夢見骨
夢見骨
作者 うみつき
https://kakuyomu.jp/works/16818093082284798677
五十二歳で突然妻を失った主人公は深い悲しみに沈んでいる。妻の記憶を失うことを恐れ、妻の骨を飲み込み、夢の中で再会を試みる。初めて出会った頃の妻と再会し、過去の思い出が蘇る。水族館や結婚式のアルバムを通じて、妻を感じながら喪失感に苦しみ、夢の中で妻に「そばにいたい」と願う。主人公は死亡し、体内から妻の骨が発見される。死後の世界で再会した二人は永遠の愛を確かめ合う話。
現代ファンタジー。
ホラー要素あり。
私小説。
愛と喪失、記憶の儚さを描いた感動的な作品。
独創的な設定と心理描写が印象的。主人公の妻をなくした悲しみと愛情が上手く表現されており、感情を揺さぶってくる。
喪失したものの心を、赤裸々に描いているだろう。大切な人をなくしたことがある人の心に、なにかしら刺さると考える。
主人公は、妻をなくした夫。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。ラストは三人称、神視点の文体がある。大部分は主人公のモノローグである。
一応ホラーではある。ホラーは怖いミステリーであり、ラストは主人公が死ぬか生きるか。本作は前者。とはいえ、怖いわけではない。主人公にとってはハッピーエンドだろう。
男性神話の中心軌道に準じていると思われる。
春先の暖かな日、五十二歳で妻は亡くなり、主人公は、彼女との思い出に苦しむ。再会を願い、骨壷を抱きしめる日々が続く。
第一夜、主人公は妻の記憶を失うことを恐れ、妻の骨を飲み込むことで夢の中で再会しようとする。実際に骨を飲んだ後、夢の中で初めて出会った頃の妻と再会し、強い感情に襲われる。
第二夜、主人公は夢の中で亡くなった妻と再会し、過去の思い出を振り返る。二人が出会った日や朝の散歩を回想し、水族館を訪れる場面では、妻が好きだったイルカとの触れ合いを通じて、彼女への愛情が蘇る。
第三夜、主人公は水族館でイルカと対面し、妻との思い出を思い起こす。水族館での出来事から引っ越し直後の記憶が蘇り、妻への深い愛情と彼女の情熱を再認識する。
第四夜、主人公は亡くなった妻の思い出のCDを聴きながら彼女との思い出に浸る。しかし、自分が彼女を忘れてしまうことへの苦悩が募る。意識を失った後、初めてライブに行った日の記憶の中で目覚め、二人で帰宅する様子が描かれる。
第五夜、壁にかけてあるラバーバンドを見つめながら、主人公は妻との思い出に耽る。バンドのライブや結婚式の日々が蘇る一方で、現在の喪失感と記憶を忘れてしまう恐怖に苛まれる。結婚式の場面では妻との再会が果たされるが、それが現実なのか幻想なのかは不明確である。
第六夜、主人公は結婚式のアルバムを見ながら回想し、深い愛情と喪失感に浸る。夢の中で妻と再会する。
第七夜 夢の中で真っ白な世界にいることに気づいた主人公は妻との絆を確かめる。「そばにいたい」と強く抱きしめ、妻から「本当に何でもできますか」と問いかけられる。この対話によって二人の愛が深まる。
ある男性が死亡し、七週間前に亡くなった妻の骨を飲み込んでいたことが判明。その後、死後の世界で夫婦が再会し、愛を確かめ合う。
・序
五十二歳で亡くなった妻を失った主人公の悲しみと喪失感。春先の暖かな日に妻が突然亡くなり、主人公は妻との思い出や二度と会えない現実に苦しんでいる。妻との再会を願いながら、骨壷を抱きしめる。
・第一夜
最愛の妻を亡くした主人公が、妻の記憶を失うことを恐れ、妻の骨を飲み込むことで夢の中で再会しようと試みる。実際に骨を飲んだ後、夢の中で初めて出会った頃の妻と再会し、強い感情に襲われる。
・第二夜
主人公は夢の中で亡くなった妻と再会し、過去の思い出を振り返る。妻との出会いや日課だった朝の散歩を回想した後、再び夢の中で妻と水族館を訪れる。そこでイルカとの触れ合いを通じて、妻の好きだったものを思い出す。主人公とイルカが妻を巡って軽く対立する。
