ハッピーエンドの向こう側
ハッピーエンドの向こう側
作者 暁 葉留
https://kakuyomu.jp/works/16818093084706087332
高校一年生の大曽根零は、二人だけの演劇部に所属している。文化祭でのステージ発表に五人以上の部員が必要と知り落胆するが、先輩の滝野詩楽が他の一人部員の部活と協力する案を提案。ハンドベル部、合唱部、弦楽部のメンバーと共に、ミュージカル風の演目「アパッショナート!」の準備を始める。練習中の困難や過去のトラウマを乗り越えながら、五人は互いの想いを込めた舞台を作り上げていく。文化祭当日、零たちは観客の前で感動的な公演を成功させ、新たな絆を深める話。
文章の書き出しはひとマス下げる等は気にしない。
現代ドラマ。
高校の部活動と、文化祭で披露する演劇を通じて、自己肯定感や努力の意味を探る青春ストーリー。
音楽と演劇の世界を巧みに描かれたところが魅力的。物語の構成がしっかりしていて、主人公の心情変化が丁寧に描かれている。音楽用語も適切で専門性が感じられる。
コロナ禍で本当に大変な思いをしたのは、十代の若者だと思う。そのことを思い出させてもくれた。
主人公は、演劇部に所属している高校一年生の大曽根零。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
女性神話とメロドラマの中心軌道に沿って書かれている。
大曽根零は高校一年生で、二人だけの演劇部に所属している。文化祭でのステージ発表に向けて意気込んでいたが、五人以上の部員がいないと参加できないことを知り落胆する。しかし、3年生の先輩である滝野詩楽が、他の部活動の1人部員たちと協力して五人でステージに立つ案を提案する。ハンドベル部の金嶋一希、合唱部の如月いのり、弦楽部の小此木らと共に、ミュージカル風の演目「アパッショナート!」の準備を始める。零は不安を抱えながらも、新しい仲間たちとの共演に期待を膨らませる。
高校の文化祭に向けて、音楽部と演劇部が合同で音楽劇を上演することになった。主人公の零は演劇部員として参加し、音楽部の如月先輩や小此木先輩らと共に練習に励む。練習場所は旧校舎の階段踊り場。白いボックスを舞台装置として使い、CDプレイヤーで音響を担当する。
練習中、小此木先輩の大声や早口に如月先輩が苦言を呈する場面があった。シイラ先輩は小此木先輩に演技のコツを伝授。放課後、零は如月先輩と駅まで歩きながら、音楽と演劇の関係性について話し合う。如月先輩は零に合唱経験があることを見抜く
高校の演劇部で、主人公の大曽根零は歌役「アイ」を演じることになった。しかし、中学時代の合唱部での辛い経験から歌うことを恐れていた。練習中、零は歌えなくなり、小此木先輩に叱責される。逃げ出した零は、校舎の裏で一人歌を口ずさむ。そこへ小此木先輩が現れ、零の歌声を聞く。先輩は自身の過去を語り、零を励ます。零は先輩の言葉に勇気づけられ、もう一度挑戦する決意をする。
演劇部で文化祭の劇練習が行われている。主人公は、ハンドベル部の廃部を告げられたばかりの金嶋先輩を演じるリエフ役を担当している。練習中、金嶋先輩の演技の上手さに驚く一方で、その様子がどこか元気がないことに気づく。
練習後、主人公は金嶋先輩と二人で片付けをしながら、先輩がハンドベル部の廃部を告げられたことを知る。先輩は、部員が一人になってから覚悟はしていたものの、突然の決定に戸惑いを隠せない。廃部の理由は、担当できる顧問の不在や予算の問題だった。
金嶋先輩は、ハンドベル部での経験や思い出を語りながら、自分の努力の意味を疑問視し始める。しかし、リエフ役を演じることで、過去の自分を肯定できる気がすると語る。
演劇部の五人が文化祭に向けて準備を進める様子を描きながら、それぞれの想いを乗せた舞台へと向かっていく。
文化祭二日目の午後、有志のステージ発表を控えた裏舞台で、主人公のアイと如月先輩が準備をしていた。そこで、二年前の演劇部と合唱部の不祥事に関する会話を耳にする。如月先輩が激しく反応し、シイラ先輩が仲裁に入る。
二年前、合唱部の定期演奏会後にコロナクラスターが発生。ネット上で批判が集中し、合唱部は人数が減少、演劇部は廃部となった。
現在、シイラ先輩が隠れて演劇活動を続けていることが明かされる。如月先輩は過去の出来事に苦しむが、シイラ先輩はアイとの出会いで演劇の楽しさを思い出したと語る。三人は演劇を続ける決意を新たにする。
合唱部の炎上事件後、SNSの誹謗中傷に悩まされる如月いのり。部員の退部が相次ぎ、自身も部活を辞めるべきか迷う。ある日、生徒会の男子に自己中と言われ、居場所を失ったと感じる。その後、旧校舎の階段下で元演劇部の男子と出会い、新たな仲間と共に練習を重ねる。定期演奏会当日、ステージでピアノを弾くいのりだが、突然演奏が止まってしまう。そこで零が突然歌い出し、いのりは伴奏を再開。二人で即興の合唱を披露し、いのりは合唱への愛を再確認する。
舞台の袖で、零は金嶋先輩から歌のアドリブを褒められる。零は歌うのが苦手だが、先輩を助けられて嬉しく思う。場面は切り替わり、フラトがアイを壊してしまった後、エンジが現れる。エンジはフラトに音楽の楽しさを思い出させ、一か月後のコンサートに誘う。アイがステージに現れ、フラトと擦れ違う。場面は再び切り替わり、リエフらがハンドベルやヴァイオリンで演奏を始める。アイは怖さを感じながらも歌い始め、最後に「歌うのが大好きだ」と叫ぶ。
