第3話
そこはとても小さな部屋になっていた。明かりは点いていたものの、それでもかなり薄暗い。
「ここは?」
「ここから逃げるんだ」
壁にはリュックサックが家族四人分。そしてランタンが二つ掛かっている。
リュックサックの中には保存食や着替えが入っている。
「逃げるって? お父さんとお母さんは?」
兄は鈴の言葉を無視し、他の物より一回り小さいリュックサックを壁から取り、鈴に渡した。
「お兄ちゃん、お父さんとお母さんは?」
兄は隣のリュックサックを背負うと、残りのリュックサックも壁から外して右腕に引っかけて持った。
そしてランタンを一つ持ち、鈴に差し出した。
「鈴、早く背負うんだ」
「お父さんとお母さんは!」
「鈴。お兄ちゃんの言うことを聞くんだ」
「お父さんと――」
「鈴!」
「ひっ」
兄の大きな声に鈴は怯んだ。それでも兄は態度を変えなかった。険しい顔で鈴を見つめて諭すように背負うんだと言い放った。
しかし鈴は今にも泣き出しそうな顔をしたまま動かなくなってしまった。
兄は持っていたランタンとリュックサックを床に置き、鈴にリュックサックを背負わせる。鈴は抵抗することなく、されるがまま背負った。
そしてランタンを鈴に持たせた。するとランタンは眩しいほどに光り輝き、辺りを真っ白にした。二人は眩しくて目を開けていられなかった。
「鈴、押さえるんだ」
「押さえるって、なにを?」
半べそをかいている鈴には、兄がなんのことを言っているのか、なにを押さえればいいのか分からないようだ。
兄は、やっぱり父さんからなにも聞いていないんだなと確信し、鈴が持っているランタンを取り上げる。
するとランタンは徐々に明るさを失っていき、十秒ほどで暗くなった。ランタンは、兄が持っても明るくはならなかった。
このランタンは魔法具と呼ばれる物だ。今の時代、魔法具は四千年前の物が博物館に並んでいるくらいしか現存しない。
しかし、これは父が自分で作ったのだと兄は聞いていた。にわかには信じられないが、信じるほかないのだろう。
確か魔法具は魔力を流して使う物だと、歴史の授業で習ったことがある。当然だが、現代人で使える者は一人も居ない。なのに鈴には魔法具が使えている。ならば鈴が流しているであろう魔力を調節すればいいのか? 自分には流すことすら出来なかったが、鈴なら……そう兄は考えた。
「ランタンに流す魔力を押さえるんだ」
「まりょく? ってなに?」
鈴は怯えながら、初めて聞く単語を聞き返した。
「父さんから教わっていただろ」
「?」
兄がそう尋ねても、鈴にはなんのことかさっぱり分からないという様子だ。
まさか父さんはそれとは教えず教えていたのか?
兄がそんな疑問を抱くには十分な反応だ。なんて説明すればいいのか、兄は分からなかった。何故なら、兄は教わっていなかったからだ。
よくよく思い出してみれば、鈴がなにか特別なことを教わっていた記憶がない。ただ、父は鈴と不思議な遊びをよくしていた。そしてその遊びを父は自分とはしなかった。自分もしたいとは思わなかった。もしかしたらその遊びというヤツが、魔力の訓練だったのかも知れない。そう結論を出した。
「鈴はよく父さんと遊んでいただろ」
「お父さん……何処?」
これではまた振り出しに戻ってしまう。
もう父さんとは会えないとか死んだとか今言ってしまったら、事態は悪化するだろう。
鈴を守るためにも、父さんと母さんとの約束を守るためにも、まだ話すべきでは無い。
兄はそう決断をして、恐らく真実であろうと思う事を隠すことにした。
「鈴、父さんと会うためにも思い出すんだ」
嘘も方便だ。こうでも言わないと、鈴は前を向いてくれないだろう。
案の定、鈴は顔を上げてくれた。
「お父さんと?」
「そうだ。朝、今日は帰ってこられないかも知れないって言っていただろ。ならこっちから会いに行けばいい」
「お母さんは?」
「母さんは」
さっきまで一緒に居たのだから、会いに行くという言い訳は通用しない。ここで合流して共に会いに行くのが自然だろう。しかしそれも叶わない。
「多分もう向かっているんじゃないかな」
更に嘘を重ねるしかなかった。
そんな苦しい嘘を重ねた兄の顔を、鈴はジッと見つめる。
「本当?」
明らかに疑った顔している鈴から、兄は目を逸らした。
「あ、ああ。きっと豚の生姜焼きを持って先に出ているさ」
「豚の生姜焼き!」
鈴が元気よくそう言うと、ぐぅと鈴のお腹が鳴った。夕飯を食べ損ねたんだから、仕方のないことだ。
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