各駅停車みらい行き
各駅停車みらい行き
作者 藤堂こゆ
https://kakuyomu.jp/works/16818093084143661509
高校生のみらいが、日々の通学電車で出会う謎の女性「みらい」との交流を通じて、自分の夢や未来に向き合う姿を描く。彼女との対話を通じて、主人公は自分の本当の気持ちに気づき、前向きに進む決意を固める。その後、「時をかけるカウンセラー」として、若者たちを救うために活動し続ける話。
現代SFファンタジー。
主人公の内面の葛藤を丁寧に描いており、五感に訴える描写やリアルな日常の風景が魅力的。みらいというキャラクターが主人公の導き手としながら、迎えるラストの展開がまとまっていて希望を感じさせてくれる。素敵な作品。
高校生のみらいと、大人のみらいの口調が違うところがいい。大人の感じが出ている。それでいて、同じ口ぶりなところもあって、同一人物だと感じさせるさりげないところも、よかった。
主人公は、みらい。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。ラストは三人称、時をかけるカウンセラーをしている「みらい」視点で書かれた文体。
女性神話とメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
高校三年生の主人公は、ローカル線の電車に毎日乗って通学している。
月曜日。いつものように電車に乗り込み、スマホを操作しながら過ごす。車内は空いており、様々な乗客が乗っているが、とうに気に留めない。途中、一人の女性が乗り込んできて、主人公の斜め前に座る。彼女は黒い髪を一つ結びにし、パンツスーツを着ており、電車内では異質な存在だった。
火曜日。いつも見かける男子高校生がいないことに気づく。沿線で高校生の自殺騒ぎがあったことを知り、彼がその高校生ではないかと心配するが、無関係だと自分に言い聞かせる。その日も女性が電車に乗り込み、主人公の近くに座る。
水曜日。雨が降り、電車内はいつもより混雑している。発車の反動に襲われて、バランスを崩して彼女にもたれかかってしまう。
「すみません」と立て直し、女性は微笑みながら「大丈夫です」と言い、主人公も曖昧に笑い返す。
木曜日。二人きりで電車に乗っていると、女性が話しかけてきます。彼女は主人公が小説を書いていることに気づき、自分も趣味で書いていると告白。主人公は自分の夢や信念に対する不安を吐露し、涙をこらえきれずに電車を降りる。高校三年生の晩夏、最悪な夜とだった。
金曜日。主人公は電車の中で涙を流しながら、自分の不甲斐なさや将来の夢について悩んでいる。自分を信じられず、夢を持つことが馬鹿らしいと感じていると、背中を撫でる温かい手が現れる。それはいつもの女性であり、彼女を慰めてくれる存在だった。
土曜日。授業の後、主人公は学校で自習という名の執筆をする。将来の夢について再び考え、夢を持つことができない自分を卑怯だと感じている。電車の中で女性と再会し、将来の夢について話し合う。彼女は「作家になりたかった」と告白し、「嘘でもいいから将来の夢を言ってごらん」と言い、主人公は「作家になりたい」と答える。初めて自分の夢を口に出し、自分の夢を追いかける勇気を持ち始める。駅に降りる前に名前を尋ねると、「みらい。あなたの未来だよ」と女性は答えた。主人公は自分と同じ名前を持つという彼女を見送った。
日曜日。古びた駅のホームに立つ女性「みらい」は、車掌と話をする。過去に戻って若者たちを助ける「時をかけるカウンセラー」として活動している。彼女は自分の過去の経験を活かし、他の若者たちが自分の夢を見つける手助けをするために電車に乗り込みのだった。
三幕八場の構造
一幕一場の状況の説明、はじまり
主人公が電車に乗り込み、日常の風景が描かれる。新たな乗客である女性が登場し、主人公との間に微妙な緊張感が生まれる。
二場の目的の説明
主人公がいつも見る男子高校生がいないことに気づく。高校生の自殺騒ぎがあり、主人公はその可能性を考えるが、無関係だと自分に言い聞かせる。
二幕三場の最初の課題
雨の日、主人公は再び電車に乗り、女性と隣り合わせに座る。女性との会話が始まり、主人公の内面が少しずつ明らかになる。
四場の重い課題
主人公と女性が二人きりで電車に乗る。女性が主人公に話しかけ、主人公の夢や将来についての葛藤が浮き彫りになる。
