ひゃっこいラムネと腕相撲
ひゃっこいラムネと腕相撲
作者 楠 夏目
https://kakuyomu.jp/works/16818093082705787778
夏の炎天下、高校生の主人公が祖母の駄菓子屋『クスノキ』を手伝う。ラムネを冷やし、アイスを求める子供たちに対応する中、小学生の元気くんが腕相撲を挑んでくる。主人公は躊躇しつつも受け入れ勝利。しかし、元気くんは諦めず毎日挑戦を続け十四連敗。十五回目の勝負で主人公が意図的に負けると、元気くんは見抜いて怒って去っていく。後悔した主人公は祖母の助言を受け、彼を探して謝罪。二人は和解し、再び公平な腕相撲を楽しむ約束をする。主人公が駄菓子屋で元気くんを新たな気持ちで迎える話。
文章の書き出しはひとマス下げるは気にしない。
現代ドラマ。
夏の情景描写が秀逸。
駄菓子屋の雰囲気もよく、作品世界に引き込まれる。
構成がしっかりしていて読みやすい。
キャラクターに魅力があり、心理描写や日常の一場面を丁寧に描かれていて、共感しやすい。
読者層を小中学生をメインにした十代の若者に向けた作品かしらん。
三人称、男子高校一年生視点、元気くん視点、神視点で書かれた文体。
それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプとメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
夏の暑い日、高校生の主人公が祖母の駄菓子屋「クスノキ」を手伝っている。ラムネを冷やし、客の対応をする中で、小学生たちが訪れてアイスを買っていきます。昼頃、祖母が休憩を勧めるが、新しい客が来たため主人公は再び店に戻る。
駄菓子屋に、腕相撲で友達に勝った小学生の男の子、元気くんが来店する。元気くんは主人公に腕相撲を挑んでくる。主人公は最初は躊躇するが、最終的に受け入れる。予想通り主人公が勝つが、元気くんは落胆せず、むしろ刺激を受けて翌日も挑戦に来る。
祖母の駄菓子屋で働いている主人公に、小学生の元気くんが毎日腕相撲の勝負を挑んでくるが、十四連敗している。十五回目の勝負で主人公が意図的に負けるが、元気くんはそれを見抜き、怒って去っていく。
常連の元気くんとの腕相撲で手加減をしてしまい後悔する。祖母の助言を受け、主人公は元気くんを探しに行き、公園で謝罪。二人は和解し、再び腕相撲を楽しむ約束をする。主人公が再び駄菓子屋で元気くんを迎える。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場 はじまり
ラムネを冷やし、小学生たちにアイスを売るなど、忙しく店番をこなす。昼頃、祖母が休憩を勧めるが、新しい客の来店で少年は再び店に戻る。
二場 目的の説明
腕相撲で友達に勝った小学生の男の子、元気くんが来店。元気くんは少年に腕相撲を挑んでくる。少年は最初躊躇するが、最終的に受け入れる。予想通り少年が勝つが、元気くんは落胆せず、むしろ刺激を受けて翌日も挑戦に来ることを約束する。
二幕三場 最初の課題
元気くんは毎日駄菓子屋を訪れ、少年に腕相撲の勝負を挑む。しかし、十四連敗を喫す。
四場 重い課題
十五回目の勝負で、少年は元気くんの気持ちを考え、意図的に負けようとする。
五場 状況の再整備、転換点
元気くんはその手加減を見抜き、怒って店を去っていく。
六場 最大の課題
少年は自分の行動を後悔し、どうすべきか悩み、祖母からアドバイスを受け、元気くんと向き合う決意をする。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
少年は元気くんを探しに行き、公園で彼を見つける。そこで謝罪し、自分の気持ちを正直に伝える。元気くんも少年の誠意を受け止め、二人は和解。
