保健室に来た彫刻品
保健室に来た彫刻品
作者 千桐加蓮
https://kakuyomu.jp/works/16818093084441264189
シングルマザーの家庭で育つ間成は、学校の保健室で過ごすことが多い内向的な小学五年生。ある日、保健室にオーケストラ団員の泉が訪れ妊娠を報告、自分の恋愛や指揮者である秀一郎への思いを吐露する。指揮者のように自分の人生を選択することが重要と訴え、間成にも自身の人生を生きるよう促すも、泉自身、将来に対する不安を抱えていた。だが会話の中で感情や思考が次第に深まり、間成は彼女の変化に気づく。泉の複雑な感情や自己犠牲の精神を理解し、他人事ではないと感じる話。
誤字脱字は気にしない。
現代ドラマ。
主人公の内面の葛藤、保健室での生活、オーケストラの話を通じた変化の兆し、妊娠している泉との関わり、恋愛話、オーケストラと人生の選択を経て、泉の決意と主人公の思いが描かれている。
孤独感や人間不信の中で自分を守るために築いた壁が、他者との関わりによって少しずつ崩れていく過程は感動的なものがある。
主人公は、小学五年生の間成さん。一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って描かれている。
「赤ちゃんは、お母さんを空から見て決めているの」ドラマの台詞は信じ難かったが、そうだったらいいと思っていた間成は、シングルマザーの家庭で育つ小学五年生。彼女は周囲の人々を自己中心的だと感じるあまり、自らを保健室という安全な空間に閉じ込めて過ごしている。保健室では算数の問題を解くことで自分を保ち、周りとの関わりを避ける日々が続く。
保健室の羽多先生は、間成に他者との関わりを持つことの重要性を伝えようとするが、彼女はその言葉に反発する。羽多先生はオーケストラの例えを用いて、指揮者が演奏者に影響を与える様子を説明し、間成に新しい視点を持つよう促すが、彼女は心を閉ざしたままだった。
そんなとき、オーケストラ団員である泉が保健室にやってくる。彼女は体調を崩しており、羽多先生に頼まれた間成は仕方なく彼女の側にいることに。泉から高級な柔軟剤の匂いが漂い、彼女に対して独自の印象を抱く。
「妊娠している」泉の衝撃的な発言に戸惑うが、泉は自分の恋愛話、恋人である指揮者の秀一郎について語り、彼に対する深い愛情と同時に妊娠に対する不安を吐露し、妊娠を通じて自分自身と向き合うことになり、母親としての覚悟を考えるようになる。
泉の言葉を聞きながら彼女の心情に共感を覚えつつも、自分の立場を考える。泉が描くオーケストラの比喩を通じて、選択肢を持つこと、自分の人生を舵取りすることの重要性が浮き彫りになっていく。
「赤ちゃんは、自分でお母さんを選ぶらしい」間成が話すと、なぜ私のところにと呟く泉。「寂しそうだからでは」と言葉をかければ、「自分のために生きてほしい」泉は赤ちゃんに願いを託し、その言葉が間成にも響く。泉の複雑な感情や自己犠牲を理解し、自分自身の人生について考える間成は、他者との関わりが自分にとって必要なものであることを理解し、彼女に共感をするのだった。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場 状況の説明、はじまり
主人公はドラマのセリフを思い出し、それが信じ難いと感じる。教室にいることが苦痛で、人といるのが疲れると感じるようになり、シングルマザーの家庭で育ったこともあり、クラスメイトや先生に対して不信感を抱いている。
二場 目的の説明
主人公は保健室で過ごすことが多く、保健室の先生は無理に話を聞き出そうとはしない。主人公は保健室で勉強を進め、体育館でのコンサートに誘われるが、それを断る。
二幕三場 最初の課題
羽多先生がオーケストラの指揮者の話を通じて、主人公に新しい世界を見てほしいと伝えるが、主人公はそれに反発し、自分の殻に閉じこもる姿勢を見せる。
四場 重い課題
保健室にオーケストラの団員、泉が現れる。泉さんの体調が優れないため、主人公が側にいることに。主人公が泉さんに対して感じることや、保健室での静かな時間が描かれる。
五場 状況の再整備、転換点
主人公は保健室で出会った泉さんは体調が悪いと言いながらも、妊娠していることを告白する。主人公は初対面の小学生に妊娠の報告をする泉さんに戸惑いを感じるが、泉さんの話を聞くことになる。
六場 最大の課題