五場の状況の再整備、転換点
主人公が電車の中で泣き出し、女性に慰められる。主人公は自分の夢や将来についての不安を吐露する。
六場の最大の課題
主人公が自分の夢について考え直し、女性との会話を通じて前向きな気持ちを取り戻す。女性の名前が「みらい」であることが明かされ、主人公にとっての未来を象徴する存在となる。
三幕七場の最後の課題、ドンデン返し
女性(みらい)が車掌と話し、彼女の役割が明らかになる。みらいが次の乗客(自殺した男子高校生)を迎えに行くことが示される。
八場の結末、エピローグ
「時をかけるカウンセラー」であることが明らかになり、みらいが電車に乗り込み、過去へむかう。
各駅停車みらいヶ丘行きの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
これからどこかへ行く、動きのある書き出しからはじまっているのがいい。
遠景で『各駅停車みらいヶ丘行きでございますぉお乗りの方はぁ足元にお気をつけくださいぃ』が聞こえ、近景で聞き慣れた癖のあるアナウンスだと説明。心情で、時代遅れのビジュアルの電車へと、ホームと電車の隙間を気にしながら乗車する。
どこへ行くのだろうと、期待させる。
車内の乗客は少なく、主人公を入れても六人。ちゃらそうなカップルもいるので八人かしらん。
「『かぁくえき停車みらいヶ丘行きでございまぁす――』――このローカル線に各駅停車もなにもないのだが」
急行も特急もなく、すべての駅に停まるだろう。
どういう意味かしらん。
各駅に止まり、気づけば主人公は一人きりになっている。
孤独で寂しさを感じる。
「もう誰も乗ってこないはずだ。終点まであと三駅。私が降りるのは終点の一つ前」
終点のみらいヶ丘には行かない。
気づくと、もう一人、乗客が乗っている。「見ない人だ。きっと仕事か何かで来てるんだろう」利用客まで覚えているほど、主人公は毎日乗っているのがわかる。
遠景で全体の「女の人」をみて、近景で「特別美人という訳ではないが顔のパーツは整っている」顔を見る。
心情で「黒い髪はさっぱりと一つ結び」髪型を見、「何の面白味もないパンツスーツを着ていて」服装をチェックし、「しかし、それ故にこの電車内ではひどく異質で目立って見えた」感想を述べる。
「見ない人だ。きっと仕事か何かで来てるんだろう」
主人公の思考のあと、
「女の人は迷いなくパンプスの靴底を鳴らして私の斜め前に座る」女性の動きを示したあと、
「鞄を置いた席のちょうど真向かい」様子を伺い、
「なんだか今になって罪悪感が込み上げてきて、目を閉じたまま鞄の肩紐をぎゅっと握った」感情を動作をも加えて表現する。
主人公は薄目を開けて様子を伺ってきたので、「薄目を閉じて」としたほうがいいかもしれない。
目を閉じ、さらにまぶたに力を入れ、唇も閉じる。
人と関わるのが苦手なのかもしれない。人見知りかしらん。
それでも気になって彼女をみる。
相手の目を見て、それを描いているところが良い。
一人称は、主人公の心情は描けても、第三者の心情は描けない。その場合は、相手の動作や仕草を描写する。目は口ほどに物を言うという言葉もあるように、目にはその人の考えや思いが現れやすい。
主人公の主観でどう見えるのかを描いて説明し、「そこに何か親しみのような、懐かしさのような、よくわからない感情を覚えた」と感想をそえることで、推し量っていく。
こうした書き方は、すごくいい。
ただ、時間も季節もわからない。冬ではなさそう。朝なのか、昼なのか、夜なのか。主人公の年齢もまだわからない。
火曜日で、帰りの電車だとわかる。また、いつも乗っていた男子高校生の姿がいないという。
「沿線で高校生の自殺騒ぎがあったらしい」
ローカル線の各駅停車なので、上りか下り、どちらかの電車と人身事故をおこしたのだろう。
いつものように、主人公は乗車しているので、ダイヤの乱れは解消されていると思われる。月曜の夜、あるいは火曜の午前中に事故はあったのだろう。
「入って向こうの扉のすぐ側、昨日カップルが笑いあっていたあたりに一人で立つ」火曜日は席に座れなかったのか、座らなかったのか。
「座席の支柱に体を預けて窓に顔を向ける。人々の透明な影が黒い闇の上を滑っていく。眉を寄せて外の景色だけを見ようと努めたが無理だった」
窓ガラスにうっすら映る車内の光景の書き方がいい。
外を見ようとするのに、中の様子も見えてしまう。
