立ち止まって、歩き出す
立ち止まって、歩き出す
作者 うるふ
https://kakuyomu.jp/works/16818093081703382400
サッカー部の渡は多汗症に悩まされ、学校や部活にいけなくなるも医者から薬を処方され通えるようになるもサッカーができないことに絶望する。転校生の高橋蘭の言葉に救われ、サッカー部マネージャー兼アシスタントコーチになる話。
疑問符感嘆符のあとはひとマス開ける等気にしない。
現代ドラマ。
主人公の内面描写が優れている。
多汗症を扱いながら、希望と再生の物語として感動的。
主人公は男子高校生、サッカー部に所属する渡。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
男性神話と、メロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
主人公の渡は高校のサッカー部員で、練習試合でゴールを決めるが、先輩の引退により不安を抱える。高二の春、渡は多汗症に悩まされ、学校や部活に行けなくなる。医者から薬を処方され、汗は止まり、学校に通えるようになる。
新学期、転校生の高橋蘭と出会う。サッカー部に戻ることを決意するが、薬の副作用でサッカーができないことに気づき、絶望する。
自暴自棄になっていたときに彼女と会い、蘭の言葉に励まされ、渡は新しい問題に挑戦することを決意する。選手に戻ることはできないが、マネージャー兼アシスタントコーチとしてサッカー部に関わることに。
蘭は再び転校し、渡は彼女に感謝の気持ちを伝えられなかったが、次に会う時には本物の蘭の花を渡すことを誓う。
三幕八場の構成で書かれている。
一幕一場 状況の説明、はじまり
主人公の渡はサッカーの練習試合で活躍し、先輩と共に喜びを分かち合う。先輩が引退することを知り、渡は不安を感じるが、先輩から励まされる。
二場 目的の説明
渡は先輩がいなくなった後もチームを支える決意を固める。
二幕三場 最初の課題
渡は多汗症に悩まされ、学校生活やサッカーに支障をきたす。汗が止まらないことで、周囲からの視線や自分自身の不快感に苦しむ。
四場 重い課題
渡は多汗症のためにサッカー部を休むことを決意し、学校にも行けなくなる。孤独感と自己嫌悪に苛まれ、精神的に追い詰められる。
五場 状況の再整備、転換点
渡は病院で多汗症の診断を受け、薬を処方される。薬の効果で汗が止まり、再び学校に通えるようになる。
六場 最大の課題
渡は新しい転校生の高橋蘭と出会い、彼女の存在に心を動かされる。サッカー部に戻ることを決意するが、薬の副作用でサッカーができないことに気づく。
三幕七場 最後の課題、ドンデン返し
渡はサッカーを諦めようとするが、高橋蘭の励ましで新しい目標を見つける。高橋蘭の言葉に勇気づけられ、前向きに生きる決意を固める。
八場 結末、エピローグ
渡はサッカー部のマネージャー兼アシスタントコーチとして新たな役割を果たすことを決意。高橋蘭は転校してしまうが、渡は彼女との再会を誓い、前向きに歩き出す。
新たな問題の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
動きのある書き出しがいい。
遠景で「前線の競り合いに負けて俺は地面に叩きつけられる」と、主人公が一行目から悲惨な目に遭っている。ここで痛そう、可哀想と思わせることで共感を抱かせる。近景ではどういう場所で、何が行われているか「両チーム共に譲らぬ激しい攻防が続いている。スコアは〇対〇」を説明。心情で「この後半なんとかして点を取りたい」と思いを語る。
主人公は作家の練習試合をしていることがわかり、監督の声が飛ぶ中、チャンスが来てシュートを決める。
視覚と触覚、感覚描写、内面を思考を組み合わせた状況描写と心情描写は臨場感も強く、場面を想像させてくれる。
先輩とのやり取りも、動きや表情を描きながら、心情と会話を交えているおかげで、主人公の先輩がいなくなって寂しい気持ちもよく伝わってくる。
心配してからの、「……確かにそうっすね、俺先輩よりサッカー上手いし」「おめぇな!」のやり取りは、くすっと笑ってしまう。