八場 結末、エピローグ
和解した二人は、再び腕相撲を楽しむ約束をする。少年は新たな気持ちで駄菓子屋に戻り、元気くんを迎える準備をする。この経験を通じて、少年は相手の気持ちを尊重することの大切さを学ぶ。
駄菓子屋『クスノキ』の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
遠景で「氷をたっぷり入れた桶に、ひゃっこい冷水をそうっと注ぐ」と示し、近景で「桶はからん、と音を響かせながら、あっという間に冷たく満ちた。祖母は湧き上がる汗をハンカチで拭うと、木の椅子に腰を据えたまま、夏の青空を見上げていた」と説明。心情で「燦々と地を照らす太陽が、駄菓子屋『クスノキ』の看板を焦がす。茹だるような夏の暑さは、いっさいの隙もなく熱を放ち続けていた」と語る。
夏の情景、季節や時刻、天気、登場人物の様子、場所など、必要な情報をコンパクトに読み手に伝えている。
夏の暑い中、なにやら仕事をしているらしい。
それも祖母とあり、暑い中の重労働はきついと思い、可愛そうだと共感を抱く。
気になるのは、「ひゃっこい」である。
方言だ。しかも本作は三人称なので、削ってもいいかもしれない。冷水でも意味が通じる。
この冷水はどこから持ってきたのだろう。
夏の暑い日だと、水道水でもぬるくなる。だから氷を使って冷やすのではと考える。井戸水から組んだ冷たい水かもしれない。
方言を使ったのは、物語の世界を田舎と暗示させたいのかもしれない。使うなら会話文、もしくは一人称で。
「桶を満たすひゃっこい氷水」も違和感がある。
「ばあちゃん、店番なら俺がやるよ」
主人公と思える少年が声を掛ける。
「駄菓子屋『クスノキ』の店の中から現れた少年は、手にラムネ瓶の箱を抱え、祖母を見つめて呟いた。『ラムネ、それで冷やせばいいんでしょ』」どうせならば、水を汲んで桶に入れる前に祖母に声をかけて、手伝ってあげて欲しい。
主人公の背景や内面をもう少し掘り下げてもいいのでは、と考える。祖母の手伝いをなぜしているのか。主人公にも勉強や部活はあるだろう。自主的に手伝いをしに来ているのかしらん。
「現れたのは、虫取り網と虫取りカゴとをひとつずつ抱えた、男子小学生二人組であった。彼らのTシャツには、背中までびっしょり汗が滲んでおり、前髪も同様にびちょびちょになっている。あまりの汗の量に、少年は一瞬ぎょっとしたが、それからすぐに平生を取り戻し、徐ろに椅子から立ち上がった」
かなりの汗をかいている。
そんな子供たちになにがいいか尋ね、
「チョコがいい!」
「ぼくはバニラ!」
といっているが、アイスは水分補給にならない。
個別に冷たい麦茶でも出してあげたくなる。
アイスを食べて「「ひゃっこい!」」 といって、頬を緩ませている。冒頭から三回目なので、インパクトが薄れている気もする。子供セリフを生かすためにも、冒頭のひゃっこいはなくてもいいのではと邪推したくなる。
「時刻は現在、午後十二時と三十分。駄菓子屋『クスノキ』はその後も客足が途絶えることなく、安定の賑わいを見せていた。小学生から高齢の方まで、幅広い年齢に愛される店が、とても誇らしい」
いまどき、そんな店は珍しい。とても貴重だ。
子供が買いに来ることを考えると、値段を安易に上げるわけにもいかないはず。経営が厳しいだろうに。
祖母の人物像をより深く描写し、駄菓子屋の歴史や地域との関わり、他の客とのやりとりや店内の雰囲気をより詳細に描写すると、より物語が深まると考える。
「こめかみに伝る汗を拭きながら、少年は大空を見上げて考える」
目に浮かぶ表現がいい。
「ふっとつ動いてはら空いたろ。ちゅうはんにするか」
祖母の方言がいい。
「ずっと動いてお腹が空いただろ。お昼にするか」でも意味は通るけれど、方言のお陰で物語の世界を感じやすい。
