鏡像には触れられぬ。
鏡像には触れられぬ。
作者 まつりごと、
https://kakuyomu.jp/works/16818093082170182229
女子高生の紫藤美咲は文化祭の片付け中に見つけた古い手鏡の不思議な力に魅了され、友人の石井疾太と共に鏡の向こう、大正時代の佐伯謙一や宮本和之とコミュニケーションを図るが、時代の違いや感情が絡み合い、友情や恋愛が複雑に交差する。美咲は謙一に惹かれつつも石井との関係も深めていく。美咲は謙一からの告白を受けるが鏡は割れ交流は終わる。石井も彼女への気持ちを明かし、美咲は石井との関係を選び未来へ向けての新たな一歩を踏み出す決意をする話。
現代ファンタジー。
SF、恋愛要素あり。
異なる時代背景やキャラクター同士の感情的な葛藤を通じて、友情や恋愛について考えさせられる展開。
時を超えた恋愛模様が、実に興味を引く。
谷崎潤一郎の作品のテイストを活かしつつ、哀と友情と恋愛、一作で三作楽しめるところが素晴らしい。
主人公は生徒会長の紫藤美咲。一人称、私で書かれた文体。
同級生の石井疾太。一人称、俺で書かれた文体。
大正時代の宮本和之。一人称、私で書かれた文体。
大正時代の佐伯謙一。一人称、僕で書かれた文体。
それぞれ自分語りの実況中継で綴られている。
恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に書かれている。佐伯謙一はアンハッピーと卒業。石井疾太はハッピーになるのかしらん。
それぞれの人物の想いを知りながらも結ばれないことにもどかしさを感じることで共感するタイプとメロドラマの中心軌道に沿って書かれている。
・1
文化祭後の片付けを一人で行っていた女子高生の生徒会長の紫藤美咲が古い手鏡を見つける。その鏡に映ったのは、見知らぬ部屋と二人の男子学生の姿だった。驚いた生徒会長は彼らに呼びかけるが声は通じず、男子学生たちも動揺した様子で口を動かすのみだった。不可解な出来事に震える生徒会長は、鏡を箱に仕舞い、テープで封印して急いで生徒会室を後にした。
・弐
大正九年十一月三日、宮本和之は友人の佐伯謙一と共に登校する。学校に着くと、先生から理科準備室の整理を手伝うよう頼まれる。準備室で古い実験器具を運び出す中、宮本和之は不思議な手鏡を見つける。謙一が鏡を拭うと、鏡面に見知らぬ光景と人物が映り、宮本和之は立ち眩みを起こす。
・参
明治時代、学校の片付け作業中に宮本和之と友人の佐伯謙一が不思議な鏡を見つける。鏡には現代の女子高生らしき少女が映り、二人は驚愕する。声は聞こえないが、少女の口の動きが見える。先生が来たため、慌てて鏡を隠す。先生が去った後、再び鏡を取り出すが、少女の姿は消えていた。二人は不可解な体験に戸惑いつつ、鏡を元の場所に戻し、この出来事を秘密にすることを約束する。帰り道、二人は考え事に没頭し、様々な危険に遭遇する。宮本和之は、この体験をきっかけに日記を書き始めることにする。
・4
生徒会長の紫藤美咲は、生徒会室で見つけた古い手鏡に悩まされていた。その鏡には知らない制服を着た二人の男子が映っていたのだ。不眠に悩まされ、授業に集中できない紫藤美咲。クラスメイトの石井疾太に気づかれ、事情を打ち明ける。石井疾太は意外にも協力を申し出る。放課後、二人で生徒会室に向かい、再び鏡を取り出す。そこには、やはり二人の青年の姿が映っていた。
・伍
大正九年十一月四日、宮本和之と友人の佐伯謙一は前日に発見した不思議な鏡のことで落ち着かない。授業中も集中できず、先生の眉間に皺が寄る。昼食時、佐伯謙一は鏡を通じて別世界の人々と交流できるのではないかと提案する。授業後、二人は理科準備室に向かい、鏡を確認する。最初は何も起こらないが、やがて鏡面が揺らめき、別の教室と女子生徒、知らない青年が映る。佐伯謙一は紙に「初めまして」と書いて見せると、向こう側の女子も応答し、「紫藤美咲」と名乗る。佐伯謙一の目が輝く様子を宮本和之は目撃する。
・6
高校生の紫藤美咲と石井疾太がみつけた古い鏡に映る世界は、百年前の大正時代だった。鏡の向こうには佐伯謙一と宮本和之がいる。驚きながらも紙に文字を書いてコミュニケーションを取り始める。互いの時代について語り合うが、チャイムが鳴ると鏡の向こうの姿が消えてしまう。美咲は残念に思うが、石井は興奮している。
・漆
大正九年十一月五日、雨の日。宮本和之は友人の謙一と共に学校の準備室へ向かう。二人は最近発見した不思議な手鏡に興味を持っており、その鏡には未来の日本から来たという美咲と石井という二人の姿が映る。謙一は美咲に好意を抱いているようだ。準備室で鏡を取り出し、教室へ移動する途中、宮本和之は謙一をからかうが、謙一は珍しく怒りを見せる。宮本和之は自分の行動を後悔し、今後は謙一の感情に配慮しようと決意する。
・8
朝六時十五分、紫藤美咲は起床し制服と鞄を手に取る。鞄には不思議な鏡が入っている。予報に反して雨が降り出し、紫藤美咲は不機嫌になる。駅で傘を忘れた石井疾太と出会い、一緒に電車に乗る。車内で紫藤美咲は鏡のことを考え、大正時代の人々との関係性に疑問を抱く。学校に着くと、石井疾太と同じ傘に入って歩く。校舎に着いた後、石井疾太は朝練のため体育館へ向かい、紫藤美咲はその姿を見送った。
・玖
大正九年十一月十五日、晴天の日。宮本和之と謙一は鏡を通じて未来の人々と交流している。未来の人々は様々な質問をし、カラー写真を見せてくれる。謙一は美咲という未来の女性に惹かれていく。帰り道、二人は河川敷で野球をする少年たちを見かける。謙一は甲子園球場のことや石井君のことを話題にするが、その態度に変化が見られる。宮本和之は謙一の恋心を察しつつ、その真面目さゆえに苦労するのではないかと危惧している。
・10
紫藤美咲は放課後、一人で教室に残り、不思議な鏡を通して過去の人物・佐伯謙一と筆談をしている。佐伯さんは美咲の訪問に感謝し、二人は同じ空を見ていることに感慨を覚える。突然、野球の練習を終えた石井が教室に入ってくる。石井は美咲を誘ってケーキ屋に行こうとするが、その時佐伯謙一の様子が一変。冷たい目つきで美咲の後ろを睨み、突然姿を消してしまう。美咲は違和感を覚え、ケーキを食べに行く気分にはなれなかった。