・第三夜
主人公の男性が亡くなった妻を思い出し、水族館を訪れる。妻がイルカ好きだったことや、二人の思い出が回想される。水族館でイルカと対面し、妻の不在を感じる。場面が変わり、二人の引っ越し直後の記憶が蘇る。妻の本への情熱を再認識し、愛おしさを感じる
・第四夜
主人公が亡くなった妻の思い出のCDを探し出し、聴き始める。妻との思い出を振り返りながら、彼女を忘れていく自分に苦悩する。妻の遺灰を飲み込み、意識を失う。その後、妻と初めてライブに行った日の記憶の中で目覚め、二人で帰宅する様子が描かれる。
・第五夜
主人公は壁にかけてあるラバーバンドを見て、妻との思い出を振り返るする。。バンドのライブに行った思い出、一緒に音楽を聴いた日々、結婚式の様子。しかし、現在は妻を失っており、その喪失感と記憶を忘れていく恐怖に苛まれている。最後に結婚式の場面が再現され、妻との再会を果たすが、それが現実なのか幻想なのかは不明確。
・第六夜
主人公が亡くなった妻を思い出し、結婚式のアルバムを見ながら回想する。妻への深い愛情と喪失感が描かれ、妻の骨を飲む習慣が明かされる。夢の中で妻と再会。
・第七夜
夢の中で妻と再会し、真っ白な世界にいることに気づく。妻の肩に頭を預け、彼女が記憶の中の存在ではなく、本物であると確信する。彼は彼女を失いたくない「そばにいたい、いてほしいんだ。なんでもするから」と強く抱きしめる。数十分の沈黙の後、妻は「本当に何でもできますか」と問いかけ、手を繋ぐことで二人の絆を深める。彼らは互いに愛を確認し合った瞬間が人生最後の記憶となる。
・終
ある男性が突然死亡し、その体内から妻の骨が発見される。七週間前に亡くなった妻の骨を飲み込んでいたことが判明。その後場面が切り替わり、死後の世界で夫婦が再会し、愛を確かめ合う。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場状況の説明、はじまり
春先の暖かな日、五十二歳で突然妻を失った主人公は、妻との思い出や二度と会えない現実に苦しんでいる。
二場 目的の説明
主人公は妻の記憶を失うことを恐れ、妻の骨を飲み込むことで夢の中で再会しようと決意する。
二幕三場 最初の課題
主人公は実際に妻の骨を飲み、夢の中で初めて出会った頃の妻と再会する。強い感情に襲われながら、過去の思い出を振り返る。
四場 重い課題
夢の中で妻との日常を振り返り、水族館を訪れることに。イルカとの触れ合いを通じて、妻が好きだったものを思い出すが、イルカとの軽い対立が生じる。
五場 状況の再整備、転換点
主人公は現実世界で水族館を訪れ、妻の不在を強く感じる。同時に、引っ越し直後の記憶が蘇り、妻の本への情熱を再認識し、愛おしさを感じる。
六場 最大の課題
主人公は妻との思い出のCDを聴き、彼女との思い出と向き合う中で、意識を失い、初めてライブに行った日の記憶に目覚める。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
主人公は結婚式のアルバムを見ながら回想する主人公は、夢の中で妻と再会。真っ白な世界で彼女に抱きつき、「そばにいたい」と強く願う。妻は「本当に何でもできますか」と問いかけ、絆が深まる。
八場 結末、エピローグ
主人公が突然死亡し、その体内から妻の骨が発見される。七週間前に亡くなった妻の骨を飲み続けていたことが判明。死後の世界で夫婦が再会し、永遠の愛を確かめ合う。
妻の骨の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
本作は、主人公のモノローグと夢で語られていく私小説。
なので、文章の塊が続いていく。それでも読みやすいのは一文が短いから。このあたりに、作者の文章の上手さと、読者を意識した書き方をしていることを感じさせられる。
