青春モラトリアム

青春モラトリアム

作者 由比 瑛

https://kakuyomu.jp/works/16818093082978540785


 鶴谷葵は、母親に起こされてもなかなか起き上がれず、無気力と不安に満ちた日常を送っている。半年間学校に行かず、スマートフォンのメッセージにも反応できない彼女は、過去の生活を振り返り焦燥感に苛まれる。母からの連絡で担任の電話を知るも、強い拒否感を抱きつつ掃除を始めるが、掃除機の音に不快感を覚え涙が流れる。夕方、担任との電話で「起立性調節障害」の可能性を指摘され、不安と期待が交錯する。

 一方、斉藤恒誠は朝のルーティンをこなし、通信制高校への転校を控えて期待と不安を抱える。彼は小学校時代の友人鶴谷と再会し、懐かしい思い出を語り合う。鶴谷は私立高校に進学するも周囲との関係に苦しみ、自己嫌悪に陥る。限界を迎えた彼女は自傷行為を試みるが、恒誠の理解と支えに心を開く。二人は互いの感情を言葉にしながら特別な関係であることを認識し、「私は一人じゃない」と決意する話。


 現代ドラマ。

 現代の若者が抱える問題を鋭く描き出した意義深い作品。

 不登校生徒の心理描写が秀逸で、若者の心の問題や人間関係の機微を丁寧に描いており、共感を得やすく、考えさせられる。

 本作を通して、こういう子達も現実にいるのだと知る切っ掛けにもなるだろう。 


 主人公は二人。女子高生の鶴谷葵、一人称、私で書かれた文体。男子高校生の斉藤恒誠、一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 それぞれの人物の想いを知りながら結ばれないことにもどかしさを感じることで共感するタイプと女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 鶴谷葵は朝、母親の声で起こされるもなかなか起き上がれず、身体が重く感じる。学校に行かなくなって半年が経ち、彼女の日常は無気力と不安に満ちている。スマートフォンのメッセージに気づくも、返事をする気力もなく、再びベッドに戻ってしまう。

 しばらくして目を覚ますと、時間はすでに十時を過ぎていた。葵は体を動かしながら、日々のタスクを思い浮かべるが、やる気が出ずに悩む。彼女は過去の生活を振り返り、自分が何もしていないことへの焦燥感や罪悪感に苛まれる。周囲の人々と自分を比較し、自分だけが怠けているのではないかと苦しむ。

 その後、母からのメッセージで担任教師からの電話があることを知らされる。葵はその電話に対して強い拒否感を抱きつつも、掃除を始める。しかし、掃除機の音に不快感を覚え、感情が再び高ぶって涙が流れる。彼女は自分の存在意義や周囲への迷惑について考え込み、「消えてしまいたい」という思いに駆られる。

 夕方になり、葵は担任からの電話を受け取る。久しぶりの会話で緊張しながらも、自分の体調や生活状況について話す中で、「起立性調節障害」の可能性を指摘される。彼女はこの診断について知識がありつつも、不安と苛立ちを感じる。電話の終わりには、学校に行くことへの期待と不安が交錯する。夕食後、母親に電話の内容を簡単に報告し、疲れを感じながら早めに就寝する。

 斉藤恒誠は両親の出かける音で目を覚まし、朝のルーティンをこなす。冷凍庫から食パンを取り出し、トーストを焼きながらインスタントコーヒーを淹れ、香ばしい匂いに包まれる。彼は一人の時間を楽しみながら、自由な日々に感謝する。自身の成長やこれからの生活について考える。彼は通信制高校への転校を控えており、新たなスタートへの期待感と不安が入り混じる。

 朝食を終えた恒誠は、身支度を整え、カフェへ向かう途中で小学校時代の友人、鶴谷と再会する。二人は久しぶりの再会に驚きつつも、自然な会話が弾む。鶴谷は散歩中で、恒誠はカフェに向かっていることを伝え、鶴谷がカフェに寄ることになる。

 カフェに到着した二人は、懐かしい思い出話に花を咲かせる。鶴谷は小学生の頃の思い出を語りながら、恒誠と共に居住スペースに向かう。そこで彼らは昔の思い出や現在の状況について話し合うことになる。