「『ラムネひとつ! ひゃっこいやつ!』今日一番の大きな声が、駄菓子屋の奥にまで響き渡る。少年はぴたりと動きを止めた末、素早く後ろを振り返る。声の様子から察するに、小学生くらいの男の子だろうか。午前に来た二人組の小学生とはまた別ベクトルの元気な声に、少年は内心で微笑ましく思った。どうやら新しい客が来たらしい」
台詞による行動を受けて、聴覚描写し主人公の動き、思考から感想をのべて、最後に心情で「どうやら新しい客が来たらしい」と念を押す。
どうやら新しい客が来たらしいはなくてもいいのでは、と邪推する。書くなら「お客が来たらしい。俺ちょっと行ってくるよ。すぐ戻るから、ばあちゃんは先にご飯食べてて」とセリフに入れていいのではと考える。
祖母に聞こえたかどうかわからないから。行く理由を告げるのが自然だと思う。
少年に元気くんと名付ける主人公。安易だけれども、おかげで読者にもわかりやすく場面が浮かぶ。
「おれ、今日ともだちと戦ったんだけどさ」
自分の話をはじめるところは、子供らしさが出ている。
きっと主人公の少年がいないとき、祖母にも話しかけているのだろう。少年にとって、話を聞いてもらえる場所として認識しているのかもしれない。
「そう。だからおれ、将来は腕ずもうで世界大会に出るって決めたんだ。今日はその決心のお祝いでもあるってわけ」
アームレスリングは世界大会もある。
夢は大きいほうがいい。
「元気くんは器用に瓶の蓋を開けると、早速ラムネを喉へ流し込む。ぱちぱちと弾ける甘い炭酸が、乾いた喉を潤しているようだった。元気くんはラムネ瓶から口を離すと、ぷはーっと大きく息を吐き、少年を見ながら呟いた。『ラムネの兄ちゃん、おれと腕ずもうで勝負しようぜ』」
情景が目に浮かぶ。それでいて、ラムネが飲みたくなる。そういう書き方は実にいい。
昼食を前に、少年から腕相撲に誘われ、逡巡した主人公だが、することになる。
「時は──数十分前に遡る」
お昼ごはんはどうしたのだろう。
主人公がお昼ということは、少年もお昼を食べるだろう。それとも、お昼ごはんを食べてから、駄菓子屋に来ているのかしらん。それにしても「数十分」とは長い。
二、三十分くらいを意味するので、祖母はお昼を食べ終えているだろう。せめて数分だとおもうのだけれど。
元気くんが負けたときの描写がいい。
「目前から、元気くんの驚きの声が漏れる。彼は目を丸くしたまま、ぱたんと倒れた己の腕を凝視した。元気くんの手の甲は、悔しくも倒れてしまっていた。まさかの結末に動揺が隠せないのだろう、元気くんは口を大きくあけ、瞬きもせずにその場で静止する」目に浮かぶし、観察眼がいい。
「元気くんが身を前に乗り出して呟く。『おれも負けてられねえ! 明日は勝つから! ぜったい勝つから!』店にやって来た時の、余裕ありげな様子とは打って変わって──元気くんはまるで本性を表したかのように、満面の笑みで少年を見た。『こうしちゃ居られないな! おれ、帰ってトレーニングしてくるから! また明日な! 兄ちゃん!』」
男の子な感じがよくでている。
負けん気があって、しかもまっすぐ突き進んでいこうとする。
これが男の子の魅力だろう。
ラムネを買って腕相撲をする。
実にいいお得意様だ。
「『あーっ、また負けた! ……でも次はぜったい勝つからな! 覚えてろよッ!』元気くんは負けた後、決まってこの捨て台詞と共に駄菓子屋を後にする。恐らく彼は、勝てるまで勝負を挑みに来るつもりなのだろう。しかし何度やったとしても──小学生との腕相撲勝負に、少年が負ける筈がなかった」
元気くんは、主人公と腕相撲するのを楽しんでいるようにみえる。彼にとって、主人公は大人に見えるかもしれない。そんな相手と張り合えることが嬉しいのだろう。
「ごうぎらねっか。なんべんもなんべんも挑みに来てまあ」
