人間ミュージアム

人間ミュージアム

作者 HAL

https://kakuyomu.jp/works/16818093082200221404


 未来の宇宙に浮かぶ「ボール」に住む少年が、過去の人間の生活を再現した「人間ミュージアム」を訪れる。少年は「脳機」によって感情を制御され、無表情で日常を過ごしている。ミュージアム内で様々な時代の人間の生活を見学し、最終的に自らの感情を取り戻し、未来への希望を見出す。

 遡ること二〇二五年の初夏、教授とテイラーは、人間の進化を展示する「人間ミュージアム」を作り上げる。ミュージアムには四つの部屋「原始人の間」「現代人の間」「未来の間」「超未来の間」があり、各部屋にはアルバイトで雇われた人々が展示され、観客は彼らの生活を観察する。テイラーが「未来の間」と「超未来の間」の住人たちの世話をしながら、彼らの葛藤や対立を目の当たりに、自身の役割や存在意義、考える話。


 疑問符感嘆符のあとはひとマスあける等は気にしない。

 SF。

 前半の未来の無感情な生活とミュージアムでの過去の感情豊かな生活の対比が非常に効果的に描かれ、少年が感情を取り戻す過程が感動的な作品。

 後半は、ユニークな設定とキャラクター描写が魅力的な作品。

 未来の理想と現実のギャップを描くことで、人間の欲望や葛藤を浮き彫りにして、考えさせられるところが良かった。


 前半と後半で話が別れている。前半は三人称、少年視点、神視点で書かれた文体。後半の主人公はテイラー。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 前半は男性神話、後半はそれぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。

 未来の宇宙に浮かぶ「ボール」に住む少年は、感情を制御する「脳機」によって無表情で日常を過ごしている。ある日、彼は「昔が欲しい」と感じ、「人間ミュージアム」を訪れることにする。

 ミュージアムに到着すると、ガイドロボットが彼を迎える。少年はガイドと共に、過去の人間の生活を再現した展示を見学。最初の展示では、VRゴーグルをつけて西暦二三八二年の近代の人間を観察。次に、西暦二二一四年のAIと人間が戦争をしている様子を見学し、戦争の悲惨さを目の当たりにする。

 その後、金星のテラフォーミングに関する展示を見学し、次に二〇二四年の日本の女子高生たちの青春を描いた展示を見る。少年は彼女たちの無邪気な談笑を見つめ、古代の人々がどのように感情を育んでいたかを知る。

 次に、西暦一七一〇年の蒸気機関の開発前夜の様子を見学し、最後に紀元前三一四五二二年のホモサピエンスの家族の姿を観察。子供を囲んで愛情を注ぐ家族の姿を見て、少年は初めて感情を取り戻し、拳を握りしめる。

 ミュージアムを出ると、少年は一面の花畑と青い空を目にする。彼は「脳機」を外し、自らの感情を感じながら未来への一歩を踏み出す。

 時は二〇二五年の初夏。主人公のテイラーは、教授から「人間ミュージアム」という革新的な実験の話を聞かされる。このミュージアムは、人間の進化の様子を実際に人間を展示することで再現するというもの。テイラーは半信半疑ながらも、教授の計画に従う。

 借金をしてミュージアムはオープンし、観客たちは興味津々で展示を見て回る。

 ミュージアムには四つの部屋「原始人の間」「現代人の間」「未来の間」「超未来の間」があり、各部屋にはアルバイトで雇われた人々が展示され、観客は彼らの生活を観察する。

 原始人の間では、原始人が石器を使って鶏を狩る様子が展示され、観客は驚きながらも興味深く観察する。

 現代人の間では、ソファーに寝転がって映画を観る現代人や、パソコンで仕事をする現代人が展示。観客は自分たちの生活と重ね合わせて観察する。

 未来の間では、音声認証で機能するスーパーコンピューターが搭載され、家事や仕事が不要な理想の世界が展示。テイラーは裏方として「未来人」の世話をしながら、彼らの注文に応じる。

 超未来の間は最初は何もない部屋だったが、アンケート結果を基に未来の理想を模索し続ける部屋として完成。人間の脳波を探知して感情を可視化する装置や、指パッチンで制御できるコンピューターなどが追加される。テイラーは自分の役割や存在意義に疑問を抱きながらも、教授の指示に従い続ける。

