第20話 心地良い距離

 屋敷に戻りサッと湯浴みを済ませて埃を落とすと、エプロンを手に厨房へと向かう。

 去年までは本邸の家族に振舞っていた冬の定番を解禁するのは毎年この日と決めている。

 厨房を任せている料理人の手を借りながら野菜や肉を切っていく。

 この時期でないと入手しづらい海側の領地から王都を越えてやってくる海藻の乾物であり前世日本人に馴染みのある昆布を、村の職人に無理を言って作ってもらった土鍋に敷いていく。

 鍋は全部で三つ、私たちの分がひとつに使用人たちの分がふたつ。

 そこに野菜や肉を入れ蓋をしてくつくつと煮ている間に、山向こうの隣国にしかない大豆の調味料である醤油を取り出し、酸味の強い柑橘の搾り汁と混ぜ合わせていく。

 騎士団で使われる魔道具になっている簡易焜炉をアンとベスが運んで準備をしてくれる。

 ある程度煮立った鍋を食堂に運んで貰い、私はエプロンを外した。


 「これは?」

 「寄せ鍋ね」

 「どうやって食べるんだ?」

 いつものダイニングテーブルを片し小さめのテーブルセットで鍋を挟んで向かい合わせに座るエルシドが不思議そうに鍋を見ている。

 初めて使う箸の使い方を説明して私は蓋を外した。

 自家製のポン酢を入れた小鉢に鍋から具を取り分けて渡すと恐る恐るエルシドが箸を持ち葉野菜を口に含んだ。

 「初めて食べる味だな、だがこれは冷えた体が温まる」

 正直、前世の記憶があっても然程何か変わりがあるわけではなく、精々がちょっと違う知識が多い程度ではあるが、こういう食べ物に関しては得をしていることもある。

 ポン酢の作り方にしろ鍋にしろ、最近では味噌も隣国から流れて来ているのでそのうち懐かしい味噌汁なんかも作れるだろう。

 前世のゲームや漫画、小説みたいに知識チートなんて普通に生きた前世の経験程度ではあり得ない。

 味噌や醤油だってそれを使ったものは作れても、それ自体が作れるわけじゃない。

 それでもこうやって鍋を囲めば懐かしいという感覚にはなるんだから不思議よね。

 箸に慣れるまで四苦八苦しながら食べていたエルシドもすぐに使い方のコツを掴むあたり、流石に元は出来る王族といところかなと、すっかり青銀になったエルシド髪を見ながら思う。

 「具がなくなったわね、締めは麺にしましょうか」

 今日の露店で買って来た乾麺を鍋に投入して簡易焜炉の魔道具を作動させる、暫くくつくつと煮たあと溶き卵を入れて蓋をすれば、食い入るようにエルシドが鍋を見ていた。

 「目の前で仕上げる料理は食ったことがあるが、こういうのは初めてだ」

 ワクワクと鍋を見るエルシドがその期待に満ちた目を私に向けた。

 ドキリと心臓が跳ねた、赤くなりそうな顔を見せないようにわざとはしゃいで鍋の蓋を開ける。

 立ち昇る湯気と美味しそうな匂いに笑みが溢れた。

 「さ、どうぞ」

 「ん」

 小鉢に鍋の中身を盛ってエルシドに差し出す、戸惑いなく受け取ったエルシドが美味しそうに食べるのを見ながら私も小鉢を手にした。


 寒さが本格化し始めると、魔物討伐もひと段落となり年越しの準備になる。

 今年から年末年始の社交には弟のヘルマンドが出ることになっていて、先日両親とヘルマンドが王都に向かい旅立った。

 帰るのは来年になってから、それまでは私が代理としてクレッセン領を守ることになっている。

 とはいえ、然程することもないので普段とあまり変わらないのだけど。

 窓の外から中庭を見下ろせばエルシドとギースが打合い形式の鍛錬をしている。

 すっかり寒くなったというのに、二人の体からは湯気が立ち昇っている。

 私はアンに湯浴みの準備を指示して冷たい水をグラスにふたつ用意して中庭へ向かった。


 以前ビクターと模擬戦をした時とは違い、エルシドとギースではギースに押される型になるらしく、少しばかりムキになっているエルシドの顔は学園時代を思い出させた。

 よく取巻きの女の子たちを引き連れていたレイアード殿下は負けず嫌いでも有名だった。

 躍起になって巻き返そうとする様子を当時は子どもみたいと思っていたが、今こうして側に居ればその為の努力も見えてくる、そうなれば必然的に応援したくもなるわけで。

 当時の婚約者もこんな気持ちだったのかなと考えれば胃の辺りがズンと重くなった気がした。

 覚えの無い不快感に首を傾げていると私を見つけたエルシドが表情を柔らかに変えて「リア」と呼ぶ、そう呼ばれた瞬間胃の辺りにあった重いものが霧散したので私は気のせいとして早々に忘れて持って来たグラスをエルシドに渡した。

 薄く目を細め「ありがとう」とグラスを受け取り、ギースがグラスを手にする前にエルシドがもうひとつのグラスを手に取りギースへと渡した。

 「俺もアベリアさまから受け取りたかったんだけど?」

 グラスを受け取りながらギースが揶揄うように言えばエルシドがチラッとギースに目を向けて「贅沢だろ」と言い放つ。

 それを聞いて目を丸くしたギースがケラケラと笑ってグラスの水を一気に飲み干し「先に行くわ」と湯浴みに向かった。

 

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