遠景で「妻が死んだ」と示し、近景で「享年五十二歳」と説明。私情で「天晴れの、寒さが少し和らいだ、春先の中のことであった」と語る。
どんな日和だったのか、どのように亡くなり、どんな気持ちに襲われていったのかが赤裸々に書かれている。
「冬の終わりにしては憎いほどの、暖かさ、そして晴れ模様。それはまるであなたの瞳のようだった」
まるで妻に見守られているような、暖かさ、安心を主人公は抱いていると感じる。
その理由は、「嫌な予感がした明け方、無理矢理にあなたの瞼を開いた。あなたは笑った、大丈夫よ、と。そしてそのまま、二度と動かなくなった」から来ていると考える。
主人公が、まぶたを開いたのだろう。
「本当に二度とだ。あの暖かな春のような瞳を見ることは、一生叶わない。この先、一生。あの声を聞くことも、柔らかな肌に触れることも、暖かな、瞳を見ることも、二度とない」
くり返し、くり返し、強調している。
妻の瞳を形容したいたものに、主人公は妻の面影を探しているのだ。
この書き方が、この先の展開である、妻を求めていく行動へとつながっていくのだ。実にいい書き出しである。
最愛の妻をなくした主人公、悲しみにくれており、可愛そうだなと感じ、共感を抱く。
主人公の動きを示すよりも、心情を描くことに重きをおいている書き方なので、「苦しい、哀しい、あんなに愛していたのに、なぜ。なぜこんな目に合わねばならない。この世界で愛おしいのは、あなただけであったのに」形容詞で飾ることが多い。
とはいえ、前半で妻が亡くなったことを説明し、後半で主人公の心痛なる感想を添えた書き方がされているので、読者にも胸に迫るものがあるのだ。
現在の心情と過去回想の切り替えをわかりやすくすると、読みやすくなるかもしれない。
「あの狭い壺の中にいるあなたではなく、あの頃のように笑う、あなたを。隣で笑っていられた、あの日に巻戻ってくれはしないかと。せめて追体験はできないのかと。叶う由もない願いを囲いこむように、一人虚しく、部屋の隅で丸まって、小さくなったあなたを抱きしめていた」情景が目に浮かぶ。
本当に主人公は、妻を愛していたのだろう。
「あなたの骨を呑んでしまえば、あなたの夢が見れるのではないだろうか」
この発想はどこから来たのかしらん。
「最愛の人が旅立って六週間が経った頃。それは突然だった。何度挑んでも解けなかったはずの数学の問題が、急に解けたような、そんな気分であった」
この比喩はわかりやすい。ターゲットの読者層が十代の若者だと意識しての比喩であろう。読者にもわかる表現を選んでいる。
「あなたを愛している俺が、許せないのだ。愛しかったあなたを、忘れてゆくなど、そんな残酷なこと。あってはならないはずなのだ。あの生活を忘れてゆけば、俺が俺でなくなるような、そんなような気がしてならない」
何かしら出来事が起きたとき、自身の心を傷つけたくなくて、人は他人に当たり、貶す。でも死に関しては、事故や殺人、医療ミスなど他人の関与がなければ、他人を貶すことはできず、責めるべきは自分しかなくなる。また、主人公は心優しい人なのだろう。責めを谷にゃ周囲ではなく自分に向けるような生き方をしてきたのかもしれない。
だから内罰的な考えをし、行動に走るのだ。
長い文は十行以上続くところもある。句読点を用いた一文は長すぎることはない。点のない一文は重々しさ、落ち着き、説明、弱さを表している。短く切れ味のある文章と、長めの文章を織り交ぜたリズミカルな文体。省略された表現を用いて、感情の高ぶりを表現している。
文語体と口語体が混在し、前半は客観的な描写が中心。後半は一人称視点に切り替わり、より主観的で感情的表現が増えていく。短い文章を重ねることで、リズム感のある文体を作り出している。ユーモアを含んだ軽い口調で語られる部分もある。
文体は詩的で感情豊かであり、内面的な思考や感情が詳細に描写されている。比喩や象徴が多用され、特に妻への愛情や喪失感が強調されている。また、第一人称視点で主人公の心情が直接伝わるため、深い共感を覚える。「真っ白な世界」や「浮遊感」などの描写は印象的。対話形式が多く、キャラクター間の感情的な交流が強調されている。
