魂削って書いたので

魂削って書いたので

柑月渚乃

https://kakuyomu.jp/works/16818093080179019365


 文芸部部長、小鐘先輩とスバルの交流を描く。

 小鐘先輩の情熱に触発されたスバルは小説に興味を持ち始め、先輩の厳しい指導と励ましを受けながら創作に情熱を注ぐようになる。夏の終わりに先輩の進学を知り、彼女の将来について考えるようになる。文化祭後、顧問の先生から文芸部の過去を聞き、先輩の努力を知る。先輩が東京の大学に進学することを告げ、スバルは驚きと寂しさを感じるが、彼女の言葉に励まされる。先輩が去った後、スバルは部長として成長し、創作の意味を再確認する物語。


 誤字脱字衍字等は気にしない。

 現代ドラマ。

 手直しされたもの。かなり印象が変わった。

 全体的にお話としては良くなったし、わかるようになって、前回のものとは別物、一皮むけている印象がある。


 主人公は、男子高校生のスバル。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 男性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公スバルは、文芸部の部長である小鐘先輩と共に部活動をしている。小鐘先輩はいつも思ったことを大声で叫ぶ性格で、最近の物語に対して不満を持っている。スバルはそんな先輩に巻き込まれながらも、彼女の情熱に触発されて少しずつ小説に興味を持ち始める。

 小鐘先輩はスバルに対して厳しいが、同時に彼の才能を認めており、彼にもっと本気で書くように促す。スバルは先輩の指導のもと、情景描写を学びながら小説を書く練習を始める。

 ある日、先輩はスバルに合作を提案し、自分の作品のオチをスバルに書かせることにする。スバルは初心者ながらも挑戦し、先輩の期待に応えようと努力するが、結果は思わしくない。それでも先輩はスバルの努力を認め、彼を励ます。

 夏を過ぎても、先輩は週に一回ほど部室に顔を出し、スバルと共に過ごす。スバルは先輩の推薦で都会の大学に進学する話を聞き、彼女の将来について考えるようになる。

 ある日、スバルは先輩に自分の書いた小説の評価を求める。先輩は厳しい講評をするが、最後にはスバルの文章に魂がこもっていると褒める。その言葉にスバルは感動し、創作に対する情熱を再確認する。

 先輩の夢について尋ねると、彼女は会社員になるつもりだと答える。スバルはその答えに驚き、先輩が本当にやりたいことを諦めているのではないかと感じる。スバルは勇気を出して先輩に問いかけるが、先輩は答えを濁す。

 帰り道、スバルは先輩に対して言葉選びを間違えたことを後悔しながらも、彼女の言葉に励まされて創作に対する情熱を持ち続けることを決意する。

 文化祭が終わった翌週、スバルが部室に行くと、顧問の先生がいた。顧問の先生は小鐘先輩に用があったが、彼女は月曜には来ないと宣言していた。顧問の先生はスバルに文芸部の過去の話をする。かつて小鐘先輩と共に活動していた御船という先輩がいたが、突然学校に来なくなり、文芸部の部員も減っていった。小鐘先輩は御船を引き戻そうと努力し、賞を取る作品を書いたが、御船は戻らなかった。

 十月の放課後、スバルは教室にスマホを忘れ、取りに戻ると、クラスメイトの男女が親密な様子を目撃する。その光景に青春を独占された気がし、部室に戻る。

 放課後、スバルは部室で小鐘先輩と過ごす。小鐘先輩は東京の大学に進学することを告げ、今日が文芸部に来る最後の日だと言う。スバルは驚きと寂しさを感じながらも、先輩と一緒に帰ることにする。

 踏切で別れ際、小鐘先輩は「私がいなくなっても作品は部室に残してあるから」と告げ、スバルに「この列車をどう描く?」と問いかける。

 小鐘先輩がいなくなった後、スバルは二年生になり、文芸部の部長になる。スバルは小説を書くことに情熱を持ち続け、作品『大声でつまんないって言ってくれ』を書き上げる。その作品を小鐘先輩に読んでもらうことを決意し、彼にとっての創作の意味を再確認する。


