じゃんけんデスゲーム
じゃんけんデスゲーム
作家 ナナシリア
https://kakuyomu.jp/works/16817330669192544914
黒ずくめの謎の人物が「じゃんけんデスゲーム」を宣言し、日本中の中学生以上が参加を強制される。主人公の桐原卓也は、十戦のじゃんけんでレートを一三五〇以上に保つために奮闘する。彼は様々な対戦相手と戦い、敗北や勝利を繰り返しながら他人の死や自分の生存に苦しむ。最終的に四勝六敗でゲームを終え、日本中で多くの人々が死亡し、卓也は犠牲の上に笑う人間たちが醜く見え、悩む話。
現代ファンタジー。
ホラー、デスゲーム。
運命を共にする参加者たちが命を懸けて戦うサスペンスドラマ。
じゃんけんというシンプルなものを用いながら、単なるデスゲームを超えた深い人間ドラマを描いている。
サバイバル要素と、哲学的なテーマがあり、ただのエンターテインメントに留まらず、読者に考える余地を与えてくれているところが、本作のいいところだろう。
主人公はフリーターの桐原卓也。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
冒頭や物語の途中では、三人称、女子高生視点、女子中学生視点、青年視点、男視点、神視点で書かれた文体がある。
涙を誘う型、苦しい状況→さらに苦しい状況→願望→少し明るくなる→駄目になるの流れに準じている。
男性神話とメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
黒ずくめの謎の人物がテレビ画面に現れ、「じゃんけんデスゲーム」を宣言。彼は、日本中の中学生以上の人々を対象に、じゃんけんを使ったデスゲームを行うと告げる。最初に全員に一五〇〇のレートが与えられ、十戦のじゃんけんを行い、最終レートが一三五〇以下になると死亡し、一六五〇以上になると百万円を得られる。
謎の人物は、総理大臣や有名アイドル、大手YouTuberなどの有名人を次々と殺害し、その信憑性を示す。日本中が混乱に陥り、デスゲームが始まる。
主人公の桐原卓也は、なんの変哲もないフリーターです。彼はデスゲームに巻き込まれ、どうするべきか悩みますが、最初のじゃんけんに挑んでいく。
1stゲーム
卓也は、家計が苦しい男性とじゃんけんをし、敗北。男性は感謝し涙を流すが、卓也のレートは一四八三に下がる。
2ndゲーム
次に、貧乏な家の女子高生とじゃんけんをする。彼女の頼みを受け入れ、卓也は再び敗北。しかし、実際には彼女の家は裕福であり、彼女は卓也を騙してレートを上げようとしていた。
3rdゲーム
卓也は、レートの高い相手と戦うことが有利だと考え、攻略法を探る。彼は、先ほどの女子高生に勝利した青年とじゃんけんをし、再び敗北。卓也のレートは一四五四に下がり、一三五〇を下回る可能性が出てくる。
4thゲーム
卓也は、レートを譲ると言う女子中学生に出会う。彼女は死にたいと言い、卓也は彼女の言葉を疑う。
虐待やいじめに苦しむ彼女はインターネットの負の側面に直面し、家庭や学校での状況も悪化していく。そんな中、謎の人物が地上波を掌握し、その人物に救いを感じ、死を目指すことを決意。彼女は「じゃんけんデスゲーム」に参加し、レートを下げることで死を目指す。卓也と対戦し、彼女は負けを望むが、卓也は彼女の本心を見抜き、彼女が本当に死を望んでいるのか疑う。最終的に彼女は負け、涙ながらに「死なせてよ」と叫ぶが、卓也は彼女を救うことができない。
5thゲーム
卓也は四戦目を終えた時点でレートが一四三六となり、絶望的な状況に陥っている。残り六戦のうち二回勝つ必要があるため、彼は焦りを感じていた。そんな中、卓也とほとんど変わらない装いの青年と出会い、じゃんけんをすることに。青年は勝ちすぎてしまい、他人にレートを分け与えたいと思っているが、信用されるかわからず行動できずにいる。卓也は青年に負け、青年は高らかな笑い声をあげる。卓也は自分もああなってしまうのではないかと恐怖を感じる。