泉さんはオーケストラの指揮者である秀一郎さんとの恋愛について語る。彼女は秀一郎さんに対して強い思いを抱いており、彼のために赤ちゃんを産む決意をしている。主人公は泉さんの話を聞きながら、彼女の自己犠牲的な愛情に疑問を抱く。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
泉さんはオーケストラの指揮者の役割について話し、指揮者がタクトを振るタイミングが演奏の始まりであることを説明する。彼女は主人公に対して、自分の人生の舵取りをすることの重要性を説く。主人公は泉さんの話を聞きながら、自分の選択について考える。
八場 結末、エピローグ
泉さんは赤ちゃんに対して、自分のために生きてほしいと願う。彼女は自分が立派な母親にはなれないと感じながらも、赤ちゃんに対して強い愛情を抱いている。主人公は泉さんの話を聞きながら、彼女の決意に共感し、自分もまた他人事ではないと感じる。
赤ちゃんの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
遠景で「赤ちゃんは、お母さんを空から見て決めているの」という台詞からはじまり、近景でドラマのセリフで信じがたいと説明。心情で、科学的根拠もないけれど、そうだったらいいなとと思っている。
「赤ちゃんが空からママを選ぶ」という考えは科学的な根拠に基づくものではないが、二〇〇〇年代初頭、日本で広まった胎内記憶の概念の一つ。広まった背景には、日本の文化や親子関係に対する価値観が影響している可能性がある。親子の絆を神秘的に捉える傾向や、子どもの言葉を通して人生の意味を見出そうとする姿勢が、受け入れられていったと考えられる。
主人公は受け入りつつも、小学校に入学してから周りを信じられるなくなり、群れを嫌い、自分を含めてみんなが自己中心的と感じ、距離を起き、人に流されることが受け入れられず、保健室ですごしているもうすぐ六年生の、小学五年生。
こうした子供は多くはないが、思春期前後の小学校高学年で見られる。もともと小学校高学年というのは、自己と他者の関係性を再構築する重要な時期。クラスの雰囲気や教師との関係、いじめや友人関係のトラブル、家族関係や内向的な性格、高い感受性を持つ子に多く見られるという。
シングルマザーの家庭で一人娘。家事手伝いは、小さいころからしてきているだろうし、主人公は女性なので現実的な考え方をする。
それに、いまの子供は、核家族化や少子化、子供どうして遊ぶ機会が減り、デジタル機器など個人的娯楽が増えて対面でのコミュニケーションも減っているため、集団行動に苦手意識を持つ子供が増えている傾向がある。
こうした主人公の置かれている状況や性格から、共感できる点は多い。
養護教諭、保険室の先生は保健室登校の子供に対してより受容的な姿勢を示す傾向があるので、羽田先生のように対応することは現実的て、リアリティーがある。
学校はオーケストラを招待し、児童たちに音楽体験を提供する機会を設けている。学校の予算やPTAの支援、地方自治体や文化庁、民間企業や団体、音楽団体の取り組みなど様々。
「中々お目にかかれない団員さんの演奏だから、見に行こうよ」
プロの楽団からもしれない。
そうなると、文化庁が絡んでいるかもしれない。
保健室の先生も、そんな機会はめったにないので、聞きに行きたいのだ。
「『この時間に帰るならお母さんと一緒じゃないといけないんですよね? ほんとは家に帰って明日の作り置きとかしたいけど。それにオーケストラみたいな大きな音は得意じゃないんです』遠回しに『理由を言ったのだからわたしに構わないでくれ』という旨を伝えた」
こういう子は確かにいると思えるところに、興味や共感を抱く。
指揮者の話が興味深い。
「指揮者がタクトを振るタイミングは、演奏者が音を出す前なの」「間成さんが指揮者を見ていれば、オーケストラの音を聞くことができる」
羽田先生の話に対して、
「ようは、自分の殻に閉じこもんないで、新しい世界見てくれってことですよね」
と答える主人公。
微妙に違う気がする。
先生は、なにかやりたいことがあって、実際にしている人間を見て、真似て、自分の道を進んでいってほしいといいたいのだ。主人公は殻に閉じこもっているのではなく、自己中心的な集団をみて、自分のやりたいことではないと思い、保健室にいる。ただ、保健室は一時的な避難場所であり、そこから主人公自身がやりたいことを見つけようとはしていないので、たまたま学校にオーケストラの演奏をしているから、一つの提案として、聞きに行かないかと声がけをしているのだ。
もちろん、先生個人としては興味があるだろうから聞きに行きたいけど保健室に主人公一人を残しておくわけにもいかないから誘っている、ということもあるだろう。