・11
佐伯謙一が鏡を伏せた瞬間、鏡は真っ暗になり、何も映らなくなった。そんな中、石井が乱暴に荷物を持って廊下に飛び出していく。「石井、待って」と慌てて荷物をまとめ、紫藤美咲は彼の後を追う。夕暮れの光が窓から差し込み、廊下には長い影が落ちていた。「急にどうしたの?」と問いかけると、石井は「お前、鈍いんだよ」と威圧的な声で返す。同じ背丈のはずなのに、彼の姿は大きく見える。「どういうこと?」と聞くと、「あいつの目、見てないのかよ。あいつは熱心にお前のこと見てるのに、お前は観察対象みたいにしか見てねえじゃん」と言われる。
紫藤美咲は「観察対象って、そんな事ないよ」と反論するが、石井は睨みつけ、「お前は近くの人間のことも分かってない。謙一のことも全部分かってないんだよ」と続ける。その言葉が心に響く。「もういいよ。最初から無理に付き合ってもらうつもりなんてなかったし」と言った瞬間、石井は顔を真っ赤にし、「あっそう」とだけ言い残して再び歩き出す。彼の足音が廊下に響き、孤独感が押し寄せてくる。教室に戻り、自分の体を引きずりながら石井の言葉を反芻する。ニブイ、ザンコクというフレーズが頭の中で繰り返され、それが何度も紫藤美咲を刺す。何だそれ。わけがわからない。石井のくせに、紫藤美咲は靴のかかとを無意識に踏み潰した。
・拾弐
大正九年の十一月二十三日、雨が降る中、宮本和之は友人の佐伯謙一の異変に気づく。普段は明るく会話を楽しむ謙一が、その日は無言で外を見つめ、心ここにあらずの様子だった。宮本和之は心配になり、何があったのか尋ねるが、彼は曖昧な微笑みを浮かべるだけで答えない。夕方になり、鏡には紫藤美咲と石井疾太の姿が映らず、不安が募る。佐伯謙一は終鈴が鳴ると急いで廊下を歩き出し、宮本和之は彼を追いかけて問い詰める。謙一は石井疾太とのトラブルをほのめかし、結局、紫藤美咲に対する自分の気持ちを認めることになる。
・拾参
佐伯謙一は、美咲に対する強い想いを抱きながらも、彼女との関係が深まることを妨げる様々な感情に苦しむ。彼は、友人である宮本和之に対して、自身の恋心の葛藤を吐露し、恋愛による生の崩壊を実感する。恋愛が引き起こす痛みや嫉妬が、彼の日常をどれほど蝕んでいるかを語り、最終的には美咲に気持ちを伝える決意を固める。
・14
紫藤美咲は朝から体調が優れず、学校に行くかどうか迷っていた。インフルエンザにかかった時のような頭痛と音の反響に悩まされながらも、学校を休むことが将来の不安につながると感じ、登校する。授業中、同級生の石井疾太は彼女を無視し続け、彼女は話しかける勇気が出ずに放課後までそのまま過ごす。放課後、教室に残った二人きりの時間が重苦しく流れる中、紫藤美咲は石井疾太に謝罪を試みる。しかし、その瞬間、彼女の鞄が震え、佐伯と宮本が現れ、石井疾太との関係について話し始める。意外な展開に紫藤美咲は驚きつつも、彼らの言葉に耳を傾ける。
・15
言葉を音として発することができない状況にある石井疾太とその友人たちのコミュニケーションが描かれる。石井疾太は美咲に対して特別な感情を抱いているが、佐伯謙一も同様に美咲を好きだと告白する。佐伯謙一は自分が場違いだと感じ、二人との距離を置く決断をする。石井疾太はその選択を理解しつつも、佐伯謙一に後悔しないよう伝えることを勧める。そのあと石井疾太は美咲に「謙一が、お前と、話してえってよ」ぶっきらぼうにいう。
・16
紫藤美咲が石井疾太の呼びかけに戸惑いながらも教室に入る。佐伯謙一は鏡の前で白い封筒から三つ折りの紙を取り出し、その内容を確認している。突然、石井疾太が「俺、ちょっとトイレ」と言い残し、教室から去ってしまう。彼の不自然な行動に疑念を抱きつつも、紫藤美咲は追及する気持ちを持たない。
教室では、佐伯謙一が手に持っていた紙を広げ、紫藤美咲に向かって「僕は、貴方のことが好きだ」と告白する。その瞬間、紫藤美咲は驚きと戸惑いで息を呑む。紫藤美咲は自分の声で伝えたかったが、直接会うこともできない状況にあることを明かし、涙を流しながら自分の気持ちを伝え続ける。「貴方は僕にとって、とても大切な人です」と言い残し、彼の微笑みとともに紫藤美咲の視界から消えていく。最後には鏡が割れ、その音が響く。
・拾漆
佐伯謙一が鏡を落とし、その破片に映るのは自分の情けない顔だけだった。彼は故意に鏡を割ったが、そのことを宮本和之には隠し、彼が片付ける間に教室を後にする。外に出た佐伯謙一は、空を見上げながら涙を流し、自己嫌悪と孤独感に苛まれる。彼は木々の影に囲まれ、心の中の憐憫を感じながら、鏡像には触れられないという現実を受け入れようとする。
・18
紫藤美咲の手鏡が割れてしまい手から滑り落ちる。石井疾太が駆け寄り、彼女の手を心配するが、紫藤美咲は「大丈夫」と答える。しかし、彼女の心には佐伯の告白に対する後悔が渦巻いていた。石井は破片を集めながら、美咲に対して自身の嫉妬心を打ち明け、彼女に対する気持ちを告白する。美咲は驚きつつも、すぐには返事できないと伝え、石井は待つことを約束する。二人は教室を出て、夕暮れの街へ向かい、ケーキを食べに行くことに決める。美咲は石井への返事を明日伝えることを心に決める。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場の状況の説明 はじまり
文化祭後、女子高生の生徒会長・紫藤美咲は片付け中に古い手鏡を見つけ、その鏡に映る見知らぬ部屋と二人の男子学生に驚く。彼女は彼らに呼びかけるが、音声が通じず、動揺した様子で口を動かすのみだった。この出来事が彼女の心に不安をもたらし、鏡を箱にしまって急いで生徒会室を後にする。
二場の目的の説明
大正九年十一月三日、宮本和之と友人の佐伯謙一は学校に向かう。理科準備室で古い実験器具を整理している際に、宮本和之が不思議な手鏡を発見する。謙一が鏡を拭うと、見知らぬ光景が映り込み、主人公は立ち眩みを起こす。この鏡が物語の中心的な役割を果たすことになる。
二幕三場の最初の課題
鏡には現代の女子高生が映り、驚愕する二人。声は聞こえないが、少女の口元が動く様子が見える。先生が来たため慌てて隠すが、その後再び鏡を取り出すと少女の姿は消えていた。