つまり、男子高校生が乗っていないことと高校生の自殺騒ぎのことを考えないようにしても、つい気にしてしまう。そんな主人公の心情を動きで表現しているのだろう。
「電車が揺れて、瞬間踵が浮く。支柱が背中から首に押しつけられる」主人公の揺れる心、驚きと衝撃を、体感を通して表していると推測。
「口角を少し上げてみる。悪くはない。乱れた前髪を手で整える」
笑顔を作り、平静さを装う。
それでも、
「目を細めると小馬鹿にしたような顔が自分を見返す色のない鏡に映った自分の瞳は黒々として光がない。それでものっぺりとしては見えないのが不思議だった」
物憂げな自身の表情を描くことで、言葉に言い表しにくい感情を描いている。
言葉で、辛いとか悲しいとか、直接的に書くのではなく、表情や状況の描写で心情を描こうとするところが素敵。
車内には主人公と、彼女しかいない。
にもかかわらず、座らない。
立っていることで、主人公の心の置きどころのなさ、不安定に揺れて落ち着きがないことを表しているのだろう。
水曜日は雨が降っている。状況描写で心情を表現しているのならば、主人公の悲しさを表しているのかもしれない。
「年月を経て色あせた布とじっとり湿ったスカートとが触れ合う」
座席の布とスカートの対比が面白い。
「絞り出された雨水が腿ににじんで気持ち悪いので、浅めに座るのが常のことだ」かなり濡れたことがわかる。
「雨の日は少しだけ乗客が多い。体感はいつもの一・五倍くらい」
この辺りは現実味を感じる。
月曜日は確認できるだけで八人だったので、十四人くらい乗っているのかしらん。
彼女が右隣に座るほど、車内は混雑しているのだろう。
「発車の反動に襲われて、バランスを崩して彼女にもたれかかってしまった」とある。慣性の法則を考えてると、電車の進行方向は主人公の左手側。窓際の横長の座席に座っているのだろう。
木曜日、彼女が隣りに座っている。
「私は肩を固くする。鞄が唯一の堤防で、その一つがあるだけで妙な安心感を感じる」昨日、接触したため、随分と距離が縮まっている。それでいてカバンを挟んで、安心を得ているところに、他人との接触が苦手なのが伝わる。
声をかけてくる女性。
「くっきりと像を結ぶその声に、私は反射的にスマホの画面を落とした。そしてぎこちない動作で顔を向ける。私の声は喉に詰まったようにうまく出せない」
スマホを使うところが、困ったときにやり過ごそうとしていた感じがよく現れていていい。ただ、どこに落としたのかしらん。床? 膝の上?
あとで、「彼女の黒い目が私の手元のスマートホンに向く」とあるので、膝の上だったのかもしれない。落とすよりも握りしめた、あるいは画面を伏せるなどのほうが、「無意識のうちにぎゅっと握っていたことに気づいて、手の力を抜く」あとのつながりが良くなるかもしれない。
落としたらな拾わないといけないから。
小説を書いているの流れから、母親との回想がある。
「〝将来何になりたいの?〟〝ねえ、作家になりたいんでしょう〟そう言ってにたにた笑う母の顔が目に浮かんで、頭を振って追い払おうとする」
にたにた笑って見えたのは主人公の主観なので、母親は笑いかけて話をしてきただけかもしれない。
「〝ママは大学四年間を就職のための準備期間かなんかと思ってるの?〟私がそう聞くと、〝そうだよ〟母はためらいもせず頷いたのだった」
無償化の流れになっているけれども、受験をして学費を払って入っていくのは、自分のやりたいことをするため。
大学四年間では遅く、今は小学や中学入試から、将来なにをするのか明確な目標をもつ必要がある。四年間は最後の準備期間といえるかもしれない。
彼女も小説を書くという。
「もちろん趣味です。でも捨てきれなくて……やらなきゃいけない他のことそっちのけで書いちゃうことがしばしば」
このとき、「視線はのろのろと彷徨いながら上がっていく。私は再びスマホを握りしめた。握りしめながら同時に、強く振りかぶって投げ捨ててしまいたいような衝動に駆られた」と書かれている。
主人公は、自分との接点を彼女にみつけ、歩み寄ろうとしているのを表現しているのだと思う。スマホは他人とつながるためのツールであるが、直接ではなく間接的にである。
投げ捨ててしまい衝動に駆られたのは、否定する母とはちがう大人の女性に出会えたからだろう。
「泣きたいときは、泣いていいんだよ」といわれて、最寄り駅に下車し、走り出し、転びそうになってスマホが吹っ飛ぶ。