 ある日、「未来の間」の住民が「超未来の間」に移りたいと希望し、教授もそれを許可。しかし、移住後に住民同士の対立が起き、テイラーは巻き込まれる。未来の間から来た「超未来の間」の住人が「原始人の間」へと移動。生きづらいと感じたテイラーはその場から逃げ出す。彼は公園の芝生に座り、教授が戻るのを待つが、なかなか戻ってこない。

 テイラーは再びミュージアムに入り、展示を見て回る。「原始人の間」では、住民が鶏を捕まえようと奮闘しているが、なかなか捕まえられない。「現代の間」や「未来の間」の住民たちは無気力に過ごしている。

 最後に「超未来の間」に入ると、住民は一人でビールを飲んでおり、部屋は灰色に染まっている。テイラーは、自分の「必要なもの」が既に満たされていることに気づくのだった。


 三幕八場の構成になっている。

 一幕一場の状況の説明、はじまり

 少年が目覚め、日常生活を送る描写。彼の無表情な生活と「脳機」による感情制御が強調。

 二場の目的の説明

 少年が「人間ミュージアム」を訪れ、ガイドと共に過去の人間の生活を見学。様々な時代の展示を通じて、人間の感情や行動を観察。

 二幕三場の最初の課題

 最後の展示で、少年は初めて感情を取り戻し、拳を握りしめ。彼の中で何かが変わり始める。

 四場の重い課題

 少年がミュージアムを出て、花畑と青い空を見つめる。彼は「脳機」を外し、自らの感情を感じながら未来への一歩を踏み出す。

 五場の状況の再整備、転換点

 教授が「人間ミュージアム」のアイデアを思いつき、テイラーがその実験に参加する。

 六場の最大の課題

 ミュージアムが完成し、観客が訪れ、各部屋の展示を見学します。テイラーは未来人の世話をしながら、彼らと親しくなる。

 三幕七場の最後の課題、ドンデン返し

 未来人の一人が「超未来」への移住を希望し、教授がそれを許可。新たに雇われた未来人と「超未来人」の間で対立が起こる。

 八場の結末、エピローグ 

 テイラーはミュージアムを離れ、外の世界で教授を待つ。戻って超未来の灰色に染まる部屋を見て、必要なものはすでに満たされていたことに気づく。


 人間ミュージアムの謎と、それぞれの主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 本作は前半と後半にわかれている。

 前半は未来、後半は現代。未来に存在する人間ミュージアムが誕生した話を後半、描かれている。

 遠景で、「標準時間帯“17466-3-28”。それは宇宙に浮かぶ“ボール”でのこと」と状況を示し、近景で「“今日は、昔が欲しい”」と説明。会話「……」を挟んで、心情で「その少年は目覚めた。この不自然な宇宙で。ここは、彼の世界だ」と語られる。

 三人称で書かれていて、徐々に主人公の少年にカメラが寄っていくように描かれていく。

 

「お取り寄せの、本物の宇宙だ」という表現が面白い。


 主人公の少年の食事風景が描かれている。

「斑点模様のパジャマのままテーブルに着き、表情一つ変えないまま“食べ物”が出現するのを待った。“食べ物”が出現すると、彼はまた表情一つ変えないままパクリと一口で食べた」

 家畜や飼われている愛玩動物のような、餌をもらっているような感じがする「この“食べ物”は“朝ごはん”というものでできていて、これはかつて人間が食べていたとされる食料だ。さらに、この“食べ物”には“母の味”と言う成分も入っている。家族集団がないこの時代、これが摂取できるのは重要だ」とある。

「朝ご飯というものでできている」にモヤッとする。

 朝に食べるから朝ご飯であって、朝ご飯という食べ物があるわけではない。ということは、未来においては「朝ごはん」という名の食べ物が存在するのだろう。たとえばブロック状やゼリータイプ、錠剤かもしれない。