 鶴谷葵第一志望の公立高校に落ち、私立の名門校に進学することになった。彼女は私立校への偏見を持っており、周囲の裕福な生徒たちや教師たちとの関係に苦しむ。学校生活が始まると、勉強にはついていけるものの、周囲の生徒たちの高慢さや教師の厳しい言葉に心が折れそうになる。

 彼女は、他人からの評価や期待に押し潰されそうになり、次第に学校に行くことが恐怖となる。心身の不調が続き、友人との関係も悪化していく。彼女は一度学校を休むと、その後も休みがちになり、自己嫌悪に陥る。母親との会話も思うようにいかず、孤独感が増していく。

 限界を迎えた彼女は、自傷行為を試みるが、そのことを恒誠に打ち明ける。恒誠は彼女の気持ちを理解しようとし、彼女が抱える苦しみを優しく受け止める。「逃げることは甘えではない」と彼は語り、彼女を支える姿勢を見せる。涙を流しながら心の内を語る彼女に対し、恒誠は「ひとりじゃない」と寄り添う。

 鶴谷が泣き止み、軽い話題で会話を楽しんでいると、突然の腹の音が響く。恥ずかしさを隠すために「なんか食べる?」と尋ねると、鶴谷は「サンドウィッチが食べたい」と答える。主人公は一階にサンドウィッチを取りに行く。

 父親に「サンドウィッチ二つお願い」と頼むと、母親が近寄り、鶴谷の体調を気遣う。母親は鶴谷の顔色が悪かったことを心配しており、斉藤はそれが匂いのせいだと説明する。母親は無理をしないように伝えてほしいと頼む。

 サンドウィッチを受け取った主人公は二階に戻り、鶴谷の表情が明るくなる。「ウチのムーミンパパお手製のサンドウィッチでーす」と言うと、鶴谷は笑う。二人はサンドウィッチを食べながら、その味について懐かしさを感じる。

 斉藤は高校での友人関係について語り始める。新しい高校では友達がいなかったため、積極的に声をかけて友達を作った。しかし、人との関わりが増えるにつれ、自分自身のアイデンティティに疑問を抱くようになる。周囲の期待に応えようとするあまり、自分を犠牲にしていることに気づく。

 中学時代のグループ内での出来事を振り返り、リーダー格の友人が他の仲間をいじっていたことに気づく。彼は自分より劣っている者を見下すことで優越感を得ていた。その中で主人公もまた、周囲との関係性に疲れてしまう。

 高校では同じ過ちを繰り返さないよう努力したが、結局は心身ともに疲弊してしまった。しかし、その中でも数人とは連絡を取り続けられたことに安堵する。主人公は自己犠牲的な人間関係から距離を置き、自分に必要な幸せだけを求めることに決める。

 斉藤は小学校時代の思い出を鶴谷に尋ねる。鶴谷が斉藤のことを「need(必要)」だと答えたことを思い出し、斉藤もまた「俺も好きだよ、鶴谷」と告げると、鶴谷は照れながらも嬉しそうな表情を見せる。

 二人は、互いに抱く感情を言葉にしながら、自分たちの関係が「友達」なのか「恋人」なのかを考える。恒誠が告白のような言葉を口にし、鶴谷は驚きつつもその言葉を受け止める。

 彼らは、友達以上でありながら恋人ではない微妙な立ち位置にいることを認識する。鶴谷は、ラベリングを避けることで、その関係の本質を探ろうとする。「何でもない」という結論に達することで、互いの親密さを再確認する。

 帰り道、鶴谷は恒誠の目や彼との会話を思い返し、彼との関係が特別であることを感じる。失ってしまうことへの不安がある一方で、彼との再会が自分にとってどれほど大切かを実感する。「私は一人じゃない」と心に響く思いを抱きながら、明日も生きてみようと決意し、晴れやかな気持ちで眠りにつく。


