心
心
作者 蘇芳ぽかり
https://kakuyomu.jp/works/16818093076368996367
明治後期。初雪の降った夕方、工場で働く向坂が帰宅し、妻・文子と過ごす。手紙を受け取り、涙する彼を妻が慰める。数年前の夏、彼は椿のような女性に恋をし、友人の乾に相談。見合い相手と結婚を決意。乾は父から東京行きの話が来るも、工房が燃やして自殺未遂を図る。向坂は乾を説得し逃がす。数年後、乾から届いた手紙には、旅の途中であり、命を救ってくれた向坂に感謝し、いつか直接「ありがとう」と伝えにいくと書かれていた話。
時代もの。
物語の時代を感じさせつつ、五感に訴える描写が秀逸。情景描写が非常に豊かで登場人物の感情が細かく描かれている点が魅力。主人公が涙した、葛藤と感謝の気持が丁寧に書かれた乾の手紙は、読者も深く感動を覚えるだろう。
こういう作品を高校生が書くのか。
溜息がこぼれてしまう。
主人公は、向坂。一人称、おれで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。乾の手紙は、私で書かれたですます調の文体。現在、過去、未来の順に書かれている。
絡め取り話法と女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場の状況の説明、はじまり
明治後期。初雪の降った夕方。主人公である工場で働く若い男性は仕事から帰宅し、和服に着替えて一息つく。彼は社会の一歯車として働いており、疲れを感じながらも、楽をするために生まれてきたわけではないと自覚している。
茶の間で火鉢の前に座り、妻・文子が入れてくれたお茶を飲みながら会話を楽しむ。妻は庭から落ちた赤い椿の花を持ってきて、彼に見せる。その美しさに感動し、妻の風流な精神を尊く思う。
二場の目的の説明
妻から兄が手紙を届けに来たことを聞かされる。手紙の送り主は不明だが、几帳面な筆跡を見て、主人公はある予感を抱く。手紙を開けると「これは、はは……こんなつもりじゃないのにな、おれ……」強がって笑い、弁明しようとするも涙が止まらない。妻は何も言わず、彼を抱きしめ慰める。
静かな冬の夜に包まれながら、主人公は妻の腕の中で数年前の夏を思い出していく。
二幕三場の最初の課題
主人公が椿のような女性に恋をするところから始まる。彼は小さな工房に駆け込み、友人の乾が下駄を作る様子を見守る。乾の集中力に感銘を受けつつ、主人公は自分の気持ちを整理する。
四場の重い課題
主人公は父親から次々と縁談を持ちかけられ、何人もの女性と会うが、どの女性にも興味を持てなかった。しかし、ある日見合いで出会った女性だけは違った。彼女の誇り高く美しい姿に心を奪われたのだ。
友人の乾に相談。「とにかく結果としてどんな方向になってもいいと覚悟して、進んでみたらどうだ。何かあった折には、変な話だが、君の方から正々堂々と振らせてやればいい」彼の助言を受けて、主人公は決心を固める。翌日、彼は見合い相手の家を訪れ、彼女の母親に結婚の意志を伝える。母親は娘の幸せを願い、主人公の決意を確認。主人公は誠意を持って答え、二人の結婚が決まる。
五場の状況の再整備、転換点
主人公は友人の乾の工房に飛び込み、乾から婚約祝いとして鼻緒のない下駄を受け取る。乾は東京に行くことになったと告げ、主人公は驚く。乾の父が中央に昇進し、家族で東京に移ることになったため、乾もそれに従う決意をしたのだ。主人公は乾の決意に驚きつつも、彼の苦しみを理解しようとする。
六場の最大の課題
その夜、主人公は眠れずに工房に向かうと、乾の工房が燃えているのを発見する。乾は自殺を図ろうとしており、主人公は彼を止めようとする。乾は自分の進むべき道と父親の期待との間で苦しんでいたことを告白し、自分の存在意義に疑問を抱いていた。「いいから逃げろ。放火は罪が重いんだ。厄介事になる前に、走って、何処どこへでも行ってしまえ。そして二度と姿を見せるな」