 三幕八場の構成になっている。

 一幕一場の状況の説明、はじまり

 スバルと小鐘先輩の出会いと文芸部での活動開始。小鐘先輩はいつも思ったことを大声で叫ぶ性格で、最近の物語に対して不満を持っている。

 二場の目的の説明

 スバルが小鐘先輩の情熱に触発され、小説に興味を持ち始める。小鐘先輩がスバルに対して厳しくも才能を認め、指導を始める。

 二幕三場の最初の課題、

 スバルが小鐘先輩の指導のもと、小説を書く練習を始める。小鐘先輩がスバルに合作を提案し、スバルが挑戦するも結果は思わしくない。

 四場の重い課題

 夏を過ぎても小鐘先輩が部室に顔を出し、スバルと共に過ごす。スバルが小鐘先輩の推薦で都会の大学に進学する話を聞く。

 五場の状況の再整備、転換点

 スバルが小鐘先輩に自分の書いた小説の評価を求める。小鐘先輩が厳しい講評をするが、最後にはスバルの文章を褒める。

 六場の最大の課題、

 スバルが小鐘先輩の夢について尋ねると、彼女は会社員になるつもりだと答える。スバルが先輩に問いかけるが、先輩は答えを濁す。

 三幕七場の最後の課題、ドンデン返し

 文化祭が終わった翌週、スバルが部室で顧問の先生と話す。顧問の先生が文芸部の過去の話をする。

 八場の結末、エピローグ 

 小鐘先輩が東京の大学に進学することを告げ、文芸部に来る最後の日だと言う。スバルが小鐘先輩と一緒に帰り、踏切で別れ際に言葉を交わす。

 小鐘先輩がいなくなった後、スバルが文芸部の部長になり、小説を書くことに情熱を持ち続ける。


「あーもう、つまんない! これなら私の方が上手く書ける!」の謎と、主人公に訪れる様々な出来事の謎がどう関わり、どんな結末に至るか気になる。

 書き出しは、作品に対して読者側からの叫びからはじまっている。

 遠景で小鐘先輩の叫び、近景で何回目だろうと説明し、心情で小鐘先輩がどういう人なのかを語っている。

 二人のやり取りを経て、二人の位置関係がQ&Aで説明。

 大声で叫び、離れているかと思えば眼の前で、眼の前の主人公にいっているかとおもえば読んでいる本の作者相手、という導入のやりとりをしながら、二人がどこにいて、どのような関係性なのかをわからせていく書き方。それでいて、ボケとツッコミみたいなやり取りをして笑いを誘いながら、文芸部らしい活動をしているのも見せていく。


 何度目かはともかく、眼の前で突然、先輩に叫ばれる主人公はかわいそうに思える。それでいて先輩とのやり取りには美徳、寛容さを感じる。先輩なりの、後輩に対する優しい振る舞い。先輩には、主人公が羨むような文才を持っており、魅力がある。ユーモアを交えた二人の会話に、読者層である十代の若者、同じように小説を書いている読み手は二人に共感していく。

 

 長い文にせず数行で改行している。一文は長過ぎることはなく、短文と長文を組み合わせてテンポよくして、感情を揺さぶってくるところもある。一文が長いのは、主人公の性格やその場面での気持ちから、落ち着きや冷静、重々しさ、弱いなどを表現していると思われる。

 でも、小鐘先輩の講評セリフが冗長すぎる。創作に関して、彼女がどれだけ熱心なのかが伝わる場面だし、こういう書き方をするのはわかる。わかるけれども、読み手としては読みづらく感じるかもしれない。

 長い文はわける。それでも長い会話文を使う場合、途中で地の文などを挟んで区切るといい。


 たとえば、

「まずね、描写する力がやっぱり弱いね。少しずつ描写力も付けていってほしい」

 先輩の言葉に、僕は頭をかきながら頷く。

「えー、で、多分一番足りないのはわかりやすさかな。正直二回読んでようやく分かったって思うくらい。スバルくんの不器用なとこがめちゃくちゃ出てるね」

 どこがですか、と先輩の顔をみる。

「表現が遠回し。私はそれでもいいと思うけど、最近は特に消費する感覚で読む人が増えているからね。それとね、多分やりたいことをやれているのは良いけど、人を選びそう。ここは正直悪いことでもないけどって感じかな。あと、そう」

 先輩は思い出したように語気を強めた。

「構造を工夫してるのは伝わるけど、他の工夫の仕方もレパートリーとして覚えておいた方がいい。銀河鉄道の夜とか読んだでしょ? それをオマージュするって方法もあってね。例えばさ……」

 という感じはどうだろう。参考までに。


 本作は全体的に動き、アクションが少ない(椅子に座って向かい合っているか、歩いているくらい。それ以外は、口元や手元、視線。教室で抱き合う男女)ため、状況や心情を表すときはナレーションのように話すのではなく、人物の動きによって示すと良い。主人公の見えている事実を示すことで、読みがいの文章になる。