 三幕八場の構成になっている。

 一幕一場 状況の説明、はじまり

 鶴谷葵が起立性調節障害に悩まされ、学校に通えない日々を過ごしている。日常生活の困難さと、将来への不安が描かれる。

 二場 目的の説明

 担任教師からの電話で、葵は翌日の登校を約束する。学校復帰への期待と不安が示される。

 二幕三場 最初の課題

 鶴谷と恒誠が互いの不登校の経験を語り合う。二人とも学校環境に馴染めず、それぞれの方法で対処しようとしている。

 四場 重い課題

 鶴谷葵の高校入学後の苦悩が明らかになる。学校への不適応、友人関係の悪化、そして自傷行為までエスカレートする問題が描かれる。

 五場 状況の再整備、転換点

 恒誠が鶴谷葵の気持ちを受け止め、「鶴谷はひとりじゃない」と伝える。これにより、鶴谷葵の心境に変化が生まれる。

 六場 最大の課題

 斉藤恒誠が自身の過去の経験を語る。人間関係に苦悩した経験と、そこから学んだ教訓が明かされる。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

恒誠と鶴谷葵が互いの気持ちを確かめ合い、関係性について考え始める。「ラベリングしない」という新たな関係の形を見出す。

 八場 結末、エピローグ

鶴谷葵が恒誠との関係を通じて、自分が一人ではないことを実感する。生きる希望を見出し、晴れやかな気持ちで眠りにつく。


 学校に行かない謎と、主人公たちにおこる様々な出来事の謎が。どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 主人公にとっての日常風景からはじまる書き出しが興味深い。

 遠景で母親の声を示し、近景で、「ドアに阻まれたぼんやりとした声で目が覚める」再び母の会話を挟んで「カーテンの裾から漏れる光の柱に目をぎゅっと閉じ、音を絞り出すようにして唸って、母は返事と受け取って離れていくと説明。

 そのあと心情で「呆れられているのだろうか。起きなくてはいけないとわかっているのに、どうもうまくいかない。身体のどこか内側のほうが溶けているようにどろりと重たく、頭も靄がかかり、体の制御がまるで機能しない」と語っていく。

 朝が起きれない様子が現実味あるように描かれていく。

 なぜ起きれないのだろう。

 体調が悪いのかもしれない。

「体を起こすと、ドクドクドクと急激に脈拍が上がった。頭に血液が巡り、じわじわと耳の中で体液が流れる音がする。一瞬、また頭がぼうっとして、徐々に意識がはっきりしていく。何度か欠伸をして目を潤し、深呼吸をする」

 心的なものが原因かしらん。

 かわいそうだと思えるところに、共感を抱く。


 なんちゃって中国語という表現が面白い。


 ベッドに倒れ込み眠りに落ちる描写が、実に現実味を感じさせる。うまい表現だ。

 起きてからの様子も、実体験のようにリアルに描かれている。その中で、自身の体験と考えを織り交ぜて牛乳を飲んでいく。

 動作や思考をしてから、感情を描いていくところで、こまめに改行されていく。感情の揺れを文章でうまく表現しているのもいい。

 学校も行かず、どんな日常お過ごしているのかが書かれている。

 現在、不登校者は三十万人を越えている。一人ひとり事情が違うので、一括りに考えるのは危険だけれども、主人公のような一日を過ごしている人も実際にいるだろう。


「今やらなければならないことも沢山あるのに、将来も決めなくてはいけないなんて。いっそのこと、消えてなくなりたい。ドロップアウトだ。もともと私なんていなかったことになればいいのに」

 大なり小なり、嫌なことがあると消えてなくなりたいと思う傾向がある。

 フリースクールが、いまほどの認知度もなかった四半世紀前のころから、学校に行けない子達は透明みたいとか、消えてなくなりたいといっていたのを思い出し、いつの時代も変わらないのだなとしみじみと思ってしまう。

 

 自分を顧みては涙をし、申し訳ないなと思っては泣いて、「感情を荼毘に付すにも酸素がいるのだろうか」と自分の行いが世の中の邪魔、酸素を奪っているよう自分を卑下している姿を描いては、お昼になると「気分転換にお昼ご飯にしよう。そのあと漫画を読んで、掃除機だけでもかけよう。もう今日は学校のことには触れないでおこう」気分が好転する。朝ご飯を食べていたときも、牛乳がーと思いつつ取っている。

 睡眠欲や食欲などには素直だと思えると、フフッと笑ってしまう。

 心は死のうとするのに体は生きようとする。

 そもそも考える一つとっても、ちがうのだ。利己的選択、経験からの反省、感情的混乱、知識理解、本質把握、論理的思考。状況に寄るが、二つ三つ組み合わさって日常の思考になっている。