四場の重い課題
紫藤は手鏡によって不眠や授業への集中力低下に悩まされる。クラスメイトの石井に相談、彼から協力を得ることになる。二人で再び生徒会室に向かい、手鏡を取り出すと、再度二人の青年が映る。
五場の状況の再整備 転換点
宮本和之と謙一は授業中も手鏡のことで気持ちが落ち着かない。昼食時、謙一は別世界との交流を提案し、放課後に理科準備室で鏡を見ることになる。初めは何も起こらないが、やがて別の教室と女子生徒が映り出し、「紫藤美咲」と名乗る女子から応答がある。
六場の最大の課題
高校生の美咲と石井は古い手鏡を使って百年前の大正時代と交流する。彼らは紙に文字を書いてコミュニケーションを始めるが、チャイムが鳴ると相手が消えてしまう。この短い時間で互いに惹かれ合う感情が芽生える。
三幕七場の最後の課題 ドンデン返し
宮本和之と謙一は未来との交流を続ける中で、美咲への想いが深まっていく。帰り道、謙一は美咲への感情と向き合うことになる。
八場の結末 エピローグ
美咲は放課後、一人で教室に残り佐伯さんとの筆談を続ける。その最中に石井が入ってきて、美咲との関係について話し始める。佐伯の告白もあり、美咲は自分自身や友人との関係について深く考える。鏡は割れたあと、石井からの告白。美咲と石井との関係性や未来への期待感で締めくくられる。
手鏡の謎と、主人公たちに起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
本作のメインは大正時代に生きる宮本和之と佐伯謙一の物語。
佐伯謙一が鏡の中の少女に恋をし、交流をするも、これ以上進展しないことを受け止め、気持ちを伝えて鏡を割り、鏡像には触れられなことを受け入れる佐伯謙一に寄り添って見守り続ける宮本和之の友情の話である。
なぜなら、最初と最後は現代に生きる紫藤美咲の視点で描かれているからだ。
どの物語も「導入、本編、結末」で構成される。
客観的に状況を描く導入から、主観を描く本編がはじまり、結末では再び客観的状況を描く。アウトからインに入り、再びズームアウトしていくというカメラワークとおなじ描き方をしていくものだから。彼らにとって、現代は最も遠くに位置しているから、現代からはじまり、現代で物語が終わるのである。
彼の話は、涙を誘う形で書かれているので、「苦しい状況→さらに苦しい状況→願望→少し明るくなる→駄目になる」の流れに準じている。
この型は、希望が見えないと読み進められないため、現代を生きる紫藤美咲視点と交互にザッピングすることで、希望を見せつつ、持ち上げては突き落とす落差が描かれている。
もちろん、現代を生きる紫藤美咲と石井疾太の恋愛物語でもある。
双方、「出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末」の流れに準じた作りで描かれている。
結末には四種類あり「ハッピー」「アンハッピー」「死別」「卒業」がある。石井は紫藤美咲に告白し、「歴史のまとめノートも作っておかなきゃ。ケーキ、何にしよう。明日石井に、答えを伝えよう」と彼女は考え、「私は、軽くなった鞄の掛け紐をしっかりと握りしめていた」と、気分も軽やかになっているのを伺わせているので二人の仲は進展しそうな気配がするため、ハッピーエンドへ向かうだろう。
佐伯謙一の結末はアンハッピーではあるものの、卒業だと思われる。
卒業には四通りあり、「泣く」「感慨にふける」「開放感に浸る」「拗ねる」である。
佐伯謙一は悲しみにくれているが、これで良かったと受け入れており、「感慨にふける」「泣く」に当てはまる。
紫藤美咲はなにもいえなかったと俯いておりこちらも「感慨にふける」「泣く」に該当すると思われる。
このように、一つの作品ながら三つの物語が楽しめるところが、本作最大の良さである。
冒頭の書き出しは、興味がそそられる。
遠景は、「鏡の中の学生帽の青年」と示し、近景で「その眼は、私を見据えて離さなかった」と説明。心情で「息が止まりそうになった。生徒会室の静寂を破るように、手から滑り落ちそうになった鏡を、慌てて掴み直す」と語る。
鏡には、眼の前にいる人を映し出す性質がある。
なのに、鏡には、学生帽の青年が映し出されている。
主人公は「私」とあるので、女性だろう。
自分の顔ではなく、見知らぬ青年が現れたら、たしかに驚いて鏡を落としてしまうかもしれない。
一体どういうことだろう。
ミステリアスな状況に興味が惹かれる。
冒頭は現在、本編は過去。
文化祭終わりに生徒会長である主人公が生徒会室の片付けをしている。
「ひとりぼっちで少し心寂しかったが、生徒会長である私が仕事を放棄しては元も子もない。まじめに取り組むことにした」
説明的だが、主人公の性格が描かれている。
「それは手鏡だった。銀に輝く表面、縁に唐草のような模様が刻まれて、控えめながらも美しかった。白銀の装飾が美しくて、私は思わず感嘆の息を漏らす」
鏡の描写がされている。美しいが二回出てくるし、形容詞は言葉のデコレーション。美しいとくり返し言葉を使わず、どう美しいのかを表現すると良いのではと考える。
「それは手鏡だった。銀に輝く表面、縁に唐草のような模様が刻まれてている。白銀の装飾に、私は思わず感嘆の息を漏らす」
美しかったから、主人公は感嘆の息を漏らしたのだろう。
「その時、鏡の表面が、石を投げ込んだ水面のように揺らめいた。見間違いではない。本当に釣り糸を垂らした池のように同心円状に波が広がったのだ」
大事なことなので、二回表現したのだろう。比喩はわかりやすく読み手に伝えるもの。比喩をくり返してくどい印象がある。
「その時、鏡の表面が、石を投げ込んだ水面のように揺らめいた。見間違いではない。本当に同心円状に波が広がったのだ」
なにを伝えたいのかを考えて表現すると良いのではと考える。
「ビデオ通話だと思えば不思議ではない。けれども、鏡を通してのビデオ通話というのは前代未聞だ」
実にわかりやすいし、現代的な考え。読者も理解できるだろう。
声をかけ絵も返事はない。