 最初に気になったのは、書き出し。

「『あーもう、つまんない! これなら私の方が上手く書ける!』と、小鐘先輩が言った」とあるけれども、どんなふうに先輩は言ったのかわからない。

 たとえば、「『あーもう、つまんない! これなら私の方が上手く書ける!』と、小鐘先輩は人差し指で机をこつきながら、ぼやいた」や、「小鐘先輩は机にうなだれた」など、動きを加えると良い。

「もっとさ、こう……本気で魂削って一文字一文字書けや!!」のあとに、「小鐘先輩は握りしめた両手を机に叩きつけた」としてもいい。

 主人公の真正面に彼女は座っているのだから、よく見えているはず。まったく動かず背筋を伸ばして、座っているだけなら、そう書けばいい。書かなければ、どう座っているのか読み手はわからない。

 何かしら、動きがあるはず。


 また、部室の描写が少ないため、読者が状況を想像しにくい。 普段は授業で使われている教室かもしれないし、手狭な空き教室、もしくは文化系の部室棟があって、その内の一つかもしれない。部室に、これまでの作品が置かれているので、どちらかといえば後者だろう。

 そんな部室の広さや雰囲気、登場人物の表情や動作を詳しく描写することで、読者が物語に没入しやすくなる。例えば、冒頭に部室の描写を追加することで、読者がその場にいるような感覚を持てるようにする。

 たとえば、

「あーもう、つまんない! これなら私の方が上手く書ける!」

 小鐘先輩の顔は真っ赤で、目は怒りに燃えている。部室の窓から差し込む夕陽が、彼女の髪をきらめかせていた。机の上には散らばった原稿用紙があり、その上に彼女の拳が力強く置かれている。

「突然叫ばないでください」

 僕は冷静に答えるも、内心は彼女の情熱に圧倒されていた。

 このように、情景描写を追加することで、物語が立体的となり、読者の没入感を高めることができる。


 情景描写が少ないと、読んだとき感じた。

 だからといって、必ずしも悪いわけではない。

 本作はキャラクターの対話が中心となっており、登場人物の個性や関係性がよく描かれているのが良いところ。情景描写が少ないことで、物語のテンポが速く、読みやすいのも利点ではある。

 とはいえ、もう少し情景描写を加えたほうが良いのではと考える。

  部室の雰囲気や、主人公と先輩、顧問の先生の表情や動作などをもう少し詳しく描写すると、読者が物語により没入しやすくなると考える。また、登場人物の内面や感情を情景描写を通じて表現すると、物語に深みが増すはず。


 三分の一ほど読み進めて、入部してすぐの頃、部室の様子が描かれている。

「棚の上に置かれた賞みたいな何かが、きらりと光を反射した。そこには目の前にいる人と同じ名前が書いてある。僕は先輩の語る言葉に耳を傾けながらも部室を隅から隅まで眺めていた。万年筆。ジャンルごとに並べられた本棚。どんでん返しという、微妙にそれ言っていいのかと思わせる区分もあった。本棚には本以外にもファイルにまとめられた何らかの紙の資料、原稿用紙。全て綺麗に整頓されていた。掃除は随分と行き届いているようで床にはゴミの一つも落ちていない。だが特に急に片付けられた形跡もない。――それはずっと誰かを待っていたようで」

 ここは良い描写。


 小説やドラマ、アニメに映画も、前半はミステリー要素が原因で受け身になりがちな主人公が登場し、反転攻勢のシーンを経て、後半は積極的にドラマを動かしていく。途中の反転攻勢のシーンの意味は、前半部分の理性的な見方をやめて、後半は感情的にハラハラしてくださいというメッセージが込められている。

 つまり、前半は冷静かつ理性的に読んでいるので、状況描写をしっかり描いても読み手は読んでくれる。なるべく冒頭辺りで、主人公たちがどこにいるのか読み手に伝えることで、物語の世界に誘ってあげてほしい。


「魂の声を聞きてえんだよー! バカー! 商業主義がー!」

「……いや、商業主義であるとも限んないでしょ」

 創作はボランティアではなくお金を頂いてしているので、商業主義です。お金をくれるスポンサーの方を向いて仕事をしています。でも、読者や視聴者を楽しませないと意味がないだろうと、先輩は腹を立てているのかもしれない。