 また、楽しい時期が終わりに近づくと赤血球の数が減り、悲しい時期が終わることには増えはじめる。

 悲しみは、赤血球の数の問題なのだ。

 余計なことに思い巡らすより、心の問題ではなく体の問題だと考えれば、疲れや病気と同じ。一人ぼっちだと思うより、赤血球の数が少ないと思ったほうが、気が楽になる。


 なんちゃって中国語のやり取りを見て、漢文が主流だった平安時代が浮かんでくる。この流れで古文の勉強をするのは面白いかもしれない。


「弁当箱を開いた時に広がる、時間が経った食べ物の独特の匂い。あの匂いが受け付けなくなった」具体的にはどういう匂いなのかしらん。


 掃除をしたあと寝てしまう。「感情のメーターが大きく振れたせいでこころが疲れた。仮眠を取ろう。すっきりして、余裕を持って、電話に対応すればいい」この考えはいい。電話対応は付かれるので、それまで仮眠して体力を回復させるのだ。


 先生とのやりとりは、会話文が続く。

 はじめは、会話の会田に地の文を挟むところも見られたが、その後は会話文が続く。担任との電話会話をさらに緊張感のあるものにするためにも、もう少しどういう状況で電話をしているのか、主人公の動きや相手の声、周囲の状況等を混ぜてもいいと思う。三点リーダー以外で沈黙や、どもり、遅れて答えるなど表現に工夫があってもいいかもしれない。 

 とはいえ、主人公は周囲に意識を持っていけない精神状況でもあるだろうから、それを感じられる動きを地の文に挟んだらいいのではと、読みながら思う。


 主人公は、自分からあえて眠れなくしているようにみえる。

 朝起きるのが遅いからといって、なぜ十二時過ぎに寝るのだろう。午後九時に寝ればいいのに。運動してないから寝付けないのだ。だから、遅くまで活動しては疲れさせて睡眠を取ろうとする。

 一般的に、寝る前のデジタル機器の仕様は睡眠を妨げるものだし、精神的疲労が貯まる。結果、起きにくくなる。はやめに電気を消し、暖かいお風呂に入って、寝る前は足裏やふくらはぎをもみほぐすのもいい。

 疲れているなら、なにもしない。

 なにもしないというのは、家事や読書、テレビをみたりすることもせず、スマホも使わず、だらだらと横になって寝ることをいう。主人公にはまず、正しく休むことを勧めたい。


 二話から主人公が変わる。

 初見ではそれに気づかず、迷った。

 それも作者の意図だろう。

 どちらかといえば、斉藤恒誠は彼女よりも健康的に思える。

 朝早く起き、カーテンをけて朝日を浴びている。朝日は体を目覚めさせてくれるからだ。

「よし、起動完了」

 実に説得力のあるセリフ。好感が持てる。


 朝食を用意する様子が実にイキイキしている。「ほどよく湯が沸いたらスイッチを手動で切り、マグに注ぐ。ふんわり湯気が立つ。香ばしい苦めの香りが鼻腔を満たす。慎重にすすってみるとちょうど良い温かさだった」嗅覚や味覚は生を象徴する表現なので、活力を感じられる。

 鶴谷葵とは対照的。

「三か月経って朝に強くなった気がする」と表現されているので、彼も不登校なのだろう。もし、鶴谷葵視点でこの場面が描かれていたら、状況が好転したんだとわかるほどの変化が描かれている。


「ネトフリで映画見て、店手伝いに行って、夕飯作って、風呂に入って寝る。時間があるっていいなと思う。少なくとも、思いつきで行動する自分には合っている」

 家が店の経営をしていることを示している。

 

「人に食べたら早く洗えっていうくせに、自分は洗わんよな……」

 主人公の彼がいるから、まかせているのだろう。親は朝起きる理由、役割を作っているのかもしれない。

 

 着替えるときに、主人公の容姿や服の数などから性格を伺わせつつ、両親のことも触れている。「父さんは今でこそムーミンパパみたいな体型だが背は高い。母さんも歳の割にはすらっとしている」

 お腹がでているらしい。実にいい比喩だと思う。

 ムーミンパパを知らないと、想像できないのが難点。

 昔はアニメや書籍でよく見かけたけれど、いまではグッズで見かけることが多いと思われる。年配、もしくは大人は理解がはやいけれど、十代の若者の認知度はいかほどかしらん。