主人公は乾を説得し、彼に逃げるように促す。乾は最終的に逃げることを決意し、夜の闇に消えていく。主人公は乾の無事を祈りつつ、工房の火事を街に知らせる。
三幕七場の最後の課題、ドンデン返し
乾が松戸の地を離れてから三年半が経過し、主人公のもとに彼からの手紙が届く。その内容によれば、乾は現在、東京にはおらず、無限に続くかと思える長い旅の途中にいる。各地をあてもなく巡りながら、様々な人々に助けられ、感謝の気持ちを抱きつつ旅を続けているという。
旅先では壮大な景色、海岸、平原、朝日などの美しい自然に触れるたびに、自分の存在の小ささを感じ、時には死を考えることもあるが、乾は過去の思い出に支えられ、主人公に命を救われたことを思い出し、前に進む決意を新たにするという。
八場の結末、エピローグ
激動の時代に立ち向かいながら、人と人が手を繋ぐことの大切さを考え、いつか感謝の気持ちを伝えるために会いに行くことを誓い、幸せを祈りつつ手紙は締めくくられていた。
手紙の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
本作は、導入の現在、本編の過去、結論の手紙で構成されている。 まさに、現在過去未来の順に書かれており、読み深い作品となっているのが凄まじい。
遠景で、「初雪の降った日の、夕方であった」と季節と時間を示し、近景で、主人公が和服に着替えて肩の力を抜く様子を描き、心情で大きく息を吸って吐き出す。
仕事から帰ってきて疲れた感じがするところに、共感を抱く。
「工場では無意識のうちに呼吸を浅く潜めているのが常になっているのだと、気づく」工場で働いているのだ。同じ姿勢、ずっと立ちっぱなしかもしれない。
主人公の状況と、考え、生き方がよくわかる。
「働き手としておれも社会の一歯車として機能するようになって、もうすぐ三年が経つ」
この歯車という表現が、時代を感じさせていい。
「しかし、自分も立派になったとか、大人になったなどとは全く思わない。未熟な若造のままだ」
実感がこもっている。元服しようが成人式を迎えようとも、急に大人になるわけではない。出来ないことはできないし、駄目なところは駄目で、それでも少しずつは任されていく。そんな最中にあるのだろう。
「仕事は、疲れる。それは無論のことである」
最初に、最もだと読み手も同意すること、説明をいって、
「誰しも苦しみたくはないだろうが、楽をするために生まれてきたのだという気は毛頭ない」
主人公の主観をのべることで、そうだよねと同意させる流れは、大人や社会、あるいは物語世界の時代に適した考えを受ける。こういう書き方は上手いと思う。
現代の十代の若者なら、楽したい、楽しいことだけしてなにが悪いっていうんだよ、と文句を言う人もいるかもしれない。
本作は明治時代の設定なので、時代に合った考え方が随所に描かれているところが、時代の空気感を感じさせてくれて、読み応えがある。
「火鉢の前に腰を下ろした。仄かな温かさが、疲れの積もった体にじわじわと沁みていくように思った」主人公の一人称で書かれているので、「思った」と書かなくていい。
火鉢は抱え込むように暖を取ると、小さな火なので、手のひらや体の正面が、わずかにじんわりと温まっていく。背中や足など、火鉢の暖かを感じないところは寒いままなので、「体にじわじわと沁みていく」のはニュアンスが若干違うかもしれない。火鉢以外に暖を取るものが部屋にあるのかも。
あるいは、初雪が降ったのは昼過ぎであり、いまは降っていないので、身震いするほどの寒さではないのかもしれない。
「実家の持つ伝手によって、これでも工場の中でも第二部署副長という立場に位置しているのだから、肉体労働に関してはもう少し手を抜いていいものかもしれない」
どういう仕事内容なのかしらん。第二部署副長は事務的な仕事をする役職かもしれない。
「親の意向もあって大学を一応は出ているとはいえ」