高校の演劇部で行われた公演の幕が下りた直後の場面。主人公は舞台上で、フラトという登場人物の締めの台詞を聞き、観客からの拍手に驚く。体育館いっぱいの観客を目にし、その光景を心に焼き付けようとする。ステージ上の暑さや、スポットライトの眩しさ、先輩たちの笑顔を感じながら、シイラ先輩の震える声でのお礼の言葉を聞く。零は、この経験を今後の人生の糧にしようと決意する。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場 状況の説明、はじまり
大曽根零は高校一年生で、演劇部に所属しているが、部員は先輩の滝野詩楽のみ。文化祭でのステージ発表に意気込んでいたが、五人以上の部員が必要なことを知り落胆する。
二場 目的の説明
詩楽先輩は、他の部活動の1人部員たちと協力して五人でステージに立つ案を提案。音楽部や弦楽部から仲間を募り、ミュージカル風の演目「アパッショナート!」を準備することに決まる。
二幕三場 最初の課題
練習が始まり、零は音楽部の如月いのりや弦楽部の小此木と共に練習する。旧校舎の階段踊り場で、舞台装置として白いボックスを使い、音響はCDプレイヤーで担当。
四場 重い課題
零は歌役「アイ」を演じることになるが、中学時代の合唱部での辛い経験から歌うことを恐れていた。練習中に歌えなくなり、小此木先輩から叱責されて逃げ出す。
五場 状況の再整備、転換点
校舎裏で一人歌を口ずさむ零を小此木先輩が見つけ、自身の過去を語りながら励ます。零は先輩の言葉に勇気づけられ、再挑戦する決意を固める。金嶋先輩は、廃部となるハンドベル部での経験や思い出を語りながら、自分の努力の意味を疑問視し始める。しかし、リエフ役を演じることで、過去の自分を肯定できる気がすると語る。
六場 最大の課題
文化祭前日、零は他のメンバーと共に練習を重ねる中で、合唱部と演劇部の過去の不祥事について耳にする。如月先輩が激しく反応し、シイラ先輩が仲裁に入る。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
合唱部の炎上事件後、SNSで誹謗中傷に悩むいのりが登場。彼女もまた仲間と共に新たな挑戦を始める。定期演奏会当日、急なトラブルが発生するが、零が即興で歌い出し、一緒に伴奏することで二人は絆を深める。
八場 結末、エピローグ
文化祭当日、公演が成功裏に終わり、零は観客からの拍手に驚く。先輩たちとの思い出や経験を胸に、この経験を今後の人生に活かす決意をする。
演劇部の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
書き出しは導入、物語の舞台となる場所を紹介するところから始まっている。
遠景で「旧校舎の一階、東階段の下」と示し、近景で「そこには小さな銀色の扉が佇んでいる。作りはごく普通のステンレス製だ。持ち手を捻るとぎぎ……と寂れた音がする」と説明しながら、カメラをズームしていくように描かれていく。
心情で「階段の下に隠された部屋。なんだか秘密基地っぽくて、わくわくする」と語る。
秘密基地的な、誰も知らない場所みたいな。
でも、「けれど現実は、そこまでロマンチックな話じゃない」とあり、おやっと思わせてから場面が一転、「思い切り床を蹴る。放課後のチャイムと喧騒を切り抜けて、私は、あの扉が佇む東階段を目指す」
主人公視点ではじまる。
「『遅れてすみませんっ』開け放った扉の先。薄暗闇の中で、滝野詩楽先輩がこちらを振り向いた。『よし、きたな』
勢いよく扉が閉まり、その勢いでドアの内側に貼られた『演劇部』の文字がふわりと浮いた」
緩急つけての主人公登場と先輩、場所の紹介がされてから人物の紹介へと移っていく。
展開の勢いがよく、この勢いで読み進めていける。
主人公は、遅刻したのかもしれない。かわいそうかなと共感を抱きだす。まだ状況がわからない。
いつもは先輩と二人きり、でも室内には五人いる
ここからは過去回想。
「私が演劇部に入部したのは今年の春。【入学資料】に載っていた部活動一覧に、唯一載っていなかった『演劇部』をたまたまみつけ、そのドアを叩いた。理由? 別に大それたものはない。ただ、その『隠された』ような部活に興味があった」
掲載していないのに、よく見つけられたものである。
たまたまだから、偶然だったのかもしれない。
「『たった一人の演劇部員が新入生勧誘に奮闘する一年を描く』というメタ的な内容だったけれど、私は先輩の挙動一つに腹を抱えて大笑いし、最後はハンカチを握りしめて泣いていた」
これだけで、先輩の凄さが伺える。
一人舞台を一人で脚本を書き、準備し、演じる。
演技するということは、見るものに魅せること。相手を意識しつつ、自身の世界へ引き込ませる。そのためには表情や仕草、態度や行動、自分が持っているものを出し切り、表現する。
先輩はそれを魅せた。
だから主人公は魅了され、たった二人しかいなくとも、活動を続けてこれたのだろう。
「そんな先輩も、ついに来月の文化祭で引退だ。三年生の先輩と一年生の私。一緒に活動できた時間は、わずか三か月。二歳差ってのは残酷だと、つくづく思う
文化祭がいつ行われるのかわからないが、一般的には秋。夏休み後の九月と仮定すると、夏休みなのかしらん。
でも授業が行われていたので、ちがう。