「鏡の中の男子たちは、はっきり動揺している様子だった。口を動かしているが、音は聞こえない。ぱくぱくと口を動かして、互いに目配せして、また口を動かしていた」
短い間に、「口」と「動かしている」が三回もでてくる。
「鏡の中の男子たちは、ぱくぱくと口を動かして、互いに目配せしているが、音は聞こえない。動揺している様子だった」
怒っている状況を説明し、感想をそえる。そうすることで、読者はなにが起きているのか、主人公がどう思ったのかが伝わる。
「私は鏡を直視することなく、鏡を元の箱に仕舞い込み、テープでこれでもかというくらいにぐるぐる巻きにして封印した」
鏡が繰り返し使われているので、減らしたらどうかしらん。
「私は鏡を直視することなく、元の箱に仕舞い込み、テープでこれでもかというくらいにぐるぐる巻きにして封印した」
それにしても、不思議な体験である。
変なことに巻き込まれた感じがして、可哀想でもあるので共感を抱く。
次は時代が大正時代、主人公も変わる。
遠景で「大正九年 十一月三日 晴天」と示し、近景で「鏡から違う時代が見えた」と説明。心情で「これを読んだ諸君は、荒唐無稽であると馬鹿にするやも知れないが、私の頭が妙竹林な事に成ってしまった訳では無いと云う事を、初めに書いておく」と語る。
日記を書くことにしたとのちに出てくるので、この文章は宮本の日記だと推測。日記は人に見せるために書くものではないので、読者に呼びかけるような書き方はしないと思われるのだけれども、宮本は誰かに見せるつもり、あるいは読まれたときのことを考えて、このような書き出しをしたのかもしれない。
それだけ稀有な事象に遭遇したことを、読み手に伝えたかったのだろう。
明治天皇の誕生日である大正九年十一月三日は、正式な国民の祝日としては定められていない。実際に「明治節」として国の祝日に制定されたのは、昭和二年(一九二七年)のこと。
だが、明治天皇の誕生日は重要な記念日として認識されており、当時の学校では、天皇に関連する日には特別な儀式や行事が行われるのが一般的。教育勅語の奉読や天皇陛下の写真(御真影)への最敬礼、特別な唱歌の斉唱、記念の講話などの行事は午前中に行われ、その後授業が行われるか、半日休みになることが多かったと考えられる。とはいえ、各学校や地域の判断に委ねられていた可能性もあるので、全国で統一された対応ではなかったと推測される。
この日に、百年の時代を経て鏡がつながる現象が起きるのは、神がかった力が働いたことを印象づけるためのものかもしれない。
時代と、主人公に適した硬い文章がいい。
「私は今朝、我が友、佐伯謙一が起床する頃合いを見計らい、私は彼の家に向った。雀が、干された稲茎に残る米がないか啄ついばんで必死に探していた。朝日で道が明るく照らされて行く。私はいつも通りに彼の家に歩を進めた」モヤッとした。
読みにくい。同じ言葉をくり返し使わないほうがいいのと、順番を遠くから近くに、カメラワークをズームしていくように書くといいのではと考える。
「朝日で道が明るく照らされていく。干された稲茎に雀が必死に啄んでいる。我が友、佐伯謙一が起床する頃合いを見計らい、私はつもどおりに彼の家へと歩を進めた」
主人公の宮本からみた佐伯謙一が語られてる。先生に頼まれては意気盛んに返事をするといった動きを示し、先生も背中を叩いて笑い声を上げる。生き生きとして情景が目に浮かぶようでる。
「謙一は、先生や学友にとても好かれる性質を持っていた。彼は樹液の様に人間を惹きつけた。私は彼のそんな性質に惹かれたひとつの虫だったのだろう。まじめで正直で配慮の行き届いた、私から見れば希臘の彫刻の如く完璧な人間だ。故に、聞くからに面倒な仕事も引き受けてしまうのだ」
時代や、主人公の性格、知識などが透けて見えるような比喩がいい。
準備室で鏡を見つける。
「それは手鏡であった。額には、何やら繊細な模様が彫られて居て、鏡面が埃で煤けて、霧の様に染め上げて居る。私の学校は、教師も生徒も男しか居ないのに、女が持つ様な、こんな美麗な装飾がされた手鏡を見るのは奇妙だった」
そもそも、理科準備室に鏡があることも奇妙である。なにかの実験に使うために置かれているのかしらん。
鏡が曇っていたので、佐伯謙一が服の裾でぬぐうと、見知らぬ人物が鏡に映る。それが冒頭に登場した生徒会長の紫藤美咲。
彼女が鏡をみたときは、別になにもしていないので、佐伯謙一が磨いたことで百年後とつながったのかしらん。
「艶やかな黒い髪が肩まで長く伸びて、白い肌によく映える。硝子玉の如き美しき眼にかかる長い睫毛が瞬いて、凝と此方を見つめる女子であった」
時代や主人公に即した人物描写がいい。
「謙一は茫然自失としていた。その中に映る女子の姿に、彼の目が釘付けとなって居るのを、私は見逃さ無かった」
一目惚れする瞬間を見たのだろう。
「鏡に映る女子が、鯉の様に口を動かすのが見える。されど、音声は聞こえない。まるで無声映画の様だ。我々も応じて声を発するも、相手には届か無い」
この頃にはすでに無声映画が存在していたので、比喩表現が時代がかっていて、雰囲気が出ていい。
帰り道、鏡のことを考えて帰っているときの描写も面白い。目に浮かぶようだ。
「此れを機に、日記を兼ねて文学と云う物を認めてみようと思う」
宮本は、この出来事があって、日記をつけることにしたのだ。 たしかに日記文学というものがある。日記でありながらも小説仕立てに書くことにしたのだ。だから「これを読んだ諸君は、荒唐無稽であると馬鹿にするやも知れないが、私の頭が妙竹林な事に成ってしまった訳では無いと云う事を、初めに書いておく」と冒頭に書いてあったのだ。
紫藤美咲視点で現代に変わる。鏡のことが気になって寝付けなかったため、寝不足の状態で授業を受けた様子が、主人公の動きを持って描かれている。具体的な感覚刺激の組み合わせが臨場感を出している。
休み時間に、石井が声をかけてくる。
「見ると、普段あまり話すことのないクラスメイト、石井だった」としながら、「彼は野球部に所属している。二年生になってもベンチで、授業はあまりまじめに受けている所を見た事がない。授業中にもチラチラと目配せして来ていたが、私は気にする余裕もなかった」やたら詳しい。