6thゲーム
卓也は運が悪く、普通にじゃんけんをしても負け続けるような気がしている。彼は通りすがりの男性にじゃんけんを求め、男性は疲れ切った表情で応じる。男性は相手を負かすことで相手に死が近づくことに疲れ切っており、卓也もまた負けてしまう。幸い、レートが格上の相手に当たったため減少レートは少なく、卓也のレートは一四一七となる。卓也はどこかで一勝すれば死ぬことはないと考え、日を変えることにする。
7thゲーム
日が変わり、卓也は気持ちを新たに一勝を目指す。街中で俯いている十代の女性に出会い、彼女とじゃんけんをすることに。彼女は母子家庭で育ち、学校でいじめられてきた。彼女は生きたいと強く願っており、卓也は彼女の叫びに突き動かされる。じゃんけんの結果、彼女は跡形もなく消え去り、卓也は涙を浮かべる。道行く人々は卓也を責め立て、彼は虚しく歩く。
最終ゲーム
卓也は惰性的にじゃんけんを続け、最終的に四勝六敗という結果になる。じゃんけんデスゲームの終了が告げられ、日本中で三一六四名が死亡し、二三八〇名が賞金を獲得。謎の人物は姿を消し、卓也は七戦目の彼女のことを忘れられずにいる。彼は一人を犠牲にして平然と笑っている人々を恐ろしく感じた。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場の状況の説明、はじまり
黒ずくめの謎の人物がテレビ画面に現れ、「じゃんけんデスゲーム」を宣言。日本中の中学生以上の人々が対象で、最終レートが一三五〇以下になると死亡し、一六五〇以上になると百万円を得ることができる。
二場 目的の説明
主人公の桐原卓也は、なんの変哲もないフリーター。デスゲームに巻き込まれ、どうするべきか悩むが、最初のじゃんけんに挑む。
二幕三場 最初の課題
卓也は家計が苦しい男性とじゃんけんをし、敗北。レートは一四八三に下がる。
四場 重い課題
卓也は貧乏な家の女子高生とじゃんけんをするが、実際には彼女は裕福であり、騙されて再び敗北。レートは一四五四に下がる。
五場 状況の再整備、転換点
卓也はレートの高い相手と戦うことが有利だと考え、攻略法を探る。彼は、先ほどの女子高生に勝利した青年とじゃんけんをし、再び敗北。卓也のレートは一四五四に下がり、一三五〇を下回る可能性が出てくる。
六場 最大の課題
卓也はレートを譲ると言う女子中学生と出会う。彼女は死を望んでおり、卓也は彼女の本心を疑うが、最終的に彼女は負ける。
卓也は四戦目を終えた時点でレートが一四三六となり、絶望的な状況に陥る。残り六戦のうち二回勝つ必要がある。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
卓也は七戦目で十代の女性とじゃんけんをし、彼女は消え去る。卓也は涙を浮かべ、道行く人々に責め立てられる。
八場 結末、エピローグ
卓也は最終的に四勝六敗となり、デスゲームの終了が告げられる。日本中で三一六四名が死亡し、二三八〇名が賞金を獲得。卓也は七戦目の彼女のことを忘れられずにいる。
じゃんけんデスゲームの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
ホラー作品は大きく三つにわけられる。
「怪奇もの」「デスゲーム」「そういう意味かと後でわかって怖くなる叙述もの」。
児童文庫作品にもよく見られ、人が死んでもいいけれどもグロいのはダメであり、オブラートに包んだ表現をする。
慣れ親しんだ場所や、鬼ごっこなど真似しやすいものを使う。
「お金が欲しい」なとの目的で参加する。
各話を短くし、短編をつなげる。
また、デスゲームを主催する謎の人物は、何者だったのかよくわからず終わることは多い。
こうした特徴があり、本作も踏襲されて書かれているのわかる。
だから、謎の人物は謎のままだし、負けた人は消えてしまうのだ。
導入、本編、結末で描かれており、冒頭はデスゲームの始まりを描いている。
