海の家のかき氷
海の家のかき氷
作者 まくつ
https://kakuyomu.jp/works/16818093083617140032
夏の海水浴場にある古びた海の家を舞台に、少年と老人の交流を描いた物語。
現代ドラマ。
実に心温まる素敵な話。
本作を書いているのが高校生なのだから、感服する。
三人称、高校三年生の十七歳の少年視点と庄吉老人視点、神視点で書かれた文体。シンプルで読みやすい。
絡め取り話法で書かれている。
「おっちゃん、ブルーハワイ!」
少年は十七歳の高校三年生で、幼い頃から海の家に通い詰めている。庄吉老人は四十年間勤めてきた町役場を退職した後、知り合いのやっていた店を引き継いだ古びた海の家を、夏季限定で十四年営業している七十五歳。少年は老人の手伝いをしながら、かき氷を楽しむ日々を送ってきた。
ある日、老人は店を閉める決意を少年に告げる。
「俺も年だからな。それに店の売上げもはっきり減ってる。正直、割に合わねぇんだ。お前さんみてえな常連には悪いと思ってるよ。それで、お前さんは何を言おうとしたんだ?」
少年もまた、大学進学のために町を出る決意をする。
「俺はさ、この町が好きだよ。でも、現実としてこの町に大学は無い。県内の大学も考えたけど、どっちにしろこの町は出ていくことになる。俺って勉強だけはできるからさ、せっかくなら挑戦してみたいと思ったんだ。学びたいことがあるから。地方の創生をしたいんだ。それを学んで、この町に戻ってきて、この町を再生する。それが俺の夢」
二人はそれぞれの未来に向け、新たな一歩を踏み出していく。
一年後。老人が閉めたはずの海の家がお盆休みの一週間だけ再開されていることを知り、訪れてみる。
そこには大学に合格した少年が店を引き継いでいた。
「いらっしゃい! おっちゃん、何にする?」
「そうだな、ブルーハワイ一杯!」
三幕八場の構成になっている。
一幕一場、状況の説明、はじまり
海が煌めく夏の日。日本海に突き出した半島の先にある海水浴場の端に、老店主が一人で切り盛りする古い海の家がある。少年はいつものように「ブルーハワイ」を注文し、老店主と軽口を叩き合う。
二場、目的の説明
少年は高校三年生で、幼い頃から海の家に通っている常連客。老店主もまた、この町で長年暮らしてきた。少年は老店主に、最近客が少なくなったことを話し、老店主は売り上げが減っていることを認める。
二幕三場、最初の課題
少年は老店主が怪我をして以来、手伝っている。老店主は少年の手伝いを喜びつつも、自分の年齢や体力の衰えを感じている。
四場、重い課題
少年は進学を考えており、町を出ることを決意している。一方、老店主は海の家を閉めることを考えている。二人はそれぞれの決断に悩む。
五場、状況の再整備、転換点
老店主は海の家を閉める決断をし、少年にそのことを伝える。少年は驚きつつも、老店主に自分が町を出て大学に進学し、地方の創生を学びたいと話す。二人はお互いの決断を尊重し、感謝の言葉を交わす。
六場、最大の課題
老店主は少年の夢を応援しつつも、自分の体力の限界を感じている。七十代も後半に入り、体力の衰えが加速した老人にとって、近年の酷暑の中で店を続けるのは厳しいことだった。のこり十日、やり切ると拳を固める。
少年は通い詰めた海の家の閉店に戸惑いつつも、勉強を頑張おるとするも、なかなか手が動かない。親族に次ぐくらいの大切なものとなっていた。
七場、最後の課題、ドンデン返し
夏休みの最終日、少年は最後のかき氷を食べに海の家を訪れる。五杯のかき氷を食べ、最後に老店主は少年に「ブルーハワイ」をサービスし、二人は感謝の言葉を交わす。
八場、結末、エピローグ
老人が海の家を閉めてから約一年後。少年は無事に大阪大学に合格し、老人はのんびりとした生活を送っている。ある日、老人は海の家が再開されたことを知り、訪れてみると、そこには成長した少年が店を切り盛りしていた。二人は再会し、感謝と喜びを分かち合う。
今年も夏が来た謎と、登場人物たちに起こる様々な出来事の謎がどう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
「日本海に突き出した半島の先の方に位置する海水浴場」
舞台は能登半島にある海水浴場だと思われる。
情景描写の書き出した実にいい。
