私の記憶はばかだから
私の記憶はばかだから
作者 冷田かるぼ
https://kakuyomu.jp/works/16818093077853398749
記憶力が極端に悪く、日常生活に支障をきたしている高校生。彼女には小学生の頃からの親友がいて、サポートを受けながら生活している。ある日、昔の同級生に「いじめていた」と非難され、自分が加害者だったか悩む。親友からはその同級生がいじめっ子だったと聞かされるも真実がわからず自己嫌悪に陥ったが、自力で少し記憶を取り戻し、希望を見出す話。
現代ドラマ。
主人公の内面の葛藤や感情や五感描写が優れている。
過去を思い出せたときの描写、表現が素晴らしかった。
主人公は女子高校生。一人称、私で書かれたですます調の文体。自分語りの実況中継で綴られている。
絡め取り話法で書かれている。
主人公は記憶力が極端に悪く、日常生活に支障をきたすほど。彼女には小学生の頃からの親友がいて、その親友は主人公の性質を理解し、助けてくれる。しかし、ある日、親友が忙しくて一緒に帰れないと言われ、主人公は一人で帰宅することになる。
学校を出た後、階段の降り方を忘れたり、靴箱の場所を思い出せなかったり、記憶力の悪さに苦しむ。駅に着いた時、昔の同級生に出会い「いじめていた」と非難される。主人公にはその記憶がなく、自分が加害者だったのかと悩む。
家に帰ると、母親に鍵をどこに入れたか忘れたことを叱られ、過呼吸に陥る。母親が優しく背中をさすってくれ、主人公は涙を流す。夜、親友にメッセージを送るも、送った内容が曖昧で、自分の記憶力の悪さを再認識する。
翌朝、親友と会い、昨日の同級生の話をする。親友はその同級生が実はいじめっ子だったと教えてくれるが、その記憶もない。親友の言葉「だからあんまり気にしなくていいよ、っていうかたぶんいやがらせだろうし。それにどうせ忘れちゃうんだから、ね?」
に違和感を覚えつつも、何も言い返せない。
学校では親友が他の友達と楽しそうにしているのを見て、孤独を感じる。親友に相談したいことがたくさんあるのに、うまく言葉にできない。自分がいじめっ子だったのか、いじめられていたのかもわからず、悩んでしまう。
宿題のことを聞こうと思うも、親友は「うん、……ごめん、今日も無理! 昨日大丈夫だったし、今日も……ごめんね!」と言って教室を出て、他のクラスの友達に勉強を教えに行く。最近冷たくされているような気がして、勝手に少し落ち込む。
一緒に学校に行けないと親友から連絡があってから数日、主人公は一人で登下校することになり、道に迷う。途中で芋虫に遭遇した。
中学生の時、垂れ下がってる芋虫に気が付かなくてそのまま突っ込み、全身芋虫まみれに。一緒に帰っていた親友が傘の先で払い、慰めてくれた。すごく恥ずかしかった感覚が鮮明に蘇る。
初めて自力で思い出せたことに感動。
主人公は木の枝が頭に落ちてくる小さな出来事を「運がいい日」と感じ、いつか思い出せるかもしれない希望を持つのだった。
一幕一場 状況の説明、はじまり
主人公は記憶力が非常に悪く、日常生活に支障をきたしている。親友だけが彼女を理解し、助けてくれる存在。
二場 目的の説明
親友が忙しくて一緒に帰れない日、主人公は一人で行動することになる。彼女は自分の記憶力の悪さに苦しみながらも、なんとか日常を乗り越えようとする。
二幕三場 最初の課題
主人公は階段の降り方を忘れてしまい、手すりにしがみつきながらなんとか降りる。靴箱で自分の靴がどれか分からなくなるが、メモを見て解決する。
四場 重い課題
駅で昔の同級生に会い、彼女から「いじめていた」と非難される。主人公はその記憶が全くなく、自己嫌悪に陥る。
五場 状況の再整備、転換点
家に帰り、母親に優しくされることで少し安心するが、自分の記憶力の悪さに再び苦しむ。親友にメッセージを送るが、曖昧な内容しか送れない。
六場 最大の課題
親友から、中学時代にいじめていたのはむしろ同級生の方だと聞かされる。主人公は混乱し、どちらの言葉を信じていいのか分からなくなる。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
親友が忙しくて一緒に登下校できなくなり、主人公は一人で行動することが増える。ある日、垂れ下がる芋虫を見て、親友が助けてくれた過去の記憶を初めて自力で思い出す。
八場 結末、エピローグ
主人公は自分の記憶が完全にばかではないことに気付き、少し希望を持つ。木の枝が頭に落ちてきたことを「運がいい日」と感じ、いつかまた思い出せるかもしれないと前向きに考える。
記憶の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