遠景で『これより、じゃんけんデスゲームを行う!』と示し、近景で「黒ずくめの謎の人物が謎の手段でテレビ画面上に現れて言った」と説明。心情で「それを受けて、Twitterのタイムライン上では様々な憶測が飛び交う」とつづく。
電波ジャックである。
謎の人物が告げた現在の総理大臣、有名アイドル、大手Youtuberなど、いずれと超有名人たちが消されていく。自分のいうことは本当だと信じてもらうため。どうやって消されたのかしらん。
じゃんけんゲームを行うと宣言している。ゲームはルールに則って行うものなので、消された人たちはゲームのルールに則って消されたと考える。
つまり、それぞれおスマホに一五〇〇レートが振り込まれ、一気にゼロにしたのだろう。
『今現在日本にいる、中学生以上の人間全員を対象に、デスゲームを行う』
なぜ中学生以上なのか。おそらく、スマホを持っていない子供を対象外にしたと考える。スマホを持っていない大人、高齢者はどうなのかしらん。
「レートは、謎の手段によって現在日本にいる中学生以上の人間全員の手元に出現したスマートフォン状のデバイスによって記録される」といっている以上、例外はなさそう。
ルール説明がされている。
時間制限が書かれていない。また、禁止事項もない。
話し合って、互いに手を出す順番をあらかじめ決めておくことで、買って百万円を手にできなくとも、負けて死なずに済む方法がある。
たとえば三人のグループを作り、
メンバーA 4勝6敗
メンバーB 3勝7敗
メンバーC 3勝7敗
各メンバーがバランスよく勝ち負けを調整することで、全員のレートを一三五〇以下にしないようにする。
他人の命を弄び、脅迫して無理やりゲームに巻き込まれたとして、どうして相手の手の上で踊らされることを自ら選ばなければならないのか。
ルールに穴がある以上、殺したいのでもなければお金を配りたいわけでもない。謎の人物は、極限状態での人間の反応を知ろうとする心理実験や、特定の状況下での集団の動きを見るための社会実験、視聴者や参加者に強い感情を引き起こすエンターテインメント、参加者に対して自分の支配力を示すための権力誇示を目的にしているのかもしれない。
いずれにせよ、倫理的に問題が多く、参加者にとっては非常にストレスで危険な状況にあるといえる。
謎の人物は、傍観者で人を弄ぶ人である。その資格があると思っているのだろう。その傲慢が、人を家畜にする。
人を道具にすることは一番、人間が人間にやってはいけないことである。
わかりやすく例えるなら、女子供を道具にして、男の都合だけで世の中を動かそうとしている極端な人が、謎の人物である。
1stゲームからが本編。
フリーターの桐原卓也が、どういう人間なのか書かれている。
「生き甲斐があるから生きるわけでもなく、死にたくないから生きる。ただそれだけ。なんの信念も目標もなく、自己研鑽に励むこともなく。だからといって社会の害になるというわけでもなく、幸せな環境を享受してきただけ納税し募金し、些細な善行を心がける。毒にも薬にもならない、そういう存在が桐原卓也だった」
目的もなく、人がいい、疑いもなく、善い行いをする。どこにでもいそうで、どこにでもいなさそうな主人公である。
死にたくないのならば、誰ともじゃんけんをしない選択肢もあるのでは。フリーターなので、引きこもって人に合わないようにする方法も思いつくのでは、と考えてしまう。
だが、主人公はそうはしない。
「果たして、本当に生きたい人を差し置いて自分が生き残るべきなのか。それでも彼は、一五〇〇のレートを抱えて、じゃんけんに繰り出した」
主人公の性格に「社会の害になるというわけでもなく、幸せな環境を享受してきただけ納税し募金し、些細な善行を心がける」とある。
引きこもっていたり、積極的に金目当てに挑んでいくといった極端な行動をとるのではなく、どちらか一方だけの考えだけでは社会はうまく回っていかない考えをもっているのだ。
極端な考えをもっているのは、ゲームを仕掛けた謎の人物でもある。つまり、人間が最もやってはいけない人を道具にすることをする相手に反抗するためにも、主人公は自らじゃんけんゲームに参加したのだ。
