車輪の上のソクラテス
車輪の上のソクラテス
作者 蘇芳ぽかり
https://kakuyomu.jp/works/16818093073735452734
笹野は電車の中で目を覚まし、なぜ自分がそこにいるのか全く思い出せない。文芸部の部長である日比谷優花と共に「どこでもないどこか」に向かっていると気づく。旅の途中、笹野は日比谷や塚本照哉との関係を回想し、青春の一瞬を思い出す。終着駅で日比谷が事故で亡くなったことを知り、彼女の言葉に励まされて前に進む決意を固める。その後、後輩と共に理想と現実について考えながら生きることを模索する話。
数字は漢数字等は気にしない。
現代ファンタジー。
哲学的なテーマを扱いながらも、青春の一瞬を切り取ったような瑞々しい物語。キャラクターや風景描写が丁寧で、物語の世界に引き込んでくれる。実に素敵。
主人公は高校二年生の笹野。一人称、僕で書かれた文体。冒頭と途中、日比谷優花の一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在、過去、未来の順であり、恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に書かれている。
女性神話と、メロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
主人公の笹野は、電車の中で目を覚まし、なぜ自分がそこにいるのか全く思い出せない。電車の中には、文芸部の部長である日比谷優花がいて、彼女と共にどこかへ向かっていることに気づく。日比谷は「どこでもないどこか」に行くことにわくわくしていると言い、笹野もその感覚に共感する。
どこまでいくのか。なんとなく、ユートピアとつぶやくと、「塚本だったら確かにそうやって言うね」日比谷は笑い、笹野とはいいコンビだといわれ、塚本照哉との関係について回想する。
塚本照哉は主人公や日比谷よりも一か月遅く、高校一年の五月に突然、軽音部から文芸部に転がり込んできた。主人公は彼が好きではなく、自分とは合わないと感じたが、「仲良くしなさい」という日比谷の命令で塚本は握手をさせられた。
塚本は理想を追い求めるタイプで、笹野とは対照的な考え方を持っている。日比谷はそんな二人を「プラトンとアリストテレス」に例え、理想と現実の対比として捉える。
電車はトンネルを抜け、海の上を走る橋に差し掛かる。日比谷は「どこか」に向かっていることを再確認し、笹野もその旅に対する期待感を抱く。
昨年の体育祭の後。笹野は一度、日比谷に「なぜ小説を書くのか」と尋ね、彼女は「誰かになにかを伝えたいから」と答える。日比谷は、自分の見ている世界を他の人にも見せたいという強い願望を持っている。
電車が途中停車駅に停まり、日比谷は笹野に「降りてみよう」と誘う。笹野は彼女に続いて電車を降り、途中停車駅だけ書かれた無人駅に降り立つ。
二人はどこにいるのか分からないが、日比谷は「大丈夫、ちゃんと帰れるから」と確信を持っている。駅舎は小さくて木造で、懐かしい感じがした。
二人は水色のベンチに座り、日比谷が「青春したじゃん」と言うと、僕は「一回だけね?」と返す。二人は文芸部の部員で、部誌作り以外のことをする気はあまりなく、部室に引きこもって執筆作業をしていることが多い。
日比谷が年賀状の話を持ち出し、笹野は「謹賀新年」と「明けましておめでとうございます」を一緒に書いてしまったことを思い出す。日比谷は「知らない言葉使うなよ」と笑う。
昨年の冬。部室で日比谷が「住所教えてよ」と声をかけてきた。年賀状を送りたいと言い、塚本にも聞いたという。笹野は住所を教え、日比谷はスマホにメモする。元日に日比谷からの年賀状が届き、「きみは、観想する人」とだけ書かれていた。笹野はその言葉の意味「観想、テオーリア。偏った主観や取り繕われた体裁の裏にある『普遍的で正しいなにか』を、曇りない眼まなこでしっかりと見つめようとすること」を考え、なぜこの言葉をくれたのか意図は見通しきれないが、日比谷のセンスに感嘆する。塚本には「idea」と描かれてあったとメールで知る。