遠景で「青空は燦燦と輝き、海が煌めく」と描き、近景で「今年も夏がやってきた」とくわしく説明し、心情で「日本海に突き出した半島の先の方に位置する海水浴場は今日もほどよく賑わっている」と語られている。
本作は三人称で書かれているので、冒頭部分は神視点であり、客観的状況で導入が綴られている。
カメラワークのズームインしていくように、夏の海の、海水浴場にある、海の家、その冴えない小さな小屋へと向けられて、
「おっちゃん、ブルーハワイ!」
少年はいつものように威勢よく百円玉を差し出して注文をした。
動きのある描き方、そして老店主が返事して、かき氷を作っていく。一連の動きが描写されて、少年に渡されて口に運ぶ。
「ありがと! ん、シンプルに美味い。結局こういうのがいいんやよねー。上等でもなくって気張らない感じが逆に最高」
夏と言ったらかき氷。
海といったらかき氷。
書き出した実にいい。
熱気といい、氷の冷たさ、おいしさ、二人の会話や笑顔が感じられてる。二人のやり取りから仲のいいのが感じられ、共感していく。
そのあとで、少年と老人がどういう人物なのかが説明され、最近の客の少なさ、そしてゴミを回収して
「ほんじゃ、俺は行くわ。明日はかき氷サービスね」
「おうよ。ありがとな」
老人が怪我をしたことがきっかけで、高校性になってかr手伝うようになったと書かれ、いい子だと共感していく。
老人は疲れやすくなり、寄る年波には勝てなくなっている。少年の善意に任せているわけにはもいかず、客の「ありがと、爺ちゃん!」に老いを感じる。
悲しみを感じ、寂しくも可愛そうに思えるところからも、二人に共感を抱いていく。
長い文、七行くらい続くところがあるが、全体的を見て平均五行くらいで改行している。句読点を用いて一文は長過ぎることはない。
短文と長文を組み合わせてテンポ良くし、感情を揺さぶるところもある。会話が多く、登場人物の感情、性格や関係性が自然に伝わる。
夏の風景や雰囲気がリアルに伝わるところが良い。
少年と老人の関係性が温かく描かれており、登場人物の心情描写が丁寧。ノスタルジックな雰囲気が漂う。田舎の夏の風景や人々の温かさが丁寧に描かれているのが特徴。 田舎の良さや、世代を超えた交流の大切さが伝わるところが魅力的。
情景描写が素晴らしい。夏の海水浴場や海の家の風景が詳細に描かれており、その場の雰囲気を感じさせる。
五感を使った描写が豊富で、物語の世界に引き込まれる。
視覚は青空、海の輝き、かき氷の真っ青なシロップ、夕日に照らされた水平線、車窓から見える風景など、鮮やかな風景描写が多い。
聴覚は波の音、氷を削る音、子供たちの声など、夏の海水浴場の音が描かれている。
触覚は風が頬を撫でる感覚、汗が滲む感覚など、夏の暑さや氷の冷たさなどが伝わる。
嗅覚は潮の香り、蚊取り線香の匂いなど、夏の匂い。
味覚はかき氷のシンプルな美味しさ。
主人公の弱みでは、少年は田舎での生活に対する不満と、外の世界への憧れ。進学に対する迷いと田舎を出ることへの不安。
老人は年齢による体力の衰えと、店を続けることの難しさ。少年に頼ることへの申し訳なさ。
老人の、体の衰えの語りは実感がこもっている。
また少年の夏の過ごし方が現実味を感じさせるとともに、受験生ならではの様子や、田舎ならではの状況がよく描けている。
「いまどきのSNSで流行するような『ナウい』曲はバスから見える雰囲気に合わない。登校時に関して言えば、少年はORANGE RANGEを好んで聞いている。時代を越えても変わらない良さを持つ素晴らしいバンドだ」
「当たり前の話だが、週刊少年ジャンプが水曜日に発売されるような田舎より東京の方が良い。娯楽施設と言えば車で一時間かかるイオンくらいだ。インターネットで都会の情報を好きなだけ得られる昨今の高校生にとって田舎という概念への欲求不満は大きかった。町が嫌いなのではなく、町が田舎であるという事が嫌なのだ」
こういうところが、すごく実感がこもっている。
「これで可愛い彼女でもいれば完璧なのかもしれないが、生憎の田舎。高校や町の中心部に行けば女子はいるものの、彼の住む地区内に同年代の子供はほとんどいない。所詮、青い春というものは人で溢れかえった都会の人間の特権なのである」
過疎化が進んでいる。子供たちは大学進学や就職から都会へと出ていき、戻ってこないのだ。