あまり話すことのないクラスメイトなのに、どうしてそんなに彼のことを知っているのだろう。
「おれだって最近はお前の隣だから、内職とか辞めてたのに」
席が隣だから、彼の部活のことも知れたのかと納得する。
「鏡の話は、変に思われるかもしれないと思った。しかし、家族にも友達にも言えないことは、普段あまり喋ったことのない石井になら、なんとなく打ち明けられると思った」
あまり話さない相手のほうが声をかけやすいのは、確かにある。微妙な関係が幸いしたのだろう。それと、寝不足から理性が働きにくかったので、話しやすかったと想像する。
「紫藤の話だったらまじめに聞くよ」
この時点で、すでに石井は紫藤美咲のことが好きだったのだろう。
「彼は、私の顔を穴が開くくらい、眉毛を左右非対称にして、怪しげにまじまじと見てくる。唐突にこんなファンタジーな話をされても困る、といった顔だ」
こういう描写は目に浮かんでくる。
描写で説明し、感想をそえる。主人公の気持ちが読者にも伝わってくる。
大正時代の宮本たちも、鏡の出来事で眠れなかったという。実に可哀想に。
「宮本、あの鏡を通じて、彼女と交流できるのではないかと思うんだが」
佐伯謙一はもう一度、彼女に会いたいと考えていたのだろう。
筆談を提案するのも謙一である。
授業後、鏡を覗く二人。「其処には昨日と同じく、例の教室が映し出され、昨日の女子、そして、知らない坊主頭の青年が横に居た。提灯の燈あかりの様に柔らかく窓から西日が差し込んで居る」
鏡を拭く描写はない。
鏡を覗くタイミングが互いに同じとき、つながるのかもしれない。示し合わせたわけではないので偶然であるが、すでに二回目。奇跡とは一度しか起きないもの。二度三度とつづけば、奇跡ではない。それでも時代を越えてつながるのはまさに奇跡だ。
筆談で紫藤美咲の名前を知ったときの、「謙一の眼が、死人が蘇った様に、一瞬にして照り輝いたのを私は忘れない」ここが凄く印象的。よほどの変わりようだったのだろう。
二人が筆談で名前を教え合うやりとりは、さながらスマホをつかってSNSやチャットのやり取りをするかのようである。
谷崎潤一郎の『愛なき人々』から、いまが何年なのかを尋ね、大正十三年で、百年前とつながっていることを知る流れは、話の盛り上がりと衝撃の大きさが比例していくようで、上手い描き方だ。
『愛なき人々は』戯曲であり、小説ではなく脚本として書かれている。また、本作品との類似点があるように思えないが、谷崎潤一郎が描く作品の影響を受けているように感じる。
谷崎潤一郎の作品の多くは、男女間の複雑な関係や欲望、支配と被支配の構図を描くことが特徴的。そのなかでも比較的穏やかで、本作と似ている作品は『細雪』と考えられる。
蒔岡家の四姉妹を中心に描かれた長編小説。幸一は、蒔岡家の四女・雪子に好意を持ち、彼女との結婚を望んでいる。雪子の姉たちは、幸一を雪子の結婚相手として適切だと考えるが、雪子本人は幸一に対して特別な感情を抱いておらず消極的。幸一は雪子の気持ちを察し、最終的に結婚を諦める。
「聞き慣れたチャイムが鳴り響く。その瞬間、鏡の表面がまるで揺れる水面のように波立ち始めて、数秒も経たないうちに二人の姿が徐々に霧に包まれたように曇って、遂には見えなくなった」
どれくらいのやり取りをしていたのだろう。
授業一時間分の長さか、あるいは、休み時間の長さか。
やり取りの内容から考えると、十分程度かもしれない。
状況描写で雨が降っている。百年の時代の開きがある相手と、鏡を通じてやり取りをしている事実に、衝撃を受けたことを表しているのだろう。また、悲しみも混ざっているのかも知れない。
「字を書ける女子、其れも我々と同年くらいの女子で、字を書けるのを見たのは、はじめてだった。石井君も同じく文字が書ける様子だし、彼らは、余程高い教育を受けて居るのだろうか」
宮本の思考に、時代背景を感じられる。
「謙一、美咲さんが気になるのか」
問いかけに対して、「私がそう言うと、謙一の頬が僅かに赤らんだ。彼は直ぐに顔を逸らして、慌てたように帽の庇ひさしを摺下げて顔を隠そうとした」動きの描写がいい。
目して語らず、動作は雄弁なり、である。
異性に対しての考えをめぐらせる宮本の書き方にも、時代を感じさせられる。ただ、この二人の年齢がわからない。
紫藤美咲と石井にしても同様である。
どこかに年齢がわかるようなことが示されていると、自然と物語世界に入り込めると考える。
「我々の場合、髪は特に夏場なんかは皮脂でネトネトとして気持が悪いものだから、いっそのこと石井君の頭の様にしてしまいたい程だ。対して彼女の髪は幾日経てど、繻子しゅす、若しくは西陣織の生地の様に清潔で不思議だ」
石井は丸坊主かしらん。
紫藤美咲が石井に声をかけらて話す場面でも、容姿は描かれていない。野球部なので短髪にしている可能性は考えられるけれども、だからといって髪が短いとは限らない。いまは長髪も許されている。
物語の中ほどでわかるよりも、早めに読者に伝えてもいいのではと考える。そのうえで、髪のハリ・ツヤについて触れてもいいと思う。
昔は、毎日お風呂も入らないし、髪もたまにしか洗わない。
毎日髪を洗うようになったのは、一九八〇年代くらいから。それまでは、数日から週に一回洗うのが普通だった。
宮本は、佐伯謙一を茶化したり、余計なことを言ったりする。
男だけの環境に、きれいな女子が現れると仲良くなろうとするのは自然なことなのだけれども、二人の友情が崩れるのを嫌って、やっかみ、いわゆる嫉妬から意地悪なことをしてしまったのだろう。宮本もまた、恋愛には疎いからだろう。
友である佐伯謙一が自分より先に恋をしたことがショックで、置いていかれた気持ちになった心情を、雨という助教描写で表しているのかしらん。
現代でも、状況描写で雨が描かれている。
「今時、袴にマントで学生帽を被って登校なんて、コスプレでもあるまいし、そんな高校なんてあるのだろうか。疑問は増えるばかりだった」
冒頭で学生帽の青年とはあったが、服装までは描かれていなかった。
現代も大正時代も、人物描写は早めに触れておくと、主人公が見ているものを知れて、作品に深く入り込めるのではと考える。
おそらく中程で容姿を描いているのは、ミステリー要素を高めるためだと考えられる。