現在と過去回想を行き来する時間の流れや、 現実と夢の境界を曖昧にする描写、イルカの鳴き声を擬音語で表現したり、音楽や結婚式などの具体的なモチーフを通じて心情を表現されているのが特徴。
深い感情描写と豊かな比喩表現によって、愛と喪失というテーマを力強く描いている。特に、主人公の内面的な葛藤や妻への思い、絆が丁寧に表現されており、感情に引き込まれる。また、夢と現実が交錯する設定が独特であり、幻想的な雰囲気を醸し出している。
イルカとの触れ合いの場面が生き生きと描かれ、イルカと主人公のコミュニケーションが独特。過去と現在の場面転換がスムーズで、現実と夢、幻想の境界を曖昧にすることで、主人公の心理状態を効果的に表現しているのもよかった。
音楽を通じて思い出を呼び起こし、夫婦の絆の描写が丁寧で感動する。結婚式の場面の再現は幻想的。
不可解な状況設定から読者の興味を引き付ける展開があり、死後の世界という非現実的な設定を用いた独創的なストーリーに、
愛情表現の繊細さと温かみのある描写が本作のウリだろう。
五感の描写について。
視覚は、春先の中、晴れ模様、あなたの瞳、骨を光に透かす描写、喫茶店の風景、妻の笑顔、イルカの姿、水族館の青い世界、 CDの背表紙、プレイヤーに吸い込まれるCD、 ラバーバンドの色、妻のドレス姿、妻の美しい姿やドレスの描写、目の前に妻がいる、幸せそうに笑っていたなど。
触覚は、冷たくなるその身体をかき抱いていた感触、骨を呑み込む感覚、妻を抱きしめる温かさ、妻に手を握られる感覚、妻を抱きしめる感触、CDケースを触る感覚、妻と手をつなぐ感覚、ラバーバンドの伸縮性、妻との肌の触れ合い、 妻の柔らかい頬や華奢な体、真っ白な世界、妻の晩年の姿、妻の肩に頭を預ける感触、手を繋ぐ温もり、手を握り合っている、温かい体温を持つ体をぎゅうぎゅうに抱きしめたなど。
聴覚は、あの声を聞くこと(二度とできないという文脈で)、妻の声の描写、水の音、イルカの鳴き声、ダンボールを開ける音、ロックバンドの音楽、ギターの音、歌声、 CDの音楽、結婚式の金属音、 妻との会話や日常生活の音(夕飯の準備など)、「ねぇ」と呼びかける声、声をだしてケラケラと笑ってなど。
嗅覚は、夕飯から漂う良い匂い。
味覚は、骨を口に含む行為が象徴的に描かれる。
主人公の弱みは、妻への強い依存心、現実を受け入れることの困難さ、喪失感に圧倒されている状態がある。
妻を失ったことで深い孤独感と喪失感を抱え、過去の純粋さや無邪気さが影響し、現実との対峙が困難になっている。妻の死を受け入れられず、記憶を失うことへの強い恐怖から現実逃避的な行動をとってしまう。
妻を失うことへの恐れと依存心が強いあまり、自分自身で立ち直れない弱さを抱えており、自身の感情に流されやすく、理性的な判断ができない場面も見受けられる。結果、喪失感から抜け出せず、妻を失った悲しみや孤独感に耐えられず、極端な行動に走ってしまう点が弱みとして挙げられる。
「骨かみなんて風習だってあるのだから、可能性は低くないであろう。それに四十九日を過ぎれば、あなたはもう俺の手元から離れていってしまう」
納骨されれば、ますます妻の存在が薄くなる。
その前になんとかしなければと働き、意識が骨に向けられて、口にすればまた会えるのではと思い至ったのだ。
いわゆる、タイムリミットに迫られて、なんとかしなければと考えあぐねてひらめいた答えだったのだ。
骨を飲む行為の倫理的な問題についても触れてもいい気もする。
「思い立ったが吉日、骨壷からあなたをいそいそと取り出して机に並べる。ちょうど今から床につくところであったし、やってみればいい。成功したところを想像して、へなりと頬が緩む」
なんだか楽しそう。
「あなたに会えたら、一体何をしよう。まずは、伝え残した愛を伝えたい。そのあとは、この腕で抱きしめたい。会話をしたい。瞳を合わせたい。やり残したこと、全てを」