 どういう食べ物なのか、描写があると想像しやすい。

「母の味という成分も入っている」とある。

 おふくろの味と同じで、手作り感のことかしらん。

 未来なので、自分の母親が作ってくれたと感じられる薬がまざっていると想像する。


「“家”には“ソファー”があって、“テレビ”があって、まさに模範的な古代の邸宅だ。二次元の“写真”が“テーブル”の上に、“花瓶”に刺さった花と一緒に置いてある」

 少年しか出てこないので孤独であり、可哀想に感じ、共感を抱く。


「それでもまだ何か不満があったのだろうか。彼は“幸福材”を額に当てて、“満足感”をチャージした」

 セロトニンやエンドルフィンなどの脳内物質を接種したと想像する。額に当てているので、皮膚吸収できるパッチのようなものかもしれない。


「完璧。まさにこれこそ求めていた時代だ」

 これは神視点による主観なのか。あるいは、主人公が装着している脳機によるものなのか。

「彼は立ち止まって“考え”、“脳機”は「人間ミュージアムに行くべき」と、いつも通り“エラー”一つない最適解を出力した。彼は特に“考える”ことも“思う”こともなく、“脳機”の出力通りに“小型ワームホール”で向かった」とあるので、おそらくそうなのではと考える。

 主人公は脳機によって、無感情であり、自分ではあまり考えず、促されるように行動している。

 読者から見ると、隔離管理され、飼育されている感じに思える。だからといって不自由ではなく、小型ワームホールを使って人間ミュージアムにたどり着く。

 ボールから外に出ることができるのだ。


「中世を思わせるような“自由造形半液体”で作られ、長方形に二光年ほど続いている」思い浮かべにくい。

 中世を思わせるがむずかしい。

 自由造形半液体とは、ゼリー状で、巨大なスライムみたいにぶよぶよしてるのかしらん。「長方形に二光年」橋から橋まで行こうと思ったら、光の速さで二年かかる大きさなのか。きっと宇宙空間にものすごい長くて巨大な構造建築物なのだろう。

「もはや中世というだけでとてもお洒落な見た目になるのである」

 このあたりも、脳機が少年に伝えていて、少年は「そうなんだ」と受け入れているのだろう。

 だから地の文に書かれている「この紹介ロボットもかなり古典的な見た目だ。服装は所謂“タキシード”というやつで、“喋り方”も“年老いた熟練ガイド”っぽく“調整済み”である」口語的な部分は、少年の考えや思いではないのかもしれない。

 

「自由、アイデンティティ。そのための“一人”なのに」

 後半の人間ミュージアムの「超未来の間」で「ありとあらゆる個人の自由、権利がある」とアンケート結果があり、前半の未来の世界は、後半で描かれている現代が思い描いた超未来の世界を舞台に描かれていると考える。

 少年にはありとあらゆる個人の自由、権利があり、それを実現した形が一人で宇宙空間のボールで生活し、家畜やペットのように食事を与えられ、すきなところへ移動する。

 主人公が昔が欲しいと思ったから、昔を感じられる人間ミュージアムへやってきたのだ。


「この“ボール”には人間が少年しかいない。だから、当然中にも外にも人はいない。彼と“ガイド”二人だけ。というか、そもそもこの“時間帯”には人間は全宇宙、全仮想世界で彼一人しかいない」

 主人公はボールで移動している、ということかしらん。

「そもそもこの“時間帯”には人間は全宇宙、全仮想世界で彼一人しかいない」

 ひょっとすると未来において、人間は少年一人しかいないのかもしれない。また、「全仮想世界で」とあるので、少年は仮想世界の住人なのかしらん。あるいは、人間ミュージアムが仮想世界に存在していて、小型ワームホールをつかって少年は仮想世界内にやってきたのだろうか。

 モヤモヤする。


「ガイドが指さす先には、ギリギリ近代の人類……一五〇〇〇年ぐらい前の人間が“いた”」それが西暦二三八二年だというので、少年のいる未来は西暦一七三八二年ごろだと推測。

 

「しかし少年は、全く表情を変えない。いったい、彼が生まれてから何回表情が変わっただろうか。おそらく最初の、生まれたその瞬間、“情緒安定機モニタリングバッチ”を胸につける前が最後だろう」

 ということは、これまで泣きも笑いもせずに生きてきたということだろう。

 