再び電車に乗り込んだ二人は、沈黙を共有しながら海と空の青を眺め、いつの間にか高二の夏を前にして、文芸部がただ一度、青春をした昨日のことを思い出す。
部室に三人が揃い、日比谷は「海に行こう」と言いだし、「ずっと部室に籠もってても、独りよがりな文章しか書けません。晴れてるしちょうどいいよ。後日海を題材に詩か短編書かせるから、そのつもりでいてね」三人で海に行くことになる。
海に着いた三人は、それぞれの楽しみ方をする。「ファンタジーッッ!!」塚本がいきなりまっすぐに駆け出し、スニーカーのまま海に入っていった。
「海風だね。陸側のほうがあったかいから、海から風が吹く。……海をテーマに小説って、どんなの書こうかな」笹野がつぶやくと、日比谷は短編を書くために来たのは嘘だという。日比谷は「青春の刻だよ」と言い、「わたしが三人でこうやって海に来たかっただけだよ。それ以上の理由は特にないや」背を伸ばす。
笹野は「好きだよ」と告白しますが、日比谷は聞こえなかったふりをする。
海から帰って、三人は別れ、一日が終わり、週末がやってきた
その後自分たちはなにをしていたのか、スマホを手にメール画面を開く。彼女からの「駅に来て」をみて、すべてを思い出す。
終着駅のアナウンスが聞こえ、終着駅に降りて笹野は日比谷に「いつ、死んでしまったの?」と問いかける。
日比谷の一人称に変わる。日比谷は、笹野の言葉に悩み、部屋で一日中考え込む。彼の言葉の意味がわからず、どうすればいいのか、自分の本心は何かを模索する。夕方、彼に会いに行く決意をし、メールで「駅に来て」と伝える。家を飛び出し、最寄り駅に向かう途中、信号無視のトラックに気づかず事故に遭う。
場面は変わり、日比谷が電車から降りてくる。日比谷は笹野に「全部わかったみたいだね」と言い、笹野も「全部わかった」と答える。笹野は日比谷のメールを見て駅に急いだが、彼女は現れなかった。そのうちにすうっと意識は引きずり込まれ日比谷が作り出した世界で、電車に揺られていたのだ。
彼女は笹野に「笹野のせいだよ。君があんなこと言ったせいで、わたし、浮かれてトラックが来たのにも気づけなかった。……でも」恨み言を言いたくて現れたのではなく、「死ぬのは怖くない」と語り、彼に託すことを伝える。
「本当に怖いのは死ぬことじゃなくて、無意味に──場合によっては悪く、生きることだよ。今までわたしはそれなりにちゃんと生きてきたつもり。だから死ぬのは怖くない。怖くなかった」「でも、惜しいよ、すごく。わたし、もっと色んなことが知りたかった。いいこととか、正しいこととか、美しいこととか」
日比谷は笹野に「君のこと好きだったかもしれない」と告白、「そんな気がしてるだけかもしれないし。そういうこと、意識して考えたこともなかったし」「そういうことまで含めて全部、もっともっと笹野のことが知りたかったな。色々話したかったなあ。昨日のこと、すごく嬉しかったんだよ。それは絶対に正しい事実なんだ」
笹野も彼女の言葉に感謝する。
アナウンスが「まもなく、電車が発車します」と告げ、「ここから先は一緒には行けないや。わたしの〈どこか〉はもうなくなっちゃったから。でも君は違うよ。〈どこか〉に行くんだよ。行き続けるんだ」
電車が発車し、日比谷は笹野に「もっと遠くに行ってね」と伝え、「わたしのことは忘れていいからね。ずっと囚われていないでね。もっと遠くに行ってね。でもたまには、ちょっとは思い出してほしいな……」涙を流しながら笑顔で見送る。
笹野は彼女の言葉に励まされ「色んなことをちゃんと見つめて、考えて生きていこうと思うよ。観想するよ。だから。……日比谷優花さん。僕はちゃんと生きていく。ちゃんと生きていこうって思えたのは、あなたのおかげなんだ。やっぱり、好きだよ。あなたがすごくすごく好きだ。ありがとう」前に進む決意を固める。
エピローグでは、笹野が二つ下の後輩の竹内と海を見ながら会話する。文芸部の活動で海に来た彼らは、理想と現実について考えながら、正しく、美しく、生きることを模索する。彼らは一生懸命に生きていることを確認し、物語は終わる。