このときの情景「空は灰色の曇り空で、星なんか見えない」は、 主人公の希望のない心を表しているのだろう。
おまけに、彼女から逃げるように去ってしまった。
「高校三年生の晩夏。最悪な夜だった」
主人公が高校三年生で、季節は夏が終わる頃だとようやくわかる。
物語の前半をかけて、じっくりと読者に共感してもらおうと書かれている。
意識的に、高校生に目を向けている感じがあるとはいえ、
早いうちから、主人公が高校生で、季節がいつなのか、帰宅のために乗車している、といったことが感じられる描写を加えておくと、読み手は主人公に共感しやすいと考える。
長い文は、こまめに改行。長くても二行くらい。句読点を用いた一文は長くない。読点のない長めの一文は、落ち着きや重々しさ、説明といった表現をされていると考える。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶってくるところもある。
登場人物の心情や風景の描写が非常に細かく、読者に情景を鮮明に伝える力がある。「虚ろな目で向かいの窓を見つめる男子高校生」や「外はすっかり暗闇。窓を覗いても点々とまばらな街灯を背景に冴えない顔が見つめ返してくるだけで、いいことなんか一つもない」など。
登場人物同士の会話が自然で、現実の会話のように感じられる。ただ、どちらのセリフなのか、わかりにくいところもある。
主人公の内面の葛藤や感情が丁寧に描かれており、読者が共感しやすいです。「私は夢というものが信じられません」「自分が信じられません」といった自己否定の感情は強く伝わる。
「みらい」というキャラクターが象徴的で、物語全体のテーマを体現しており、彼女の存在が主人公にとっての「未来」を示している点も興味深い。また、「各駅停車みらいヶ丘行き」という電車も、象徴的。
二人は同一人物なので、主人公の名前も「みらい」なので、未来を表しているのは当然なのだけれども、読み手にわかりやすく伝えてくれているのは良いところ。
物語全体を通じて「夢」や「未来」というテーマが一貫して描かれており、読者に強いメッセージを伝えている。
主人公の内面の葛藤や成長、とくに夢を持つことの難しさや自己否定の感情がリアルに描かれているところに、読者層である十代の若者は感情移入しやすさがあるだろう。
最後に「みらい」というキャラクターが「あなたの未来だよ」と言うシーンが象徴的で、物語全体を締めくくるのにふさわしい。
電車のアナウンスや乗客の描写など、細部にまでこだわりが感じられ、物語のリアリティを高めているところも、本作の良いところ。
物語全体を通して、五感を駆使した描写が豊富に使われており、臨場感を与えている。
視覚は、車内の様子や乗客の姿、外の暗闇や街灯の光など、視覚的な描写が豊富。女性の外見や服装、主人公の動作や表情など、細かい視覚的なディテールが描かれている。
電車の中の風景や乗客の様子、涙が頬を伝い、スカートに落ちる様子、窓に映る自分たちの姿、暮れなずむ秋空やトンネルの風景など。
聴覚は、電車のアナウンスや扉の開閉音、靴音など、聴覚的な要素が物語にリアリティを与えている。会話のトーンや声の質感も描写されている。電車の振動音や走行音、泣き声やむせび声、車掌のアナウンスなど。
触覚は、電車の揺れや座席の感触、湿ったスカートの不快感など、触覚的な描写が主人公の感情を強調。手すりの冷たさや鞄の重さなど、触覚的なディテールが物語に深みを与えている。冷たい手が瞼を撫でる、背中を撫でる温かい手、涙が手の甲に落ちる、鞄の持ち手を握る感触など。
嗅覚的描写は少ないが、雨の日の湿った空気や車内の匂い、懐かしい空気を吸い込む描写など、場面の雰囲気を補完している。
味覚に関する描写はないが、 涙の塩味を感じる描写やファミレスでドリアを注文する描写などがみられる。他の感覚描写が豊富なため、物語の臨場感が損なわれないだろう。
主人公の弱みは、自己不信なこと。
自分自身を信じることができず、夢や目標に対しても懐疑的。自分の能力や価値を疑い、将来に対する不安を抱えている。
くわえて、他人の評価や期待に過度に依存していること。
自分の意志や希望を表現することが難しいと感じ、特に母親の期待に応えようとする姿勢が見られる。
また、失敗を恐れるあまり、新しいことに挑戦することを避ける傾向があると考える。完璧主義的な性格が災いし、失敗を許容できないために行動が制限されている。
