第4話

 鈴のお腹が鳴ったことは、兄にとっては色々と誤魔化すチャンスとなった。

 床に置いたリュックサックを開き、保存食を一箱取り出す。箱を開け、中から一本取りだして包み紙を破ると鈴に渡した。そしてもう1本取り出して包み紙を破ると、一口囓って見せた。


「生姜焼きは?」

「母さんに会うまで我慢するんだ」

「うー、うん」


 鈴は渋々頷くと、保存食を指で一口サイズに折って口に入れた。

 長さは五センチ、幅と厚みは二センチの直方体。食感は柔らかいクッキーに近いが、それよりもパサパサしている。一応味も考慮されているが、所詮は保存食。あまり美味しい物ではない。

 とはいえ、1本で1食分のカロリーと栄養がぎっしり詰まっている。保存食としては完璧だろう。但し、物足りないからといってバクバク食べると、確実に横へ成長することになる。

 問題は水だ。

 兄は父から、水筒からいくらでも湧いて出てくると聞かされていたが、にわかには信じられない。

 そんな水筒、世界中の何処を探してもありはしない。無から水は生まれない。

 魔科学が発達した現代でも、あらかじめ加湿器に水を入れておかなければ部屋を加湿してくれないのと同様に、あらかじめ水筒に水を入れておかなければ水は出てこないのだ。

 兄は水筒を探して自分のリュックサックを漁ってみたが見つけられず、父の分と思われるリュックサックの脇にぶら下がっているのを見つけた。

 水筒を取り外してみると、とても軽い。それも当然で、中に水が入っていないのだ。なので蓋を取り、内蓋を回して水を蓋に注ごうとしても、水が出てくることはなかった。

 そういえば、父さんは水筒が使えるのは私と鈴だけだと言っていたのを兄は思い出した。しかし、理由は教えてくれなかった。


「鈴、水筒から水を出してくれないか」

「お水?」


 鈴は残った保存食を口に入れると、モグモグしながら手をパンパンと払い、兄から水筒を受け取った。

 軽かった水筒は鈴が持つとアッという間に重たくなった。

 兄が持っている蓋に鈴が水筒を傾けると、水が出てきて蓋の中を満たした。


「ありがとう」


 兄はそう言いながらも、本当に水が出たことに顔には出さなかったが驚いていた。

 水筒の中を覗き込んで確認したわけではないが、確実に空だったはずだ。

 しかし、父の言うとおり、水筒から水が出てきた。


「どういたしまして」


 とはいえ、まだ不安が残っている。この水は本当に飲んでも問題がないのだろうか……と。

 兄は蓋に口を付けると、一口飲んでみた。口当たりはとてもまろやかで、水道水と違ってカルキ臭が全くしない。無味無臭というヤツだ。どうやら問題がなさそうだと判断し、残りを一気に飲んだ。


「鈴も飲むか?」


 そう言って蓋を鈴に差し出す。


「うんっ」


 鈴は蓋を受け取ると、水筒を兄に差し出した。

 兄は思わず水筒を受け取ってしまったが、兄は先程水筒から水を出すことが出来なかった。だから俺では注げないのでは、と不安に思った。しかし受け取った水筒は、鈴に渡したときよりも明らかに重くなっているのを感じた。

 鈴が両手で持った蓋を差し出したので、兄はそれに半信半疑で水筒を傾けると、トクトクと水が注がれた。一度湧いた水は水筒が鈴の手を離れても存在し続けるようだ。


「鈴、飲みながらでいいから聞いてくれ。鈴はよく父さんと一緒に遊んでいただろう。そのとき、父さんから色々言われていたと思うんだ」


 鈴は父さんと遊んでいるときに魔力の扱い方を教わっていたはずだ。その時のことを鈴に思い出してもらわないといけない、と兄は確信した。


「んくっ、色んな事?」

「ああ。そのときなにか強くとか弱くとか言われていなかったか」


 鈴は水をクピクピ飲みながら、うーんと考えた。水を飲み終えて蓋を兄に返したとき、なにかを思い出したような顔をした。


「うん」

「それじゃ、その弱くと言われた感じでもう一度ランタンを持って」


 鈴が床に置かれているランタンを持つと、先ほどのような目も開けられない明るさにはならず、どちらかというと物足りないようなか細いロウソク程度の明るさになった。


「眩しくないね」

「そうだね。鈴、偉いぞ」


 兄が鈴の頭をヨシヨシと撫でる。

 緊張した兄の顔が緩んでいるのを見て、鈴はホッとして笑顔がこぼれた。

 そんな一時ひとときから現実に引き戻すかのように、天井がズシンと揺れてパラパラと埃が落ちてきた。

 二人とも音のした天井を見上げる。鈴は困惑し、兄は見つかるのも時間の問題か……と思い、先を急ぐことにした。


「鈴、こっちだ」


 兄は降ろしたリュックサックを掴んで鈴の手を取ると、部屋の奥にある通路へ進んだ。鈴は訳も分からず、ただ兄に手を引かれるまま歩いた。明滅を繰り返す不安定なランタンの明かりを頼りに二人は一本道を進んだ。

 その間も後ろから重い音が響いてきている。いつ突破されてくるか分からない。兄はそう思いながら先を急いだ。

 そして辿り着いた先は、行き止まりだった。


「そんな……扉は? 隠し通路とか? なにか無いのか!」


 兄は必死になって壁の至る所を探った。


「お兄ちゃん?」


 そんな兄の姿を見た鈴は、戸惑って近づくことが出来ない。

 二人の前には、なにも無いただの壁が立ち塞がっているだけだった。

 まさかまだ避難経路が完成していなかったのか? でも父さんはここから逃げられると教えてくれた。しかし実際には行き止まりだ。実は完成していなかった? 実はパニックルームで外には通じていなかった? 思い出せ。父さんは他になにを言っていた?

 そんな風に兄が頭をグルグルと巡らせていると、一際大きな音に続けてなにかが床に落下した音が聞こえてきた。ついに地下室への隠し扉が突破されたのだ。

 鈴は驚いて倒れそうになった。そして壁にもたれ掛かるように手をつくと、壁がフッと消えてしまい、支える物が無くなってそのまま倒れ込んでしまった。


「鈴!」


 兄は壁が消えたことより先に、倒れた鈴を気遣った。しかし、声を出すべきではなかった。


「声がしたぞ。この奥だ!」


 侵入者に気づかれてしまった。


「鈴、逃げるよ」


 兄は鈴の手を引っ張って立ち上がらせると、そのまま走り出した。

 鈴は擦り剥いた膝小僧の痛みを感じる間もなく、引っ張られて走り出した。

 壁の先は下水道になっていた。鈴は立ったまま走れるが、兄は屈まないと走れなかった。

 消えた壁から少し離れると、消えたはずの壁が再び現れ、なにかが崩れるような音と男の悲鳴のようなものが聞こえてきた。

 しかし、兄はその場を離れることに無我夢中で気づかなかった。

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