最初から人物描写を細かくすれば、鏡の中の人物は、過去の人だと読者はあっさりわかってしまう。小出しにして興味を惹かせるためには仕方ないかもしれない。
また、描きたいテーマが明確にあるからだ。そういう作品は、先走らず声色を落とし、登場人物が主張したいときはエピソードで書くに留め、直接語らず結末で暗示させるもの。
本作はそういう作品なのだ。
傘がない石井を傘に入れ、「入れてもらってんのに、何もしない訳にはいかないだろ」と、傘を高く持ち上げ、いわゆる相合い傘で登校するのだ。石井が彼女のことをどう思っているのかとかは書かず、動きだけで示し、「その、あんがとな。それじゃ、俺、朝練行くから」と体育館へと去っていく。
この書き方がいい。
鏡のやり取りで、いろいろな言葉をかわしたらしいが、そのことはくわしくは書かれていない。
「お返しに、彼らは板状の機械を用いて沢山の写真を見せてくれた」スマホの画像だろう。
「我々の時代の写真機では白黒でしか写せないが、彼らが撮ったものは着色されていて、本物の人間や風景が直接閉じ込められているような気さえして来た」
百年前の人が、実際にスマホで撮影されたものを見たら、そう思うに違いない。
「『好いねぇ、元気な子ども達と云うのは、未来永劫大事にして行くべきだ』私がそう呟くと、謙一は爺さんじみた事を言うな、と軽く笑って、それからまた少年達の方に向き直った。彼らの潔い髪の毛を見ていると、石井君の姿が自然と浮かんで来る」
宮本は、鏡を見ている謙一が段々美咲に夢中になって行くのを、見ているところからすでに、見守る立ち位置になっている。
百年後の二人は、宮本たちからみれば、孫やひ孫みたいな世代。
自然と年寄りじみた目線になるのは無理からぬこと。
「そう云えば、八月に甲子園大運動場が出来たばかりだったね。まだ出来たばかりだけど、美咲達の暮らす時代にも残っていて欲しいな」
こういうところに歴史を感じる。
野球部の石井つながりでもある。
「石井君はね、まじめにやれば好いのに、まじめにやらないから、いけないんだよ。全ての点に於いては、僕の方がずっと、まじめだと思う」
よく見ているなと思う。
「謙一の様子が日に日に変わっていくのを、私は静かに、憂慮の念を抱きながら見守っていた。彼らとの交流が、謙一にどのような影響を及ぼしているかは一目瞭然であろう」
どんなにやり取りを重ねても、距離を縮めることは叶わないと理解していくからだろう。鏡に映るだけで、向こう側に行けるわけではないのだから。
「ただ一つ、根本的に変らないのは、彼がまじめであると云うことだ。彼はきっと恋に対してもまじめなのだ。まじめなのは、良いことだ。しかし、彼のその性分が時に災いを招く、こともあり得るのではないかと、私は危惧していた。彼の友として、彼の恋は応援してやりたい。然し、道が険しく厳しいものであることを、彼はまだ知らない。まじめで正直である者ほど、恋でも社会でも苦しむのだ」
佐伯謙一のことを言い表していて、今後の展開を暗示しているいい場面。それでいて、読者に教訓を伝えようとしているように感じる。
「まじめで正直である者ほど、恋でも社会でも苦しむのだ」そして悲しい思いをするのである。
長い文は数行で改行。句読点を用いた一文は長過ぎることはない。読点のない一文は、落ち着きや重々しさ、説明や弱さなどを表している。ときに口語的。登場人物の性格がわかる会話文。短い文が多用され、テンポ良く物語が進行。緊張感やリズムが生まれ、読者を引き込んでいる。リズミカルで読みやすい。
各話の主人公の一人称視点で語られ、内面的な心理描写が豊かである。これにより感情や思考を直接体験できる。主に紫藤美咲、宮本和之の視点で書かれ、石井疾太と佐伯謙一の視点の回もある。
主人公の内面、キャラクターの心理状態が細かく描かれ、特に紫藤美咲の心理描写が詳細に描かれており、彼女の感情や葛藤がリアルに伝わり、心情に共感しやすい。内面的な独白とキャラクター間の対話が交互に展開され、登場人物の心理状態や関係性が深く掘り下げられている。
描写が現実と非現実を曖昧にし、幻想的な要素が盛り込まれていることで、物語に独特の雰囲気を与えている。
文体には大正時代を思わせる古風な表現が含まれつつ、現代的な言葉遣いも交じっている。これにより、時代背景を感じさせる一方で、親しみやすさも保たれている。
情景描写や心理描写が豊富であり、キャラクターの個性が会話文を通じて表現。豊かな比喩を用いて情景や心理状態を表現され、文章に深みを与えている。
物語は現在形で語られ、臨場感を持たせている。これにより、物語の出来事が今まさに起こっているかのように感じられる。
会話と地の文が適切に配置されており、キャラクターの個性や関係性が際立ち、対話が生き生きとしたものとなっている。
日常的な設定から非日常的な展開へ移行する作品において、主人公の心理変化が細やかに描かれている点が際立っている。特に、登場人物の内面描写が丁寧であり、読者は彼らの感情に共感しやすい。美咲の心理状態や、宮本和之と謙一の対比的な性格描写は、物語に深みを与えているところがいい。
時代設定が明確で、大正時代の雰囲気を感じさせる表現が効果的である。特に言葉遣いや細かい描写によって、当時の社会背景や文化がリアルに伝わってくるようだ。雨の情景描写も臨場感を持ち、物語全体に暗い雰囲気を与えている。
物語には不思議な展開への伏線が効果的に配置されており、未来からの来訪者という設定や鏡を通じた異世界との交流などが興味を引く。石井という協力者の登場によって物語に動きが出ており、主人公たちが不思議な現象に自然な反応を示すことで、物語に引き込まれるところもよかった。
さらに、キャラクターの内面的な葛藤や成長が丁寧に描かれており、特に謙一の恋愛に対する向き合い方や、美咲の孤独感や葛藤はリアルに表現されている。これらの要素は読者に深い思索を促し、感情移入しやすくしていると思われる。石井の告白シーンは感情的な高まりをもたらし、共感を呼ぶだろう。
全体として、日常と非日常のコントラストを巧みに描き出し、登場人物たちの心理描写と時代背景を融合させることで、興味を引き続ける魅力的なストーリーとなっているのが素晴らしい。