これらは、現代の若者に良く見られる傾向なので、主人公に共感を抱きやすいと考えられる。
さらに、感情を抑え込む傾向があること。
泣きたいときに泣けない、感情を素直に表現できないことが弱みとなっている。これがストレスや不安を増幅させている。
金曜日、電車内で主人公が泣く描写が実に良く書けている。
理性的、論理的思考からはじまり、善意や道徳的な観念から「死ぬなんて馬鹿ばかしい。夢なんてくだらない。自分なんか信じられない。死にたい。なんて思っちゃいけない。生きたい。何のために? 泣きたくない。自分が不甲斐ない」としてから、感情である涙が溢れてくる。
泣きたくないとしながら、「ああもう、泣きたい。泣けばいいんでしょ」と自分に許可を取り、一気に泣く。理性と感情に揺れていく。
自分の居場所や安心できる場所が限られており、孤独感を感じているのも弱み。電車の中が唯一の安全地帯であることが象徴的。
そこに現れた彼女は、背中を撫でる。
泣き止んでから、「安心した」「うん。やっぱり泣ける人間なんだな、と」告げている。
人が生きていくのに大切な三つの言葉がある。「ありがとう」「ごめんなさい」「助けてください」三つ目の助けてくださいがいえない人は、いろいろなものを自分一人で抱え込んでしまい、潰れてしまう。
子供は、どうしていいかわからなくて泣く。迷子なのか、落とし物か、痛いのかはわからないけれど、大きな声で泣きわめく。助けてほしいから。
主人公は泣ける人、つまり「助けてください」が言える人。
だから、一人で思い詰めて自殺をする選択をしないから、安心したといったのだろう。
「しかし泣いたからといって何だというのか」と、主人公は自身に問いかけている。「陳腐な小説ならここで気が晴れてめでたしめでたしだろうが、私の現実はまだ終わりそうにない」そのとおり、現実は続くのだ。
土曜日は、学校で執筆をしている。
家ですると、母親に咎められる、もしくは否定されるからだろう。
「将来の夢は何ですか。小学校に上がる前から幾度となく答えを求められてきた問いだ。大人はそんなに子どもに夢を持ってほしいのだろうか。そんなに急がせて。心にもない嘘を言わせて。夢を持てない大人の身代わり。あるいは夢を叶えた大人の押しつけ。ほら、あなたもやりたいことがあるでしょう。言ってごらんなさい。信じれば必ず叶うよ。……馬鹿ばかしい」
夢という言葉に語弊、夢と将来に開きがある。
むしろ「将来、なにになりたいですか」「やりたいことはなんですか」と尋ねているのだ。そうした語弊や混同が起きて子供が混乱しないよう、子供に掛ける言葉遣いを気をつけている保育園や幼稚園もあるし、書籍なども刊行されている。
やりたいことがあるなら、早いうちから取り組んで基礎を固めたいのだ。大きくなってからでは、基礎を身につけるのに時間がかかる。他にもやりたい人がたくさんいて、席には限りがある。
大人になってから、「やりたい」といっても、競争に負けてできない場合がある。才能を競う分野はとくに。
また、習い事にはお金がかかる。
お金持ちの家なら選択肢も広がるが、そうでないなら、やりたいことを諦めてもらわなくてはならない。さらに、大人になったときに職種によって得られる賃金の差がある。高収入は取られる税金も高いですが。
「ほら、あなたもやりたいことがあるでしょう。言ってごらんなさい。信じれば必ず叶うよ。……馬鹿ばかしい」
この部分は、家出をすればわかる。
手持ちのお金で食べ物や飲み物を購入し、電車に乗る。あっという間にお金はなくなり、食べるものも寝るところもなくなる。
否定しながら夢を持っている人を羨ましく思うのは、稼ぐ方法があって、生きていく手段がはっきりしているからにつながることを、なんとなく理解しているからだろう。
女性に問い、なかったと答え、「いや……ほんとはあったのかもしれないけど、無いふりをしていたというか口に出すのが怖かったというか」といって、作家になりたかったのかもしれないと答える。
主人公が「さっか、さっか、作家、……作家? ……ああ、そうか」といっている。このときは、彼女が自分の悩みに合わせて「作家になりたかった、かもしれない」と思ったのかしらん。
「嘘でもいいから言ってごらん」は、良いなと思った。
言葉にしなくても、頭の中に思っているので嘘ではない。
たとえ嘘でも言葉にすると、形になるし、発した言葉を最初に聞くのは自分自身。泣いたときと同じように、言葉にすることで、自分自身に許可を取るのだ。