「同じ時間に起き、同じ食卓で食事を摂り、隣で眠って。その生活に、言葉は介在していなかった。ただ、側にいて、寄り添って、それだけが俺達の愛情表現だった。偶に手を握ったりはしていたが、本当に、ただそれだけで。いつのまにやら、話すことすらできずに手遅れになってしまっていて」
素朴に思うのだけれども、妻はそんな夫をどう思っていたのかしらん。いつも寄り添っていて、気持ち悪いとは思ったことがないのだろうか。
二人には子供はいないのだろうか。
仕事はなにをしているのかしらん。
妻の人物像や主人公の背景、二人の関係性についてもう少し情報があると、物語に厚みが出るのではと考える。どんな仕事をしているかとか、家族構成とか。
夢の場面の描写がいい。夢だと思いつつも、はじめて出会った喫茶店でのやりとり。カギカッコを使わずに会話を描く。夢の中、主人公の心情と記憶、それらが混ざっている感じがよく現れている。
目覚めた後、見た夢の説明のように、妻との出会いが語られる。
「結論から言うと、友人の言葉通り、俺はひと目見て惚れ込んでしまった。こちらを見つけて頬を染め、にこりと笑ったその顔に、耐えられるはずなど無いであろう。この世の美しいものすべてをかき集めてきて、職人の技のように美しく、なんの過不足もなく形作られたステンドグラスのような、その存在。つまらない言葉にはなってしまうが、それが俺にとっての『世界が色付いた瞬間』であった。本当に美しかった。この世で一番愛らしく、美しい、女神のような佇まいに見えて仕方がなかった」
やたらと美しいが連呼されている。
どう美しいのかは比喩などを用いて描かれているけれども、美しい以外に美を表現される工夫を、と考えてしまう。
主人公の心情、モノローグだからではあるものの、全体的に本作は形容詞のデコレーションが多い。
亡くなった後、死んだ人が夢に出て会えることを楽しみにする気持ちはよくわかる。主人公に限らず、もう一度会いたいと思っている人が夢に出てきたら嬉しいものだ。死別に限らず、今生の別れのように、卒業や転校をして離れた人でも、また会いたいと夢に見た経験は誰もがあるだろう。
夢で妻に会えて気分が良くなる主人公に、読者は共感するに違いない。
妻と水族館に行った夢を見る。
「お前は一体どこの骨だ、と言われているようで、妙に張り合いの気が起きる」
骨を飲んでみている夢だから、骨つながりである。
ここの表現は面白い。
夢を見たから、水族館に行く主人公。
「妻がイルカが好きだったことを思い出して、ふと、行きたくなった。きっと妻がいないとイルカたちは寄ってきてくれないであろうが、まぁ、それが目的ではない。ただ、記憶に浸れればいいのだ。あなたとの、想い出に」
在りし日をなぞるような行動は、悲しみを募らせることもあるが、同時に慰めにもなる。
「彼女の好きの程度感を思い知ったのは、さぁ、同じ場所で暮らそうと、荷物を運び込んで荷解きをしたときだった。彼女の名前が入ったダンボールの中には、イルカを含め鯨類の関連書籍がどっさりと。それはもう、すごい量であった」
「何を言っても正解と一緒にその事柄に関係する研究資料や本が返ってくる。勝ち負けなどないはずであるが、こちらが疲弊しきって白旗を上げるのが常だった。そしてあなたは、流石に、専門分野で負けるわけには行きませんからね。と普段とは違う鼻息を荒げた得意げな顔で言う」
妻はイルカの研究をしている人だったのかしらん。
ぴゅう
なんだい。
きゅう
もういないんだよ、ごめんな。
ぴゅうぴゅう
あぁ、そうだな。
ぴゅい
あんたも悲しいか、そうか。
なぁ。
ぴゅう
あの人は幸せだったのだろうか。
主人公とイルカが会話をしている。妻が亡くなったことにいるかも悲しんでいるらしい。このやり取りの表現は面白く、実に切ない。
「表紙を見ると、それは、分厚い学術書たちだった。それも随分使い古された様子の。これは、と尋ねる前に妻が口を開く。これまでの人生で読んできた本たちですよ、と。思わず、言葉に詰まった」