四月に入部して現在は六月。文化祭は七月に行われると推測。
「先輩の引退を前にしてなんとなく落ち込んでいた時、生徒会新聞にこんな文言を見つけた。《四年ぶりの文化祭一般公開決定! 文化部のステージ発表も復活!》私は飛び上がって喜んだ。今まで私と先輩は一度だってステージに立っていなかった。顧問が機能していないゆえ、大会や催し物へのエントリーができないからだ」
部員二人、顧問もいないので、部活というかサークル扱いかしらん。
「そういやステージ発表できるのは五人以上のグループのみ、という決まりがあるらしい」「まあ、ちっちゃいグループが細々と出てくるとステージの転換に時間がかかる。講堂に人が密集する時間をできるだけ短くしたいんだろう。クラスターとかなったら大変だし、その辺生徒会うるさいからな」
コロナのクラスターのことを触れている。
こういうところに、現代性を感じ、現実味がある。また同時に、本作の伏線にもなっている。
「私は知っている。先輩は演劇バカだ。どっからか台本を持ちだしてきて『これ今から二人でやろう』と無茶振りをふっかけて私の反応を楽しむくらいには。部活が始まる前の発声練習を、毎日欠かさずやるくらいには。その努力がステージ上で発揮されたことは、結局一度もなかったのに」
それに付き合ってきた主人公も、演劇バカになってきているだろう。
「俺は一度だって諦めたなんて言ったか? 五人でしか立てないなら、五人で立てばいい。それだけの話」「別に演劇をやるのは演劇部じゃないといけないなんて決まりはない。俺に名案がある」
そして先輩が集めてきたのが、他の部員だったのだ。
二年のハンドベル部、金嶋一希。
三年の合唱部部長、如月いのり。
弦楽部部長でヴァイオリニストの小此木。
集められたのは、部員不足、廃部寸前。部員はたった一人という理由から、文化祭のステージを諦めている。
「弦楽部、合唱部、ハンドベル部、そして演劇部。この四つの部活に共通するのは一人じゃ完結できない部活だってこと。それにも関わらず、部員がいないからステージにも立てない。ならば、ここは少し協力しないか、という話」「【アパッショナート!】は劇中に各楽器の演奏パートがある、ミュージカル風の戯曲なんだ。そこに、君らの技術を貸してほしい。いや、これは劇じゃないな。君らは演奏し、演劇部がそれを演出する。五人の技術を結集した、一つの芸術作品を作ろう。そして、一人では立てなかったあのステージで返り咲くのさ!」
アイデアが素晴らしい。
ゾクゾクする。
登場人物の描写が少ないので、もう少し描かれていると良いのではと考える。主人公の魅力もあると読み進めやすくなるかもしれない。でも大部分は零の一人称で書かれているので、鏡で自分を見たり他人から見た容姿をセリフで表したりしなければならないため、容易ではないかもしれない。
練習の場所を説明しながら、どうやって劇をしていくのかの説明を小出しにしているのが良い。
「踊り場をステージに見立て、いくつかの白いボックスを置いていく。今回の劇では大道具は使わず、白いボックスをバス停のベンチや音楽館の指揮台に見立てることで場面転換を行う」「ホリゾントはないけれど、日が傾くと踊り場の窓が綺麗な茜色に染まるから雰囲気がでる。音響はCDプレイヤーで。当日の音響は、板付きではない役者が代わる変わる担当することになっていた」
本番の舞台では、どういう配置で主人公たちが演じていくのか、想像しやすくなる。
練習の様子、セリフを言うだけで、それぞれのキャラクターの個性が感じられる。
演劇の内容についてもう少し詳しく描写されていると良いのかなと思ったりする。
「小此木、演技への最初の一歩は、“共感“だ。小此木とフラトの重なる部分を探して、そこから役に入り込んでいくんだよ」
創作でいわれる共感は、主人公と読者をくっつける役割を果たしており、読者が主人公の気持ちに寄り添い、自分と重ね合わせることができれば、より深い感情移入が可能となる。
演劇の場合、読者ではなく俳優。
キャラクターの気持ちに寄り添い、自分と重ね合わせつことで、自分を表現していく。
「お前も、フラトと似たような経験があるんじゃないか、という話だ。楽団の人と気が合わない。誰も俺の言うことを聞いてくれない……そうやって憤った経験が、さ」
自身の経験を、ブラとのキャラクターで演じればいいと、シイラ先輩はいったのだ。
彼にはなにかありそうだ。
おそらく、先輩は声をかけた人たちが共感しやすいように、同じ境遇にあるキャラクター像を作り出して脚本を書いたものと考えられる。
彼らが演じていく中で、読者はキャストである主人公たちが抱えているものを知り、どう乗り越えていくのを読むことで、彼らの演じる舞台世界を知ることへとつながっていくのだろう。
如月先輩の「音楽は奏者の心そのものだから。一度感情が音楽に乗ったら、何倍ものパワーをはらんで聴き手に届く。でも、演技はその逆でしょ。感情を抑制して、コントロールしなくちゃいけない。ちょー高難易度に思えるけど、でもその演技うその中に音楽ほんものが入ることで、一気に物語のリアリティが増す……なんかの化学反応みたいで面白いなあって、私は思うんだ」のセリフは、すこしモヤッとする。。
奏者が表現したものが音楽というが、楽譜どおりに演奏する。
演者は感情を制御して表現するというが、台本通りに演じる。
どちら元になる本がある。
その本を元に独自解釈で表現する点において、どちらも同じなのだ。