明治後半の日本において、大学を卒業していることは非常に特別な意味を持っていた。
明治十九年(一八八六年)に公布された帝国大学令によると、大学の目的は「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」と定められていた。つまり、大学は国家に必要な高度な学問と技術を教授し、その奥深さを究める場所として位置づけられていた。
当時の大学進学率は非常に低く、大学卒業者は社会のごく一部のエリート層だけ。最先端の学問や技術を習得していたため、専門分野での高い能力を持っていると見なされていた。帝国大学の目的に沿って、国家の発展に寄与する人材として期待されており、高い社会的地位と結びつき、官僚や企業の幹部候補生として扱われることも多かった。
多くの国民にとっては縁遠い存在で、義務教育の普及が進む一方、高等教育を学ぶ機会は限られていたのが明治後半の現実。
主人公は、家が金持ちで、エリートといっていいだろう。
「元来から頭脳労働は向かない質たちなのだ。無い頭を働かせているよりは、他の労働者たちに混ざって手足を動かしていたかった」
だからといって、頭よりも体を使うほうが向いていると思っているわけだ。
椿を見て、「妻の横顔を盗み見た。あまり上流階級のような良い暮らしはさせてやれていないのに、こういう風流の精神を忘れない彼女のことを、心の底から美しく尊いと思う」と妻に思いを馳せてから、
「椿。……綺麗だな」
と言葉に出して褒めるところは、実に良い。
妻を大事にしている感じが良くする。本編で、「椿のような女に恋をした」とあり、妻の象徴でもある。だから、椿を褒めながら同時に妻も褒めている。
できるならば、妻も褒めてあげてほしいが、この時代の人は、はっきりいわないし、妻にも伝わっている。
主人公に手紙が届き、送り主に思い当たって「何かに駆り立てられるようにおれは爪で封を切った」急いでいる感じがする。
「便箋一枚を開いて、息を呑む」で、モヤッとする。
手紙文としては、一枚で収まる内容だったと思う。
実際、ラストで内容が書かれている。八百字程度なので、一枚で収まるかもしれない。でも、手紙を出すときは、透けて中身が見られないようにするので、手紙とは別に白紙を一枚、本作なら二枚にして折りたたんで入れるはず。封筒から取り出して開いたときは、二枚あると邪推する。とはいえ、乾は流浪の身なので、白紙を入れる余裕はないかもしれない。
妻はなにも聞かずに、「ただ黙って膝立ちになると、おれの頭をひしと抱きしめた。優しい温もりに、そっと口を塞がれる。歯を食いしばる。嗚咽が漏れて、いつしか子供のように泣きじゃくっていた」とある。
妻は、主人公が手紙の内容のことを話してくれることを知っているのかもしれない。そういう人だと、信じているだろう。
だから、まず泣かせて、落ち着かせるのかもしれない。
あるいは、過去に起きた出来事を、主人公は妻に話している可能性もある。「これは、はは……こんなつもりじゃないのにな、おれ……」とつぶやいてみせる主人公の態度から察し、あえて波もいわなかったやもしれない。
とにかく、妻は良くできた人だと思う。
三年半前、主人公は学生だった。季節は夏。学生の間に見合いをしている。すぐに結婚するつもりなのかしらん。
長い文は八行続くとこもあるが、だいたい五行で改行。句読点を用いた一文は長すぎない。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶるところもある。
時代がかった、口語的なところ。落ち着いた語り口で、導入は内省的な描写が多い。
五感を使った描写がよく描かれており、雪の冷たさや火鉢の温かさや椿の花の美しさなど、視覚と触覚に訴えてくる描写が豊富で、物語の中に引き込む力がある。主人公の内面の葛藤や感情の揺れ動きが丁寧に描かれており、共感を呼ぶところがいい。
本編は、落ち着いた語り口で、情景描写が豊富。
