ひゞき
ひゞき
作者 白山
https://kakuyomu.jp/works/16818093074542701784
大学に落ちたら死ね、といわれながら母子家庭で育った瑞樹は大学受験に失敗し、ホームセンターでロープや水を買い込むが躊躇する。そんな中、街でバーの従業員・美咲に声をかけられ、彼女の誘いでバー「ひゞき」に入り、独特な雰囲気と美咲の人柄に心を開く。はじめてベルモントを飲み、強烈な痛みを喉に感じる。お酒を通じて会話を重ね、酔いしれながら受験や母のことを忘れていく。彼女の特別な酒「響」を飲み、美味しさの余韻に浸りながら母に不合格の連絡を送る。帰宅後、打たれた頬を触る度に舌触りを思い出し、響の思い出を蘇らせる話。
文書の書出しはひとマス下げる等は気にしない。
現代ドラマ。
未成年へ飲酒はダメ。
時代性もあり、人生の絶望を描きながら、人とお酒との関わり合いをも描いている。
だからつい、「人生何周目ですか」と問いたくなる。
主人公は大学受験に失敗した男子高校生の瑞樹。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。泣ける話であり、喪失→絶望→救済の流れに準じている。
それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと、メロドラマと同じ中心軌道に沿って描かれている。
「大学受験落ちたら死ねよ」と言われ続けて母子家庭で育った瑞樹は大学受験に失敗し、将来に対する希望を失う。絶望の中、駅前のホームセンターに立ち寄り、ロープや水を購入。自殺を考えつつも、その行動に葛藤を覚え、立ちすくんでしまう。
そんなどき美咲という女性と出会う。主人公が寄りかかっていたのはBAR「ひゞき」で彼女はバーの従業員だった。
美咲は温かい笑顔を持ち、瑞樹の心の壁を少しずつ壊していく。
自殺を考えるも命が惜しくなって情けなくなっていたところ、と打ち明ける。帰ろうとすると、店に寄るようにいわれる。
バーの独特の雰囲気、落ち着いた照明、心地よい音楽が流れる中で、瑞樹は美咲からベルモントのカクテルを勧められる。度数の高い酒を一気に飲み、喉に痛みを覚える。それでいて甘さの中にほのかな苦味があり、心に響く感情を引き出す。
酔いしれる中で、「最後に、私の思い出のものをね」と彼女は酒店の一番上にある琥珀色のボトル『響』を取り出す。美味しさに涙し、受験や母のことがぼんやり浮かぶも、悲観的でなく、無視も直視もせず、片目だけで生きるような勇気が湧く。暫く余韻に浸って、俺は母親に受験の不合格の連絡を送った。買ったロープと水と桶を街のゴミ箱に捨て、夜空の下をまっすぐ家に向かう。帰ったあとのことは覚えていない。痛む頬を触る度、響の舌触りを思い出すのだった。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場の状況の説明、はじまり
瑞樹は大学受験に落ち、自分の人生を見失う。母親からの厳しい言葉が心に重くのしかかり、自殺を考える。
二場の目的の説明
ホームセンターでロープや水を買い、自殺の計画を立てる。しかし、途中で自分の感情と向き合い、足が止まる。
二幕三場の最初の課題
街中で泣いているところをバーの従業員の女性に声をかけられ、彼女が主人公の状況を理解する。
四場の重い課題
彼女に誘われて、バー「ひゞき」に入る。店内の雰囲気や彼女の存在に圧倒されながら、少しずつ心を開く。
五場の状況の再整備、転換点
彼女が作ったカクテルを飲むが、その強さに驚く。お酒の味に触れ、少しずつ心が軽くなる。
六場の最大の課題
彼はお酒に酔いしれ、受験や母親のことを忘れていく。彼女との時間が心の支えになり始める。
三幕七場の最後の課題、ドンデン返し
彼女が特別な酒『響』を取り出し、一緒に飲む。彼女自身と店の象徴としてのお酒に感動する。
八場の結末、エピローグ
余韻に浸りながら母に不合格の連絡を送る。ロープなどはゴミ箱に捨てて帰宅。母に打たれた頬を触る度、響の思い出を蘇らせる。