三幕八場の構成
一幕一場 状況の説明、はじまり
主人公の笹野は電車の中で目を覚まし、なぜ自分がそこにいるのか全く思い出せない。電車の中には文芸部の部長である日比谷優花がいて、彼女と共にどこかへ向かっていることに気づく。日比谷は「どこでもないどこか」に行くことにわくわくしていると言い、笹野もその感覚に共感する。
二場 目的の説明
笹野が「ユートピア」とつぶやくと、日比谷は「塚本だったら確かにそうやって言うね」と笑う。笹野は塚本照哉との関係について回想する。塚本は理想を追い求めるタイプで、笹野とは対照的な考え方を持っている。日比谷は二人を「プラトンとアリストテレス」に例え、理想と現実の対比として捉える。
二幕三場 最初の課題
電車はトンネルを抜け、海の上を走る橋に差し掛かる。日比谷は「どこか」に向かっていることを再確認し、笹野もその旅に対する期待感を抱く。
四場 重い課題
昨年の体育祭の後、笹野は日比谷に「なぜ小説を書くのか」と尋ね、彼女は「誰かになにかを伝えたいから」と答える。日比谷は自分の見ている世界を他の人にも見せたいという強い願望を持っている。
五場状況の再整備、転換点
電車が途中停車駅に停まり、日比谷は笹野に「降りてみよう」と誘う。笹野は彼女に続いて電車を降り、途中停車駅だけ書かれた無人駅に降り立つ。二人はどこにいるのか分からないが、日比谷は「大丈夫、ちゃんと帰れるから」と確信を持っている。
六場最大の課題
昨年の冬、部室で日比谷が「住所教えてよ」と声をかけてきた。年賀状を送りたいと言い、笹野は住所を教える。元日に日比谷からの年賀状が届き、「きみは、観想する人」とだけ書かれていた。
笹野はその言葉の意味を考え、日比谷のセンスに感嘆する。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
終着駅のアナウンスが聞こえ、笹野は日比谷に「いつ、死んでしまったの?」と問いかける。日比谷の一人称に変わり、彼女は笹野の言葉に悩み、部屋で一日中考え込む。夕方、彼に会いに行く決意をし、メールで「駅に来て」と伝えるが、途中で事故に遭う。
八場 結末、エピローグ
日比谷は笹野に「全部わかったみたいだね」と言い、笹野も「全部わかった」と答える。日比谷は笹野に「君のこと好きだったかもしれない」と告白し、彼に託すことを伝える。笹野は彼女の言葉に励まされ、前に進む決意を固める。その後、笹野が後輩の竹内と海を見ながら会話し、理想と現実について考えながら生きることを模索する。
電車の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
本作は一人称、笹野と日比谷の視点で書かれている。冒頭は日比谷のモノローグによる書き出し。
遠景で「答えなんて口で言えるわけもない」と示し。近景では結論もよくわからずぐるぐる回ると説明し、心情では心の中は迷宮みたいだと語る。
笹野に告白され、そのあとどうしたらいいのか、日比谷は答えを出せずにいた。だから、彼に会って、声を聞いて、自分の答えを知ろうと出かけていく。
初見ではそんなことはわからないので、なにかを迷っている主人公が答えを知ろうとして「君」に会いに行くのだと読み取る。
答えを出せず悩み迷うのは辛いし、共感を抱く。
その後で、聞き覚えのない地名のアナウンスを聞いて目が覚める「僕」が登場する。
読者は最初に出てきた日比谷の「わたし」に共感を抱いて読み出したのに、別の主人公が登場するため、また登場人物に共感をし直さなくてはいけない。さっきの人はなんだったのか、気になりながら読み進めていくことになる。
はじめから笹野視点で書いて、笹野に共感をもってもらうのがいいのではと考える。
でも、作者は日比谷の心情も書きたかったのだろう。
おもいきって冒頭部分の「わたし」を削ってみるのはどうだろう。
そのあと、笹野が電車内で目を覚ます場面が続くと、同一人物だと思って読み進めていく読者もいるかもしれない。
