死んだうさぎとタートルネック
死んだうさぎとタートルネック
作者 初見 皐
https://kakuyomu.jp/works/16818093081768021354
高校生の主人公が、SNSの反応を狙ってペットのウサギを殺し、炎上。自殺しに来た部室で友人の後輩と共に過ごしながら、自分の行動や人生について考え直し、最終的に生きる意志を取り戻す話。
現代ドラマ。
SNSの影響や自己認識、他人からの評価など重いテーマを扱いながら、キャラに深みがあり内面を描きつつ、物語の緊張感がスムーズに続いている。死にたくないというメッセージが強く響いてくる作品。
主人公は、羽善高校の女子高生、兎崎。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
主人公は、かつてテレビの舞台で天才と称賛されていた。
高学年になると人気は陰り、中学になると世間と母親から飽きられた。
高校生になる前、主人公は母親の気まぐれでウサギのポン太を飼い始める。最初はSNSのネタとして飼い始めたものの、次第に愛着が湧き、ポン太の世話をするようになる。その頃、主人公は図書室でウサギの飼育本を読み漁り、文藝部に誘われて入部。
高校に入ってからSNSで人気を博し、インフルエンサーとしての地位を築くも、本当の自分を見失っていることに気づき、次第に息苦しさを感じるようになる。
第二文藝部の部室で後輩と過ごしながら、自分の行動に対する後悔や葛藤を抱える主人公はある日、夜にうるさくした母親からポン太を殺すように命じられる。見捨てられたのだ。主人公はその命令に従い、ポン太を殺してしまう。つぎに見捨てられるのは自分だとおもいながら。
主人公が「うさぎとかめ」の童話を思い出すところから始まる。自分を「うさぎ」として認識し、失敗を重ねた過去を振り返る。彼女はSNSで注目を集めるために飼っていたペットのウサギを殺し、その写真を投稿、大炎上する。
日曜日。自殺するために、最期の場所にと部室を選んだ。
彼女の唯一の友人であるタートルネックを着た後輩、カメ野郎と呼ばれる彼が二階にある第二文藝部の部室に窓からやってきて、主人公の行動に対して「馬鹿じゃないですか」と非難しつつも、彼女を守ろうとする。
主人公と「カメ野郎」は部室で対話を続け、自分の行動を正当化しようとするが、カメ野郎は彼女を非難し、もっと自分を大切にするように説得する。
部室の外からは、SNSの投稿を見た人々が集まり、窓に物を投げつけるなどの圧力をかけてくる。カメ野郎は主人公を守ろうとするが、彼女は自分の行動を後悔しない。ポン太を飼い始めた経緯や、文藝部に入った理由を回想。彼女はかつての天才としての栄光を思い出しつつ、現在の自分の状況に絶望している。
主人公はカメ野郎との対話を通じて、自分の行動を反省し、「ごめん。配慮に欠けてた。……君の前で、私が死ぬとかポン太を殺したとかそういうの、言うべきじゃなかった」と謝るも、後輩には「もっと自分を大切にしてください」としこたま怒られてしまう。教員内でも騒ぎとなり、担任に捕まり後輩とともに叱られる。
SNSの投稿は、ポン太の葬送であり、「助けてほしい」という主人公の叫びでもあった。もう少し踏ん張ってみようと決意する
彼女はカメ野郎と共に学校を出て、走り出す。遅いカメ野郎に勝ちをひとつ重ねながらも、海へ向かう。二人は海に飛び込み、彼との友情を大切にし、未来に向かって歩みはじめる。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場状況の説明、はじまり
主人公が「うさぎとかめ」の童話を思い出し、自分をうさぎに例える。先輩が第二文藝部室で独り言を言っていると、後輩(カメ野郎)が窓から入ってくる。
二場、目的の説明
先輩がSNSに投稿した死んだウサギの写真が炎上していることが明らかになる。後輩がその投稿について問い詰める。
二幕三場、最初の課題
先輩がウサギを殺した理由を説明し、後輩がそれに対して反応する。校庭に集まる人々の足音が聞こえ、緊張が高まる。
四場、重い課題
先輩が自分の過去と現在の状況について語り、SNSの影響力と重圧について述べる。後輩が先輩を守るために行動を起こす。
五場、状況の再整備、転換点
先輩が後輩に対して感謝の意を示し、二人の関係が深まる。先輩が自分の行動を反省し、後輩に謝罪する。
六場、最大の課題
校庭からの罵声や投げられる物に対して、先輩が精神的に追い詰められる。先輩が自分の過去の行動と向き合い、後輩の助けを借りて立ち直ろうとする。
三幕七場、最後の課題、ドンデン返し
- 先輩が自分の過去を振り返り、ウサギを殺した理由とその影響について再度考える。後輩が先輩を励まし、二人で新たなスタートを切る決意をする。
八場、結末、エピローグ
先輩と後輩が学校を出て、走り出す。海へ行き、二人の関係がさらに深まり、先輩が新たな希望を見出す。
うさぎとかめの童謡の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どんな結末に至るか気になる。
誰もが知る童謡からの書き出しが、敷居を低くしていて読みやすい。これからはじまる物語がどういうものなのか、簡単に説明しつつ、親しみのあるところからはじめている。
遠景で童謡を紹介し、近景で内容を説明し、心情で「そう記憶している」と主人公が語る。
主人公は、じぶんがその兎だったと語り、自身を哀れむように独り言をつぶやいている。なんだか可愛そうだと思える。
そこに「馬鹿じゃないですか、あんた」と、意表をついて窓から入って来るカメ野郎。