不合格の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どうかからり、どのような結末に至るのか気になる。
遠景で「落ちた」と示し、近景で「ぐしゃり、と受験票を握りつぶした」行動を描き、心情で「パソコンの画面には、不合格の三文字が映っていた。咲かない桜を共にして」と語る。
落ちたを省いて、
ぐしゃり、と受験票を握りつぶした。咲かない桜を共にして。
パソコンの画面には、不合格の三文字が映っていた。
このように並び替えてもいいのでは、と余計なことを考えた。
主人公は勉強に三年間を費やしたが、報われなかった。実力不足だったある。可哀想にと思えるところで共感を抱く。
親に連絡しようとして、「瑞樹、アンタ大学受験落ちたら死ねよ」と言われ続けてきたことを思い出す。
「エリート気質とプライドで固められた親の下、勉強の日々を送っていた」とあり、母一人で育てられてきたという。
親としては、余裕がないから浪人はできない、ということをいいたかったのかもしれない。
「絶対零度の無慈悲な言葉は、いつも俺を恐怖に陥れていた。時には殴られたこともあった。今でも思い出すと、冷や汗が止まらない」
家族が少ないと、向けられる視線が主人公しかいないため、外での出来事や悩み、感情など、親が抱えるいろいろなものが主人公にぶつけられる。それは主人公にとっても同じことがいえる。
勉強しかしてこなかったなら、悩みを打ち明けられる人も側にいないだろう。
不合格は親に伝えなくてはならない。
恐怖と絶望が募り、「死ねばいいんだろ。死ねば」と自暴自棄になるのは無理からぬこと。
「制服に着替えて、街の方のホームセンターに向かった。(制服を着たのは、大学生になれなかったことによる高校への帰属意識なのだが)」
大学受験の発表は、三月。
たとえ卒業式を迎えても、三月までは高校生なので問題ない。
「適当なロープと、水と、桶を買った。桶を買ったのは、人は首を吊った後、体液が滴り落ちてしまうとどこかで聞いたからだ」
そのとおりなのだが、どう使うのだろう。桶を自分の下に置いておくのかしらん。
「母親への恐怖と、死後への恐怖。同じ恐怖だが、それらは均衡した。死ぬのは別にいい。しかし、今まで俺がやったこと全ては、もう何も残らないだなんて」
どう生きるのかよりも、自分はどう死ぬのかを考えないと、人生は見えてこない。主人公ははじめて死を考え、ようやく人生とはなにか、どう生きたらいいのかを見つめる入口に立ったのだ。
結論を言えば、どう死んだかより、どう生きたのかが大事である。
生きるとは、自分の一生涯をかけて、大切なものを伝えるために励み、残すこと。文化を築くということである。
最低限、女性は子供を残せたことが、生きてきた証となる。
でも男は違う。自分が生きている間に、何かしらの文化を気づかないうちは死ねないのだ。
余談として。文化を築くには、まず自己の死について見つめ直すところから始まる。どのような世の中なのか。社会(ハード面)を見て、人の心の葛藤(ソフト面)を描いていく。
葛藤とは、人と人との対立、家同士、国同士、価値観の違いから生まれる。色は嘘をつかないし、魂は純粋なもの、言葉は強弱しないが、自己や個人の意見は移り変わっていく。
常に身体は受動的、頭は打算的に働くから、心は葛藤するのだ。
主人公のように不合格となり、母に落ちたら死ねと言われ、だから死のうとする。それでも心は留まろうとするから葛藤し、脳は死から遠ざかろうと打算が働き、死ぬのをためらい動けなくなる。
けっして、勇気がないわけではない。
迷い、悩み、苦しむのは、生物的、人間的にごく自然な行動なのだ。この辺りの主人公の葛藤やよく描けている。
従業員の女性の描写がいい。
「見上げると、そこには一人の若い女性がいた。若いとは言っても、多分俺よりは年齢があるだろうが……」「彼女は、ウルフカットな琥珀色の髪と、同じ色の切れ長の大きな目を持っていた」
最初であったときの印象を、まずは描いて見せている。
話が進み、