視覚、聴覚、触覚を使った描写が豊かで、臨場感がある。木の匂いや風の感触など情景を鮮明に伝えて、強い印象を与えているのが特徴。
キャラクターの深み: 主人公や乾のキャラクターの感情が細かく描かれており、主人公に共感させ、物語に感情移入させる力があるところがいい。
妻となる娘の描写が素晴らしい。
「質素な木綿の着物の、白と赤の細い縦縞模様。紅の薄いのに、花弁のような艶を持った小さな唇。芯のある光を宿した切れ長の目は、他の女のような媚びるような色は一切なく、むしろ挑戦的とも言える様子でこちらを見据えていた」
着物の白と赤と、顔の白い肌と唇の赤が対になっていると想像させつつ、その表情を描く。
この人が、主人公が「椿のような女」であり、たしかにと頷ける描き方をしている。
結末の乾の手紙は、丁寧で感傷的な語り口。乾の内面の葛藤と感謝の気持ちが丁寧に描かれているところがいい。
壮大な景色の描写が美しく、読者の五感に訴える自然描写が豊かで、感情の起伏が丁寧に描かれており、人とのつながりと感謝の気持ちが強調されているところが格別。
この手紙を読んで、主人公は泣いたのだ。
導入の五感描写として、視覚は、初雪の降る夕方、赤い椿の花、雪の結晶、妻の微笑みなど描写が豊富。
聴覚は、工場の音、茶の間の静けさ、台所の音、鼻をすする音など描かれている。
触覚は和服の柔らかさ、火鉢の温かさ、妻の抱擁の温もりなど。
嗅覚、味覚はない。
本編の五感描写として、視覚は工房の薄暗い室内、乾の作業、見合い相手の女性の美しさ、江戸川の風景などが詳細に描写されている。工房の陰影、燃える工房の炎、江戸川の風景、乾の表情や動作。
聴覚は、工房の静けさ、虫の音、見合い相手の女性の声、俥の音、人々のざわめき、炎の爆ぜる音、下駄の音など。
触覚は乾の作業の手応え、主人公が感じる涼風、燐寸の火の感触、下駄の手触り、乾の手の感触、炎の熱さ、涼しい風、嫌な汗で身体全体がべたべたとしていたなど。
嗅覚は工房の木の匂い。夏の空気、工房が燃えている様子「燃える様が息を呑むほどに美しかった」「空気の廻めぐりを考えた計算ゆえなのだろうと思った。息が詰まる気がした」など間接的に書かれている。
味覚は特にない。
結末の手紙の五感描写で、視覚は、岩場に波がぶつかる海岸、丘から見下ろす若草色の平原、力強く家屋の屋根瓦を照らす朝日。
聴覚は、波の音。
触覚は、旅の疲れ、風や波の感触。
「ややあって乾は突然、『私の祖父は、トウケイと呼んでいた』と低い声で呟いた。『私の父は、そんな祖父を軽蔑していた』とも重ねて言う」
「トウケイとは、旧幕府を慕っていた者が、よそから来た者に作られた新しい都を『京(キョウ)』と呼ぶのを嫌って呼んだ名だ」
こうした時代を感じさせる蘊蓄が、物語世界の現実味をより感じさせてくれる。実にいい。
導入の主人公の弱みは、感情の抑制。男性として感情を抑えようとするが、それが逆に感情の爆発を引き起こしてしまう。なぜなら、結婚をして所帯を持ち、親の伝手で働いているが、未熟な若造と感じており、自己評価が低いため。
さらに、乾からの手紙が、数年前の若かりし頃を思い出させる。
三年半前の主人公の弱みは、優柔不断なところがある。
見合いの女性に対する感情や結婚の決意に対して、優柔不断な一面が見られる。 自分が彼女を幸せにできるかどうかに対する不安が強い。だから、乾に相談し、「だって、彼女は、この話に乗り気でないかもしれないだろう? それでも無理やり手にして、それがあの娘を枯れさせることになってしまったら……。いや、それよりもまず、あの娘はおれのことなど何とも思っていないかもしれないし……」と語る。
「とにかく結果としてどんな方向になってもいいと覚悟して、進んでみたらどうだ。何かあった折には、変な話だが、君の方から正々堂々と振らせてやればいい」
と励まされ、決意を決める。
