あかるい深海

あかるい深海

作者 蘇芳ぽかり

https://kakuyomu.jp/works/16818093080432480749


 夏目は、床屋で髪を短く切り「普通」になった自分に違和感を覚える。家族や友人からも「普通」と言われ、自分の個性が失われたように感じ、葛藤を抱えながら、自分が本当に何を望んでいるのかを模索していく。夏目は自分の個性を守るために他人と同じになることを拒み、自身で髪にハサミを入れ、自分の存在や人生の意味を見つけるために奮闘する決意をする話。


 誤字脱字衍字等は気にしない。

 現代ドラマ。

 内面描写が非常に丁寧で、十代の若者は強い共感と感情移入をするだろう。


 三人称、男子高校生の夏目視点で書かれた文体。現在、過去、未来の順に書かれている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 三幕八場の構成になっている

 一幕一場の状況の説明、はじまり

 夏目は床屋で髪を切ることを決意する。彼は長い間ウルフカットという髪型をしていたが、気まぐれで切ることにした。髪を切った後、彼は自分が普通の髪型になったことに違和感を覚える。家族や友人からも「普通になった」と言われ、彼は自分の個性が失われたように感じる。

 二場の目的の説明

 夏目は夜、布団の中で自分の内面と向き合う。彼は自分が作り上げた「自分らしさ」が本当に自分なのか疑問に思い、個性とは何か、自分とは何かを考える。彼は自分が他人にどう見られるかを気にしすぎていることに気づくも、それでも自分を貫く強さを持てないでいた。

 二幕三場の最初の課題

 学校の体育の授業でサッカーをしている時、夏目は自分が他人にどう見られるかを気にしながらも、結局は自分を貫けないことに苛立ちを感じる。彼は一生懸命目立たないようにしながらも、心の中では叫びたい衝動に駆られる。

 四場の重い課題

 夏目は自分が強い自分を演じているだけで、本当の自分を生きていないことに気づく。彼は自分の人生が演技のように感じ、自分と向き合いながら葛藤に苦しむ。

 五場の状況の再整備、転換点

 夏目は、暑い夏の日に教室で昼食の林檎を食べる気になれず、ぼんやりとした頭で友人の原田と中山と過ごしている。彼は自分の存在や「自分」を見失っているように感じ、何がつらいのかもわからないまま、教室の喧騒の中で孤独感を抱いている。

 六場の最大の課題

 家に帰る途中、夏目は自分が他の人々と同じような存在に成り下がることを恐れ、自分の個性を保ちたいと強く願う。彼は自分の人生に意味や価値を見出したいと考え、他の人々に対して「自分」を忘れてしまうことへの恐怖を感じているかを問いかけたくなるが、実際には声を上げることはない。

 三幕七場の最後の課題、ドンデン返し

 家に帰った夏目は、鏡の中の自分を見つめ、自分の存在に対する違和感を感じながらも、それを忘れないようにしようと決意する。彼は母親に髪を切ってもらっていた頃の銀色のハサミを取り出し、自分で髪を切ることで、自分の個性を保とうとする。

 八場の結末、エピローグ 

 翌朝、教室で友人たちに髪型を非難されるが、夏目は「普通じゃ、だめなんだ」と答える。彼は自分の個性を守るために、他人と同じになることを拒む。物語は、夏目が自分の存在や人生の意味を模索し続ける姿を描きながら、彼が自分の個性を保つために奮闘する様子で終わる。


 海底での涙の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 モノローグからの書き出しが印象的。

 遠景で「もしも海の底で泣いたとしたら、涙なんて見えないだろう」と、当たり前なことだけれども目を引くことからはじまり、近景で状況を説明し、心情で、第三者からみれば、ただ釣っっっているようにしか見えないと語る。

 客観的状況を語る導入は、詩的な表現をしながら、主人公の内面を比喩的に語っているのだと推測する。

 つまり主人公は、何かしら泣いている状態であるけれども海底のように、泣いていると気づかれない状況にあることをいっているのだ。

 なんだか可愛そうであり、共感していく。


 主人公は他者の評価と自己評価の間で揺れ動きながら、四つのことに葛藤をしている。

「他者の評価と自己評価のギャップ」

 他人から良いと言われたものを自分が好きになるとは限らないし、自分が好きなものを他人が良いと思うとも限らないと感じている。

「自己肯定感の欠如」

 自分が「いいと思う」ことを守る強さがないと感じており、それを装っているだけだと自覚している。

「内面の葛藤」

 内面で渦巻いている感情や考えは外見には表れず、他人には見えないため、自分自身でもその存在を証明することができないと感じている。

「自己認識の曖昧さ」

 自分の内面や感情について確信が持てず、他者に対して見せている自分が本当の自分なのか疑問を抱いている。

 悩み多きティーンエイジャーなところに、読者層の十代の若者は共感を抱くだろう。

 

 長い文は、五行くらいで改行。句読点を用いた一文は長くない。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶるところもある。ときに口語的。内省的で詩的、繊細な描写が多い。心理描写が豊富で、主人公の内面の葛藤が丁寧に描かれているのが特徴。とくに十代が抱く悩み、自己探求や存在意義についてが扱われているのがいい。