五感描写について。
視覚は、銀に輝く表面、白銀の装飾、鏡の表面が水面のように揺らめいた、朝日で照らされる道、厳かな校門、艶やかな黒い髪、白い肌、硝子玉の如き美しき眼、日が照りつけて、反射光で微かに白んでいた、スマートフォンの画面を見ると、深夜の二時を回っていた。暗闇の中で浮かび上がるその絶望的な数字、目の下に隈が浮かんで居た、鏡に映る人物や教室の様子、本の装丁、雨で煙る町、濡れた眼鏡、美咲の艶やかな黒髪、雨粒、濡れた舗道、車のランプと街灯の明かり、夕陽の美しさ、佐伯さんの表情の変化、夕暮れ時の光や廊下に落ちる影、謙一がぼんやりと外を眺める様子や、鏡に映る真っ暗な闇、窓辺から見える遠くの景色や廊下の板目など、周囲の環境が詳細に描写されている。教室の静けさや窓の外を見る石井の姿、銀の鏡や夕陽による教室内の光景、佐伯さんの涙や微笑み、鏡の反射、割れた手鏡の破片や夕暮れの柔らかな橙色など。
聴覚は、生徒会室の静寂を破るように、音は聞こえない、先生の笑い声、雀のさえずり、先生の低くよく響く声、黒板に書く音も、先生の声も、何キロメートルも遠い場所から聞こえるように感じられる、チャイムの音、静かな通学路、雨音、野球をする少年たちの声(暗示的)、吹奏楽部の演奏、廊下の足音、石井の威圧的な声や足音、終鈴の音や廊下を歩く足音、鞄が震える音や教室内でのボールペンと紙擦れる音、鏡が割れる音、鳥の声や周囲の静寂など。
触覚は、手から滑り落ちそうになった鏡を慌てて掴み直す、埃っぽい準備室の雰囲気、軽い木箱、シーツの冷たさが肌に触れるたびに現実感が戻ってくる、箱を外から弱く叩いたり振ったりする手汗、鏡の冷たさ、雨粒で濡れた眼鏡、水たまりに足を突っ込む感覚、湿った足先、濡れた服の感触、石井の汗ばんだ額、荷物をまとめる際の焦りや緊張感、自分が謙一の肩を掴む際の感触、自分から背中から冷や汗が噴き出す感覚や胸の痛みなど身体的な感覚が強調されているスカートの裾を握りしめる主人公の緊張感など。
嗅覚は、埃っぽい空気が鼻をくすぐる特に目立った描写なし(想起される)、直接的な描写は少ないものの状況によって感じる緊張感や不安が暗示されている教室内の静けさや緊張感夕暮れ時の冷たい風など。
味覚は、ない。
心情描写に五感描写を使って表現することで、より臨場感を出すこともできる気がする。味覚の苦みを比喩的に用いて、恋の辛さを表現するとか。
各キャラクターの弱み。
・紫藤美咲の弱み
仕事を抱え込みがち。一人で多くの仕事を抱え込む傾向があり、自身の負担を増やしている。不可解な状況に直面した際に大きく動揺し、冷静さを失うことがある。そのため、状況を受け入れられず、「これはきっと夢だ」と考えることで現実から逃避しようとする。
コミュニケーションの苦手さもあり、自分の不安や悩みを他人に打ち明けることができず、孤立感を深める。生徒会長としての責任感から、自分の問題を抱え込みやすく、緊張すると手が震えたり手汗をかくなど、身体的な反応が出る。人間関係に対して消極的であり、周囲との関わりに鈍感な面がある。
・宮本和之の弱み
優柔不断。決断力に欠け、物事を決める際に時間がかかる傾向がある。原因は自信がないためで、友人と比較して自分を劣っていると感じることが多い。また、不思議な出来事に対して動揺し、自分の感情を整理できない。
考え事に没頭するあまり、周囲への注意が散漫になることがあったり、友人の感情に対する配慮が足りず、軽率な言動をしたりすることがある。恋愛についての経験が少なく、不安定さを抱えている。
・石井疾太の弱み
表現力不足。自分の気持ちをうまく表現できず、美咲との関係に不安や葛藤を抱えている。友人との関係性によって自分自身の立ち位置に悩む姿勢が見られる。
・佐伯謙一の弱み
自己嫌悪。自分自身に対する否定的な感情が強く、自信を持てない。周囲との繋がりを感じられず、内面的な孤立感を抱えている。
これらの弱みが、葛藤や成長過程において重要な要素となっていく。
紫藤美咲と佐伯謙一、二人だけのやり取りの場面はデートしているみたいな印象を覚える。佐伯はそのつもりかもしれない。紫藤美咲は恋の芽生えを感じつつあるようなものを感じる。
「そう言われて、私は窓の外に広がる夕焼けの空を見つめた。まるで白とオレンジをべったりキャンパスに塗りたくった、絵に描いたような空。確かに美しい。でも私には、何だかそれが、小さなジオラマに造られたもののように思えてならなかった。そんな空よりも佐伯さんの言葉の方が、じんと心に染み付いてくる」
実にいい雰囲気。
それを壊しに来るのが、石井である。
ケーキを食べに行こうというのは、彼なりにデートの誘いをしているようなもの。
邪魔しに来たといってもいいし、そう思ったに違いない。
「『もう今日は止します 先に帰ります』佐伯さんが紙を掲げている。彼は、狩猟犬のように冷たい、別人の眼で私を、いや、私じゃない、何かを睨み付けていた」
実にわかりやすい。
しかも状況が目に浮かぶ。
「あいつの目、見てないのかよ。あいつは熱心にお前のこと見てるのに、お前は観察対象、って感じでしか見てねえじゃん。謙一のこと」石井も佐伯のことをよくみている。
二人共、紫藤に恋しているからだ。
読んでいると、「得難きとき愛敵は友なるべし」と世阿弥の言葉をふと思い出す。
同じ女が好きだから、互いに相手の気持がわかるのだ。
「お前、近くの人間の事も何も分かってない。謙一のことも、全部、分かってないんだよ」
「ニブイ。ザンコク。頭の中でぐるぐると蓄音機のレコードのように、同じフレーズを繰り返して、それが何度も何度も、繰り返し私を刺す」
鈍いはあるけど、残酷はいっていない。
紫藤美咲にはそう聞こえたのかしらん。石井のセリフで使われていたら良かったかもしれない。
翌日、鏡に美咲たちが現れない。
どうやら、鏡は時間になると自動的に二つの時代をつなぐらしい。
佐伯の様子がおかしいこと、鏡に二人が現れないことから昨日なにかあると察して「昨日、二人と喧嘩でもしたんじゃ無いか」
と問い詰める。
「謙一は眉を顰めて、其れから深く息を吸った。目線を避けるが如く、口元も歪んで、剣にでも貫かれたかの様な表情をした。帽の庇を深く下げる仕草が根暗に見えて仕方が無い」