祖母の方言はいい。作品をおおらかにしている。
「豪気じゃないか。何回も何回も挑みにきて」としては、味気なくなってしまう。
「少年は祖母の言葉に頷くと、熱々の銀シャリを頬張った。今日の昼食は、ふっくらした白米と鯖の塩焼き。それから──なすの漬物に、なめこの味噌汁と、どれも美味しいものばかりであった。少年はゆっくり咀嚼しながら、楽しげな祖母を見つめる。元気に話す祖母を見ていると、なぜか自然と目元が緩んだ」
美味しそうに食べている。
「せっかくの夏休みを、少年と腕相撲をするためだけに使って良いのか。学校の宿題は順調なのか、外出の予定はないのか──少年は、元気くんが自分との腕相撲に勝つために何かを犠牲にしていないか、気がかりだった」
むしろ予定がないから、主人公と腕相撲をすることを楽しみにしているだろうし、駄菓子屋に来ることが、立派な外出だと思う。
ここが高校生の主人公と、小学生の元気くんとの違いが現れているのだと思う。
少年が祖母を座らせたのは、レフリーのつもりなのかしらん。
「今日も来たぞ! ラムネの兄ちゃん!」
そんなあだ名を付けられていたとは。
主人公も勝手に元気くんと読んでいるのだから、おあいこだ。
「元気くんは祖母に綺麗なお辞儀をすると、『ラムネください』と敬語で呟いた。少年と対話する時とは雲泥の差がある言葉遣いに、なんだか少し憎たらしさを覚える」
主人公は腕相撲相手、友達という認識だからだろう。
「違うよ、今日は、勝つための元気チャージ」
元気くんは、本当に真っすぐで、気持ちがいい。
だから手心を加えた主人公に、「小学生だから騙せるとでも思ったのか!? バカにすんなよ! こんな勝ち方、ちっとも嬉しくねえ!」「最悪だ、見損なった……! もう、もう、兄ちゃんなんか知らねえっ!」と憤慨するのだ。
主人公が信用をなくした瞬間である。
「元気くんは少年をキッと睨み付けると、颯爽と駄菓子屋から出ていってしまった。眉を釣りあげ、怒りのあまり溢れそうになる涙を、必死に堪えていた元気くんの姿が頭に浮かぶ」
悲しみと怒りに満ちた後ろ姿が目に浮かんでくる。
長い文は五行ほどで改行。句読点を用いた一文は長くない。短い文と長い文を混ぜ、リズム感のある文章になっている。ときに口語的。登場人物の性格がわかる会話文を多用し、キャラクターの個性を表現している。会話文と地の文のバランスが良い。方言を使用し、キャラクターの個性を出している。
情景描写が細やかで、場面を生き生きと描いている。
登場人物の心理描写も丁寧で、五感を意識した表現が多い。
夏の暑さや駄菓子屋の雰囲気が生き生きと伝わり、少年と祖母の関係性が温かく描かれている。また、客との交流を通じて、少年の成長や仕事への姿勢が伝わってくるのがいい。
キャラクターの個性が鮮明で魅力的で、少年と元気くんの関係性の変化が自然で心温まる。
日常の一コマを丁寧に描き、読者の共感を誘いつつ、緊張感のある展開もある。少年と元気くんの関係性の変化が巧みかつ、心情変化が丁寧に描かれているのもよかった。
祖母の存在が物語に深みを与えていて、いい味を出している。
五感の描写について。
視覚は、燦々と地を照らす太陽、光に反射してきらりと光る瓶、キンキンに冷えたラムネ瓶、元気くんの大きな瞳、灼熱の日差しが皮膚をさす、夕日、蝉の姿などが描写。
聴覚は、からん、と音を響かせる、蝉の鳴声、ラムネ瓶の音、「からん、とコップに入れられた氷水が、冷ややかな音を響かせる」、氷の溶ける音など。
触覚は、ひゃっこい冷水、腕に張り付く冷えた空気、冷たいラムネ瓶、腕相撲の力加減、「熱風が肌をなぞり」、熱風、汗など。
味覚は、チョコとバニラのアイス、ラムネの味、「熱々の銀シャリを頬張った」など。
嗅覚はない。