長い文は数行で改行。句読点を用いた一文は長くない。短文と長文を組み合わせテンポよくし、感情を揺さぶっている。登場人物の性格がわかる会話文。スリリングでテンポが良く、読者を引き込む力がある。短い描写が多用され、緊張感が持続する。
キャラクターの内面描写が豊かで、彼らの心理的葛藤がリアルに表現されているのが特徴。また、ゲームのルールや状況の説明が丁寧で、理解しやすい。
緊迫感のある展開と、キャラクターの成長が絶妙に絡み合っている。特に、仲間との絆が試されるシーンは感動的で、共感を呼ぶ。
五感の描写について。
視覚は、敵の表情や場面の緊張感が鮮明に描写されている。勝利や敗北の瞬間における色彩の対比が効果的。
聴覚は、じゃんけんの音や参加者の息遣い、緊張した空気の中での静寂感が強調されている。
触覚は、直接的な身体的接触や、心臓の鼓動、冷や汗などが感じられるように描かれ、臨場感を高めている。
嗅覚・味覚はない。緊張の中での汗や恐怖による生理的反応が暗示的に表現されている。
主人公の弱卓也は、初めは自分の弱さを認識しておらず、他人の意見に流されがち。また、守りたい一心から無理をしてしまう面があり、彼の成長課題となる。
人物描写がないのは、本作がホラーであるから。恐怖は段どりやフリが必要であり、現実味をさせることが重要であって、主人公に感情移入させる必要はない。レートが非現実的なゲームに現実味を与えている。
同じ体験が繰り返され、その後、どうなのかを想像させることが大事。
なので、一人目のじゃんけん相手の見た目はなく、「彼には、妻も娘も息子もいた。彼の家は幸せだったが、現実問題家計は苦しかった」といった背景、「ここで彼が死んでしまえば、彼の家族が貧乏な生活を強いられることに間違いはなくて、だから彼がレート1350以下になるわけにはいかなかった」と生活苦からの参戦が描かれている。
二人目は「少し信じがたかったが、家が貧乏であるという言葉通り彼女の制服はぼろぼろであったし、なにより彼女の思い詰めた表情が本物に思えた」背景を信じさせるための見た目が描かれている。
三人目の青年の見た目はないが、「そう言えば、お前がレートを譲った女子高生……アイツ、別に貧乏とかじゃなかったらしいぞ。本人がそう言ってた」情報をくれる。
四人目は「話しかけてきたのは、見たことのある中学の制服を着ていたのでおそらく女子中学生だ」見た目から判断されている。
また、女子中学生の背景が説明されていて、
「家庭では虐待、学校に行けばいじめ、塾に行ってもまともに相手にされなくて、彼女は自身に価値がないのかと思い始めた」
「そこで彼女が逃げ込んだのが、インターネット。価値がないと思っていた自分自身を受け入れてくれたインターネットの沼に、彼女はずぶずぶとはまっていき、いつしか彼女はインターネットに依存していた。そんなある日、彼女は些細なことで大炎上してしまう」
「彼女の同級生にもその騒動が伝わり、いじめはエスカレートするばかり。家庭での虐待の手が緩むこともなく、果てにはいじめ相談ダイヤルですら、彼女が炎上の渦中にいると知ると彼女を責め立てた」
「そしてついにはその炎上の経緯がニュース報道され、パーソナリティに総叩きにされる」
不幸を背負い込まれた感じで、実に可愛そうである。そのとき、んぞの人物によるじゃんけんゲームがはじまり、死を望んだ彼女は自らレートを譲っているという。
主人公は、彼女に勝ってしまう。
「死なせてよぉ……!」というのならば、事前に出す手を話して、すり合わせを持ちかければよかったのでは、と考えてしまう。
五人目は、「卓也とほとんど変わらない装いの青年だった」であり、背景は勝ちすぎていたことが描かれており、主人公に勝ち、レートが一六〇〇を超えて、「ひゃっひゃっひゃ……!」とさっきとは別人のように声を上げて笑う。
「もしかしたら、なにかのきっかけで卓也もああなってしまう可能性があるのかもしれない。想像した卓也は少し怖くなった。そして、そんな変化をもたらす一番の原因となり得るのは、下がり続けるレートだった」