妻は書籍が好きだったのかもしれない。
「俺があなたを忘れて生きていけば、あなたは必要なかったということになりかねないような気がして仕方がなかった。俺自身が、あなたへの愛を、否定しているような、そんな気分であった」
比喩に、主人公は数学を用いていたことを思い出す。
数学の教師かもしれないし、論理的に証明する考えを持ち合わせていて、自身の生き方にも当てはめる考えをしているのかもしれない。
そんな考えが根底にあるのだろうか。
逆説的な表現でもある。
愛しているから否定しない、ゆえに忘れてなど生きていけないのだと頑なに信じている。
強い信念こそ、彼を縛り、苦しめているように第三者からは見えるのだが、本人にとってはその道しかないとすがる思いなのだろう。
「葬式のときも、涙ひと粒でないまま、気がつけばここまで日が進んでいる。俺は、本当に、あなたを、あいして、いた、のか。その感覚は日を追うごとに濃くなってゆく。俺はあなたともっといたかった。逝くなら、せめて連れて行ってほしかった。俺はあなたのことを、忘れたくなど、ないのに」
葬式のとき、誰しもなく訳では無い。
あまりの強い衝撃、信じられないほどの悲しみの大きさに泣けないことはよくある。
外国では昔、泣き女という人がいて、泣けない人の代わりにないてくれる役の人が葬儀に付き添っていたという。
葬儀は儀式である。儀式とは、一つのことに大勢が参加することに意味がある。泣ける場所だから大いに泣けばいい。そこで泣けなかったからといって、恥も咎めもないのだが、重荷に感じてしまう人もいる。主人公がまさにそうなのだ。
夢で見たCDを探す。「妻と初めて行ったライブの日に買った物。何度も二人で寄り添って聴いた、懐かしい思い出の詰まった一枚」
「誰かがいなくなった生活を歌う歌。いなくなった誰かを探し回る歌詞。突き刺さるギターの音。痛々しい、叫ぶよう歌声。さよならだけでは足りないと、もう一度でいいから会いたいと、ただ純粋に願うように聴こえるその音たちは、あの頃より、アイロニーの色と苦痛が肥大化しているように思えた。俺を取り巻く境遇が変わったからだろうか」
まるで、いまの主人公の心境のような曲である。
「あの頃は、あなたがいた。側に、最愛の人がいた。無情にも、永遠の別れを告げられることになるなんて、これっぽっちも考えていなかった」
懐かしの曲、いなくなった人を探す曲。それらが主人公の悲しみを癒やすどころか逆撫でていく。
傷心したとき、悲しみの深度に合わせた悲しい曲を聞くことで、癒しにつながることがある。主人公が段ボールから出してきた思い出の曲は、いまの傷心の深さでは、塩を塗りたぐるようなきついものだったのだろう。
「わすれたく、ない。おれの、なかから、きえて、くれるな。たのむから。ゆっくりと意識が滲む。久しぶりに外に出たからだろうか、予想以上に体は疲れているらしい。あぁ、ほねは、のまねば。たとえゆめのなかであっても、あえないのは、こまる」
漢字を開いて、ひらがなが増えていく。精神的な不安、こわばっていたものがほぐれていくような、なにかが壊れていく印象を与えている。
また、ひらがなにすることで、思考が低迷して幼稚化、弱さ、甘えといった感情を表現していると想像する。
「あの、さよならだけじゃ足りない、のやつが好きです。音が、すごく、刺さるような気がして、苦しくなるんですけど、でも、その感覚がすごく、言葉に言い表せないほど、好きです、なんて長ったらしいものが返ってきて、この人は楽しかったのだな、と思う」
夢の中で、妻にどの曲が好きだった尋ねたときの返答。
主人公も好きだと答えるこの曲は、今後の展開を示しているのだろう。妻とのさよならだけでは足らない。だからどうするのか。
どんな曲なのだろう。ヨルシカの『夕凪、某、花惑い』ではないはず。なんだろう。
妻とよくライブに行ったという。CDを貸したり、一緒に聞いたり。