辛いを抱えた表情の描写がいい。
友達である宮本に、美咲が好きになったことを伝え、思いを伝える気はないことを伝えるところは、実に切ない。
「勇気など、到底無い。そもそも、君、簡単に言うけどね、恋心を伝えても了承される権利は僕には無いよ。何たって生きている時代が百年も違うから」
伝えたところで、どうなるものでもない。
「宮本、ひとを好きだと云うのは苦しいな。此の胸の痛みは日に日に強まって居る」
報われない恋ほど、辛いものはない。
宮本もまた、同じ。
「愚図の私が言えるのは、薄い励ましの言葉しか無かった。此処に書くのも無駄であるくらい紙片の如く意味の薄い言葉しか私は紡ぎ出す事が出来なかったのだ」
同じ時代に生きていて、側にいたとしても、佐伯の力になれないのだ。それでもできることをさせようと、「兎に角、明日二人にきちんと伝える事だな。あちらから見れば、君が勝手に怒り出してしまった様に見えたんだからね」つながりを断つようなことはさせないようにしているところに、精一杯の助力に思える。
美咲が石井に謝るとき、「私はスカートの裾を無意識のうちに握りしめていた。石井は相変わらず無言でこちらを見つめている」彼女の心情が、動きから伝わってくる。
石井と佐伯だけのやり取りで、石井の視点で書かれている。いままで紫藤美咲の視点でしか書かれていなかったので、彼のセリフや動きからでしか心情を読み取ることはできなかったが、ここにきて、美咲が好きなこと、その思いや行動についても吐露されていく。
「僕達は今日で交流を終りにします 宮本にも話はつけてあります」「君たち二人を見ていると、自分がどれだけ場違いなのかを感じてしまう だから、距離を置くことにしました」
まじめな佐伯らしい行動。けじめをつけるところが、なんともいじらしい。
石井もいいやつだ。「でも俺が、謙一の考えをねじ曲げることはできない」としながら、「わかった でも、ちゃんと伝えてやれ お前が後悔しないように」気持ちを告げるよう促してあげている。
美咲を呼んで、トイレと言って石井が去っていくのが、気を利かせた感じがしていい。
「僕は、貴方のことが好きだ」「本当は僕自身の声で伝えたかった。でも、声を聞くどころか、会いにも行けませんから。それでも、貴方に伝えたかったんです。僕の気持ちを、どうしても知ってほしかった。美咲さん、貴方は僕にとって、とても大切な人です。今までもこれからも其れは屹度きっと変らない。どうか貴方の身近な人を大切にして上げて下さい。貴方の間近に居る人を」
このとき、佐伯はボロボロと泣いているのだ。
告白と同時に、どんな答えが来ても報われず終わるし、これが今生の別れでもあるのだ。泣いてしまうのは当然だ。
美咲は頷くことだけしかできなかった。でも、佐伯は微笑んでいるので、自分の気持ちが伝わったことがわかって、鏡を割ったのだ。
すべてを理解したように鏡を片付け、一人にしてあげる宮本はいい友達だと思う。泣いている姿を、男は見られたくないものだ。
「――此れで好かった、此れで好かったのだ。鏡像には触れられぬ」
タイトル回収ではあるが、見えているからこそ、縮まらない距離はもどかしく、切ない。同じ時代を共に生きることができないから。
美咲もまた、鏡を落として割ってしまう。こちらは、突然のことに驚いて、手の力が抜けて落としてしまったのだ。
なにも言えなかったことを打ち明けると石井が謝り、
「俺、昨日も今日もお前に変な態度取っただろ。あれも嫉妬だったんだ、あいつに。でも、俺にはどうしようもなかったんだ。ただの友達として、何も言えずに見てることしかできなくて。……情けないよな」と漏らす。
石井と宮本は対の存在と考える。
同じ立ち位置にいた宮本も、佐伯が美咲を意識したとき一目惚れしたことを揶揄したことがあった。あきらかに嫉妬で、宮本としてもどうしようもなかったのだろう。その後は友達として側にいて、なにも言えず見ていることしかできなかったのだと考えられる。
石井の告白を受けて、「頭が真っ白だ。何か言おうとして口を開くが、言葉が出てこない。でも、不思議と嫌な感じはしていなかった」「その言葉の一つ一つが雨に打たれた土の中に染み込んでいくかのようにしっとりと、何の抵抗も無く入り込んでくる」
受け入れていく感じがよく表現されている。
それでも返事をするには時間をもらう。
「佐伯さんに言えなかった分、石井にはちゃんと伝えたいから」
今度はきちんと応えようとする意思を感じる。
ケーキに食べに行くのを誘い、「今度日本史も教えてくれよ。特に大正時代は、訳わかんねえし」と頼む石井。
最後の二人のやり取りと、美咲の「――こういう時は、調子良いんだから。歴史のまとめノートも作っておかなきゃ。ケーキ、何にしよう。明日石井に、答えを伝えよう」からは、二人が付き合うだろうと思えてくる。
石井が告白して、二人が付き合えるようになったのも、佐伯のおかげかもしれない。
読後。
タイトルを読み直して、凄く納得する。
大正時代と鏡でつながった恋愛の話ではあるけれども、現代にも通じるものがある。スマホ画面のSNSでのやり取りで仲良くなれたとしても、それ以上の距離は縮まらない。触れ合うこともできないのだ。遠くにいる人よりも、側にいる人の大切さにも気付かされる。
苦悩や葛藤、似たような経験をしたことがある人には、特に響く内容だし、石井と謙一、美咲との関係には緊迫感と切なさがあった。告白シーンは心に残る。謙一の苦悩、自己嫌悪や孤独感はリアルに感じられる。石井の告白シーンはドキドキした。物語全体として心温まる印象を受けた。
わからないのは、この鏡はどうして時代を経てつながることができたのか。学校の準備室や生徒会室にあったのか。そもそも、どういういわれのものだったのだろう。
また、宮本が書き残した日記は後世に伝わったのか。その辺りが気になったが、読者の想像に委ねられているのかも知れない。
佐伯はいい恋をしたのだ。新たな恋をして、共に触れ合える相手と末永暮らしたことを切に願う。
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