 人間は体験してはじめて、「これが悲しいなんだ」「苦しみなんだ」と自身の感情を理解していく。だから、少年は感情がわからない状態でこれまで生きてきている。脳機で知識としての理解はあるかもしれないけれども、実体験が不足していると思われるので、なにが寂しくてなにが幸せなのか、それすらもわからない。

 自分以外の人間がいないので、ミュージアムで、過去に生きていた人間を見ること自体もはじめてだったのだと考えられる。


 ミュージアムでは、近代から過去に向かって見ていく。

 西暦二三八二年の近代の人間。

 西暦二二一四年のAIと人間が戦争をしている様子。

 金星のテラフォーミングに関する展示を見学。

 二〇二四年の日本の女子高生たちの青春を描いた展示。

 西暦一七一〇年の蒸気機関の開発前夜の様子。

 最後に紀元前三一四五二二年のホモサピエンスの家族の姿を観察。

 歴史を見ながら、各時代に生きる人間の経験を少年は追体験することで、喜怒哀楽といった感情を学んでいるのだ。

 子供を囲んで愛情を注ぐ家族の姿を見て、少年は初めて感情を取り戻し、拳を握りしめる。

 彼らには「“生きている”心地などというものはあったのでしょうか」「彼らには何が必要でしょう」「……では、私たちには何が必要でしょう」

 そして最後、少年は自らの手でドアを開けて外に出る。

「初めてだった。この何とも言えないドキドキする“感覚”も、“ドアノブ”のひんやりとした冷たさも」

 はじめての気持ちを体験していくくだりが実にいい。

「これから何を“する”か、何を“感じる”か。それは、全て貴方様次第でございます」

「暖かい春の陽気。“美しい”花は本物。偽物バーチャルじゃない」 小さな子供が世界を見て触れて感じていくように、少年も自分と世界が一つに感じただろう。

 発見と感動と変化、この三つがかけ合わさり、自分がどんどん変化していく。

 それこそがワクワクであり、ドキドキなのだ。

「……それは未来、です」「全てが、貴方様のものです」「“挑戦”してはいかがでしょうか」

 促され、世界へ飛び出していこうと、自ら「“情緒安定機モニタリングバッチ”を、“頭”から“脳機”を外し」自分の足で草原をフラフラと歩き、小高い丘に立って笑う。

 少年自身が考えて、丘に登ろうと思って行動し、そこに至ることでワクワク、つまり感情を得たのだ。

 前半の読後感はとてもいい。


 長い文は数行で改行。句読点を用いた一文は長すぎるない。短文と長文を組み合わせテンポよくし、感情を揺さぶるところがある。

 シンプルでありながらも、未来的な用語や表現が多用されている。

 前半は無表情な少年の視点から描かれることで、冷静で客観的なトーンが保たれている。未来の技術や生活様式が詳細に描かれており、読者に強いイメージを与え、想像力を刺激している。過去の人間の生活との対比が効果的に使われているのが特徴。

 未来の無感情な生活と、過去の感情豊かな生活との対比が実によく描かれていて、物語に深みを与えているところがいい。少年が感情を取り戻す過程が感動的で、希望を感じられるところもよかった。


 後半は、テイラーの視点から描かれ、シンプルで読みやすい。会話が多く、登場人物の感情や考えが直接的に伝わる。

 未来の理想と現実のギャップを描くことで、人間の欲望や葛藤を浮き彫りにしているのが特徴。観察者としての視点が強調され、読者も一緒に観察しているような感覚を味わえる。

 人間の進化を展示するというユニークな設定が興味を引く。また、テイラーや教授、展示される人々のキャラクターが生き生きと描かれているところもよかった。

 人間の欲望や進化、未来への期待と現実のギャップを考えさせられる。


 五感の描写について。

 視覚は、宇宙の景色やミュージアム内の展示物、花畑と青い空、など。各部屋の詳細な描写が描かれている。「原始人の間」の洞窟や焚火、「現代人の間」のソファーやテレビ、「未来の間」の白い壁とスーパーコンピューター、「超未来の間」の装置など。

 聴覚は、「ピチョン、ピチョン」という音や、ガイドの声など。テイラーと教授の会話。観客たちの感嘆の声。「未来の間」での住民の注文。「超未来の間」での指パッチンの音。

