「タンスを処分したいんです」

「タンスを処分したいんです」

作者 ゴキヴリメロン

https://kakuyomu.jp/works/16817330657566804772


 現代、夏。若者のいない高齢者ばかりの田舎で大阪訛りの男が遺品整理をし、電話口でタンス処分を依頼しながら戦争の講演について話す。若者たちが戦争をゲームのようにしか考えていないと嘆く。

 戦時中。兵役を離れた主人公が再び赤紙を受け取り、戦場に戻る決意をしたとき妻の妊娠を知り、父親になる喜びと責任感を感じながらも、戦場へ向かう。航空教官として従軍した彼は、戦況の悪化により出撃、機体の故障で命を落とす。家族と再会するも死後の夢の出来事だった。バスの中で、彼は黒い雨が降る中、子供を抱いた女性が乗り込んでくるのを目撃。女性は子供を置いて去り、子供は苦しむ。恐怖に駆られ、バスを止めるよう叫ぶが、運転手は戦争の恐怖と無力さについて語る。

 現代に移り、終活代行者が、就活をはじめた高齢の女性のために、タンスを処分するために業者に連絡して見積もりを依頼、ビデオメッセージ撮影をして女性の記憶を残しはじめる話。


 数字は漢数字等は気にしない。

 現代ドラマ。

 ファンタジー要素もある。

 男の内面の葛藤や家族との絆が丁寧で、日常の風景や会話を通じて、戦争の影響がリアルに伝わってくる。

 夢と現実が交錯する構成が効果的で、感情描写も優れ、戦争の悲惨さと無力感が強く伝わり、想像を掻き立ててくるところがよくできていた。


 冒頭とラストは三人称。冒頭の男性は主人公の父親、ラストに登場する女性は主人公の妻。本編は主人公。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。物語は現在過去未来の順に並べられている。


 サブタイトルの位置が、作品の順番を表している。

「望んだこと」→「未来ある別れ」→「兵士、発つとき」→「現実の先、虚ろな夢」→「かすれゆく血みどろ」→「記憶かなた」の順に読めば時系列順になる。  

 理由は、読者を物語へと誘うカメラワークの役割のため。

 作品は「導入→本編→結末」からなり、導入は客観的な状況説明をする場面なのでロングレンジから見せていく必要がある。そのための三人称であり、現代からはじまっている。

 本編はズームされて主観で描き、描きたい兵役に赴く男の一人称で語られている。

 結末は客観的視点からのまとめのためにズームアウトするべく、三人称であり、戦争でなくなった男の妻と思しき女性視点の現代が描かれている。

 また、本編内も「導入→本編→結末」の流れであり、現在過去未来の順になっている。


 それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと、女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

◆あらすじは時系列順に並べる。

 兵役を離れた主人公が再び赤紙を受け取り、戦場に戻る決意をするところから始まる。主人公は、前線から遠く離れた片田舎で、まるで女子供のように守られている自分に疑問を抱いていた。しかし、赤紙が届いたことで、その疑問は一瞬で消え去る。

 主人公は、指定された日時までの三週間を準備に費やす。まずは、無精ひげを剃り、髪を整え、隊服を仕立て直すために町へ出かける。妻も同行し、二人で久しぶりに外食を楽しむ。食事の席で、妻から妊娠の報告を受け、主人公は父親になる喜びと責任感を感じる。

 出発の日、主人公は田んぼを横目にぬかるんだ道を歩き、バス停へ向かう。バス停で待つ間、戦争の影響を感じさせる張り紙に気づくも、無事にバスに乗り込む。バスの中で、運転手との会話を通じて戦争への不安と希望を語り合う。

 駅に到着し、運転手に見送られながら、主人公は戦場へ向かう決意を新たにする。物語は、主人公が家族と故郷を守るために戦場へ向かっていく。

 鹿児島の航空基地にて航空教官として従軍する主人公は、若い学生たちに実戦技術を教え、送り出す。戦争初期は日本の不敗神話を信じていたが、次第に戦況が悪化し、彼自身も出撃することになる。

 出撃の日、彼の機体は故障し、爆発してしまう。彼は家に帰り、家族と再会するも、現実ではなく彼の死後の夢の中の出来事だった。彼は家族と過ごすひとときの後、再び目覚めると、バスの中にいた。バスは無数の他のバスとともに、どこかへ向かっている。

 バスの中で、彼は黒い雨が降る中、子供を抱いた女性が乗り込んでくるのを目撃。女性は子供を置いて去り、子供は黒い雨に打たれて皮膚がただれ、苦しみながら静かになる。主人公は恐怖に駆られ、運転手に止めるよう叫ぶが、運転手は戦争の恐怖と無力さについて語るのだった。