ただ、この二つが合わさるとミスマッチに思えると如月参拝入ったのだが、そうは思えない。演者が演技するのも心だ。違うとすれば、たとえば泣く場面では、涙を流せば絵になるので、物語と関係ない自身のつらい体験を思い出して涙を出したり、目薬を指して泣きを表現するという表面的な見え方が重視されるところだろうか。
如月先輩は、その違いをいいたかったのかもしれない。
音楽が入ると、物語のリアリティーが増すとある。楽しい曲を聴けば楽しく、悲しい曲は悲しくなることがある。
悲しい場面で、悲し演技をし、悲しい音楽が流れることで見るものはより悲しく感じる。
音楽に感情は左右されやすいので、そのことを「化学反応みたいで面白い」と表現したのだろう。
主人公が合唱部だったことに気づくのは、合唱部部長だからなのだけれども、舞台では「私は歌わないよ。ピアニストの役だし「私、一人で歌うの苦手なんだよね。ほら、腐っても合唱部員だからさ」と答えている。一人では歌わない、ということかしらん。
「『きっかけ』とは、演劇用語で、行動をおこすポイントのことをさす」
サブタイトルにもなっている。なるほどと、納得する。
演劇においてある行動や動作を開始するための合図や機会を指す。具体的には、俳優のセリフや動作が他の演出要素(照明、音響など)の開始点となることが多い。
「きっかけ」は「切っ掛け」と書かれ、「切る」と「掛ける」の合成語。行動の終わりと始まりを示す言葉。演劇では「きっかけ」を英語で「cue(キュー)」とも呼び、俳優に演技開始を指示する合図として使われている。
小此木のヴァイオリンで歌わなくてはいけないのだが、きれいな音色を前に躊躇し、「情けない声。歌詞を歌ってはいるけれど、どこか上滑りしていく。ずぶずぶと、記憶の渦に沈んでいく。思い出したくない、けれど忘れられない、あの声が響く」と嫌な過去を思い出す。
過去の嫌な思いと、小此木の「“お前今の、どういうつもりだ“」というまでの流れのシンクロが過去のトラウマ感を引き出している感じがよく描けていて、主人公が追い詰められていく感じがよく描かれている。辛さが伝わってくるようだ。
「そっと振り返る。案の定、もはや見慣れたツンツン頭が仁王立ちしていた。目が合うと、きまづそうに目を逸らされた」
誰だろう。
「さっきのは、お前を責めて言ったわけじゃなくて、……ただ、お前楽譜も見ずに下ばっか向いてて何してんだって言いたくて」
可愛の流れから小此木とわかっていくが、彼の髪型は短髪だった。ツンツン頭といわれると、髪型をスプレーでトゲトゲに固めたような印象がある。
おそらく、ツンツンした性格とかけ合わせた表現だとは思うけれども、わかりにくい。
「去年から顧問が変わって、名指揮者って呼ばれてた奴からすげー放任主義みたいなのになっちまって。皆それで一気にやる気無くして、練習しなくなった。でも、部長だった俺はそれが許せなくて、部員を怒ってばっかだったんだよ。練習しろド下手くそアホカスってな」
難しい問題。厳しく指導されれば、励みにもなる。でも大事なのは生徒自身がいい演奏を弾くことを自発的に選んで実践していくこと。顧問はその手助けをしているだけ。
実際、放任主義かどうかくわしくはわからないが、誰かに言われなければ練習もしないのはどうなのだろう。顧問の先生は困らない。困るのは部員自身。やる気のある部員は迷惑するだろう。
小此木はやる気があるから、怒鳴ったのだ。
「練習しろド下手くそアホカスってな」
以前の顧問も、そんな言葉を使っていたのかもしれない。
「ホントだよな。でも、当時の俺はそれでも必死で、わかんなかった。どうしたらアイツらがやる気出すのか。部長ってどうやるのか。顧問だけのせいにしたくなかった。俺らだけでもちゃんとやれるって、信じたくて必死だった。でも、だめだったな。気づいたら、ひとりでさ」
副部長や他の同期とは相談しなかったのだろうか。顧問が変わることは前々からわかっていただろう。どうやって部をまとめていくのか、話し合わなかったのかしらん。
「上手いとか下手とか気にする必要はない。それよりもこの劇は 『感情』がずっと重要だ。嫌だ、怖いって思いながら歌ってたら、お前が言うより先に音がそれを語っちまうぞ」
そのとおり。実感がこもっている。
「いや……ありがとうございます。私も、もうちょっと頑張ります」
「なんでちょっと、なんだよ。死ぬ気でやれ」
まったく持ってそのとおり。前の顧問の先生からも、そんなふうに言われたのだろう。
演技を褒められた金嶋先輩がぼおっとしている。彼にもなにかありそうだ。
主人公が尋ねると、ハンドベル部が廃部になるという。
「部員一人になってから、結構経つから覚悟はしてたんだけど……でも、びっくりだよね。先週、部活帰りに校長室に呼び出されてさ、言われちゃった」「担当できる顧問の先生がいないんだって」
「去年までの先生は異動した。今いる先生から一人でも部活指導に取られると、学習指導とかほかの行事指導に支障がでる、んだって。あとは、一人の部活のために生徒会の予算は割けないとか……色々言われたなぁ。でも、すごい悔しかった。そういう労力をかけてまで残す価値が、この部活にはないって言われてるみたいで」 現実的な問題から部がなくなってしまう。
一人しかいないのに、部として存続できていたのが奇跡みたいなものかもしれない。異動した春、部員は金嶋だけになっていただろうから、そのときに廃部にしても良かったかもしれない。