 触覚は、ドアノブの冷たさや、花畑の感触。テイラーがドアを開ける感触。公園の芝生や「原始人の間」での石器を研ぐ感触など。

 嗅覚は、特にない。

 味覚は、飲食の描写は少ないが、ビールの味わいが少し描かれている。

 嗅覚や味覚の描写を追加されていると、物語にさらなる深みを与えることができるのではと考える。無感情だった少年が感情を取り戻したときに、嗅覚の描写もあったらさらに良くなるのではと邪推する。


 主人公の弱みとして、前半の少年は感情の欠如。少年は「脳機」によって感情を制御されており、無表情で感情を感じることができない。また経験の不足がある。少年は過去の人間の生活を知らず、感情や人間関係についての理解が乏しい。

 後半のテイラーは実験に対する疑念を抱いているが、教授の指示に従わざるを得ない。ミュージアムの裏方として働くにつれて、展示内での対立や問題に対して無力感を感じている。


 後半は二〇二五年。現代を舞台にしている。

 前半で「彼らには何が必要でしょう」と投げかけていたものを受けるように、「一体私は、何を求めているのだろう……」とテイラーは自問していく。

 テイラーは、ある大学の心理学を専攻している学生だと推測。ブラウン人間生態学研究所心理学で教授と研究をしているが、お金がない。そこで教授は「昨日の夜“革新的で、予言的で、進化論的な素晴らしい実験”を思いついたんだ」と、忍たま乱太郎の学園長先生みたいに思いつきで、人間ミュージアムを発案する。


「それって……あれですよね。“人間動物園”的な奴。いくらなんでも差別的じゃないですか?」

「いやいや。そんなことはない。これは人間が……。この先は実際にやってから君自身に気づいてもらおう」

 このやり取りから、最後に主人公がなにに気づくのかが気になる。

 ミュージアムの設定や実験の目的をもう少し詳しく説明すると、読者が物語の背景を理解しやすくなるのでは、と考える。


「夏も本格的になってきた八月上旬。借金の末、教授の言う“実験場”は完成した。殆どが格安のプレハブ素材でできていて、大きな部屋が四つある」「入館費は一律二十五ドル」

 演じているのはアルバイトで募集し、「時給は無に等しいが、衣食住の保証そしてなにより“原始人そのものになれる”というメリットは何人もの志願者を呼んだ」「採用したのは合計五人。髪はぼさぼさ、服は布切れ、言語は使用禁止。みんな「ハッピー」と言っているが、果たしてこの生活を一か月も続けられるだろうか」

「彼らは私が公園で拾ってきた石を“石器”として研いでいる。あとはそこら辺のツタっぽいものと木の枝から石器を作っていくのだろう。一体何日かかることやら」

「“今日の狩り:13:00~彼らが捕まえるまで。原始人の間にて”入館早々貼られている“スケジュール表”。原始人が教授の放った鶏を石器で狩るという内容」

 現代には「採用したのは三人。二人は映画を、もう一人はパソコンで仕事をしている」

 未来では、テイラーが音声認証で機能するスーパーコンピューターの中に入って、雇われた未来人役からの頼みを言われたとおり動くというもの。

 前半と比較すると、ショボさが明らかである。

 四つめの超未来のブースでは、みんなからのアンケートを元につくるという。

「“行きたい場所に自由にワープできる”……“建物がホログラムで作れる”……“幸せを感じたいときに感じることができる”……」「“何もかもが思った通りに動く”。“ありとあらゆる個人の自由、権利がある”……」

 これらのアンケートを元に考えられた超未来が、まさに前半で描かれた世界なのだろう。

 でも三日後に十五坪のブースにできたのは、人間の脳波を探知して感情を可視化する装置、声に出さずとも、指パッチンだけで制御できるコンピューター(テイラーが中に入って演じる)、その他は未来のブースにあるものを持ってきたものだという。


「“第四ブース”で生活するには、他と違ってお金を払う必要があった。それもそこそこな額を。こんな別に居心地のいいとも言えないようなことにお金を使うんだ。きっと富豪に違いない」

 たしかに、超未来人を演じている女性はどうやって稼いでいるのかしらん。時給だってでないのに。

 