読み進めていき、笹野が告白した後で日比谷の視点になったとき、冒頭と同じ文章が出てきて読者は、あの書き出しは日比谷のものだったのかと驚かせるのも一つのやり方かもしれない。
それをするにしても、三人称で書いたほうがいい気もする。
「車掌のアナウンスに聞き覚えのない地名を聞いた気がした」
駅名が地名になっているのだけれども、駅名では駄目なのかしらん。次の到着駅以外に、乗り換えの案内などの情報も混ざっていたのかもしれない。この段階では、電車ではなくバスという可能性も……と考えるも「どうして僕がこんな電車に乗ったのだったか」とあるので、電車に乗っているのだ。
日比谷の「前ね、駅に貼ってあった鉄道のポスターでさ、写真と一緒にキャッチフレーズ的なのが書いてあったんだ」「〈行こう、どこかに。〉って」から、『行こう、京都に』というキャッチコピーが浮かぶ。
それはともかく、ここではないどこかへ、若者は常に求めて生きているため、日比谷の言葉は年齢的に適した発言だと感じた。
「わたしたちって多分、どこでもないどこかに行きたいんだよ。その〈どこか〉に、電車って連れて行ってくれる気がする。なんかわくわくする。今すぐに旅に出られるほど暇じゃないけど、でもそういう話が書きたいなあって思う」
わくわくすることに血が騒ぐと言っている。この時点で、日比谷は死んでいるが初見ではそんなのわからない。
死んでいるからこその「血が騒ぐ」なのだと考える。
子供がワクワクするのは、自分と世界が一つに感じているから。
この電車の世界は、日比谷が生み出したもの。そこに笹野を招いたのも日比谷。自分と笹野しかいない、結びつきを感じられているから日比谷は、ワクワクしているのだ。
ちなみに、創作で相手にワクワクさせるには、「新鮮な発見」「知って感動」「価値観や人生観が変わる自分の変化」この三つが欠かせない。そのために、心が落ち着く要素を排除し、ポジティブに進む必要がある。
だから、日比谷が好きな電車であり、ポジティブに前に向かって進んでいくのだ。
なにもわからない笹野は落ち着かず、「わくわくするっていうのは、理解できる気がする。でも〈どこか〉っていうのがわからない。どこでもないどこかなんてないよ。どこでもないなら一生たどり着けない」と屁理屈をいうのだ。
「兄から『お前は屁理屈コネ夫だな』とからかい半分呆れ半分に言われる」ように、笹野は普段から屁理屈をいうのだろう。つまり、よくわからない状況で落ち着かないから、普段の自分である屁理屈をいうし、日比谷はどういう子なのか説明し、落ち着こうとしているように思える。
そんな笹野に日比谷は、「わたしたちは今どこかに行こうとしてます」「きっとそろそろ街を抜けるよ」と不安を少し煽るのだ。
それに対して、ユートピアとつぶやき、同じ文芸部の塚本のことを取り上げては笑い、「君たちはいいコンビだよ」とつぶやいて過去回想へと入っていく。
回想の後、「ほら、抜けたよ」とトンネルを抜けたことを日比谷が知らせる。回想から抜けたともいえる。ここの表現は上手い。
その後の、回想と電車の現実をの切り替え方はスムーズでいい。
途中下車したとき、「一回私たちだって青春したじゃん」という日比谷に「一回だけね?」と苦笑し、なにかが引っかかる。
物語の中ほどで反転攻勢の場面が描かれているのもいい。
前半の受け身的なミステリー要素はここまで、これからは理性的にみるのではなく感情的にハラハラして読むよう促している。
長い文は五行くらいで改行。う読点を用いた一文は長くない。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶってくるところもある。
口語的で、落ち着いた語り口。哲学的なテーマを扱いながらも、青春の一瞬を切り取ったような瑞々しい描写が特徴。プラトンとアリストテレスの対比を通じて、理想と現実の葛藤を描いている点が興味深い。
笹野、日比谷、塚本の三者三様のキャラクターが魅力的で、それぞれの考え方や価値観がしっかりと描かれている。
過去と現在が交錯するフラッシュバック形式、美しい言葉選びとリズム感があり、詩的な表現、細やかな感情描写と情景描写が丁寧である。