「……ハンドベルって楽しい、その想いがあったから、一人でもやってこれたんだけど。その日からベルを握る度に思うんだ……僕、なんであんなに一生懸命やってたんだろうって。大会もないのに。仲間もいないのに。将来役に立つわけでもないのに。そんな部活を一生懸命やる意味、あった? 一気に夢から覚めたみたいだった。自分のやってきたことがすごく非合理的に見えて仕方なくて。そんな『過去の自分の一生懸命』を否定してしまう自分がいることが、一番哀しかったんだけどね」
主人公は彼の話を聞いて、彼の演じているリエフと境遇が同じ、「演技なんかじゃない。ハンドベル部の廃部を受け入れた金嶋先輩と、楽団をたたむことを拒むリエフは、あまりに重なる部分が多すぎた」から演技が上手かったと気づく。
嘘偽りのない姿が演じられていたからだろう。
「最後にこの劇に参加できてよかったよ。リエフを演じているとさ、今までの自分を肯定されているような気がするんだ」
彼の言葉からは、一人でハンドベル部の活動をしてきたことが報われるような気持ちを抱けたのがわかる。
物語の構成から考えても、二幕五場の状況の再整備、転換点なので、主人公の成長にも大きく関わっているいい場面である。
長い文は数行で改行。句読点を用いた一文は長くない。短い文章によるテンポ感がある。短い文が多用されることで、テンポ良く進行し、臨場感を与える。また、感覚的な描写が多く、読者は場面をより鮮明に想像できる。
ときに口語的。登場人物の性格がわかる会話文。キャラクター同士の対話が豊富に含まれ、各キャラクターの個性が際立つ。会話によってキャラクターの関係性や性格が明確に表現される。
高校生らしい口調や表現が使われている。登場人物の言葉遣いや表現が高校生特有のものであり、リアリティが感じられる。これにより、共感しやすくなる。
物語は常に主人公の視点から語られ、内面が詳細に描写されており、主人公の感情や思考を直接体感できる。
情景描写は場面の雰囲気を伝え、心理描写はキャラクターの内面的な変化を描かれており、物語全体に深みがある。
描写には現在形と過去形が交互に用いられ、時間の流れや回想を効果的に表現されていることで、動きが生まれている。
主人公の心情や思考過程が詳細に描かれ、変化を追いやすい。特に心理描写が細かく、感情移入しやすい。
演劇的要素が盛り込まれており、演劇の練習風景と現実の対話が交錯する構成により、独自のリズムとテンポが生まれ、緊張感や期待感が高まってくる。
音楽や演劇に関する専門用語が適切に使用されており、作品に深みと信憑性が生まれ、特定のテーマへの理解も深める特徴がある。
これらの要素がキャラクターと読者との距離を縮め、物語への没入感を高める役割を果たしている。
キャラクターの個性が会話を通じて鮮明に描かれており、高校生の部活動や文化祭という身近なテーマが扱われているところがいい。特に、演劇部を中心に他の部活との協力という斬新な展開が魅力的。また、キャラクター間の掛け合いが生き生きとしており、音楽と演劇の融合という独特なテーマ設定が印象に残る。高校生らしい青春の雰囲気が全体を通じて伝わってくる。
主人公の心理描写は丁寧で共感しやすく、過去のトラウマと現在の葛藤が巧みに描かれているのもよかった。演劇部の雰囲気や人間関係も生き生きと表現され、登場人物の心情が細やかに描かれている点も評価できる。演劇と現実の重なりが巧みに表現されており、ハンドベル部の廃部という問題を通じて、部活動の意義や自己肯定感について深く掘り下げている。
過去の出来事と現在の状況を巧みに結びつけ、キャラクターの心情変化が丁寧に描かれているのもいい点。演劇への情熱と葛藤が効果的に表現されており、音楽と感情の結びつきも巧みに表現されている。主人公の成長過程は丁寧に描写され、即興演奏のシーンは臨場感あふれる印象を与える。合唱への愛と葛藤も説得力を持って描かれている。
舞台裏の雰囲気や主人公の心情は生き生きと描かれ、「ハッピーエンドの向こう側」という表現が印象的。五感を使った豊かな描写が多く、読者を物語の場面に引き込む力を持っている。
五感描写について。
視覚は、薄暗闇の中、薄桃色の夕陽、踊り場の窓が綺麗な茜色に染まる、オレンジ色のステージ、緑色の壁、白く光る窓、夕日に照らされてきらきら光るハンドベル、薄暗いステージ裏、ステージから漏れる光、ステージのライトは記憶よりも眩しくて、宵の藍色に染まるホリゾント、銀色の残像、ゆらゆら揺らいで私の網膜にじっとりと焼きついた、目が眩むほど眩しいスポットライトなど。
聴覚は、ぎぎ……と寂れた音、おまえのおとをきかせてくれないかぁあ!!、ヴァイオリンの音、自分の洗い息、ガシャ、と手元のカゴでハンドベル同士がぶつかる音、ブーーーという本ベルの音、ハンドベルの音、ヴァイオリンの音色、万雷の拍手、シイラ先輩の声が少し震えていたなど。
触覚は、勢いよく扉が閉まり、台本を握りしめた、額から溢れた汗、生温い風、シイラ先輩が金嶋先輩の肩に手をおく、微かに震えていて、背中にそっと手を乗せた、鍵盤をなぞり始めた、両手で喉の奥に押し込める、まとわりつくような暑さ、汗に濡れた笑顔、金嶋先輩が肩を叩く感触など。
嗅覚は、むさ苦しい真夏の熱気、埃臭いステージ袖のカーテンなど。
味覚は、涙を呑み込んでいたところ。
もう少し五感を描いて臨場感を出しても良いのではと考えるが、味覚や嗅覚の描きどころが難しかもしれない。