言葉にした後、自分を騙していたことに気づき、夢を馬鹿にしていたのはほかでもない自分だったことにも気づけて笑えてくる。
「嘘だと思えば、知らない人になら、こんなにすんなり言えるのに」
知らない人だから、言えるのだ。
知っている人だと、相手を意識し、気兼ねや遠慮して、言葉を飲み込んでしまう。ネットやSNSで大きなことを言う人も同じ。
「晴れ晴れしました。夢なんか何でもいい。仮でもいい。笑われても現実味がなくても、とりあえず豪語しておいてずんずん進んでいけばいい。ただ進むための目印であればいい」
夢と考えるからいけないのだ。
目標と置き換えてみれば良い。
はてしない大目標があり、そこに向かうために、間にいくつも中目標を掲げ、さらに、それぞれの中目標の間に小目標を立てては、一つ一つ目指していく。
進むための目標とする考えは素晴らしい。これでようやく、主人公は前に向かって歩いていけるようになった。
「私はそうは思わない……と言ったらどうする?」と彼女が訪ねても、主人公はもう揺るがない。
「叶いそうに思えない理想。だがそれでいい」
数年後に作家になれないかもしれない。だけど世の中には、晩年になって作家になった人もたくさんいる。
最後、別れ際に名乗って「またね」「また」と別れていく。主人公にも、また月曜日会えるとは思っていないかもしれない。
土曜日で綺麗に終わった後、日曜日に女性視点で物語る展開はちょっと予想外で、驚きと興奮を覚える。
主人公が大人になった話には違いないのだけれども、さきほどの女性が、大人になった姿なのだ。
「いいえ、完全なる私用です。それにいつかやらないといけないことなんです。そうしないと今の私はないんですから」
高校三年生の晩夏の出来事を体験したから、現在の主人公の姿がある。そのことを理解しているのだ。
次に行くのは、「自殺した男子高校生」おそらく、火曜日に自殺した子だと思われる。「可哀想な話ですな。この辺りの時代の若者はどうも死にたがりのようだ」
車掌の「この彼の境遇はどうも私に似ているように思えましてね。よくよく思い返してみればそんなことがあったようななかったような気もするのです。……もしかしたら私も、『時をかけるカウンセラー』に救われた一人なのかもしれませんなぁ」から、ひょっとすると主人公がこれから助けに過去へ戻り、男子高校生を助けることで車掌になるのかしらん。
『こちらみらいヶ丘駅発ぅ、快速急行かこ川行きでございまぁす』 ここは上手いと思った。
仮面ライダー電王かと一瞬思うも、それはおいといて。
主人公たちのいる未来から、高校生だった過去へと旅する。
「廃線になったローカル線を利用して航時機タイムマシーンが造られてから十年になる。ローカル線の常連だった彼女は残りの人生もその線に乗って過ごすことを決めたのだった」
なんか、とってもいい。電車しか居場所がなかった主人公。その居場所から、過去へと遠くに出かけ助けていくなんて。
読み終えてタイトルを見ると、希望に満ちている感じがする。
読後感が良い。
主人公の感情の揺れ動きや成長に共感しやすく、非常に引き込まれる。特に、みらいとの交流を通じて自分の夢を見つける過程が感動的。物語後半、金曜日以降は盛り上がっているけれども、前半と比較して長く感じる。前半のテンポが少し早いのかもしれない。もしくは後半のテンポを少し進めると、さらに読みやすくなるかもしれない。
大人のみらいは、自己肯定感の回復、夢を持つことや自分を信じることの重要性、感情の解放を通じて、過去の自分を救い、より良い未来を築いた。
自己肯定感を持てなかったとき、心の中の子供の親になる、という考えがある。
大人になった今ならば、幼い子供のときにできなかったことでも、簡単にできるようになっている。自分で自分を助けることで、心の中の幼い自分を救い、自己肯定感を持てるようになるという。
そんなことを、本作を読んで思い出した。
思うに、タイムトラベルの経験が執筆に活かせると考えられる。
異なる時代や場所を訪れることで、豊富なインスピレーションを得ることができるし、独自性のある作品を生み出せるかもしれない。
執筆活動は場所や時間に縛られないため、タイムトラベルの仕事と両立しやすいし、執筆時間の確保もできる。
作家になる夢を叶えるのは、これからかもしれない。
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