それでいて主人公は、「悪い癖だ。ついふざけてしまう。拳を上げながら追いかけてくる先輩と夕焼けを背に、俺は顔を隠して走った」と続く。些かベタかもしれないが、おかげで先輩との関係、仲の良さがよく伝わり、「まだ今日が終わって欲しくない、心の中でそう強く願いながら」が響いてくる。
だから、先輩が抜けた後、自分が二年生になったプレッシャーやストレスが引き金になって汗をかくようになっていったのだろう、と感じられる。原因と結果がわかる展開がいい。
「女の子だったらきっとドライヤーが欲しくなるだろう」はいらない気がする。主人公はシャワーを浴びているのではなく汗をかいているのだから。書きたい気持ちはわかる。シャワーを浴びたと間違うほど汗をかいているといいたいのだろう。
「そう言って俺は自分を見る。髪は毛先のみならず頭頂から濡れて、目に染みた汗を拭う。ワイシャツが真空パックのように肌に吸い付き、不快を極めた」テンポよくしたほうが、スッキリ読めていいと考える。
長い文、八行くらい続くところもある。推敲して読みやすくすると、短くなるかもしれない、と余計なことを考える。
たとえばこんなふうに。
「生き物が芽吹く春、俺だけが冬眠してしまった。朝、呼び鈴を鳴らして学校行こうよと言ってくる部活仲間も来なくなった。俺はこの世界に一人ぼっちだ。カーテンを閉め切った暗がりの中で考えていると、動悸と共に奴がやってくる。たまらずシャワーを浴びた。何度も何度も洗い流すたび、あの頃の自分が排水溝に消えてゆく」
「母に起こされ時計を見る。七時か。ベッド横の薬を手に、洗面台へ向かい、いつものようにそれを飲んだ。リビングには我が家定番、目玉焼きとハムを乗せたトーストが用意されていた。ニュースを見ながら食事を終えると自室へ。制服はなんだかコスプレみたいで恥ずかしかった。鏡で髪を整え、玄関で呼吸を確認した。うん、大丈夫。鞄を勢いよく背負うと、ドアノブに手をかけた」
基本は数行で改行。句読点を用いた一文で書かれているが、読点を用いない長い一文もある。その場合は、主人公の落ち着きや重々しさ、弱い言葉、説明などが込められている。
一人称視点で、主人公の内面描写が豊か。感情の起伏が激しく、リアルな描写が多いのが特徴。主人公の内面の葛藤や成長が丁寧に描かれている。登場人物の性格がわかる会話文。高橋蘭のキャラクターが魅力的で、物語に深みを与えているのがいい。
多汗症という現実的な問題を扱っているところが、本作の魅力でもある。
五感の描写では、読者が登場人物の感情や状況をよりリアルに感じられるようにしているところが、実にいい。
視覚は、サッカーの試合や学校の風景、場所の具体的なイメージを伝え、物語の舞台を鮮明に描き出している。「芝生に比べあまり良いとは言えない赤土のサッカーグラウンド」「キーパーと一対一。距離にして十数メートルといったところか」
人物描写も詳細に描いている。 「朱色のえらく大きいブリムがついた麦わら帽子をかぶる彼女」「挑戦的な目つきで、それでいて敵意を感じさせないアーモンド型の大きな一重」
聴覚は、監督の咆哮やボールの音、蘭の声など、緊張感や緊迫感を高め、その場にいるかのような臨場感を生み出している。「監督の咆哮が絶えず響き渡る中」「ボールが地面に落ちる音を合図に俺は駆ける」「『ねえ!』……『ねえってば!!』」
触覚は、汗の感覚や体温の変化がリアルに描かれ、登場人物の身体的な感覚を共有し、その苦しみや不快感を感じ取れるようにしている。「ずれたスネあてをすぐさま直し、再び土を蹴った」「全身からとめどなく流れる汗」「渡されたペットボトルの心地よい冷たさを感じながらも」「汗が目に染みて悲しくもないのにうっすら涙が出る」
嗅覚は汗の匂いやシトラスの香りなど、特定の場面や状況をよりリアルに感じさせ、読み手の記憶や感情に訴えかけてくる。「腐ったミルクの様な鼻につく嫌な匂い」「シトラスの匂いが鼻をくすぐる」「どこからか焼き魚のいい匂いがした」
味覚は、食事の描写は少ないが、感情の変化が味覚に影響を与える場面があり、登場人物の緊張や恐怖を強調、その感情を共有できるようにしている。「唾で飲みこんだ」「血の味が口全体に広がってきた」「唾液の塊みたいな、よく分からないものが口の中を彷徨く」