「彼女は、白のシャツに黒のカマーベストとスラックスを着ていた。それらはよくアイロンがけされていつつも、ピッタリと着慣れている印象だった」と全身を描くことで、バーの従業員だというのがわかる流れ。
こうした状況に合わせて、描写をみせていく。
作者が読者を意識して書いている証拠である。
「その袋の中にあるの、ロープと水だよね。何する気だったの」
主人公の顔色とロープから首吊を連想するのはわかる。
なぜ水なのだろう。 ロープに水を染み込ませて摩擦力を高め、よく締まるようにするためかしらん。ロープの材質によっては緩みやすくなる場合もある。
それとも、のどが渇いていたのかもしれない。
「まぁ、そんな感じ。と言っても、多分未遂で終わったと思うけど」
「そうかな。君のさっきの顔は、本当に『死の淵』な顔だったよ」
「本当だよ。丁度さっき、命が惜しくなって情けなくなってたところさ」
主人公の一人称なので、彼がどの様な表情をしていたのかはわからない。彼女が気づけたのは、バーの従業員という接客業だったからだろう。毎日、いろいろな客が訪れる。人ぞれぞれ悩みがあり、顔の表情、声だったり、歩き方、動きなどからも、その人の心の内は現れる。
見た目とロープから想像したのかもしれない。
落ち込んだり自殺しようとしている人は、視野が狭くなっており、他事に考えが及ばなくなっているようにみえる。でも当人は、鋭いまでに冷静になっているもの。
主人公は彼女に声をかけられたことで、周囲の状況に目を向けることができたのだ。
「君、まだ死にたそうな顔してるから、ちょっとウチ寄ってきなさいよ。奢るから」
バーの従業員だったから、言えたのかもしれない。
世話好きの近所のおばさん、あるいは主人公を子供の頃から知っている同級生の母親とかなら、寄ってきなさいと声をかけたかもしれないが、最近はそういう人も少なくなったのではと考える。
「ちょっとウチ寄ってきなさいよ。奢るから」は、「酔ってきなさい」とかけているのかしらん。無粋な邪推をしてしまう。
主人公は、涙を流していることに気づいていなかった。
気づいていなくとも、泣けるならまだ大丈夫。
絶望しすぎると、涙なんて出てこなくなる。
前半は受け身がちな主人公はバーの従業員に出会い、小さな殻を破る瞬間を経て、誘われながらも、自身の意思決定で店へ入るところで一話が終わる。
二話からは、徐々に積極的にドラマを動かしていく。
長い文は数行で改行。句読点を用いた一文は長くない。どちらかといえば、一文は短い。短文と長文を組み合わせてはテンポよくし、感情を揺さぶってくる場面もある。ときに口語的。登場人物の性格がうかがえる会話文で書かれている。シンプルかつ詩的な描写が特徴で、感情の変化を巧みに表現されている。
瑞樹の内面を深く掘り下げることで、共感しやすくなっている。
五感の描写では、バーの独特な雰囲気やお酒の香り、味わいが鮮やかに描かれ、読者がその場にいるかのように感じられます。
視覚は、美咲の見た目、バーの落ち着いた照明、色とりどりのカクテルがテーブルに並ぶ光景、瑞樹と美咲の表情の変化が鮮明に描写され、その場の雰囲気を感じ取れる。
聴覚は、バーの中で流れる心地よい音、シェイカーの音、二人の会話が生き生きと描かれ、物語に深みを与えている。
嗅覚は、酒の香り、酒臭い息子など。
味覚はカクテルのアルコール度数の喉の痛み、甘さや苦味、響の美味しさなど、味わいが瑞樹に新たな感情を呼び起こす様子が描かれている。
触覚は、涙を拭った手、両手を叩く描写、冷たいグラスを持つ手、美咲の微笑みから感じる安心感など、心情を表現している。
主人公瑞樹の最大の弱みは、自己肯定感の欠如と、他者とのコミュニケーションに対する恐れ。この点が彼の成長を際立たせている。
バーの店内がよく描けていて、雰囲気が感じられる。
知っている酒の種類を聞かれて、
「あ、ストゼロ!」
「ねぇよ」
このやり取りが面白い。
彼女はベルモントを作り、「死なないでね〜」の一言を付け加えている。
さっきまで死にそうだった主人公には、気付け薬になっただろう。