 裏方で働くテイラーの辛さが、ひどくなっていく。

 前半は未来から過去へと下りながら少年が感情を取り戻していくのに対して、後半ではて過去から未来、超未来へと移りながらテイラーが大変な思いをしていくという、実に見事に対照的に描かれているのが面白い反面、可哀想で仕方ない。

 

「……毎日家に帰ると、前とは違って“ちょっと高いお酒”が飲める。日給も大台を突破した。新しいスマホも買って、“必要なもの”を“充実”させていく。……“超未来”は最悪な場所だ……でも、“ここ”が良くなっているのはわかる。実感できる……これが“犬の気分”ってやつか……」

 前半の少年は、家畜やペットのような環境で育っているように思えた。後半のテイラーは、道具のように使われていると感じていることだろう。


 超未来で、テイラーの取り合いになったとき、

何言ってるの?“こいつ”は私の“物”なの。一番お金を払ってるのはこの私なんだから」

「あん? 俺はテイラーとお前より多く接してるし、こいつを奴隷扱いはしてないぞ」

 金か時間かで口論になる。

 人が二人以上いると、社会が形成され、ルールが必要になっていく。アンケートで「“何もかもが思った通りに動く”。“ありとあらゆる個人の自由、権利がある”」とあり、思い描いていた超未来とはかけ離れていて、むしろ原子人的なやり取りに思える。

 だから、男が一人で原始人の間へ行くのは、よくわかる。


 女性から「これでわかったでしょ。“あんた”は“彼”に捨てられたの。私がお金をあげる限り、この世界から“超未来”が失われない限り、“あんた”は私の“物”よ」といわれるのは、人間ミュージアムという展示場そのものが、物であり見世物小屋でもあり、お金を稼いでいるからでもあるだろう。

 ミュージアム内にいる限り、テイラーも物であり、都合の良い道具として扱われてしまう。自由も尊厳もない。だから外に出るのだ。

 テイラーや他のキャラクターの感情をもう少しくわしく描くと、キャラクターに共感しやすくなるのではと想像する。


 戻ってきたときは、「久しぶりに見た“観客の視点”」であり、ものではなく読者と同じ視点でもある。

 未来人役の人が、原始人役との間で鶏を追いかける様は、動物園に新しい動物が入ってきて走り回っている感じに思える。

 

「現代の間”“未来の間”の人間たちは、私と同じような“無気力”さに心身をゆだねている感じがして、退屈そうにボーっとテレビを見ているだけだった」

 演じること以外にやることがないので、外の世界を感じられるものがテレビしかないから、退屈そうに見ているのだろう。


 超未来では、お酒を飲んで、泣きも笑いもしていない。飲まないとやってられない感じ。

「それって……あれですよね。“人間動物園”的な奴。いくらなんでも差別的じゃないですか?」

 とテイラーが抱いたように、理想の未来の行く果ては人間動物園みたいな世界に行き着くことを目の当たりにする。しかも、生きづらさを感じていたテイラーの心そのものが、ミュージアムで見られたことに、彼の心はますますもって灰色に染まっていっただろう。


 読後。

 前半の少年が感情を取り戻す場面は感動的で、希望を感じさせられて良かった。対して後半は、キャラクターたちの葛藤や対立がリアルに描かれていて、だから前半の超未来世界になってしまったのかと納得できた。

 ミュージアムの裏方として働くテイラーが生きづらさを感じながら生活が豊かになるも、超未来は灰色だと気づく過程は衝撃的で、皮肉が効いている。また前半と後半とが対比にもなっているところが、物語に深みを与え、考えさせられた。

 本作で伝えたいのは、人間の進化や未来の理想を追求する中で、結局は人間の本質や感情が重要だということかしらん。

 テイラーが「超未来の間」での生活を通じて感じたことや、住人たちの対立や葛藤を目の当たりにすることで、未来の理想が必ずしも幸福をもたらすわけではないことが描かれていた。

 テイラーはこの後、人間の本質や感情を大切にすることを学び得ただろう。

 前半も後半も、時代や形は違っても、同じ結論に至っているのだ。

 比較するように描きながら、未来の技術や理想に囚われず、現在の自分自身や人間関係を見つめ直すことの大切さを読者に伝えているところは感服した。

 教訓もあるし、全体として、非常に興味深い作品であった。

 

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