それだけで、突飛なことが起きるのだと期待するのと同時に、夏なのにタートルネックを着た後輩が、二階の窓から来るなんて。
勇気があるし、主人公を助けに来た存在かもしれないと思えて魅力を感じる。そんな後輩に心配される主人公、愛されている感じがあり、これらから共感を抱いていく。
長い文ではなく数行で改行。句読点を用いていた一文は、長過ぎることはない。
短い文と長い文をバランスよく書くことで、リズム感を生み出している。簡潔な表現を使う短い文でリズムを速め、詳細な情報を盛り込む長い文でリズムを遅らせ、感情を揺さぶる効果を生み出しているところがいい。動きで示しているので読み応えがある。
内省的で感情豊かな文体。比喩や象徴を多用している。会話文が多く、キャラクターの心理描写が丁寧で、感情移入しやすい。主人公の成長と変化がしっかりと描かれているところがいい。
五感を使った描写が豊かで、情景がリアルに感じられる
視覚は窓の外の景色や、部室の様子、SNSの投稿画面などが詳細に描かれている。聴覚は足音や罵声、後輩の声などがリアルに描写されている。
部屋に入ってくると思ったら、向かいの部活倉庫に用事がある生徒だった場面の視覚描写は、主人公の感情や聴覚描写も交えていて、臨場感がよく出てよかった。
触覚は後輩の手の感触や、汗の滴る感覚などが具体的に描かれている。
後輩の首に腕を回している場面も、触覚や嗅覚、聴覚、感情を組合わせていて、臨場感が伝わってくるのがいい。
嗅覚は部室のこもった空気や、海の塩辛い匂いが感じられる。
味覚は海水の塩辛さが描写されている。
主人公の弱みは、自分の行動に対する後悔と罪悪感。他人からの評価や注目を求める欲求。自分の居場所を見つけられない孤独感。
そもそも、子供のときに子役としてもてはやされていたが、成長とともに世間や親からも飽きられたことに端を発する。
SNSに居場所を求め、人気を集めているが、私は「SNSの不本意な舞台に立っている」とあり、テレビの舞台に立つことを望んでいるのがわかる。
とはいえ、子役は子供の時にしかできない。
「ウサギのポン太は、夜にうるさくして母に見捨てられた。外に捨てたりしたら近所の迷惑になるから、責任をもって〝処分〟しなくちゃいけないらしい」
飽きたから殺す発想は、ありえない。
とはいえ、芸能界ではまかり通っている現実がある。
そんな世界にいて、自身が体験してきているから、できてしまったのだろう。
そして、人並みに後輩もできた主人公は、テレビやSNSの外にもこんなに楽しいことがあると知った部室を死に場所にえらんだのだ。
それを、止めに来た後輩の気持ちも考えず、馬鹿だと自覚する。
「彼がタートルネックで首を隠す理由を問い詰めないし、カメ野郎は私のSNSを話題にしない。そういう距離感で、私と後輩は友達をやっている」
タートルネックでなにかを隠しているのだろう。
文脈の流れからすると、虐待か自殺しようとした跡かもしれない。心理的にバリアを作っているとか、過去につらい経験をして隠しているのかしらん。
主人公がSNSで炎上し、自殺願望や絶望感から救おうとしたのは、後輩だからだけでなく、彼の優しさだろう。
主人公の唯一の友達であり、主人公の行動がエスカレートするのを防ぐために介入する必要があると感じ、最小限に抑えようとしている。責任感もある。
昔テレビに出ていたのなら、後輩も見たことがあるだろう。
他にも後輩がいるらしく、そちらは主人公のファンらしい。
「ねえねえ、あの子、私のファンだって言ってたよね」
「またその話ですか」
「んふふー、そりゃあ嬉しかったからね」
「実際かなり心配してましたよ。今度ちゃんとお礼を言ってあげてください。先輩から話しかけてもらえれば、きっと喜ぶので」
こういう話題を挟むということは、カメ野郎も主人公のファンの可能性も考えられる。
後輩のキャラクターについて、もう少し背景や動機が掘り下げられていると、さらに深みが増す気がする。
SNSの炎上はどうなったのか。
担任の先生に適当に誤魔化して帰路についた、とあるので解決していない。
家に帰って母親が知ったら、なにか言われるかもしれない。SNSでは、まだ炎上が続いているのかもしれない。アカウントを削除するかもしれない。学校での騒ぎは月曜日にまた問題になるかもしれない。
それでも、主人公が「もう少し踏ん張ってみようという気になった」点は、大きな変化である。自分の問題に対しての解決の一歩を、とりあえず踏み出せた。いまはそれでいいのだ。
手を繋いで走り、海へ飛び出していった描写が素敵。
海に飛び込むことで、生きる意志を取り戻しているのだろう。水中での浮遊感や息苦しさから生きることの大切さを、カメ野郎と一緒に飛び込むことで彼との絆や友情を強調し、彼女が一人ではないことを実感しているのだ。
読後。読み終わってタイトルを見ると、主人公とカメ野郎のことを表しているのだとわかる。読む前は、意味がわからないタイトルだと思った。なんだか重たい感じたけれども、重厚で感情的な物語だとは思いもしなかった。
現代社会におけるSNSの影響や自己認識の難しさ、他者との関係性の複雑さなど、色々考えさせられる。
「やっぱり私は死にたくない」と感じるラストは、物語の総括として大事なところ。彼女は死に場所として部室を選んで立てこもっていたのだ。そんな彼女は一連の出来事を経て、成長したと感じられる言葉で終わる。読者層の十代の若者にとっても大きなメッセージとなるだろう。
映画のラストは当たり前のことを言わなければならない、と暗黙の了解があるように、最後の一文は必要だと思う。
いい作品だった。
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