演劇の舞台は夢をみせるところなので、もし描くなら舞台外の練習後の場面に描くくらいかしらん。
主人公の弱みは、演劇や表現に関する弱みがあること。
演技に対する自信が不足しており、経験も限られているため、積極的に表現することが難しい。そのため、感情を表現する際に、過剰になってしまう傾向がある。部員が二人と少ないこともあり、自分から行動を起こすことが少なく、先輩に依存する姿勢が見られる。
音楽や歌唱に関する弱みも持っている。
過去の合唱経験を周囲に隠しており、そのために自分の実力を発揮できない状況がある。理由は、過去の出来事が影響し、トラウマから歌うことに対して強い不安を感じている。そのため自信がなく、人前でのパフォーマンスに対する恐怖感が強く、自己否定的な傾向も見られる。
社会的心理的な弱みもある。周囲の状況を観察するだけで積極的に行動しない、もしくは高づおを起こすことが少ない。
他人の感情に影響されやすい性格も弱さであり、金嶋先輩の心情に共感しやすく、他人の感情によって自分の感情も揺れ動く傾向がある。周囲からの評価を気にしすぎて、自信を持てず、プレッシャーに弱いところもある。そのせいか、仲間との関係について不安を感じており、それがパフォーマンスにも影響している。
それでも、演劇を通した経験を「きっかけ」にしたいと思っている。 自信や経験不足を感じており、その状況を打破したいという思いがある。
主人公には演劇や音楽、社会的な側面で多くの弱みを抱えているからこそ、彼女の成長や自己表現に大きな影響を与えていくことになる。
文化祭当日がはじまり、二日目のステージ発表でフィナーレをむかえるという。
「最後の目玉ということで気合が入っているのか、有志発表前のステージ裏では文化祭実行委員や多くの生徒が、忙しなく準備を整えていた」
主人公たち演劇部の出し物も、ここで行われるのだ。
「怖い? ……あ、二年前のあれ?いやぁ、さすがにもう大丈夫でしょ」
「そういう慢心がああいう不祥事を引き起こすんだよ。つか、あーいうことあったのに懲りずに演劇ってさぁ、正直、自己中ってか」
舞台前に何やら不穏な話が出ている。
なぜこのタイミングなのだろう。
物語としてはともかく、生徒会役員は参加を認めたからステージ発表前に準備をしているのだ。文句や異議があるなら、もっと早めにやめさせることもできたはず。
その権限のある運営側が、そんなことをいうのは如何なものかしらん。
生徒会役員以外の、当時を知る三年生ならば問題がないのではと考える。
「いや、それはその」
「あれは不祥事じゃないから!! 合唱部だけが悪かったみたいに言わないで!!」
「あん時、生徒会もいろいろ言われてさ、ついキツく言っちまった。演劇部もその被害者だろ。……滝野」
「……あの時の、話は……今は関係ない」
文句を言った生徒会の男子は、一年のときも生徒会役員だったらしい。
「けど、演劇部はそれで廃部に」
「今は関係ないと言っているだろう」
主人公が入部する際のパンフレットに演劇部がなかったのは、廃部になったからがわかる。
小此木先輩がカッコいい。
腕を突いて、「いくぞ、アイ」役名で呼び、「いつもと同じ、顰めっ面。そのまま、ステージに続く道をいつもより大股で歩いていく。『始めちまえば、こっちのモンだろ』」と歩いていく。
頼もしく見えるのも頷ける。
二年前におきた、出来事が 生々しく書かれている。
ネットに拡散すると、無関係な人間による、日頃ろの鬱憤をぶつける材料として利用されて、心にも無い罵詈雑言を書かれて騒がれる。
「合唱部はみるみる人数が減った。『合唱部員』であるだけでいつか自分も責められるんじゃないかと、皆泣きそうな顔で辞めていった。演劇部は、ちょうど三年生が引退して部員が一年生一人になったことをいいことに、廃部を言い渡されたらしい」
臭いものに蓋をする用に、このあたりは実際にありそうで現実味を感じる。
ハンドベル部は一人になっても廃部にはならなかったのは、どうしてだろう。不祥事関係なく、もっと早くに言い渡されてもよかったのでは。
出番の終えた主人公が、如月先輩の話を聞いていた、という流れ。
「それでも、信じてみたかったんだよ。この劇みたいにさ、もう一度やりなおしたらさ、最後の最後には――幸せな結末にたどり着けるんじゃないかって」
声が途切れたとき、主人公の行動がいい。「私はその背中にそっと手を乗せた。微かに震える先輩の背中は、いつもより小さく、弱々しく見えた」主人公の思いが伝わってくるようだ。
「ハッピーエンドなんて大嘘だ。現実は、こんなに辛いことばっかりなのに……」
「嘘かどうかは、終わるまで分からないんじゃないか」
出番を終えたシイラ先輩。
その後、廃部になっても続けるメンタルをほめて「私には絶対無い。だって悲しいもん。定演の件だって、自分はこの世界に要らない存在だって、言われてるみたいだった」と吐露する如月先輩に、「俺もそう思ってた。零と出会うまでは」と打ち明けるシイラ先輩。
劇の舞台袖のやり取りが、実に生々しい。
舞台の上は、観客に夢を見せる場所。
現実を持ち込む場所ではない。
だからこそ、舞台袖では表には出てこない真相が出てくるのだ。
「新歓のとき、零は俺の劇に笑ってくれただろう。その時に、思い出したんだ。『ああ、やっぱり演劇は楽しいな』、とな。嬉しかったよ。ずっと一人で演じてて、わかんなくなってたんだ。『演劇を楽しむ』なんて、一番大切なことなのにな」