 少なくとも、主人公は知っているのだ。


 どこまでが化粧なのか。保湿までかな。あとは目的によって、線引されるのかしらん。パウダーは微妙。

「なんや化粧か」

 主人公のしていることを、端的に形容すると化粧になるだけだろう。むしろ、「何も悪いことはしていないはずなのに、何か後ろめたい気持ちになる」罪悪感をおぼえるところに、彼にはなにかあると感じさせている。

 化粧のことではなく、別のことで迷惑をかけているとおもっているから、後ろめたい気持ちになるのだ。


「母さんだってきっと『それだけでいいのが羨ましいわ〜』って言うだけだ」遠回しに、若いっていいわねということだろう。 


「身支度を済ませ、肩掛けカバンを下げて両親がやっているカフェへと向かう」

 自宅と店舗は別らしい。

 初夏の通りの様子、情景描写は目に浮かぶようで素晴らしい。


 みんなが学校に通っている中、ちがう行動をしている状況で、「『最近どう? 元気?』と聞かないあたりに改めて好感を持つ」と抱く主人公の気持ちは実に現実味を感じさせる。

 あたりさわりのないトークの始まりとして、「最近どう?」と投げかけることがあるけれども、返答に困る。

「今日は暑いですね」とか「三十度超えそう」とかよりも、「恒誠? ……え、久しぶり」彼に焦点を合わせた一言をして、「だよね、健康そうでなにより」と彼にいう。

 彼女の話し方は、相手に話させたくなるような空間を作り出している。

 だから、彼も話しやすくて「うん、健康!」といえる。

 話が下手な人は、話し上手や聞き上手をめざすあまり、答えにくい最初のひとことを口にしてしまう。

 元気な人ならば、それでもいいのだけれども、とくに主人公たち二人においては、ダメなのだ。

 鶴谷との再会シーンをもう少し詳しく描写してもいいかもしれない。見た目とか。


「solitude? 久々にお邪魔しようかな……」

 急に英語。店名かもしれない。意味は孤独。

 あとで看板が出てきて、店名だとわかる。カフェでの場面転換がやや唐突な気もするので、もう少し丁寧に描写されてもいいのではと考える。

 

「……なんで学校行ってないか、語らおっか……俺が話したいだけかもしれんけど」

「うん」

 二人には前フリはいらない。再会したときから、あれこれ言わなくてもお互いわかるくらいの仲なのが、店の二階にきたときから伺えるように書かれているのがいい。


 長い文は十行近く続くところもある。句読点を用いた一文は、長いところもある。読点を用いない一文は、重々しさや落ち着き、説明、弱さを表している。短文と長文を組み合わせて、テンポよくし、感情を揺さぶってくるところもある。ときに口語的。登場人物の話ある会話文。方言を使用してキャラクターの個性を出している。会話と地の文のバランスが取れており、会話文と心内の言葉を交えながら進行させるのも特徴。

 一人称視点での語りであり、細かな描写、特に心情や内面の描写が重視されている。情景描写も丁寧に行われている

 現在の場面と過去の回想を交互に描く構成のものがある

 全体的な印象として、親しみやすさがあり、登場人物の感情が伝わりやすく、キャラクターの個性が表現されている。これらの特徴は、読者に親近感を持たせつつ、登場人物の内面を深く理解させる効果がある。


 不登校の生徒の心理状態を細やかに描写され、主人公の心理描写が細やかで、読者が感情移入しやすい。主人公の心情が細やかに描かれており、内面の変化が説得力を持って表現されているところがいい。

 担任との会話を通じて、葵の葛藤や不安が巧みに表現されているところや、家族との関係性も適度に描かれている

 登場人物の関係性が自然に伝わってくる。恒誠との対話シーンが印象的で、友情の深さや幼馴染の関係性がよく描かれている。関係性の曖昧さをも巧みに表現しているのがいい。

 日常の些細な出来事や風景が丁寧に描かれており、臨場感がある。学校生活の困難さが具体的に描かれており、リアリティーがあり、葵の置かれた状況が立体的に理解できるのも良いところ。