登場人物たちの内面描写、葛藤や感情の動きが丁寧で、特に笹野の思考や感情が細かく描かれている。また、電車のリズムや風景描写が物語の雰囲気を引き立てているのも魅力。
生と死、愛と別れ、成長と前進といった普遍的なテーマが扱われている。
五感を使った描写が多く、 電車のリズムや風景描写が美しく、臨場感があって、読者を物語の世界に引き込む力がある。
視覚的描写は、「目まぐるしく流れていく街の風景の中で、遠くの真っ青な空と巨大に立ち上った入道雲だけが動かずにあった」「空も青いし海も青いのだけれど、その間には明確な境界線がある」「静かに優しく、波は砂浜に打ち寄せていた」駅舎の小さくて木造の様子、水色のベンチや花壇の薄紫の花、日比谷の横顔や逆光で見える表情など。
聴覚的描写は、「カタンカタン、カタンカタン……と一定のリズムに揺られる」「ぷしゅー……と気の抜けるような音を吐き出してから、僕の側にある扉がガラガラと開いた」「[まもなく、電車が発車します]というアナウンスがホームに響いた」、グラウンドから聞こえる運動部の声、音楽室から響いてくる吹奏楽部の練習、風が吹く音や波の音など。
触覚的描写は、「水蒸気と熱気を抱え込んだ空気がもわっと車内に押し寄せて来て、それまでの快適さが消えたことで僕は夏の暑さを思い出す」「日比谷のスカートの裾が、ひらりと軽やかに揺れる」
焼けるような空気、トタン屋根の影の下の涼しさ、風が髪を揺らす感覚など。
嗅覚的描写は少ないが、例えば「夏の暑さを思い出す」という表現から、夏特有の匂いを連想させる。海風の匂い、花壇の花の香りなども同様。
味覚的描写は、とくにない。
電車内は夢みたいなものであるので、生を感じやすい嗅覚や味覚の表現は抑えられていると考える。
「君がそう思ってるのはわかったけど、ちゃんと塚本とも話し合ってね?」
「話し合おうね、じゃないの? 部長もでしょ」
「言葉の綾っていうやつだよ。あ、そういえば」
日比谷はごまかしているが、さり気なく挟んでいるのがいい。
塚本がプラトンで、主人公がアリストテレスに喩えられている。
だから年賀状にそれぞれを表せる、『idea』と『きみは、観想する人』を書いて送ったのだろう。こういうところに、彼女の性格が現れていて面白い。
また、年賀状では「六回見直さなかったんだね」は、「あとは推敲で六回ぐらい読み返して終わりかな」と、文芸部の読み直しの回数が出てくる。
「誤字があったら許せないからね。後でショック受けるの嫌だし。屈辱だし」のセリフがいいなと思った。
プロアマ問わず、作品の良し悪しは作家の責任。
プロになれば作家の推敲だけでなく編集チェックや校正が入り、できの良いものになるけれども、それでもあとで誤字が見つかることはよくある。その度に、指摘されるのは出版社より作家。
部活とはいえ、そのことを身をもって体験しているところが良い。
主人公がこれまでのやり取りに気づいて、「いつ、死んでしまったの?」と尋ねるのは、衝撃的。笹野にとっても驚いたに違いない。
昨日、海に行って告白したのだ。その次の日に彼女が死んでいるなんて、驚かないほうが無理だろう。
主人公の弱みとして、笹野は自分の考えや感情に対して迷いがあり、自己認識が不十分である。気づけば電車の中で、乗ったのかさえ覚えがなく、どこへ行くのかもわからないのでは不安になっても仕方ない。
塚本との関係や過去の出来事に対して、まだ整理しきれていない感情があり、それを確かめていくのが本作の読みどころとなっている。
日比谷の弱みとして、自分の感情や思いをうまく表現できないこと。表現よりも、なぜ笹野が告白してきたのかを考え、自分の本心、どうしたらいいのかに思い悩み、自分の気持ちを考えるよりも「彼は、どうしてその言葉をわたしにくれたんだろう」を考え、直接会う連絡をする。
「なにかに急かされるように走っていく。夢中で走りながら、わたしはどうしてか口元が自然とほころぶのを感じた。わたしは笑っていた。君の声が聞きたい。顔を見たい。わたしは、わたしは──」
彼女は嬉しかったのだろう。
