第22話 年明けと切っ掛け
新年だからと何かするのは精々王都の貴族ぐらいなもので、そう豊かでない平民にとっては変わらない日々が過ぎていく、クレッセン領でもそれは変わらず社交のために王都へ行かなければならなかった頃にはない静かな時間を、ゆったりと過ごしていた。
午前中は騎士団に顔を出すエルシドを送り出し、私は執務室で書類仕事を片付ける。
動きが少ないこの時期はそう多く抱える執務もないため、午前中に書類の大半が片付く。
昼前にはエルシドも戻り昼食を摂ってからは自由に時間を使っている。
私とエルシドは大抵サロンで本を読んでいるか、そうでなければ手慰みに刺繍を始める私の側でエルシドが本を読んでいたりする。
時々護衛として父から派遣されているギースやコニーとエルシドが中庭を使い鍛錬に励み、庭を傷つけるたびに通いの庭師として出入りするベンに三人纏めて叱られているのを、私とマリア、アンとベスが笑ってルカが呆れながら仲裁に走る。
そう穏やかで特に何もなく皆が笑っていられる時間を過ごしていた。
年が明け十日程で初めての社交を終えたヘルマンドと父がクレッセン領に帰ってきた。
母はもう少し王都に残り、シーズンギリギリまで社交をするらしい、主な目的はヘルマンドの婚約者探しとのこと。
私は結婚にそれほど前向きではなかった為、母はかなり残念に思っていたようだが私の場合は父がそれを許容したこともあって、別邸に住まいを移すというしきたり通りであれば結婚しなくても良い、とされていた。
しかし男爵家の嫡男であるヘルマンドはそうはいかない。
いずれは男爵領を継ぐ身のため余程のことがない限りは後継を設けなければならないし、何より爵位を継ぐなら伴侶がなくてはこの世界で一人前とみなされない。
そう、だからこそビクターは焦ってクレッセン領まで来たのだろう、迷惑でしかないので巻き込まないで欲しいが。
王都に住まいを持つローガン子爵家であればいずれ間を置かず良い縁談に恵まれるだろう、気の迷いだったと笑える日が来るはずだ、煩いから私が居ない所で笑って欲しいが。
当のヘルマンドは王都で探すより近隣の領地を治める近い爵位の令嬢の方がクレッセン領に馴染めるのではないかと考えているらしく、母がセッティングした王都に来ていた令嬢を集めた茶会で散々クレッセン自慢をして来たらしい。
自然豊かなクレッセン領の話を引き攣った笑顔で聞いていた令嬢たちからは色良い返事は貰えなかったとヘルマンドを連れて帰って来た父が肩を落としていた。
まあ確かに、王都住みの令嬢がクレッセンのような山奥の領地で生活するのは苦痛かもしれない。
「これ、お土産」
と屋敷に出向いたヘルマンドは王都で流行りの菓子を買って来てくれた。
エルシドがいれた紅茶を飲みながらお土産を頂く。
私の斜め後ろにはエルシドが立っている、そのエルシドをヘルマンドは座らせてお土産を勧める。
「母上にも困ったものだよねぇ、王都育ちの令嬢なんかクレッセンでやってけるわけないのに」
はぁと態とらしい溜息を吐きながら呆れたようにヘルマンドが言うのを私は苦笑いで答えた。
「懐かしいな」
ポソリとエルシドが溢した言葉は久しぶりに口にした王都の菓子のせいだろう、小さく口元が緩んでいる。
「ここの菓子はよく公爵家の茶会に出ていた」
ああ、と思い至る。
公爵家の、それは前婚約者でもある公爵令嬢との茶会なのだろう。
ズンと胃の辺りが重く感じる不快感に気付かれないよう溜息で逃がしていると、何か思いついたようにヘルマンドが顔を輝かせた。
「姉さまとエル兄さんが結婚すればいいんじゃない!そんで子どもを後継にすれば……」
食べていた菓子を吹き出したエルシドが目を白黒させている。
「いや、それは……それは出来ない」
「え?なんで?」
「俺は……断種されているからな……」
小さく呟いたエルシドの言葉にわかっていてショックを受けているとヘルマンドが首を傾げた。
「姉さまと結婚するのはいいんだ?」
「そ、れは……」
チラチラとエルシドの視線が私に向けられる。
ドクドクと心臓が早鐘を打つ、極力意識しないように最近は努めていたものを、答えを聞きたくて聞きたくなくて今にも逃げ出したいほど落ち着かない。
ヘルマンドもエルシドの事情は知っているし聡明な弟は理解もしている、だというのになんて事を言い出すのだろう。
早鐘を打つ心臓を気取られたくなくて私は無理矢理冷静さを繕いながら嗜める。
「ヘルマンド、エルを困らせてはいけないわ」
言いづらそうなエルシドの代わりにと内心言い訳をしながらヘルマンドを諌めた。
「はぁい」
ヘルマンドはそれ以上話さなかったが、私とエルシドの間には落ち着かない空気が流れていた。
ヘルマンドを見送り部屋に向かう途中でエルシドが私の袖を引いた。
振り返ってみればいつになく固い表情で私を見るエルシドと目があった。
二、三度口を開いては閉じと言葉を探す素振りを見せたエルシドが漸く言葉を吐き出した。
「俺はリアのものだから、リアのしたいようにすればいい」
消えそうな小さな呟きに、先の続きだと気がついた。
いい加減、しっかり話す時なのかもしれない。
本当はもう少しこのままで居たかったというのは私の我儘なのだろう。
「少し、話をしましょうか」
私は眉尻を下げて微笑むと自室へとエルシドを迎え入れた。
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