 現代に移り、終活を始めた高齢の女性が登場。終活代行者がタンスを処分するために業者に連絡し、見積もりを依頼する。女性は弟との関係がうまくいっておらず、自分の終わり方に気を抜けないと話す。終活代行者は、ビデオメッセージの撮影を行っていく。

 次に大阪訛りの男が登場。暑い盆、高齢者ばかりが住む静かな町で彼は遺品整理をし、タンスを処分するために連絡。彼は電話で業者と話しながら、縁側でぬるくなったミネラルウォーターを飲む。彼は高齢女性が行っていた戦争の講演について話し、最近の若者は戦争をゲームのようにしか考えていないのに、聞きに来ていた修学旅行生たちはほとんど眠っていたと嘆いたあと、電話を切って男は町を後にした。


 三幕八場の構成になっている。

 一幕一場 状況の説明、はじまり

 静かな田舎町にはデパートやコンビニすらなく、住人の大半は還暦を迎えた高齢者。ある夏の日、気温が三十九度を超える中、大阪訛りの男が遺品整理をし、タンスの処分を依頼し、電話で話しながら冷蔵庫を覗くなにもない。仕方なく軽トラに戻り、ぬるくなったミネラルウォーターを手に縁側に座る。男は電話で戦争について話し、若者が戦争をゲームのようにしか考えていないことに嘆く。電話を切った後、男は家の戸締まりをし、町を出て行く。

 二場 目的の説明

 戦争に出兵する男と妻の別れのシーン。男は愛国心に燃え、妻は不安を抱えながらも夫を誇りに思っている。男は赤紙を受け取り、出兵の準備を進める。妻は手拭いを渡し、男はそれをポケットに仕舞い込んで家を出て行き、妻は見送る。

 二幕三場 最初の課題

 兵役を離れた男は前線から遠く離れた片田舎で、まるで女子供のように守られている自分に疑問を抱いていた。ある日、妻から赤紙を受け取り、その疑問は一瞬で消え去る。

 指定された日時までの三週間を準備に費やす。無精ひげを剃り、髪を整え、隊服を仕立て直すために町へ出かける。妻も同行し、二人で久しぶりに外食を楽しむ。食事の席で、妻から妊娠の報告を受け、主人公は父親になる喜びと責任感を感じる。

 四場 重い課題

 出発の日、男は田んぼを横目にぬかるんだ道を歩き、バス停へ向かう。バス停で待つ間、戦争の影響を感じさせる張り紙に気づきますが、無事にバスに乗り込む。バスの中で、運転手との会話を通じて戦争への不安や期待が語られる。バスは駅に到着し、男は運転手に礼を伝え、出発する。

 五場 状況の再整備、転換点

 戦時中の日本。鹿児島の航空基地で航空教官として従軍していた男は若い学生たちに実戦技術を教え、送り出していた。戦争の初期には日本の不敗神話を信じていたが、次第に戦況が悪化。男の心には恐れと不安が広がっていき、自身も出撃することになる。

 六場 最大の課題

 出撃の日、彼の機体は異常を起こし爆発、死を迎える。男は家に帰り、家族と再会するが、妻や子供との再会がもたらすはずの安堵はない。再び意識を失い、次に目を開けると、見知らぬバスの中にいる。周囲には同じように無表情な人々がいて、外は長い行列のバスで埋め尽くされ、どこかへ向かっている。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 黒い雨が降る中、幼い子供を抱いた女性がバズに乗り込んでくるのを男は目撃する。女性は子供を置いて去り、男は子供に目を向けると、黒い雨に打たれて皮膚がただれ、苦しみながら静かになる。男に恐怖に駆られ、運転手に止めるよう叫ぶが、運転手は戦争の恐怖と無力さについて語り、戦争の非常さを思い知る。

 八場 結末、エピローグ

 現代に移り、終活代行者と、終活を始めた高齢の女性が登場。タンスを処分するために終活代行者にお願いして業者に連絡、見積もりを依頼する。女性は弟との関係がうまくいっておらず、自分の終わり方に気を抜けないと話す。終活代行者はビデオメッセージの撮影を行っていく。


 タンスを処分する謎と、登場人物に起こる様々な出来事の謎がどう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 遠景で、「この町は静かである」と示し、近景でどの様な街なのか説明。心情で「年を重ね、孤独ながらに生きる老人が時の流れを待つ……そんな場所であった」と語られる。