 海底やりんごなどの比喩表現が、作品を引き立てているのが良かった。

 髪を切る音や感触、周囲の音など視覚や触覚などの描写がが具体的に描かれている。


 視覚は、鏡に映る自分の姿や床屋での髪を切るシーン、教室やグラウンドの風景、「白い水滴の跡が点々と散った鏡」や「蛍光オレンジのビブス」夏目が街を歩くシーン、教室での光景、鏡に映る自分の姿、空に浮かぶ雲など、具体的なイメージを提供している。

 聴覚は、友人たちの声、体育の授業中の音、「ジャキ、ジャキ」というハサミの音や「あーあ」と息を漏らす音、教室内のエアコンの音や、友人たちの声、夏目が自分に問いかける声など、音に関する描写が含まれている。

 触覚は、汗を拭う感覚、髪を切る際の「首筋に沿って当てられたハサミの感触」や「薄い綿毛布から足を出す感覚」、冷たい空気、無防備な首筋を撫でる水の感触など、触覚に関する描写がある。

 嗅覚は、体育の授業中の汗の匂い、「昼ご飯の焼きそばを炒めていた母親の匂い」や「鼻の頭に浮かんだ汗の匂い」、夏目が感じる空気の冷たさや、夕方の静けさなど、間接的に嗅覚を刺激する描写がある。

 味覚は、直接的な描写はないが、「シャクシャクと林檎をかじる感覚」や昼食の焼きそばの味、喉の奥がからっぽである感覚など、間接的に感じさせる描写がある。


 主人公の弱みは、自己肯定感の低さ。自分の個性やアイデンティティに自信が持てない。そのため、他者である周囲の反応に過敏で、自分の行動や考えに迷いが生じる。

 髪を切ることで、家族から普通と呼ばれ、さっさと切れといっていた友達からも『普通にそっちの方がいい』『顔まで心なし良く見える』といわれて気を良くする。

 普通になったことで個性とはなにかを考えるようになり、本当の自分とはどこにあるのか、自分の存在意義や個性に対する不安を抱くようになっていく。


 主人公の「自分らしさ」や「個性」を象徴する、りんごの比喩が良かった。教室で丸ごとりんごを食べる行為は、他の誰とも違う自分を表現しようとするからだし、りんごのフォルムが好きだなのも独自性を強調しようとしている。吐きそうなのは、彼のアイデンティティーに由来する悩みから。彼は自分が本当に何者であるか、自分の価値や存在意義について深く考えすぎているから。

 だから、このときの自分らしさを象徴するりんごは、「今食べたら吐きそう」と受け付けられなかったのだ。


 これまで自分が作り上げた「理想の自分」と「現実の自分」との間で葛藤し、自分の存在意義やアイデンティティに悩んでいく。

 彼は周囲から「低体温」と評されるほど無気力で、何事にも本気になれない自分を演じているが、その裏では他人に認められたい欲求や、自分がただの「大人しいクラスメイト」として埋もれてしまうことへの恐怖を抱えている。

 自分が特別でありたいと思いつつも、その特別さを表に出すことができず、周囲に溶け込んでしまうことに苦しんでいく。彼は自分の人生に意味や価値を見出したいと願いながらも、それを見つけられずにいるのだ。この葛藤が彼を悩ませ、心で涙を流している。

 髪は、主人公にとってのアイデンティティーだったのだ。

 だから、他人と同じであることを嫌がる主人公は、自己表現のために髪を切ることで、自身のアイデンティティーを作り、内面の葛藤や変化を外見に反映させることで新しい自分を見つけ、母親に髪を切ってもらっていた過去からの脱却と、自立した自分を確立しようとする意志を示した。

 元服で髪型が変わるのと同じように、夏目も髪を切ることで新しい自分に生まれ変わろうとしていたのである。

 

 夏目は、自分の個性や考え方を大切にしたいと思い、「普通」でいることに満足できず、自分らしさを表現するために「むき出しのこめかみの辺りに触れた。右目の上から耳の横だけ、髪が極端に短い。房の毛先は真っ直ぐな斜線を描く」ように切った。

 友達からはその行動が理解されず、「お前さあ、そろそろ人に馴染みなよ」「普通がいやってなんだよ」非難される。

 自分の考えや行動が周りと違うため、孤独感や不安を感じることもあるが、母親や妹は夏目の個性を理解し、受け入れてくれている。

 現代の高校生も、夏目のように自分の個性や考え方を大切にしたいと思う一方、周りからの理解や受け入れが得られず、自分らしさを表現することと、周りとの関係をどう保つかというバランスに悩むことが多い。

 本作はそんな現代の若者の考えや気持ちを、上手く描けているところが、素晴らしい。ただ内省的な描写が多いため、物語の進行が遅く感じるかもしれない。内面だけでなく、他者との対話を増やすことで、物語に動きがより引き出せるのではと考える。


 読後。

 同世代の読者はきっと、主人公の悩みや葛藤、成長に共感できる部分は多く、感情移入しやすい作品。現代を生きている高校生の日常を切り取ったような、非常に上手く描けている。

 特に、髪を切る場面や周囲の反応がリアルで、自分が髪を切った後の周りの反応とかを思い出して読むことができた。

 タイトルをみながら、読む前は内容が想像付かなかったが、読み終えてみると、ちょっと泣いていそうだけど、夏目の笑顔が浮かんでくる。


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