独白からの書き出し。
遠景で、「私の記憶力は本当に悪い」と大きなことをいい、近景で具体的にどう悪いのかを説明し、心情で、極めつけに自分の名前だってと付け加える。
だから本作には、主人公の名前が登場しないのだろう。親友がいるのに、親友の名前も出てこないのはそのためだと、前置きしているので、主人公の独白めいたモノローグを読んでいけるのだろう。
非常に上手い書き方だ。
忘れたときように、定期券入れの中にあるメモに全部書いてあるという。しかも、「これを思い出せただけで勝ったも同然」と、忘れるときもあることを示唆している。
「木の上から垂れている尺取虫みたいなやつだけは大嫌いです。あいつのことは嫌すぎて忘れません。……あれ、なんで嫌いなんでしたっけ。まあいいか。あれはどうやら黄色と黒の蛾になるらしいということだけは覚えています」
覚えていることもある。これが後になって生かされてくる。
主人公は記憶が悪い。よく忘れる。そんなところが可愛そうだと感じ、共感する。
そんな主人公にも、小学生のころからの親友がいて、助けてくれる。彼女の名前は、がんばれば思い出せるという。
親友にはたくさん友達がいて、授業の再テストとか友達の悩み相談を聞くため、一緒に帰れないという。
「ほんのちょっと嫉妬したりします。私だけの親友でいてほしい、と思うけど、こんな記憶力の私と仲良くしてくれてるだけでもありがたいから我慢します」人間味を感じ、共感を抱く。
長い文は五行くらいで改行。句読点を用いた一文は長くない。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶってくるところもある。口語的で、シンプルでわかりやすい文体。共感を呼びやすい。主人公の内面の葛藤や感情が詳細に描かれている。会話は少ないが、会話文から親友の性格が伺える。
感情描写が非常に細かく、主人公の内面の葛藤がリアルに伝わるところがいい。記憶やアイデンティティについて考えさせられる。
感情と結びつけながら、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚が巧みに使われている五感の描写が豊富で、物語の世界に入り込みやすい。
視覚は、階段の前で立ち止まる場面、芋虫が垂れている場面、親友の姿、駅での光景など描かれている。
聴覚は、電車の車輪の音、風の音、母親の声、親友の声などが描写されている。
触覚は、階段の手すりにしがみつく感覚、母親に背中をさすられる感覚、涙が流れる感覚など。
嗅覚は、キッチンからの煮物のにおい、シャンプーの香りなど。
味覚は、夜ごはんの味、食欲がないことに気づくシーンなど。
主人公の弱みは記憶力が極端に悪く、日常生活に支障をきたしている。自己嫌悪に陥りやすく、自分を責める傾向がある。
「……あれ? 階段ってどう降りるんでしたっけ? 足、どう出せばいいんでしたっけ。しばらく階段の前で立ち止まったけど、なんだかよく分からなくなってしまいました」
記憶には大きく二つある。一つは、「日本の首都は東京」を覚えること。もう一つは、「日本の首都が東京」とはじめて知ったのは小学一年生になる前の三月に、テレビをを見ながら父が教えてくれた、みたいなこと。
主人公は、日本語は忘れていないし、親友のこと、リュックや体操服、教室、学校、電車、階段などは覚えている。
それでも親友の名前は頑張れば思い出せるけれど、自分の名前は思い出せない。昨日の晩ごはんや朝ご飯もそう。
日常生活でくり返し体験することは覚える。だから、朝ご飯や晩ごはんを食べる、食べたということは覚えていても、毎日変化する内容を覚えるのは暗記なので、一時的に覚えることは苦手なのだろう。毎回白米を食べているなら、白米は覚えるかもしれない。
だから、階段や学校で毎回、階段の上り下りをしているのに、忘れるのは違和感がある。もちろん、そちらの記憶をなくすこともあるのだけれど。自分の動作を意識しすぎるあまり、普段どのようにしていたのかわからなくなっているだけで、記憶力が悪いのではないのではと思う。
家にも階段はあるだろう。段差もあるはず。家から学校まで、真っ平らならば可能性はありそう。学校で授業を受けているということは、ペンを持って字を書いている。ご飯も食べている。シャンプーのボトルも押しているだろう。それらの動作を、毎回「どうするんだったかな」と考え悩むのなら、納得いくのだけれども。
スポーツ選手や料理人の包丁さばきなど、熟練者ほど無意識に無駄なく動く。そんな人に、どうやって動かしているのか事細かに言葉で説明するよう求めると、うまく説明できなくなり、動きもぎこちなくなってしまう。それと同じ、もしくは似たような状況なのではないか。