その人が好きな音楽を知ることは、その人の中に流れている音楽を知ることである。付き合っているとき、妻は主人公のことを知ろうとしていたのだ。音楽を聞くことで、間接的に心に触れるのだ。
「流石に結婚してからは落ち着いていたが、それでも、二人でコンポの前に座って、よく聴いていたものだ。別れの歌ばかりであったはずだったが、俺達はそういうものを好んで選んでいた。別れを知らないはずの、俺達が、だ」
妻は別れの曲だから、聞いていたのではないだろう。
主人公の心に触れたくて聞いていたのかもしれない。
よく聞いていたということは、妻も夫である主人公を愛していたのだろう。
「あの頃の結婚式といえば、和風が主流であったが、妻がどうしてもドレスが着たいと言うので、なんの躊躇いもなく了承したのだ」
妻が亡くなったのが五十二歳。いつ結婚したのかまでは、作中からはわからないが、二十代だと考えると、およそ三十年前に結婚したことになる。地域差はあるかもしれないが、当時からすでにお色直しがあったので、和装で神前結婚した後、ドレスでケーキ入刀も行っていた。
ここではそういう意味ではなく、教会で式をあげることをいいたいのかもしれない。
一九九〇年代初頭までは神前式が主流で、それに伴い和装も多く見られたが、この時期を境にウエディングドレスが急速に普及したという。
一九八一年のチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚が、日本でウエディングドレスが大流行するきっかけとなり、高度経済成長を経て、西洋的な生活様式や価値観が広く受け入れられるようになった。
そもそも一九六〇年代後半から、ウエディングドレスデザイナーが登場し、ドレスの選択肢が増えており、バブル崩壊後はシンプルなデザインが流行、胸元のデザインが大きく変化し、オフショルダーなど襟ぐりの大きく開いたドレスが人気となっている。
かといって、和装は完全に廃れたわけではなく、親族や年配の参列者を中心に黒留袖や色留袖などの和装も見られた。しかし、新婦の衣装としては、ウエディングドレスが主流となっていた。
和装が結婚式の主流だったのは、おおよそ一九七〇年代後半から一九八〇年代前半頃までといえる。もちろん、地域差もあるので断定できないが、一九八〇年代を境に和装から洋装へと主流が移行した模様。
そう考えると、二人が結婚したのは一九八〇年代となる。
そうすると十年くらいズレている気がする。
「ヴェールを上げて、顔を近づけた。柔らかい感触と、温かい感覚に、ぽたりと雫が落ちる。こんなこと、もう二度とないと思っていた。こうしてあなたに触れることなど、もうできないと思っていた。嬉しくて仕方がなくて、微かに緊張で震えている手を取る。ぎゅう、と握れば、ぴくり、手が跳ねる。すりすりと指の腹で撫でて遊んでいたら、握った力よりも強く、握り返されてしまった。広角が緩む。お互いに、ふ、と息を吐き出すように笑う。角度を変えてもう一度。押し付けておでこをこつりと当てる。その感覚に浸っていると、不意に、妻の手が俺の手から離れた。追うように手を伸ばせば、とん、と胸を押されて唇ごと離される。何だ、嫌だったのか、と顔を見れば、周りを見ろと、目で訴えられる。妙な違和感のある空気感に客席側を見れば、皆、苦笑いをしている。あぁ、すみません、そう心の中で思いながら向き直れば、また後にしましょうね、と微妙な笑顔で囁かれた」
ここの描写がいい。主人公の動きを示しては、感情をソエルをくり返して、深く情景を描いている。視覚触覚聴覚に感情を組み合わせて、臨場感が出ている。
夢の中だからだろう、嗅覚や味覚はない。
夢を見ては、記憶を懐かしむように品々を引っ張り出して思い出に浸る主人公。妻の愛おしさをと懐かしさをつのらせ、寂しさからまた骨を口にして眠りにつく。
薬物の常習犯のようなのめり込み様である。
夢の中で妻を抱きしめ、
なあ。
はい。
愛しているよ。
私もですよ。
俺は、あなたがたまらなく愛しいんだ。