主人公のおかげで、先輩は演劇を続けようと思い、今日の公演にまでこぎつけることができたのだ。
おかげで、如月先輩は舞台に立たざるえなくなる。
ピアノ演奏しながら如月先輩が回想するのは、心無いSNSの書き込みから、当時の状況を思い出し、「“去年は録音審査だったんだよ。今年はみんなでステージに立てるだけ、幸せかな“先輩はいつもそうやって笑っていたけど、でも、その笑顔の分だけ涙を呑み込んでいたこと、私は知っていた。そんな辛い時期を耐え抜いた先輩たちへ、最後の鼻向けとして用意したのが定期演奏会だったのに」
コロナクラスタ起き、誹謗中傷から辞めていく部員たち。
「大好きな合唱をしようとすれば疎まれる。だから、演劇の世界に託したのに。それさえも否定されてしまったら、私は、一体どこで息をしたらいい?」
当事者の辛さがにじみ出て、溢れている。
作者が実際に、こういう体験があったかどうかは知らない。わからないけれども読者は、いろいろなところでコロナに感染して広がっていったニュースを散々見てきているはずだし、SNSの誹謗中傷が広がることも利用している人は知っている。
如月先輩の体験したことを、動きや心情を交えた回想を読むことで、読者は思い出しては想像し、追体験できる。
だから彼女の辛さが胸に迫ってくる。
そんなとき、セリフを忘れてしまう。
「頭が真っ白になる。練習でも、今まで一度だって台詞を飛ばしたことなんて無かった。それがなんで、よりによって、いま。どうしよう、どうしよう……!」
状況を説明し、感想をそえる。
「まずは考えて、何かしらの方法でこの場を繋がないと。でも、どうやって?」冷静になろうとして、「心臓がばくばくと音を立てる」身体の反応に襲われて、冷静さを欠いてしまう。
「冷静に考えようとすればするほど、さらさらと音を立てて何かが抜け落ちていく気がしたなにやってるんだ。せっかく、掴んだステージなのに。結局、最後までこんななのか」
説明して感情、感想を書き連ねていく。
この書き方で、如月先輩がどんどん冷静さをなくして追い詰められていく気持ちが、これでもかこれでもかと伝わってくる。
書き方が、本当に上手い。
そのときに歌声が響く。
主人公たちが演じている演劇の、具体的な物語はわからないけれども、主人公である大曽根零はステージで二度歌うことが書かれているので、読者は大曽根零が演じるアイが歌っているのだと想像できる。
でも違う。
「彼女の顎から汗が滴り落ちる。視線の先には、眩いステージの光に照らされて歌う、零ちゃんの姿があった。なんで。今は、アイが歌うシーンじゃない。なんで? アドリブなんて、そんな突飛なことを、あなたが。けれどそんな不安も、彼女の声が吹き飛ばしてくれた」
この展開は予想外で、如月先輩同様、読者も意表を突かれて驚きと興奮を覚える。歌う場面ではないのに歌ったのかと。
そもそも零は、中学の合唱部で嫌な思いをして、うまく歌えなかった。その場面しか読者は読んでいないので、驚かされる。
「先輩、大丈夫です、と」
舞台袖で、昔の話をしていたとき、零は如月先輩の背中に手を乗せている。このときの行動があったからこそ、ここで歌えたのだろう。そう考えると予想はできるかもしれない。
そのあと、「“先輩も歌うんですよね?“元合唱部の零ちゃんは気づいていたのだ。【Affettuoso】はピアノの曲じゃない。『合唱曲の伴奏』だという事に」という展開のほうが、予想外かもしれない。
「エチュードではあるけれど、発生練習がわりの曲としてかなりメジャーで、おそらく合唱部員なら一度は耳にしたことがある曲だろう」
読者のみんなが合唱部ではないので、気づくことはできないだろう。
二人で歌うことで合唱が好きなことを思い出し、一か月を振り返る。
「二年前に演劇部を追われたはずの男子が、突如私のクラスに現れたあの日から。出会うはずのなかった仲間と、何度も何度もあの階段で練習を重ねて、重ねて、そして辿り着いたステージは。ちょっと幸せで、ちょっと哀しい、なんだか面白い場所だった」
歌いながら演奏していく。
「そうだ。あの日から、私の物語の結末は変わっていたんだ。予定調和のバおおエンドを壊して、その先にあるはずのハッピーエンドを目指して、走り始めていたんだね」
この部分がすごく良い。
鬱屈していたモヤが晴れて、雲の切れ間から光が差し込んでくるかのような、希望を感じる。
「ついに最後の小節まで弾き切った。結局続きの台詞は出てこなかったけれど、次にステージに響いたのは私ではなく、小此木フラトの声だった」
セリフは忘れたままだったらしい。
『素晴らしい音色だな』「ふとこぼれ落ちた『小此木の本音』のように思えた」まさしく本音だっただろう。彼は棒読みのようにセリフを言う人だったのだから。
視点の一貫性が欲しいかもしれない。一人称ではなく三人称で書かれていれば、違和感がないかもしれない。
如月先輩のところを強く描きたくて、こういう構成にしたのかもしれない。
舞台袖に戻ると、金嶋先輩から「零ちゃん、ナイスアシスト!」といわれ、修正もうまく行ったという。
舞台と違って内面が現れる場所として描かれているのは、やはり上手い。緩急の付け方が良い。舞台とは違う感情が、一気に抑えていたものが溢れる感じ。
だから「本当は私、あんまり歌うの好きじゃないんです。だけど、今だけは、合唱、やっててよかったって思った」素直に出てくるのだ。