「貴様……毒を持ったな!」
「毒ぅ!? あははは、まぁあの呑み方したらそう思うのも無理はないよね」
「え、飲み方ぁ……?」
「カクテルってね、ジュースみたいにゴクゴク飲まないんだよ。ましてやこういう度数が高いやつだとね」
「し、知りませんよそんなこと……」
「えへへへ、ま、わざと度数を高いやつ選んだんだけどね」
「なんてことを……」
二人の会話を見ていると、生き生きしている。
さきほどまで死のうとしていた人間とは思えない。
後半は基本、お酒ばかり飲んでいる。
バーに来たのだからお酒を飲むのは足り前とはいえ、主人公の悩みを聞くわけでもなく、彼女自身の昔を語るわけでもない。
瑞樹の内面的葛藤をもう少し詳しく描いて成長を感じやすくしたり、美咲のバックストーリーを少し加えて彼女の存在の重みをさらに増すこともできると考える。
彼女の特別な『響』を出すことで、それなりのバックボーンは垣間見えるけれども、よくわからない。それは主人公がまだ子供だからだろう。
十八歳は大人です、というツッコミはスルーする。そういう意味ではなくて、勉強ばかりして受験に失敗し、落ち込んで死のうとした事を話した部分は、二話と三話の間で割愛されていると考える。
彼女はもっと大人な悩み、恋愛絡みかもしれないが、主人公と同じように生きるのが嫌に思えたときがあった。そんなときに出会ったのが『響』であり、生きる力をもらい、バーの従業員として働く道を選んだと推測する。
バーというのは、英気を養う場所。
また家に帰る勇気をもらう場所。
「受験や母のことが心鏡にぼんやりと映るのを感じた。しかし、それらは悲観的なものでなく、むしろ、少しの勇気に包まれていた。物事を無視せず、しかし直視もせず、片目だけで生きるような、そんな生き方の、勇気が湧いた」
主人公は新たな生き方を、お酒から学んだのである。
直視も無視もせずにやり過ごす。
これまでは行くか戻るか、右か左か、二者択一のような生き方をしてきたのかもしれない。第三の選択もあるのではと、気づけたのだ。
「俺は母親に受験の不合格の連絡を送った。この後起こるであろう悲劇を、後悔する事なく」
どのみち報告はしなくてはいけないのだ。いえば怒られる。それも仕方ない。あるがままを受け止め、帰宅する。
「お駄賃は要らないと言われた。その上、車で送っていくとも言われた。しかし、流石に遠慮して歩きで帰ることにした」
店に入ってきたとき、タメ口をきくのも忍びなく、礼儀として敬語で話してきた主人公だからこそ、断って歩いていくのだ。酔いがある程度引いてきている現れかもしれない。
読後。タイトルをみながら、やはりジャパニーズウィスキーの『響』だったかと思った。読む前にタイトルを見たとき、最初に思い浮かべたのがそれだった。
瑞樹の苦悩や希望の芽生えに、深く感じ入った。彼と美咲とのやり取りに心温まる瞬間が多く、読後感が良い。
作中で、彼女は主人公の悩みを聞いていない。主人公も語らず、互いに酒を楽しんでいる。
お酒の味わいやバーの雰囲気を感じさせる五感の描写は印象的で、瑞樹の感情をよりリアルに感じられた。絶望から希望へと至るストーリーは、現代を生きる多くの人にとって励ましになるかもしれない。生きる意欲を取り戻す過程は、感動的だった。
こういうのを読んで、未成年がお酒を飲んでみようとするのは問題だけれども、お酒との付き合い方、使い方を学べるのではと思えた。
本作を読んで、アイリッシュウィスキーにジョンパワーズゴールドラベルというものがあり、元気のない酒飲みがバーに駆け込んで「パワーをくれ」といって飲む、みたいな話があるのを思い出した。
主人公が飲んだ『響』は日本生まれのウィスキー。ウィスキーは「命の水」という意味。辛いことを火酒に溶かして飲み干し、あるがままのいまを受け止めて、生きる元気と勇気をもらった彼は明日に続く道を歩いていくのだ。
大人になったとしても、飲まれるほど酒を飲まないように。嗜む程度に、程々に。
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