わからないことは、なんでもかんても記憶力が悪いことに結びつけているところが、主人公にはあると考える。
「自分は記憶力が悪いから」といった考えが、卑屈さや自身のなさ、さらなる記憶力の悪化を招いているのではと想像する。
主人公の記憶力の悪さがどの程度なのかが、わかりにくい。
次の日には忘れてしまう、というわけではないし、そのへんがモヤモヤする。
覚えていないため、他人の言葉に影響されやすく、自己肯定感が低いところも、主人公の弱さである。
裏付けとなる記憶がないので、考えてもわからない。
確かめるには、たくさんの人から当時の意見を聞く必要がある。他の人達が嘘を付くこともあるし、質問に対して欲しい答えを返してくれるとも限らない。質問に対して二割くらいは答えてくれるけれども、残り八割は関係ない話をするという。
たくさんの人の話を聞けば聞くほどわからなくなる場合もあり、主人公はさらに混乱に陥るだろう。そもそも人と話すのは得意な方ではないので、実行に移すのも難しい。
信頼できる親友の言葉でさえ、「分かりません。だって私にははっきりした過去がないんです。もし覚えていられたなら、こんなに悩むこともなかったんじゃないかなと思います。でもきっと忘れちゃうんでしょうね」
「だからあんまり気にしなくていいよ、っていうかたぶんいやがらせだろうし。それにどうせ忘れちゃうんだから、ね?」
これまでは、よく忘れたのだろう。
本当に忘れたのか、それも聞いてなかったのか。
人の記憶は、記録ではない。
くり返し思い出して定着させなければ忘れてしまう。
主人公は、いじめていた相手の子のことを気にもしていなかったのかもしれない。大事なことならメモして置くこともできるはず。実際に、定期の裏にはメモがあるのだから。メモを書き忘れた、書いたけどどこに置いたか忘れた、という可能性もある。
主人公のような場合、日記をつけさせるだろうし、親も小さいうちから覚えさせようと買い与えていると考えられるのだけれども、子どもの症状を単なる物覚えが悪い、として扱っているのかしらん。
鍵がわからなくなって、「もう、また? ちゃんと覚えておきなさいよ」とある。またとは、どのくらいの期間なのだろう。昨日? 先週? 先月? 三か月前?
「また呆れられてしまいました。いつもそうです。私はダメなんです」
主人公はいい切っている。そのあとで、
「はっきりとは思い出せないけど、いつもいつも怒られている気がします。私の記憶はばかだから、何をするにもうまくいかなくて怒られてしまうんです」
よく覚えていないという。
人は、悪い記憶はくり返し思い出し、忘れにくいという。
主人公は、なにかあると自分に、「最低です、私は最悪な人間です」「私の記憶はばかだから、何をするにもうまくいかなくて怒られてしまうんです」とくり返し思うことで、それ以外の記憶を除外しているのではと邪推する。
鍵をどこに入れたのか忘れて叱ったあと、「まだ喉からひゅうひゅうと音を鳴らす私の背中をさすってくれていました。涙がぼろぼろ出ました。この人が私に優しくしてくれたのはいつぶりだろう、と直感的に思いました」とある。
毎日、怒ることはないかもしれないけれど、過呼吸になることを母親はわかっていると思われる。それだけ頻度が高いはず。それでも、主人公は、よく覚えていないという。
たとえば、前の日に似たようなことがあったのなら、主人公の記憶の悪さがどれくらいなのかを推し量ることができるのだけど。
親友の言葉から、過去の自分を思い出すところがある。
「昔の私の解像度があまりに低くて分かりません。なんだかすごくはっきりしていたということだけしか分かりません。今の私とは全然違います。ずるいなって思いました。過去の自分に嫉妬するのもおかしいとは思いますが」
どうしてそういい切れるのか、思い出せたのかはわからない。
でもそのあとの、「数学の教科書を家に忘れたことに気付きました」「私だって親友に相談したいです。私が中学の同級生を虐めてたかもしれない、ってこともだけど、私が異常に忘れっぽいってこと、もう一回考え直したいと思いました」と、忘れておらず、しっかりしている印象がある。
親友が友達に勉強を教えに行くのをみて、「なんだか最近冷たくされているような気がして、勝手に少し落ち込みます。どうしてそう考えたのかとか言われたらやっぱり思い出せなくて、根拠なんてどこにもないのにそう思ってしまいます」と、積極的に思い出そうとしている様子がみられる。
「でも仕方ないと思います。だって、私はどうして親友と親友になったのかすら、もう、思い出せない。こんなのひどいですよね。私はきっと犯罪者予備軍どころか大罪人です」
