第25話 逃げたい逃がさない

 その報せは丁度私が畑の見回りから帰ったばかりの時にやってきた。

 バタンと勢いよく開いたエントランスの扉にコニーが私を背後へと隠して警戒をする。

 「アベリアさま!エルシドがっ!」

 飛び込んで来たのはギースだった、乱れた髪に泥だらけの鎧のまま告げられた言葉に私は駆け出していた。

 「本邸に!」

 「わかった!」

 そう遠くない本邸までの道を走っていく、何かあったそれだけで背中に嫌な汗が流れていく。

 本邸の手前、騎士団の詰所が騒がしい。

 怪我を負ったものは見当たらないがいつもと違う騒々しさに悪い予感が止まらなくなる。

 夕陽は山向こうに沈みあたりが暗くなりだした頃、漸く本邸に駆け込んだ。


 「姉さま……」

 真っ青な顔で震えるヘルマンドにエルシドの居場所を問い詰めて階段を駆け上がり客間に飛び込んだ。

 既に手当は終わっているらしいエルシドがベッドに横たわり眠っているのが見えた。

 顔や首、腕に包帯やガーゼが見える。

 ベッドの傍にゆっくり近づき呼吸があることを確認して知らずに止めていた息を吐いた。

 「ごめ、なさ……エル兄さん、僕を庇って……」

 ヒックとしゃくりあげるヘルマンドが客間の入り口から私の背中に声をかけた。

 大丈夫だと、ヘルマンドのせいじゃないと声をかけなければならないのに声が出せない。

 シーツを微かに持ち上げるように上下するのを呼吸を確認しては閉じた長い睫毛が今にも動いて空色の瞳が此方を向くのではないかと、目の前のエルシドから視線を動かせない。

 背後でしゃくりあげる声を聞きながら呆然としていると、父が「少し良いか?」と声をかけて客間に入ってきた。

 「直接魔物から攻撃を受けたわけではないんだが」

 父はエルシドが怪我をした状況について話をしてくれた。

 ダンジョンの視察は上手く行っていたらしい、だからこその慢心があったのだろう。

 帰りの出口付近で混戦になりその振動のせいか入り口を出た辺りに身を隠していたヘルマンドに向かい落石が起こった。

 いち早くそれに気づいたエルシドがヘルマンドを突き飛ばし、代わりに降ってきた岩の下敷きになったと。

 「お前から預かっておきながらすまなかった」

 頭を下げる父とまだしゃくり上げているヘルマンドに「ダンジョン行きは怪我をすることがあると、私も理解していますから」と宥めるように返した。


 どれくらい時間が経ったのだろう、見た目の状態は去年王都で見つけた頃よりも怪我は少ない。

 このまま目覚めなかったらどうしよう、そんな不安が過ぎる。

 離れがたく目覚めた時に傍に居たいからと本邸に泊まることを伝えて、ベッドサイドに椅子を持ってきてからかなりの時間が過ぎた。

 目覚めないエルシドの手を握り祈るようにその手に額を付けた。

 ピクリと指が動いた気がして私は体を起こしエルシドを見た。

 長い睫毛がふると揺れて数度瞬きを繰り返し眉根を寄せながらゆっくり瞼が開いた。

 「エル!」

 「リア?あー俺、どうした?ヘルマンドは?」

 「ヘルマンドは無事よ、エルのおかげで」

 「そっか」

 良かったと呟いたエルシドが痛むであろう私が握っていた腕をゆっくりあげて私の頬に触れた。

 「ごめん」

 困ったように笑われて、漸く自分が泣いていたことに気づいた。

 気づいてしまえば感情が決壊したかのようにハラハラと流れる涙が止まらなくなる。

 私のその様子に慌てたエルシドがガバッとシーツを跳ね退けて私の頭を抱き込んだ。

 フワリとムスクの混じるエルシドの匂いに薬草の匂いが差し込む。

 頬に当たる体温に安心を求めてギュッとシャツを掴んだ。

 エルシドは何度も「ごめん」と繰り返しながら背中を撫でていた。


 一頻り泣いて落ち着いてくればやらかした醜態に逃げたい気持ちが湧き上がってきて、ソワソワと落ち着かなくなってくる。

 「み、水飲む?入れてくるわ」

 エルシドの顔も見れず視線を逸らしたまま返事も聞かずに私は部屋を飛び出した。

 後ろ手に扉を閉めて深呼吸をしていると、私を追いかけて来ていたマリアがトレイに乗せた水差しとグラスを黙って差し出した。

 「ありがとう」

 マリアからトレイを受け取り部屋に戻ると、エルシドは上半身を起こしたまま待っていたようだった。

 私はベッドサイドに戻りグラスに水を注いでエルシドの手に持たせる、エルシドはそれをグッと飲み干した。

 「無事で良かった」

 「うん」

 「ヘルマンドを守ってくれてありがとう」

 「何だろうな、考えるより先に体が動いたんだ、今までこんなこと無かった、何より俺は先ず俺が無事でなければならなかったから」

 元は守られる側だった、第一に自分の身を守ることを求められていたエルシドに取って初めての感情だったらしい。

 「エル」

 「どうした?」

 「やっぱりエルは王都に帰りなさいよ」

 私の言葉にエルシドは返事をしない、私は自分の気持ちが悟られないようにと早口で捲し立てる。

 「クレッセンは魔物も多いし安全とは言えないわ、明日にでも陛下に連絡をするから……」

 立ち上がり逃げるように言い捨てた私の腕をエルシドが掴んだ。

 「ごめんなさい、エル」

 私はエルシドの手を振り払い客間を飛び出すと逃げるように屋敷へと向かって走った。

 蓋をしたはずの気持ちが溢れる前に逃げ出したかった。


 「いや、逃がさないし」

 そんなことをエルシドが呟いていたなんて全く知らなかった。

 

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