若年世代の人口移動を都道府県別で見ると、この十年間で全国三十三の道府県で男性より女性が多く流出している。多くの人が地元を離れた理由としてあげたのは、「地元では働きがいがある仕事が見つからない」だった。子どもを持つ女性からは「働く場所がないと子育てをするのが難しい」という声もあがり、多くの女性が口にしたのが、「女性の役割」を求められる地方の息苦しさがあるという。
また、老人の台詞、
「学の無ぇ田舎者にゃ分かんねぇわ。まあ人生の先輩に言わせりゃあ、やりたいことやんのが一番だよ。常套句かも知れねぇがそれだけ間違いない事実だ。少なくとも、やりたい事やっとかねえと年取って後悔するぜ?」
多くの大人の読者は同意するのではないかと思う。
「老人はしみじみと言う。彼は堅実な人生を歩んできたものの、少なからずそれを物足りなく思っていた。彼にとって可能性に満ち溢れた目の前の少年は羨ましく、輝いている存在だった。心からの忠告はほかでもない少年の幸せを願う気持ちからだ」
まったく持ってその通りである。
若さは時間であり体力であり、年長者にはそれがない。
できることは、経験を伝え、幸あれと願うことだけ。
二人は決意する。
町を出ることを、海の家を閉店することを。
少年や老人の過去についてもう少し詳しく描写されていると、キャラクターに深みが増すだろう。たとえば少年や老人の家庭環境など。
引退後、老人は細君という人が出てくる。おそらく老人の連れ合いだと思われるが、唐突でわからない。だから、少し迷う。
「まあそれはそうなんやけどね。知っとる? かき氷のシロップって全部同じ味なんやって。匂いとか色で味があるって錯覚してるだけらしい。それならさ」
「この環境が味を作ってるんじゃないかなって。五感に感じる情報全部が『味』なんだよ。だから、俺にとってはおっちゃんが作ってくれてこの海を眺めながら食べるこのかき氷が世界一の味やと思っとる」
少年のこの台詞が実にいい。
つまり、本作で描かれてきた五感描写は味覚だといっているようなものである。
台詞で「シンプルに美味い」「やっぱこの味なんよね」「かき氷美味しいね!」とは出てくるけれども、具体的にどう美味しいのかは描かれていないのだ。
あえて味覚描写を平凡に美味しいとし、それ以外の感覚描写をこだわって描いてきたのかもしれない。であるならば、嗅覚ももう少しこだわってよかったのではと余計なことを考える。
主人公の目標、性格や価値観、直面している問題や葛藤を描写されているおかげで、二人がそれぞれの道を決意していうことは想像できた。主人公が大学進学し、老人がのんびり生活を送ることも、予測しやすかった。
でも、若い人が海の家を一週間開催している展開は、老人にとっては予想外で読者も一緒になって驚きを感じる。
どうせ少年なんだろ、という読者の予想を払うためにも、
「老人ような年代の者にとって『若い』は範囲が広すぎる。この限界集落では四十代が若者扱いされるのだ。若者だからと言って結論を急ぐのは早計」
現実味ある思考が、実にいい。
年配者がつかう若い人とはいくつなのか、本当にわからない。
五歳下でも若い人になる。十代くらいは若い子と表現するけれど、成人していると、若い人と呼ぶので幅広い。
ラストの、
「いらっしゃい! おっちゃん、何にする?」
「そうだな、ブルーハワイ一杯!」
これが最高。
「おっちゃん」と呼ぶのは、少年だけだし、
少年がブルーハワイを頼んで食べてきたのを知っているのは老人だけ。
この会話のやり取りだけで、互いに誰かがわかる。
しかも、二人とも笑顔に違いない。ここまで読んできたなら描写されていなくても、それが思い浮かぶ。実に心温まる物語なのだろう。
読後。タイトルを見ながら、昔ながらの海の家やかき氷が目に浮かび、懐かしさを感じさせてくる。少年と老人の掛け合いが楽しく、微笑ましかったし、少年の成長も感じられて、都会ではなく田舎で育った読者には強く心に響くだろう。
舞台が能登半島だと思われる。
例年だと石川県内の海水浴場は家族連れで賑わってますけど今年は能登半島地震の影響で人出も少なかったらしい。また、にぎわいのある夏の海が戻ることを切に願う。
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