次からは、演劇のおおストーリーが描かれている。
それでいて零の主人公視点でエンジを演じているシイラ先輩に対する思いが書かれている。
舞台袖で、いままで抑えていたものが溢れたことがきっかけになっているのかもしれない。
零はアイを演じながら、アイの役と彼女自身の思いが重なって描かれているところから、演劇は偽物の世界で、自分たちが演じている【アパッショナート!】は自分たちに過ぎていて、セリフも感情も同じだけれども、結末がハッピーエンドだというところが違うという。
「アイはフラトたちが奏でる音楽によって復活し、フラトは自身が失っていた『楽しい』という気持ちに気づく。そして旅で出会った三人と『オストリープ』という楽団を結成したところで、この物語は終わる」
主人公はこれがちがうと言うけれども、演劇のラストにはシイラ先の夢が込められている気がする。
シイラ先輩と如月先輩は三年生で、これで引退して卒業していく。小此木が何年生かわからないが、主人公たち三人はまだ卒業しない。残された三人で部活をつくって、活動していってほしいという願いがあるのではないか。
主人公は全部覚えておこうとしながら、「物語は終わらない。幕が降りた先、ハッピーエンドの向こう側で、私はきっと何度もこのステージを思い出す。そしてそれを『きっかけ』に、また私の人生を歩いていければいい」と抱いて、本作が終わる。
読み終えて、思わず拍手を送ってしまった。
読後。実にいい話だった。
まさに、舞台劇を見終わったような圧巻さがあった。
高校生の青春ドラマとして良く書かれ、音楽と演劇の融合という珍しいテーマに興味をそそられた。キャラクター同士のやりとりや葛藤、演劇部の雰囲気が生き生きとしていたし、舞台裏の緊張感や高揚感が伝わってくる場面描写は印象に残った。主人公の心の変化や成長も丁寧に書かれていてよかった。
ただ、主人公たちが演じた劇の登場人物や内容の詳細が足らない。自分たちの境遇を下敷きにしているとはいえ、具体的にどのような内容だったか把握は難しい。
劇の内容より、高校生の部活動と演劇を通じて、自己肯定感や努力の意味を探るところに重きを置いた物語だったのだろう。
合唱部の過去の出来事は長すぎたかもしれない。一人称より三人称で描いたほうが良かったのではとも考えるけれども、文化祭で演劇を披露することに情熱を傾け、駆け抜けた主人公たちの生き様は読むものの胸を打つ作品だった。
零たちは、これからも目標に向かって死ぬ気で頑張って続けていって欲しい。
ハッピエンドの向こう側にたどり着くために。
オストリープについて。
調べても、その様な言葉が見つからない。
造語かもしれない。本作では音楽用語が用いられており、「オスティナート」に「リープ」をかけ合わせて作られたと勝手に解釈してみる。
ちなみにオスティナートとは、音楽において、ある種の音楽的なパターンを続けて何度も繰り返すこと。
ostinatoは、イタリア語で「がんこな、執拗な」という意味で、英語のobstinateと語源を共にする。このため日本語では、執拗音型、執拗反復などと呼ぶ事がある。
平たく言えば、くり返し。
リープ(leap)の主な意味は、跳ぶ、跳躍する。比喩的な意味なら、急激な変化や進歩。
執拗な跳躍、といったところかしらん。今後も飛躍をしていってほしという、シイラ先輩から後輩たちへの思いが込められていると想像する。
彼らの演劇については、概要にくわしく書かれていました。
【アパッショナート!】
あらすじ
国を代表する楽団「ユーモレスク」でコンサートマスターを務めるヴァイオリニストのフラトは、ある日自分の身勝手な言動が原因で楽団をクビになってしまう。ソロのヴァイオリニスととして生計を立てようとするが、なかなかうまくいかない。それを見かねた町工場のアミュから、型遅れのAIロボット・アイの開発を手伝ってほしいと依頼される。
アイは歌唱機能を備えているが、ロボットらしく「感情」を一切持たない為、いまいち魅力に欠ける音楽しか奏でられない。それに気づいたフラトは、古い友人やつてを回って「アイに感情を学ばせる旅」に出るが……
在籍する楽団の解散を迫られたベルプレイヤーのリエフからは「悲しみ」を、仲間と喧嘩別れしたピアニストのロスからは「嫌気」を、そして、かつてフラトとの不和でユーモレスクを去った旧友・エンジからは「怒り」という感情を学び取ったアイ。
質の高い音楽に触れ、「感情」を吸収したアイは次第に感情豊かな歌声を響かせるようになるが、完璧主義のフラトは「何かが足りない」と欲求不満を抱えるようになる。アミュとの契約期限も迫る中、焦りもあり不満が爆発したフラトはアイを突き飛ばす。そこで「恐怖」を学び取ったアイは、あまりのショックに壊れてしまうのだった。
「かつて楽団の仲間にしたことと同じことを、アイにもしてしまった」後悔を抱えるフラト。そんな時、ひょんなことからエンジと再会する……
人間の「五大感情」をテーマにした演劇。
型遅れのAIと、「どこか欠けた」登場人物達の、音楽と愛の物語。
【登場人物】
アイ(演者:大曽根零)
フラト(演者:小此木結弦)
リエフ(演者:金嶋一希)
ロス(演者:如月いのり)
エンジ・アミュ(演者:滝野詩楽)
脚本改変・演出・舞台監督 滝野詩楽
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