 人間関係の複雑さや成長過程が丁寧に描かれており、日常的な会話の中に重要なテーマを織り込んでいる。


 五感の描写について。

 視覚は、カーテンの裾から漏れる光の柱、新緑の木々、街路樹の影、車の様子、視界が揺らいで、 ぱあっと効果音がつきそうなほど晴れやかになる鶴谷の表情、ニキビひとつない頬、とろりとした光を放つまっすぐな目など。

 聴覚は、スマホの着信音、掃除機のモーター音、両親の出かける音、車の走る音、耳の奥がぽりぽりして、サクリ、とグリーンリーフが切れる音など。

 触覚は、涙が頬を伝う感触、体のだるさ初夏の風が肌を滑る感覚、背中の、ちょうど心臓の後ろあたりを優しくさする、軽く頷いて、頬を照れ臭そうに人差し指で掻いている

 嗅覚は、牛乳の独特な匂い、コーヒーの香り、新緑の匂い、少し香ばしい匂いが鼻を抜けなど。

 味覚は、牛乳の不快な味わい、トーストとコーヒーの朝食、ぬるいミルクティーをすする、サンドイッチの味の詳細な描写。

 五感の描写をさらに増やし、場面をより鮮明に描くと、より立体感がでてくる気がする。


 主人公はさまざまな弱みを抱えている。

 身体的には、朝起きられず、常に体がだるいという状態に悩まされている。精神的には、自己否定感が強く、自己肯定感が低いため、自分に自信を持てない。また、学校に行けないことへの罪悪感や、親に見られることを恐れる気持ちが彼女をさらに追い詰めている。

 対人関係においては、人とのコミュニケーションが苦手であり、人間関係に対して不安を抱えている。過去の経験から慎重になりすぎており、その結果、他人に対して過度に気を遣う傾向がある。自分の感情を適切に表現することが難しく、自己表現にも苦手意識を持っている。関係性の定義に不安を感じることもある。

 さらに、優先順位をつけるのが苦手であり、自己犠牲的な面も見られる。過去の喪失感や孤独感が彼女の心に影を落としており、これらの要因から、内面は非常に複雑である。このような弱みは、主人公の成長や変化の可能性を示されている。


 三話は鶴谷葵の、四話は斉藤恒誠の独白で語られる。交互に話が進むのがわかりやすい。

「鶴谷はこころと口の距離が遠いんやろうな」

 この話が興味深い。

「思ったことを口に出すまでっていくつか段階があると思ってて。見たり聞いたりした言葉を頭で処理する。こころの中であーなんかあれやなあって感じる。それでまた頭で合うまたは近い言葉を探す。言うべきか考える。そうしてようやく口に出す」

「鶴谷は多分、一つ一つの段階にしっかり時間をかけとるんじゃない?」

 それはそれでいいと思う。思ったことをすぐ口に出してしまう人よりは。


「それだけのことを繊細に受け止めたら辛くなるのは当然やって。休むのも辛いのは続けることをやめたくないからやろうし。でも休んで回復しなくちゃ、続けられない。だから諦めないための逃げは甘えじゃない」

「死にたいって思ってるのも悪いことって思っとるでしょ……俺にはHELPに聞こえる」

「もっとぶつかって来てよ。さっきみたいに、言いたいこと全部」

「ねえ鶴谷。鶴谷はひとりじゃないよ」

 彼は実にいいキャラである。

 こうやって、自分の弱みをぜんぶ話せる人がみじかにいることもまた、葵には救いだっただろう。


「了解。てか、平日云々は聞かんのや」

「……恒誠やって同じやんか。あと聞かれても答えちゃだめやろ」

 いい親である。普通の親や大人は聞いてしまう。

 聞くのは気にしているからであって、決して悪いわけではない。物事にはタイミングがある。少なくとも今ではない。こういう場面こそ、空気を読める人かどうかがわかるところだろう。