妊娠している泉が保健室に来て、主人公が側にいるよう、保健室の先生に頼まれる。
「オーケストラの団員の泉いずみさん。体調が優れないみたいだから、側にいてあげて」
羽多先生は主人公に見送られている。
どこへ行ったのかしらん。
救急車の手配? あるいはオーケストラの団員たちから話を聞くのか、あるいは主人公にあとはまかせて、自分は演奏を聞きに行ったのかしらん。泉は学校の児童でも関係者でもないし、大人だ。付き添わなくてもいいと判断したのかもしれないけど、もやもやする。
羽多先生や泉の背景や個性をさらに掘り下げると、物語の厚みが増すかもしれない。
泉は妊娠していることを打ち明け、保健室に来てみたかった、年下と恋バナがしたかった、といって、自分の話をしていく。
おそらく、泉は不安なのだ。
彼女が子供のとき、苦しかったことがあり、助けてくれたのが保健室だったのだろう。子供である主人公に話すことで、擬似的に幼い自分に独白し、なにかしらの元気をもらおうと思っての行動だと推測する。
落ち込んだときに空を飛ぶ夢を見て、幼児期に体験した目前に飛び交う言葉から欲しいものが手に入った経験を思い出し、やる気を取り戻すのと似ている。
長い文は数行で改行。句読点を用いた一文は、長くない。短文とと長文を組み合わせテンポよくし、感情を揺さぶっているところもある。登場人物の性格がわかる会話文。内面的な独白が多く、感情や思考が詳細に描写されている。省略された対話や説明が特徴的で、読者に考える余地を与えている。
主人公の視点が強調され、彼女の心情や葛藤が緻密に表現されている。独自の比喩や例えが使われ、特にオーケストラのメタファーが印象的。テーマが強調される。
後半は泉との一対一の会話。心理描写と感情の流れが丁寧に描かれている。
主人公と泉の複雑な感情がリアルに描かれ、共感を呼ぶ。
孤独、自立、自己選択や人との関わりの重要性がテーマとして緻密に描かれ、読者に考えさせる。
五感描写として、環境や感情を豊かに表現しており物語に没入しやすい。
視覚は、教室や保健室の具体的な描写があり、まなりの心情と繋がっている。教室の騒がしさや保健室の静けさが対比されている。
保健室の静けさ、泉の表情や仕草、オーケストラの華やかな演奏などが詳細に描かれ、情景が鮮明に浮かぶ。
聴覚は、教室の喧騒やオーケストラの音が描写され、まなりの内面的な葛藤や不安が強調される。羽多の言葉や泉の声が彼女の心に響き、感情の高まりや緊張感が伝わる。オーケストラの音が物語の雰囲気を強調。
嗅覚は、泉の柔軟剤の匂いなど、細やかな描写が、彼女の高級感や生活水準、性格を暗示する。間成の自宅とは対照的な環境が感じられる。 保健室の空気感や、泉の妊娠を通じた新たな生命の気配が感じられ、情緒的な背景が強調される。
触覚は、椅子に座る感触や問題を解く際の手の動き、間成の心の状態を反映。保健室のベッドの感触が、安心感や不安感を共に伝える。泉がまなりの手を掴む瞬間や、保健室の温もりが感じられ、二人の関係性がより親密に感じられる。
味覚はないが、泉のセリフや感情から「甘さ」や「苦さ」が感じ取れるような表現がされている。
主人公の間成は内向的であり、他者との関わりを避ける傾向がある。そのため、泉との会話を通じて自分を見つめ直さなければならない状況に置かれる。
泉は、自分の恋人である指揮者の秀一郎について語り、彼に対する深い愛情と同時に妊娠に対する不安を吐露していく。
「泉さんは指揮者の秀一郎さんのことが好きだということ。人間的に好印象というよりは、側で支えたいという思いがかなりあること。そして、その好きという気持ちをずっと胸に秘めていたということ。それはきっと苦しいことだとは思う」
どうして、彼に伝えないのだろうか。
音楽に対して非常に情熱を持っており、秀一郎は若く、指揮者としての経験も少ないため、自信がない部分もある。彼は音楽に夢中であり、そのために泉さんに対して「自分のために音楽を奏でてほしい」と願っている。
泉は秀一郎に対して強い愛情を抱いており、彼のために赤ちゃんを産む決意をしている。でも、赤ちゃんの存在を知らない。泉は秀一郎のために自己犠牲的な行動を取っており、彼の不安や自信のなさを理解しながらも、彼を支えたいと考えている。
つまり、黙って彼の子供を産むつもりなのかしらん。
物語の中で、実際に付き合っているかどうかわからないが、彼女が秀一郎を一方的に愛している様子が伺える。
泉や秀一郎の過去や背景をもう少し詳しく描写されていると、物語に深みが増すのではと考える。