主人公は、かなり真面目な性格なのだと思う。
いつのまにか仲良くなっているものが親友だから、「今日から親友だね」と儀式めいた出会いがあって、忘れてしまったら大罪人と、自分をすぐ卑下する。これが、記憶力を悪くしている気がしてならない。物事を悪い方に考えてしまう。
「散っていく記憶という花弁がみんなを傷つけていきます。毒があります。私だけはそれが分かりません。花が散っていることすら気付けないんです。せっかく咲かせた花は、意味もなく、忘れられていきます。ああ、虚しいな。せっかく人間に生まれたのにな」は、主人公の心情をうまく表現している。
忘れていく記憶によって、周りの人達を傷つける。
出会ったのに、自分は忘れてしまう。
一人取り残される。
みんなと一緒にいられないなんて。
次の日、一緒に学校に行けないと親友から連絡があり、それ以降は一人で登下校するようになる。親友は主人公を見捨てた、もしくは距離を置いたのだろう。この展開は、これまでの親友の言動や行動から想像できるが、主人公にしてみたらショックで悲しいだろう。
「がさがさ風で木の葉が擦れて、揺れて、たくさん笑っているみたいでした。教室の中と同じでした。時々私を笑うクラスメイトのみんなと同じでした。私が忘れちゃうとみんな笑うから、ほんのちょっと春を感じます。芽吹いています。もう夏ですけど」
春になって新しい子達と出会うも、すぐに忘れてしまう主人公を面白がって笑うのが春なのだ。そのうち、忘れるのが当たり前だからと受け入れ、無視されて笑われることもなくなる。
春には出会いと別れが象徴されているので、親友から距離を置かれた主人公は、木の葉のざわめきから春を連想したのだろう。
こういう表現ができるということは、記憶はあるだろうと思う。
そのあとで、木の枝からみょーんって芋虫が垂れ、全身芋虫まみれになったとき、親友が傘で払ってくれたことを思い出し、「懐かしいな、と初めてはっきり感じました」と思い出す。
ここの展開、表現はすばらしい。
記憶を忘れた人は、「久しぶり」とか「懐かしい」という感情は抱けないし、言葉が使えない。
自分には縁遠いものだと思っていた。
でもちがった。
「今まではほんの数日前のこととか、昔のことなら親友に誘導してもらってようやくうっすら思い出せるか出せないかくらいだったのに、ちゃんと自力で思い出せたんです」
ようやくここで、主人公がどの程度覚えていられるのか、忘れてしまうのかが出てくる。
自分で思い出せたこと。
ここがとても大事で、「雲の隙間から太陽がひょっこり顔を出して私を祝ってくれているみたいでした。こんなに太陽が愛おしかった日はないと思います、思い出せないけど」たしかに、これまでは太陽がどんなふうに見えていたのかは思い出せないだろう。
でも、これからは、この日の太陽を思い出せると思う。
木の枝が落ちて、「珍しいことかも、ちょっと運がいい日、嬉しいな。だけどきっと忘れてしまうんですよね。私の記憶はばかだから。でもいいんです、いつか思い出せるかもしれないって分かったんですから」
ラストで、上向きな考えができている。
これまでは、「私の記憶はばかだから」と自分を責めてばかりいた。でも希望をみた主人公は、きっと思い出していくだろう。
サブキャラクターの描写をもう少し詳しくすれば、さらに面白くなる気もするのだけれども、主人公視点で書かれているので難しいかもしれない。
主人公の記憶力の悪さや自己嫌悪に共感できる部分が多く、五感の描写が豊富で、物語に入り込みやすかった。
読後。タイトルを見て、そんな悲しいことをいうものではないと、いいたくなる。読む前もそうだし、読んだ後はとくに。でもラストは希望を抱いているので、大丈夫だよと声をかけたくなった。
追記
感想を書いたときにも思っていたのだけれど、主人公はおそらく高次脳機能障害だと思われる。脳梗塞や脳出血などの脳血管障害、あるいは感染症による脳の炎症、交通事故やスポーツな頭部への衝撃などの脳外傷が主な原因である。
ただ、母親の理解があるように感じられない。
交通事故後、高次脳機能障害で後遺障害等級認定を受けたい場合、家族が「日常生活報告書」を作成して自賠責保険へ提出しなければならない。 日常生活報告書には、具体的なエピソードによって日常生活でどのような支障がどの程度生じているのか、事故前後で被害者にどのような変化があったのなどを詳しく記載する必要がある。
主人公が以前事故に遭い、様子がおかしかったけど親が放置して現在に至る状況なのではと邪推する。
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