主人公の弱みは、祖母を気遣いすぎるあまり、自分の休憩を取らないところがある。優柔不断な面がある(腕相撲を受け入れるまでに時間がかかる)に加え、子供相手に本気を出してしまう。その結果、手を抜き、元気くんは怒ってしまう。
元気くんの気持ちを十分に理解できておらず、相手の立場に立って考えることが不足し、相手の気持ちを考えずに行動してしまうことも弱さといえる。自分の判断に自信が持てないこと原因と考えられる。
「しねえばいいのに。なぁしてそんげことしたの」
方言が、なおさら辛辣に響いてくる。
決して、しねばいいのにとはいっていない。
「手を抜くなんてことをしなければいいのに。なぜそんなことをしたの」と書いても同じ意味だけれども、ここは主人公の不甲斐なさを叱る意味でも、方言の味がよく出ていていい。
主人公を諭させるのだけれども、だったら、はじめから祖母の役割を前半から描いておくといいのではと考える。
祖母は「かわいそうだと思うたの?」「もしあんたがそれされたら、どうおもう?」「ちゃんとしなせ」と促すだけで、具体的にどうしろとはいわない。主人公に自分で考えさせ、自分でどうするのかを決めさせている。
駆け出すことができる主人公は、大人だ。
元気くん視点で、飛び出したあとが描かれている。
「普通、何度も勝負を挑みに来る小学生など、大抵の人が相手にしない筈だ。しかしラムネの兄ちゃんは、文句のひとつも言わずに勝負を受けてくれた。毎回毎回、優しい笑顔で『いらっしゃい』と言ってくれた。きっとわざと負けたのも、彼なりの気遣いがあったからに違いない。分かっていた。本当は全部分かっていた。しかし望んでいなかった勝利を受けて、自分を抑えられなくなってしまった。ラムネの兄ちゃんの気持ちも考えずに、酷いことを言ってしまった」
この子も実にいい子だ。
謝りに来た主人公に、「悪いのはおれだ! 兄ちゃんが優しくしてくれたのに、酷いこと言って傷付けた……ごめん」と謝る。
「違うんだ、悪いのは俺だ。君は悪くない」
「ちがうってば!」
「違わない」
「違うったら違う……!」
言い合う二人に、「虫取り網と虫取りカゴを抱えた、いつぞやの小学生二人組が立っていた」と来る。
この展開は予想外で意表を突かれ、彼ら共々、読者も驚かされる。
「喧嘩はだめだぞ」
「でも、ふたりとも謝ってたよ」
第三者から言われることで、客観視でき、冷静になれるところがいい。主人公と元気くんの和解の過程を、もう少しくわしく描写すると、さらに盛り上がるのかもしれない。
「あのさ、その……また勝負しに来てもいい?」
「もちろん、いつでも来てくれ」
「ほ、ほんとかっ!?」
このときの状況描写、「夕日が差し込む公園内は、美しい光で満ちていた」に希望を感じる。
また、たびたち「からん」と音を響かせてきたけれども、氷がなくとも音が響く、気がしている。
凝り固まっていたものが少しずつほぐれていく、そんな印象や効果がある。一件落着、みたいな音だ。
そしてまた、元気くんが腕相撲をしに駄菓子屋にやってきて、主人公が冷たいラムネを用意して待っているのだ。
素敵な夏の思い出、という感じが読後感に広がる。
読後。
タイトルを見て、素敵な夏の出来事だったとしみじみ思う。懐かしさと温かさを感じる作品。夏休みを追体験しているような感覚になる。夏の情景、駄菓子屋の雰囲気、主人公と元気くんとの関係や祖母の存在感もよく、読者に考えさせる余地を与えながらノスタルジックな気分に誘ってくれる。
同級生や先輩後輩、親と子といった上下や横の関係だけでなく、斜めの関係、近所の年上年下との交流は、成長や物の考え方、生き方を豊かにしてくれる。
いまの時代は、そんなつながりは希薄だからこそ、本作のような物語は読み手に響くだろう。
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