主人公の弱みは多汗症。身体的な問題が大きな障害となっている。
ストレスや緊張、不安を感じると、交感神経が優位になって、汗腺の働きを活発にする。そのため、交感神経が敏感な人ほど、多汗症になりやすいといわれている。
先輩がいなくなって二年生になったことでの不安やストレスがきっかけとなった主人公が、まさにそうなのだろう。
多汗症のため、好きなサッカーができなくなっている。
その原因は精神的な弱さ。自分の問題に対する無力感や孤独感を抱えやすい性格もあって、ますますストレスになっていると考える。
サッカーはチーム競技だが、突き詰めれば個人競技でもある。
主人公が所属するサッカー部の部員がどれほどかはわからないが、多ければ自分が抜けても代わりはいるだろう。少なければ、ますます自分の活躍が大事になってくる。
仮に人数が多いチームであっても、主人公のようなプレーができる部員が他にいれば問題ないが、いなければ期待される。
薬の服用で汗を抑えられた主人公に、「秋の気配を感じる夕方に、監督から一本の電話があった。明日から練習に参加してくれないか、という内容」で誘いがきている。
秋以降は三年生は受験で引退。二年生である主人公に監督が声をかけるのも当然であり、上手いプレーをする人物なのだろう。
多汗症の内服薬として抗コリン薬がある。
プロバンサイン(臭化プロパンテリン)は、日本で唯一多汗症に保険適用がある薬。服用後一時間程度で効果が現れ、約五時間持続。
全身の発汗を抑制する効果がある。
主人公はこの薬を服用していたものと推測される。
抗コリン薬には副作用として、口渇、便秘、排尿障害などが起こる可能性がある。また、高温環境下では体温調節が難しくなる可能性がある。
人間は恒温動物であり、汗をかくことで体温調整している。汗をかけなくなるということは、調節できなくなり、激しい運動や高温環境下での活動には注意が必要となる。ただし、通常の日常生活や軽度な運動は可能。
医師から説明があったはずだし、相談しながら適切な治療法を選択することが重要である。
「体育の時間も身体が気になり、本気で走っていなかった」のは、軽度な運動は可能だから、軽くしか走れなかったのだ。
だから、監督からの電話を力なく切ったあとは、自暴自棄に走っていく。おもいっきりサッカーがしたいのにできない。それがたまらなく悔しくて、それでもしたい気持ちを抑えきれず、どうなってもいいから「ここは、俺の最後のグラウンド」として、ドリブルを続けていく。
主人公の動きで、気持ちを描いているところが実にいい。切なくなってくる。
髙橋蘭の登場は意表を突くも、物語の流れから考えると、登場するだろうなと予測はつく。
できるなら彼女のキャラクターをもう少し深堀りすると、存在感がまして物語に深みが出てくるのではと考える。トリッキーな転校生として登場したものの、その後がないので、彼女の背景や内面の描写を増やせば、彼女に対してもより感情移入できるようになると思う。公園での二人のやり取りで、主人公の心情は書かれているのに、彼女の動きや描写が少ない。隣り合うようにベンチに座って、話すとき、どのような仕草や表情を彼女はしていたのかしらん。
「私さ、親が転勤族だから友達出来ないんだよね。ワキガでいじめられた時もずっと一人で我慢してた」
彼女の目が遠くを見つめる。
なぜ今そんな話をするのだろうか。
「仲良くなっても連絡してくるのは最初だけ。一年後には新しい友達作りに必死なんだよ」
彼女の声には、諦めにも似た冷めた感じがした。
「……だからなんだよ」
苛立ちを含めた声で返した。
「だからね時々すごく寂しくなるんだ。親が死んだら私はこの世界に一人ぼっちだなって」
顔を向けてくる彼女。
一人ぼっちか。わかったようなこと言いやがって。
「でもね、私はそれでも頑張って生きるよ。だって美味しいご飯たくさん食べたいもん!」
彼女は俺を笑わせようとしたのだろう。でも、その瞬間、何かが切れた音がした。
「……ふざけんなよ? 何が一人ぼっちだ!! お前がいなければ俺はこの世界から解放されたのに!! 全部お前のせいだ。俺の前から消え失せろ!!」