「酒飲みの父は『お前はああいう娘を見初めたのか』と顎に手をやった後、大口を開けて機嫌よく錫製のぐい呑みを傾けた。それから、『いいだろう。その娘が欲しいのなら、自分で貰ってきなさい』と頷いてみせた」
父親のセリフと動きから、情景、表情まで目に浮かんでくる。
「母は何も言わずに父の酒器に日本酒を注ぎつつ、微笑んでいた。ついにこの次男がねえ、と思い出話を始めそうな雰囲気だったので、おれは慌てて勉強があるからと自室に退散してきたのだ」
セリフと動きを示し、相手の表情や仕草を描いて説明した後で、主人公の感想をそえる書き方をしている。
そうすることで、一人称でも第三者の心情が伝わってくる。こういう書き方は上手い。
「娘はやはり、何ともいえず綺麗だった。濡れたように光る睫毛まつげの先や、細い首筋。そんな見た目はさることながら、心の奥にぴんと張る糸を持ったような佇まいに、内面の綺麗さが見出された」
文子の描写が良い。
遠景で「何ともいえず綺麗」と全体を示し、近景で主人公が意識してみた、目元の顔、首筋。心情では、見た目もさることながら中身、内面の綺麗さを見出している。
主人公が見とれ、好きな気持ちが感じられる。
考えにふけっていて、二人が入ってくるの気づくのに遅れて、
「おれは内心は大慌てで、しかしそれを隠すために涼しい顔を取り繕って水を飲み込んだ。父が夕べにぐい呑みを傾けた仕草を思い出して、噎せそうになった」
ここの動き、書き方も良い。
目に浮かぶようである。
明治後期、日本は主に二つの大きな戦争を経験した。
一八九四年(明治二十七年)七月二十五日に始まった日清戦争は、日本と清(現在の中国)との間で行われた。朝鮮半島の支配権を巡って勃発し、一八九五年(明治二十八年)四月十七日に下関条約の調印により終結。
日清戦争の約十年後、一九〇四年(明治三十七年)二月十日に日露戦争が勃発。日本とロシア帝国との間で行われ、満州(現在の中国東北部)と朝鮮半島の支配権が主な争点だった。戦争は一九〇五年(明治三十八年)九月四日に調印されたポーツマス条約(日露講和条約)により終結。
彼女の父親は、この二つの戦争のどちらかに関わったのだろう。日清戦争と日露戦争を比較すると、日露戦争の方が日本人の戦死者数が明らかに多いため、日露戦争かもしれない。
母親も凛としている。元武士の家系だったかもしれない。
「必ずや、と言おうとしたのに何か熱いものが喉元に詰まって、声が出なかった。代わりにおれは額ずくように深く頭を下げた。混ざるものなど何も無い、ただひたすらな誠意を伝えたいと思った」
言葉ではなく態度、行動で示すとするところに、日本的な覚悟や美しさを感じる。
お祝いの下駄を届けて、東京へ行く話をする乾。このときには自殺を考えていたと想像する。父の元へ行くとか、「これからはシャツに上着だな。それに背の高い黒帽子だ」「下駄も駄目だ。靴を履く」などといっているのは、主人公に気を使ってのことだったのかもしれない。
国のために働かないと父に逆らっては見たものの、手紙を受け取って、改めて気付かされる。
「家を出て、この地にやって来た。だが、食事で頼ったのは、父の知り合いの家だ。住んでいたこの工房は、父が僕にあてがったものだ! 僕は常に父を馬鹿にしながら、父の手の上に守られて生きてきた。結局、過去に縛られずに、むしろ突き放して生きていこうとしたって、それは全て芝居だった。進みたい道と進むべき道の間に引き裂かれそうになる振りをしながら、その実一歩たりとも動いていなかった。外面ばかりいい気になって、内面が何も変わっていなかったのは、自分自身だったんだ」
偉そうなことをいいながら、ふんぞり返って生きている人は、身につまされる思いを感じるかもしれない。
乾は自分に嫌気が差したのだ。
導入で、主人公が一歯車として生きているのと対照的だ。
「その上、僕は父が決して履くはずのない下駄を、手ずから作ることに意味を見出した」
父と子の確執だけではなく、時代の変化も重なっている。