じゃんけんは端的に勝敗を決めるため、一瞬で落差が着きやすい。
負けが多い主人公だからこそ、
六人目に、主人公自らじゃんけんを持ちかける。
「彼は、自らがじゃんけんして相手を負かすことで相手に死が近づくことで疲れ切っていった。目の前で絶望する人、どことなく落胆した表情をする人、悲しげな表情をする人。『もう、負かしたくない……』彼は呟いて、じゃんけんを始めた」
勝ち続ければお金がもらえても、負けが込めば死ぬ。自分の命と相手の命の天秤をかける行為を、自らの意思ではなく強制的にやらされているため、かなりのストレスを抱えてしまう。
まさに、殺し合いをさせられているのだ。
七人目は、どこで出会っているのかしらん。
主人公は「街中に人を探した」ているのに、「通勤通学ラッシュの時間帯なのに制服やスーツの人が少ないので、今日は休日なのだろうと推測する」とある。
電車内かしらん。
街中とあるので、駅前かもしれない。
じゃんけんゲームという名のデスゲームが開催されている中、仕事はどうなっているのかしらん。
中学生以上が強制的に参加しているのなら、公共の鉄道や航空、船舶、物流や電気ガス水道事業、政治や経済もストップしている可能性は高い。その辺りの現実性はあやふやな感じがする。
レートは一三四〇の十代女子。四人目に登場した女子中学生よりも、抱えている悩みがより具体的に描かれている。
「わたしは、負けるわけにはいかない。でも、下手に取引を持ち掛けても受けてくれない」
彼女の事情が描かれているが、主人公に話しているわけではない。「卓也は、今相対している彼女の過去をなにも知らない」
事情を話して、取引を持ちかけたらどうだろう。
「それでも、わたしは生きたい!」
といって、じゃんけんをし、彼女は負けてしまう。
「道行く人は目の前で起きた残酷な光景に困惑した。『お前が、殺した!』誰が出したのかもわからない、男性の確かな声」
全員が人殺しのデスゲームに参加している以上、避難する資格はないのだけれども、参加者は好きでじゃんけんをしているわけではないので、誰かを避難しなければ、抱え込んだストレスのはけ口がなくておかしくなってしまうのだろう。
主人公が責められるのは、たまたまに過ぎない。
「しばらくして、じゃんけんデスゲームの終了が告げられた」
全員が、十回のじゃんけんをし終えたのかもしれない。そもそも、どうやってこのゲームが終わるのかのルールもなかったので、謎の人物が、飽きたから終わりにしようと思ったのかもしれない。
「卓也の身近では、七戦目の彼女以外の死亡者はどうやらいないらしかった。それで喜んでいる一部の人間が、卓也は酷く恐ろしく思えた。一人を犠牲に今日も平然と笑っている人間たちが、悪魔のように醜く見えた」
表からではわからない人の思い、考え、性格や素性など、断片ながらも垣間見ることで、人の負の部分を見すぎたからだろう。
そして、主人公もまたその一人なのだ。
読後。
キャラクターたちの苦悩、同じ境遇にある相手との緊張関係が試される場面は印象に残り、裏切りが絡む中での人間関係の描写は、リアリティーもあり、考えさせられる。
全体的にエンターテインメント性は高く、作品として楽しめた。
なぜ、不幸な状況にあるのが女子ばかりだったのかしらん。
彼女たちは、家畜や道具のようにぞんざいに扱われている様子が描かれていた。女子供を道具にし、男の都合だけで世の中を動かそうとしている極端な人間の象徴である謎の人物の犠牲として、彼女たちが描かれていると考える。
本作は、いまの世の中が、まさにそうだといいたいのかもしれない。人を道具にすることは一番、人が人にやってはいけないことである。
知らず知らずのうちに、私達も誰かを道具のように人を扱ってはいないだろうか。ラスト、主人公の苦悩は、読者の私達に投げかけているのかもしれない。
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