事故にあって、電車の中に彼を招き、「ずるいこと言ってもいいかな?」と前置きして、「わたし、君のこと好きだったかもしれないや」と返事する。「うん。わからない。そんな気がしてるだけかもしれないし。そういうこと、意識して考えたこともなかったし」「わかってる、ごめんね。だから、そういうことまで含めて全部、もっともっと笹野のことが知りたかったな。色々話したかったなあ。昨日のこと、すごく嬉しかったんだよ。それは絶対に正しい事実なんだ」
気持ちを伝える。
彼女としては精一杯で、嘘偽りはなかったと思う。
重要な決断を下すのに時間がかかるのも、彼女の弱みだったかもしれない。
電車が発射する別れ際、「ここから先は一緒には行けないや。わたしの〈どこか〉はもうなくなっちゃったから。でも君は違うよ。〈どこか〉に行くんだよ。行き続けるんだ」「わたしのことは忘れていいからね。ずっと囚われていないでね。もっと遠くに行ってね。でも」「でも……ごめんね、わたしはすごく欲張りなんだ。やっぱり、たまには、ちょっとは思い出してほしいな……」
ようやく本音がでてきた。
笹野もまた、気持ちを伝える。「塚本と墓参りに行くよ」「あ、いや……もちろん一人でも行くよ。でも、塚本とは仲良くやってくから、心配しないでほしい。あと知らない言葉は使わないようにする。自分の言葉に責任を持つようにする。それから、僕も色んなことをちゃんと見つめて、考えて生きていこうと思うよ。観想するよ。だから。……日比谷優花さん」「僕はちゃんと生きていく。ちゃんと生きていこうって思えたのは、あなたのおかげなんだ」「やっぱり、好きだよ。あなたがすごくすごく好きだ。ありがとう」
この場面でいいのは、「塚本と墓参りに行くよ」のあと、「日比谷は虚を突かれたように目を丸くした」である。
一人称では主人公の心情は書けるが、主人公以外の心情を描く場合は、相手の動きや表情を書く。とくに目の様子を書くのがいい。なぜなら「目は口ほどに物を言う」「目は心の窓」と言われるように、心情が現れやすいところ。
ただし、目を丸くするという表現は、よく使われがちなので徴してはならない。本作のように、ここぞという場面で一度使う分には問題ない。
話は飛んで一年後。
文芸部には後輩がいる。しかも二人。日比谷がしたように、海についての小説を書くと嘘をついてつれてきたことを、塚本と話している。塚本と主人公。プラトンとアリストテレスの対比を通じて、理想と現実を上手く表現している。
「理想と現実とは、案外正反対のものを表す言葉ではないのかもしれない。不意にそんなことを思った。理想を描き、それを目指して作り上げたのなら、その理想は現実へと変わる」
この世界は、誰かが夢見て思い描いたもので溢れている。制度も道具も思考も、理想が形作られて、今の現実があるのだ。
最後の「 ──僕たちなりに、一生懸命やっているよ」の言葉は、日比谷に届いただろうか。
読後。タイトルは彼女を表していたのかと、しみじみ思う。
ソフィストに反対して普遍的、客観的真理の存在と知徳合一を主張、その自覚は対話で得られると説いたソクラテス。
知を愛する、哲学の語源であるフィロソフィア。
本作はまさに、その形を描いたものといえるかもしれない。
哲学的なテーマやキャラクターの内面描写が魅力的で、電車のリズムや風景描写も美しく、詩的な表現が実にいい。笹野と日比谷の会話や、塚本との過去の出来事、日比谷との最後のやり取りも印象的だった。
電車の中の出来事は夢みたいなものとはいえ、対話がやや不自然な感じがしたり、テンポよく進むとより読みやすくなるのではと考える。
夢から覚めた後、一年後に後輩たちと海に行くところはリアルに描いてもいいのではと想像する。主人公以外の心情がわかるよう、さらに相手の仕草や表情を描くなどすると、もっとイキイキと感じられるのでは。
ラストは、生きている誰しもが抱いていると思える言葉。そうだねと頷いて、青い海や空をみたくなる。
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