ええ、よく知っていますとも。
ただから、俺のそばに、いてくれよ。
もちろんですよ。ずっとそばにいます。
本当か。
本当ですよ。
頼んだよ、本当に、お願いだから。
これは生前も行われていたのだろうか。主人公と妻との過去についての具体的なエピソードが挿入されているといいかもしれない。主人公側からみた妻像が語られているだけで、実際はどうなのかが、読者からはわからないので。
これまでは夢のあとで現実に戻るが、第七夜では夢の中からはじまっている。
「ねぇ、ねぇ、起きてくださいよ、せっかく本当に会えたんですから。そんな声に意識が浮上してきて、瞼を開ける。そこは、これまでの夢とは違う、真っ白な世界だけが続く、場所であった。誰かの肩に、頭を預けていることに気づく。はっとして横を見ると、そこには妻がいた。俺が一番見慣れた、晩年の姿であった」
夢とは違い、真っ白な世界とある。
しかも「せっかく本当に会えたんですから」とあるので、夢ではないのだ。だからといって現実でもない。
ずっと一緒にいてくれると言ったじゃないか、いなくならないでくれよ。
ごめんなさい、どうしようもなくって。
嫌だ、頼むよ。そばにいたい、いてほしいんだ。なんでもするから。
人の生死は本人の意志ではどうしようもない。
本当に、何でも、できますか。
本当だよ、ずっと一緒にいれるのなら、なんだってする。
そうですか。
ああ。
じゃあ、ひとつだけ方法があります。
あるのか、本当か、一緒にいれるのか、
ええ、ただ、あまりいい方法では、
いい、何でもいいから、あなたといられるのなら、なんでも。
わかりました。
あまりいい方法ではない、という。
「これが、俺の人生で最後の、この世での記憶であった」とあり、次では、「一人の男が、ある日突然死んだという」「事件を疑われていた、が。おかしなことに、その体には何かしらの痣や跡もなく、顔も穏やかで、殺されたような形跡はどこにもないのだそう」「遺体を解剖してみると、その体の中から、その人とは違う、骨が出てきたそうな」
主人公のことだろう。
「直接的な死因は、その骨が、喉に詰まって窒息死、だそうで」
死に際に見た夢で妻と出会い、主人公の願いを叶えてつれていったのだ。
「あなた、本当にやり過ぎなんですよ、あんなことをされたら一人で逝く事なんてできやしないに決まっているではないですか」
骨を飲み込んでいたことをいっているおかしらん。妻の視点からの描写があると、もう少し物語に奥行きが生まれるのではと考える。
「妻はもとからそれに気づいていたのか、声をだしてケラケラと笑って、まぁ、いいですよ、なんて言う」
「これでずっと一緒だな、囁いて、ですね、もう逃げられなくなってしまいました。とふざけたように言われる。そりゃあ、もう逃がす気なんてないさ。言葉とは裏腹に、にんまりとしたその顔に、俺も思わず笑ってしまう」
ホラーなら、にんまり笑って恐怖を感じるかもしれない。だが主人公は妻と一緒にいることを望んでの結果なので、笑い返せる。
最愛の妻との邂逅。主人公にとっては、幸せな結末を迎えたのだ。
読後。妻に先立たれた夫は長生きできないと聞いたことがある。逆はそうでもないのだけれど。本作は、そんな夫を主人公にした、愛と喪失をうまく描かれた作品だと感じた。
もちろん、大切な人を亡くした喪失と切ない愛を、夢と幻想で描かれたところには、読む人の胸を締め付け、心に響くだろう。
愛する人をなくしたことで後追い自殺する人の気持ちの一端をうかがい知ることができる、そんな作品でもあった。
ただ、主人公側から見た妻の姿が描かれているので、夢や妄想の範疇を超えない。夢に生き夢のまま死んだとも取れる。妻の姿は主人公の幻想に過ぎなかったかもしれない。
それでも当人は幸せなのだから、それでいいのかもしれない。
現実と死後の世界を上手く結びつけた心温まる作品だ。
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