 物語の舞台が語られる。

 おそらく、大阪訛りの男が遺品整理に来た家は、結末で語られている高齢の女性、講演を行っていた人物の家。高齢の女性は、本編で出兵した男の妻であろう。

 処分するタンスとは、女性が嫁ぐときに花嫁道具として持ってきたタンスだと思われる。


「そんなこの町にも、夏は訪れた。この日、気温は三十九度を超えていた。向日葵ですらうつむくような日差しの中」とあり、暑い中で労働するのは大変なところから、共感を抱く。

 

 大阪訛りの男は、遺品整理をしており、汚れた作業着が置かれていることから、遺品整理をする業者なのがわかる。

 高齢の女性はもう他界している。冷蔵庫の中身が空っぽなので、もう住んでいない。

 終活代行業の人が電話したのは遺品整理の会社であり、男は遺品整理業者で、電話相手は処分専門の解体業者だと推測。

 ただし、「お宅も大変やな、こんな盆の日まで仕事なんてな。ん?まあ俺も仕事みたいなもんやけどな」とあり、モヤッとする。

 遺品整理の業者ではない可能性もある。

 つまり、遺品整理業者から運搬を委託された人かもしれない。

 仲の悪い弟という可能性も考えられるが、ラストで業者に電話をしているので可能性は低い。


「それにしてもな、あの婆さんもよくやっとったわ。いっつも講演講演ゆうていろんな所行ってさ。今時の若い奴らなんて戦争はゲームくらいにしか考えとらんに……ほら、前にあいつの講演見に行ったことあるんだけどさ、ほとんど眠りよっとったで。修学旅行かなんか知らんけど、けったいな奴らやわ」

 高齢女性は被爆者だろう。

 出兵した男が戦死した際に見た夢の中で、いつの間にかバスに乗っていたとき、「雨が降ってきた。しかしこれまた、不思議な雨だ。なんと、雨粒が黒いのだ。黒い雨が、あたり一面降り始めた」と、黒い雨が降っている。

 原爆が投下されたあとの雨だと思われる。

 止まったバスに、子供を抱えた女性が乗り、子供を床におろして降りている。三歳くらいの子供。「持ち上げて、彼の顔を覗き込む。驚いたことに、夢の中で見た、息子の顔にそっくりだ」とあるので、男の子供であり、さきほどの女性は妻となる。

 子供は「黒い水滴がついている場所から、徐々に皮膚がただれ始めたのだ。頬、腕、が特にひどく、髪の毛も抜けている。子供は苦悶の表情を浮かべ、『お母さん、お母さん』と叫びながら、やがて静かになった」とあり、被爆して子供が亡くなったことを表している。

 冒頭の静かな町は、広島か長崎、どちらかだろう。

 男が大阪訛りだったので、大阪に近い広島が舞台だと思う。

 作中に『安佐町ー広島駅間 三月十四日より当面の間運行休止』と出てくるので間違いない。町の名前は安佐町かしらん。


 長い文は五行で改行。句読点を用いた一文は長過ぎることはない。むしろ句読点で区切って一文を短くし、読みやすい。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶっている。

 落ち着いた語り口で、主人公の内面の葛藤や感情を丁寧に描写している。日常の風景や会話を通じて、戦争の影響や主人公の心情をリアルに伝えているのが特徴。

 描写が詳細で、感情の起伏が丁寧に描かれている。特に戦闘機の操縦や家族との再会シーンでは、リアリティが感じられる。

 戦争の悲惨さと無力感を強調するために、夢と現実が交錯する構成が効果的に使われている。


 モヤッとするのは、夢の中で妻の視点が描かれていること。

 きっと死んだ男は、魂だけ家に帰ってきたのだ。

 夜中に目覚めた妻は出迎え、息子が寝ている寝室へ入る夫をみて、「(明日、豪勢に労ってあげないと)そんなことを思いながら、私も再び布団に入った」と眠るという体験を妻はしたのだ。

 朝起きたら夫はおらず、夢だったと思ったはず。

 その後、亡くなった知らせか原爆投下が先かはわからないが、そう遠くないうちに被爆するのだ。夫も子供もなくしてしまう。実に辛い。

 

 五感の描写。

 視覚は、町の風景や店内の様子、バス停の張り紙、田んぼの景色などが詳細に描かれている。戦闘機の操縦やバスの中の描写が詳細で、読者に鮮明なイメージを与えている。バスの車内や外の長い行列、黒い雨の描写。家族との再会シーンでの家の中の様子。

 聴覚は、妻や運転手との会話、店内の賑わい、バスのエンジン音。家族との会話や、バスの中での静寂。直接的に書かれていないが、エンジン音や爆発音など、緊張感を高める音の描写がある。終活代行者との会話や電話のやりとり。