「え、ムーミンパパみたいな体型してない? 父さん」

「そこまで丸くないでしょ。というか、ムーミンじゃなくてパパまでつくのね」

「いちおうパパだから。腕とかは筋肉っぽいけど、歳で腹回りはぽよっとしてんの」

「家族だけが知ってる情報……」

 重い話の中で、笑えるところ。こういう場面は大事。


 サンドイッチが美味しそう。

 視覚、嗅覚、味覚が組み合わさって描かれているから臨場感がある。彼女が食事をしていた場面は前半でもあったけれども、美味しさを感じなかった。

 幼馴染と再会し、懐かしい場所で、自分のディープな話をして彼に励まされてから身体に栄養を取り込んでいく。

 だから匂いや味も感じられるのだ。

 描き分けができているところがいい。


 彼の場合、人間関係で調整役みたいな位置にいて、疲れてしまったのだ。疲れが抜けないまま高校に行き、新しい環境で画工生活をしていくストレスと、内容が難しく量も増える授業のストレスも加味されて、許容量をこえてしまったから学校を休むようになってしまったのだ。

 不運以外にも、環境が新しく変わるだけでもストレスとなる。


 小学生の話で「斉藤のことどう思ってるの?』って聞かれたことあったやろ?」に対して、「needだよ」と答えたことを伝手ると、「……俺の原点。欲しがるんじゃなくて必要だから求めることにした」

 ねだるのではなく勝ち取る、そんな考えや生き方を選んだのは、彼女に必要だと言われたことがきっかけ、と答えた。

 まさに告白以外の何者でもにだろう。

 しかも本人は、「なんか、告白みたいやね……じわじわ恥ずかしくなってきた」自覚がなかった。

 思わずでてしまう言葉は、まさしく本音だろう。

 この展開には、正直予想外で驚くのだけれども、これまでの彼の前向きな行動を思い出すと、この流れはそれほど突飛ではないのかもしれないと思えてくる。

 主人公と恒誠の過去の関係性について、もう少し詳しく触れていてもよかったかもしれない。


 二人の関係について、「いっそのこと、ラベリングしなくて良いんじゃない?」とする彼女の考えは、ラベリングされる側にいることで疲れてしまったからこその言葉だと思える。不登校で、起立性調節障害でと、呼び名が与えられると、たしかに不安から解消はされる。でもその不安は、当事者が抱くものではなく、周囲の人達が抱いているものなのだ。

 病名がわかれば治療法もみつかり、状況が好転してすくわれることもある。だからといって、なんでも決めつけていいという意味ではない。

 名前をつけないのも一つの選択。

 この考えも、いいなと思う。


 ラスト、帰宅途中に、彼との会話を思い出し、「また会うために、話すために、人生を続けてみても良いな、と思った。失くしても、またと出会えない人だと思う。久々に会ったのに、まるで卒業してからの四年がなかったかのように関係が続いていた」と、過去と現在を比較して褒めているところが良い。

 彼女は雑談をする、あるいは人と話したり、営業や対面せっきゃくをしたり、壇上で演説するなどにも長けている人だと思う。

 とにかく、相手に焦点を当てて、相手に話させることが上手い。

 しかも彼のことをどう思っているのか聞かれたとき、好きか嫌いかの相手の質問に第三の選択である「必要」と答えるなど、記憶に残る返事をしている。

「まあ死なない限り、またいつでも言える。好き以外のより近い言葉に出会えたらそれを言えばいい」なんて思っているけれども、そう遠くない内に、彼のほうが連絡が来るかもしれない。

 将来的には、接客業やコンサルタントなどの仕事に向いている気がする。


 同じように不登校であり、幼馴染の彼がいて、彼は彼で前に向かって進んでいて、側を歩いてくれる。やはり、一人じゃないと思えるだけで希望につながる。

 希望に満ちた気持ちで眠って終わるところも、よかった。良い夢をみて、明日はおはようと太陽に挨拶できるかもしれない。そんな予感を感じさせてくれる終わりだった。


 読後。

 ラビリンぐしなくても良い、と彼女はいっていたけれども、二人の状況をあえて名付けるならば、タイトルにある呼び名がピッタリかもしれないと感じた。二人の関係については、友達以上恋人未満だと思う。

 不登校生徒の日常を垣間見ることができる興味深い作品。学校生活の困難さや、人間関係の難しさ、自己成長の過程が丁寧に描かれていて、現代の若者の抱える問題を考えさせられながら、読者自身の経験と重ねて読むことができる。今を感じられるところが、なによりよかった。

 従来の恋愛や友情の枠に収まらない新しい形の絆を描いていて、なかなか質の高い作品といえる。

 



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