西洋文化が入ってきて、江戸時代の日本的な考えなどが否定されていく。そうした変化にも抗おうとして、屈していく。その姿を体現しているのが、乾という男の生き方なのだ。
おまけに、西洋から入ってきた燐寸に古い価値観が燃やされていくのも、象徴的である。
乾を逃がすとき、「早く行けよ。おれに責任を押し付けたいか」といっている。これは「とにかく結果としてどんな方向になってもいいと覚悟して、進んでみたらどうだ。何かあった折には、変な話だが、君の方から正々堂々と振らせてやればいい」と、乾が教えてくれた言い方である。
このときの主人公は、「とにかく結果としてどんな方向になってもいいと覚悟して、進んでみたらどうだ」と、乾に伝えているのだろう。
「進みたい道と進むべき道の間に引き裂かれそうになる振りをしながら、その実一歩たりとも動いていなかった。外面ばかりいい気になって、内面が何も変わっていなかったのは、自分自身だったんだ」と嘆いていた乾に、逃げてもいいし父親の元へ行ってもいいから、覚悟して進めと促しているのだ。
少なくとも、どんなことがあっても生きろといったのだろう。
結末の乾の弱みは、自己の小ささ。
自然と比べて自分の存在を疑う。また、自分の存在意義を見失い、死を考える。
旅先での具体的なエピソードがあると、読者としては感情の深さがさらに増すのだが、流浪の逃避だろうから、手紙にはそんなことは書けないだろう。
「今も、この先も、私たちは目まぐるしく移り変わる激動の時代に立っています。いえ、今が特別に顕著であるというだけで、昔からずっと人々はこの流れの中に立ってきたのでしょう。それはきっと一つの真理です。絶望がこの世界を覆っても、一寸先が暗闇であっても、流されぬように、溺れぬように、人と人とは手を繋ぐことを覚えたのでしょう」
乾のこの言葉は、現代を生きる私達読者にも通じることが書かれている。
歴史は、いま、この瞬間にも作られ続けている。
常に激動であり、辛いや悲しみはゴロゴロ転がっているから、簡単に絶望してしまう。人は弱い。だから手を取り合って、苦難を乗り越えていく。これまでも、これからも。
乾は、友情に素晴らしい喜びがあることに気づいたのだろう。
喜びは人に伝わりやすい。
自分がいることで友人が多少なりとも幸せに感じるのなら、友人の幸せを見ることで自分が幸せを感じ、互いに与え与えられをくり返すことで、喜びがほとばしっていく。
乾の無事を知って、主人公は涙し、その姿を見て妻も優しさを持つ。幸せでいることで、乾が訪ねに来るかもしれない。そんなことを思わせてくれる手紙だった。
読後。タイトルを見直して、なるほどと感じ入る。
非常に感動的で、主人公の感情に共感できる部分は多い。五感に訴える描写が豊富で、情景が鮮明に浮かび上がる点が魅力的。物語の世界に引き込まれ、全体として、非常に美しい物語。乾の感謝が心に響き、読後感が温かく感じるところもいい。
どんな時代、どんな状況にあっても、心だけはなくさず生きなくてはならないことを、改めて教えられた気がする。
追加
江戸風俗考証の分野で足跡を残した三田村鳶魚は、「トウケイ」読みについて、
「明治二十年頃までは、頑強にトウケイという老輩が多かった。さすがに幕府が瓦解して、江戸が吹き飛んだあとへ、遠国他国から来た人間ばかりが幅をする東京が出来たのは、感慨に堪えなかったろう。京の字をケイと読んで、京都の京の音を逃げる、ケフと読んでもキョウと読んでも上方臭い、そこを嫌ってトウケイ、無理にもそう読んで、鬱憤を霽らすのだったろう」と、触れている。
乾の祖父が「トウケイ」と読んでいたのが明治二十年頃と仮定し、従軍にいった文子の父が帰らなかった戦争は、一八九四年(明治二十七年)七月二十五日に始まった日清戦争かもしれない。そう考えると、本作で語られている時代は明治三十年前半ごろと推測する。
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