第7話 久美子の『悔しい』

久美子は真由に負けて成長出来たんだろうか。


この問いからはずれるが、少なくとも私も見たかったのは悔しさを知る久美子ではなく麗奈の隣でユーフォニアムを響かせる久美子だった。まあタイミング的にもあんな最後の場面で、それを乗り越えるシーンも描けない程の時期を選ぶのもどうなんだと思う。


ぶっちゃけ負けて知る悔しさなんてのは誰かから示してもらわずとも人生の中で一事に一生懸命打ち込めば絶対味わうことになる。悔しいだけで済まない事すら有る。そんなありふれたものを見せるより、目指したいと歩んできた末に辿り着いた景色とそこで満面の笑みを麗奈と交わし合っている久美子が見たかった。そういう喜びを共感させてほしかった。そっちの方がよっぽど得難いもので、創作物でもなければ早々出会えないものなのだから。


@tnt氏が「つまるところつまらない」で的確簡潔に触れているが、久美子の3年間を描いて到達させた地点が麗奈の3年前、という。言われてみれば本当に、何だかなあである。


本題に戻る。

本気で打ち込んでこそ味わえる悔しさ、本当の挫折というのはそれに向き合えるならば、確かに成長の糧なんだろう。いつか出会う誰かに共感できるようにもなるだろう。想像力もつくから分かったような無分別な口をきく事も減るだろう。自分が吐く言葉の重みも少しは知る事になるだろう。何より次の挑戦ではもう少し先まで踏ん張れるようになるかもしれない。確かに成長の糧だ。ここは反論しようが無さそうである。


ただ、私が引っ掛かるのはこの『悔しい』は果たしてどの程度正確な『悔しい』だったのだろうかという点だ。


今迄も書いてきたが久美子は今回真由とソリを競うにあたり演奏技術のみで競って負けたわけではない。演奏技術以外の障害(部のマネージメント・麗奈のある種暴走・真由からの精神攻撃・作為的としか思えない状況展開・滝先生というキャラを崩した不合理な判断)によって少なからぬ不利を強いられてきた。果たして「勝負」の末に得た正確な『悔しい』だったのだろうか。

勿論現実に照らし合わせて、勝負だけに打ち込めるなんてのは恵まれてる話で(真由はそうだった)色々なものと戦って満足に結果を出せなかったことに対する末の『悔しい』だったとする見方もでき得る。しかし思い出してほしい。この『悔しい』の出発点は特別視し始めるきっかけとなった麗奈の同じ台詞だ。大吉山という特別な場所(麗奈と決定的にサシで向かい合い始めた場所)でセルフオマージュまでして、その麗奈に三年前の台詞を伝えている。やっと貴方の気持ちが理解できたと。


客観的に見てどうだろうか。麗奈の『悔しい』が純粋に演奏結果に対するものだったのに比べると久美子の『悔しい』の原因には余計なもの(本来久美子の責任とは全く無関係なもの)が幾つか混じり込んでしまっている。


どうも私には、制作者の『ヒロインを追い詰めるだけ追い詰めて泣かしてやれば視聴者もそれを見て感動するだろう』という意図がここでも透けて見えてしまう。そんなんで流させた涙は美しいと感じられないし、共感も薄い。やはり何だかなあ、なのである。【黒江真由の印象が若干改まり、3期への拒否感は当初程ではないにせよ、結局拭い切れてはいない。それだけで拭い去れる様なものではない】

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