前に回る。

 抱き留めた形に上を見上げればうっそりと笑ったエルシドがビクターに「俺と、だ」と言って馬車に私を乗せた。

 続いて馬車に乗り込んだエルシドは早々にドアを閉める、慌てて追いかけてきたビクターを振り切って馬車が進み始めた。

 エルシドはくつくつと嬉しそうに笑っていた。

 

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