泉もオーケストラの指揮の話をしている。
オーケストラの指揮者は、タクトを振って演奏者に指示を出し、全体の演奏をまとめる。指揮者がどのようにタクトを振るかによって、音楽の流れや雰囲気が変わるのだ。
間成は、学校生活や人間関係に対して不信感を抱き、自分の殻に閉じこもっている。彼女は他人との関わりを避け、自分を守るために距離を置いている状態。
そんな彼女に指揮者の話をするということは、オーケストラの指揮者がタクトを振って演奏者を導くように、間成も自分の人生を導くことが大切だと伝えている。
具体的には、指揮者の視点を持つことで「自分の選択や行動をしっかりとコントロールし、どのように進むかを決める」「他人との関わりを大切にし、協力しながら目標を達成する」「新しい考え方や視点を受け入れ、自分の殻を破る」ことができ、より豊かな人生を自ら演奏できるという意味が込められているのだと考える。
この話を、泉が主人公にするのはどういう意味なのか。
泉は主人公の間成を、自身の幼い子供に見立てて話していると考えられるので、自分自身に言い聞かせていることにもなる。
オーケストラの指揮者がタクトを振って演奏を導くように、泉も自分の人生を導く必要があること。
彼女は妊娠という大きな選択をし、これから母親としての役割を果たすことになる。これは自分の人生をどう導くかに繋がる。
間成が新しい視点を持つ重要性を学ぶように、泉も妊娠を通じて新しい視点や変化を受け入れるなければならない。
母親になることは、彼女にとって大きな変化であり、それをどう受け入れ、どう導くかが重要になってくる。
オーケストラの演奏が指揮者と演奏者の協力で成り立つように、泉も周囲の支えや協力が必要となってくる。彼女は秀一郎さんや他の人々との関係を通じて、支え合いながら新しい命を育むことになるだろう。
泉が秀一郎さんのために自己犠牲的な行動を取るように、間成も自分の選択や行動を通じて自己表現を学んでいく。
泉の妊娠は、彼女が自分のためだけでなく、他人のために行動することの象徴でもあるのだから。
このように、オーケストラの指揮の話と妊娠の話は、自己を統率し、新しい視点を取り入れ、他人との協力や自己表現をしながら、自分の人生をどう導くか、他人とどう関わるかをえがいているのだ。
主人公の心の変化がもう少し具体的に表現されていると彼女の成長と変化、さらに共感しやすくなるのではと考える。
「間成さん、オーケストラはね、指揮者がタクトで音の長さや大きさを決めるの」
まなりは最初、興味なさそうに返事をした。
「だから?」
「指揮者がタクトを振るタイミングは、演奏者が音を出す前なの」 まなりは少し考え込み、
「だから?」
と再び問いかけるが、その声にはわずかに興味が混じっていた。
泉との最初の対面で、
「わたしは、不思議そうに首を傾げるのではなく、素直に面倒臭いと思っていることを顔に出した。でも、ちょっとずつ興味が湧いてくる」
泉の話に対しての反応では、
「最初は興味もない話を聞いているだけで、特に相槌も打たず、この時間が早く終わればいいのにと思っていた。でも、泉さんの真剣な顔を見ているうちに、なんだか話に引き込まれていった」
間成が共感を芽生えるところでは、
「わたしは泉さんの話を聞いているうちに、少しずつ彼女の気持ちがわかるようになってきた」
間成の成長の描写では、
「わたしは、秀一郎さんという人に対して怒りを感じた。同時に泉さんの立場も理解しようとした」
といった具合に、
主人公の心の変化を段階的に描写することで、読者がその変化を追いやすく実感できるようになり、最終的には新しい視点を受け入れるまで導くと、より良く伝わるのではと想像する。
読後。
タイトルに興味が惹かれて読みはじめたが、読む前の想像とは違っていたため、いい意味で驚かされた。
主人公の孤独や葛藤に共感する読者が多いと思われる。学校生活に馴染めない経験は、多くの人にとって身近なテーマで、興味をもたれやすいだろう。泉の登場がどのような影響を与えるかも期待感を抱いた。彼女の見た目の印象から、タイトルが付けられたのかと納得する。
主人公の心情がリアルに描かれいたし、泉の妊娠と恋愛に関する思いも深く、主人公と泉、二人の成長が描かれている点も読後感を良くしていたと思う。
全体として、心温まる感動的な作品で、キャラクターの成長や選択の重要性が教訓として残るところも良かった。
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