立ち上がって、声を荒げて罵倒する。
「上辺だけの不幸ちらつかせて同情してくる奴は何もわかっちゃいない!!」
また、全体的にいえることだが、感嘆符が多く用いられている。ここぞというところで使わないと、効果が発揮されないと考える。むしろ煩わしく感じるかもしれない。台詞に頼りすぎているから起きるのかもしれない。
感嘆符を使わず、大声だったり感情の発露を表現する書き方、たとえば登場人物の動きを示す書き方をそえるなど工夫するといいのではと考える。いろいろな書籍を読んで、どう書かれているのかを参考にするのもいい。
「なら、新しい問題を作ればいいんじゃない?」
彼女の意表をついた言葉、この展開は予想外で興奮と驚きをおぼえて実にいい。
一つできなくなると、すべてが駄目になったと勘違いしてしまう。
「そうだよ! 例えば……Q,新しいことに挑戦したい! っていう問題を作って、それからA,ギターを始める。とか!」
見方を変えて選択肢を増やすことを話している。
いままでは物事を平面、一つの見方だけで見てきた。でも物事には裏も表も横も斜めも、三百六十度から見ることができるし、遠くや近くから見ることもできれば、外側だけでなく内側もある。
身近なたとえをするなら、試験の問題文で、一つの問題に躓いていたら、飛ばして次の問題を解くことで時間を無駄にせず点数を取っていく。そんな考え方を、彼女はいったのだ。
彼女は頭が良い子だと感じた。
「答えのない問題を捨てることが出来なくてもいいの! 抱えながらでいいから次のワクワク見つけてみよ!」
ワクワクとはなにか。
簡単にいえば、全体と個が一つだと思い、信頼すること。今を認め、受け入れることで得られる。子供がワクワクするのは、自分と世界を一つに感じているから。
多汗症という自分と、好きなサッカーを一つに感じられたなら、主人公はワクワクするはず。
なにかが「わかる」というのは、自分と対象との結びつきを感じ、腑に落ちて、なるほどと自分のものとして受け入れることができたときをいう。
主人公がわかったときの、「黒く沈んでいた俺の心に、真っ白な蘭の花が咲き乱れた」の表現がいい。彼女の言葉が頭や心に広がっていった感じが伝わってくる。
最後、主人公が新たな一歩を踏み出すシーンを、彼女が教えてくれた新たな問題を作る「Q,君とまた、会うには」で表現しているのが、オチとして良かったと思う。
主人公の葛藤や成長がリアルに描かれていて、感情移入しやすかったと思う。高橋蘭との出会いが新たな展開をもたらし、最後まで飽きずに読めた。とくに主人公が新たな一歩を踏み出していく結末は感動的で、読後感が良い。
本作を通して、多汗症の辛さや大変さの一端がわかる。高橋蘭のように、ワキガで悩んでいる人の気持ちにも気付かせてくれる。そんなところもまた、本作の良さだと思う。
良いタイトル。まっすぐ突き進んでいたら、躓いて転んでしまった。どうしていいかわからなくなったときは、やみくもに突き進むのではなく、一度立ち止まって考え、もう一度歩き出すことが大事なことを教えてくれる。
立ち止まったままで終わりにしないところがいい。
多汗症を扱っているけれども、誰の人生にも起こり得る。
うまく行っていると思ったとき、なにかが起こり、引きずり下ろされる。運命づけられているのかと悩むが、ちがう。
自分の運命を達成するため、必要なことを学ぶため、学んだことすべてを応用するために、いろいろな出来事が起き、最後に教えを得るためになにかが起こる。
マネージャー兼アシスタントコーチをすることで、主人公のサッカーに対する見識の幅が広がるのかもしれないし、一人で悩みを抱え込んでしまう選手の助けとなれる存在になるかもしれない。選手よりも監督にむいていたり、高校を卒業して環境が変われば、良くなる可能性だってある。
サッカーだけでなく、これからの人生においても、うまく行かないことに必ず出会う。そのときに乗り越えていける強さを手にできただろう。読者にも学びがあったと思う。いい作品だ。
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