 触覚は主人公が手拭いを握る感触や、バスの揺れ、ぬかるんだ道を歩く感覚など。子供を抱き上げる感触が、主人公の体験を伝えている。

 嗅覚は、食事の香りや、田んぼの匂いなど。コックピットの焼けるにおいや、隊服の血とすすのにおいが、戦争のリアリティを強調。

 味覚は、外食の味わいが描かれている。

 味覚や嗅覚の描写を増やすことで、よりリアルな体験を読者に


 主人公の弱みとして、出兵する男は戦場に戻ることへの不安や、家族を守る責任感との葛藤が描かれている。戦争の大きな力の前で、自分が何も守れないという無力感や、戦況の悪化と自分の行動が無意味に感じられる絶望感に包まれていく。

 主人公の内面の葛藤や家族との絆が丁寧に描かれており、感情豊かで共感を呼びおこしている。背景やキャラクターの深堀りを咥えることで、さらに魅力的な作品になる気がする。

 男の妻や運転手のキャラクターをもう少し深掘りすると、出兵前の日常に厚みが増すと考えだろうし、戦争の背景や主人公がどのような戦場に向かうのか、バスの中の人々の背景や感情など、もう少し具体的に描写すると状況がわかりやすく伝わってくる。

 ほかにも、冒頭の遺品整理をした男性や結末の終活業者といった、主人公以外のキャラクターの背景や感情をもう少し掘り下げることで、物語に厚みが増すだろう。

 それらをもう少し強調することで、テーマにしている戦争の悲惨さや無力感といった、メッセージがより伝わりやすくなると想像する。

 作品の構造から考えると、時系列を入れ替えたストーリーの流れは意味があり、納得できる反面、現実と夢の境界が曖昧な部分もあるため、読者が混乱をきたす可能性が高い。深く読めず、途中で飽きて読むのを辞めてしまう可能性も考えられる。場面をもう少し明確にすると、読者が混乱せずに物語を追いやすくなり、感情移入もしやすくなっていくだろう。

 

 物語の最後で、終活代行者は「百も超えそうだっていうのに、本当に、尊敬しかないよな」と思いながら、パソコンとカメラの位置を、高齢女性の正面に整えている。

 被爆したのは二十歳くらいだったのだろう。

 夫と子をなくし、自身もひどい目にあって戦後を生きていた。再婚はしなかったのだろうか。そんな高齢女性がどう生きてきたのかは、本編では語られていない。

 講演で語っている内容は、どんなものなのだろう。

 夫を送り出すまでの日常や、夜中に帰ってきた不思議な体験もかたっているのかもしれない。


「彼女は今日も、彼女の記憶を、世に残し続ける」と最後の一文で考える。終活代行業者は女性なので、「終活代行業者は高齢女性の記憶を、世に残し続ける」という意味なのか。あるいは「高齢女性は今日も、自身が体験した記憶を、世に残し続ける」なのか。 

 ラストは客観的な見方、ズームアウトしていく描き方になると考えると、どちらの意味か迷ってしまう。

 おそらくは、後者でいいのだろう。

 結末の文面では、高齢女性のことを「彼女」と表現し、彼女彼女と続いて、読み手としてはいささかわかりにくい。彼女を使う頻度を抑えて、ここぞというところで使われたほうが、読み手には伝わると思う。


 読後。

 読む前は、タイトル「タンスを処分したいんです」をみて、日常ドラマかと思った。冒頭は現代で始まり、想像どおりかとおもわせてからの、出兵へ赴く男の姿が描かれ、戦時下の日本が舞台で、男の出兵と犠牲、戦争の悲惨さを描いて、再び現代にもどり、就活する高齢女性がビデオメッセージを撮影するところで終わっていく。

 高齢女性の人生、家族の思い出の詰まったタンスを人生の終りを迎えるために処分したのだと、読み終えて気付かされ、描かれていない女性の人生に思いを馳せる構造は、非常に考えられて作られているし、想像を掻き立てられ、わずかながらも悲しみを追体験できた。

 高齢女性は肉体的苦しみやつらい記憶を、平和への希望を育むために講演を行い活動をしてきたのだろう。

 海の向こうで戦争が起きて争いが絶えない中、今年のノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会が受賞した。核兵器のない世界の実現に向けた努力の活動が評価されたのはいいことだと思う。

 そもそも戦争がなければ、争わなければ、父と母と子の笑顔は壊されることもないのだ。戦争の犠牲で苦しむ人が、この先も生まれないことを切に願う。

 

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