 なので彼女の言うとおり、スバルは味方しないといけない。それがスバルにはわかっていないところに面白みがある。

「でも思わない? 万人ウケする話なんかより一人に深く刺さる話を書けよ! って」

 先程の話とは別。今度は、作品を作るときの姿勢みたいなもの。

 誰か一人に向けて作ると、自分のために書いてくれたと思う万人に受けたりするので、難しい話。先輩としてはおそらく、万人受けするジャンルをはじめから意識して作品を作るなと言いたいのかもしれない。

 万人受けするジャンルは、ラブコメや恋愛もの。滑稽で笑えるもの、お涙頂戴の悲しいもの。実社会の問題を取り上げてスカッと解決する勧善懲悪ものなど。わかりやすい構図で書かれているものを指すのかもしれない。でも、殆どの作品はそうした構図。

 エンタメと私小説、のことをいっているのかもしれない。


 二人が話しているコンクール云々のやり取りについて考える。

 後に先輩は、御船先輩に引き戻そうと作品を書いて賞を取ったことは大事。でも、その後に書いた作品の出来はよくなかった。

 つまり、御船を引き戻そうと頑張ったけど叶わなくなって、執筆する意欲がしぼみ、後続のスバルを育てて、卒業とともに書くことをやめてしまうという流れの布石としては、この会話のやり取りは大事なのだろう。

 小鐘先輩は、御船のために深く刺さる話を書いたのだ。


 共感してもらうには、五感に訴えかける必要がある。

「最近の、共感性を追い求めるばかりで芸術性に手を抜いている作品は本当に気に食わない!」

「いや、そうではあるんだけどさ。でも、それでもさ、型にはめてるだけで想いが乗ってないのは嫌じゃん!」

 たしかに、起承転結などの型にいれて描くことで、共感しやすくなる。それは共感させるための方法の一つではある。

 創作でいわれる共感は、主人公と読者をくっつける役割を果たすもの。読者が主人公の気持ちに寄り添い、自分と重ね合わせることができれば、より深い感情移入が可能となる。

 つまり共感は、物語における感情移入を促す「接着剤」の機能を果たしているため、共感できない作品は物語に感情移入も出来ず、読まれもせず、魅力のない作品となりかねない。

 だから創作において、共感を意識する。もちろん、共感を無視して、圧倒的な破壊力を持って魅せつけるものもある。それこそが魅了であり、小鐘先輩はそうした作品を目指しているのかもしれない。

 そのためにも、五感の描写も大切になってくる。

 なぜなら読者は、文章を頼りに様々な場面を想像するから。

 視覚的情報は自然と充実するものの、音、匂い、味、触感など他の感覚を刺激する情報は、意識しなければなかなか書けない。

 本作の場合、視覚的情報は、部室の様子や外の風景、先輩の表情、光の描写が描かれている。

 人物描写が少ない。冒頭から先輩とのやり取りがあるし、眼の前に座っているのに、どんな見た目なのかもわからない。

 主人公は、人間に対して興味がない子なのかもしれない。そう思えてくる。

「着た服の清潔さには似合わずだらしない体勢で、彼女はそれを読んでいた」「黒くつやのある髪に、長いまつ毛。そんな優しく差し込む光によって先輩は儚げに演出されていた。永遠にあるようでいつか寿命を迎える星の輝きのように」しかも、後半。「僕の周りの女性はこういう人ばっかだ」から、顧問の先生が女性だとわかるけれど、描写ではなく説明。「雑な生徒イジリに、ガサツな性格。本当は色々大変だろうに、それを感じさせない立ち振る舞いが、この先生は妙に上手い」これも説明で、本当なら、ここに書かれてあることを感じさせるような立ち居振る舞い、言動といった動きを描くことで示して、読み手に読ませて伝えることもできると思う。ただ、それを描くだけの字数はないだろうから、こういう書き方になっているのだと考える。「着た服の清潔さには似合わずだらしない体勢で」という表現は、教室で先生を見かけたときに描いたほうがいいのではと思う。

 聴覚は、先輩の大声や運動部の声、部室の静けさ、部活の声やページをめくる音など、環境音なども効果的に使われている。

 触覚は、スバルの体が震える場面や、先輩の肩を組む場面、鍵の感触や風の冷たさなど描写されている。

 嗅覚と味覚は特に描写されていない。

 たとえば部室や本の匂いなどの嗅覚描写や、場面状況の比喩的表現に味覚的な表現をするなどの描写を加えることで、より臨場感が増すのではと考える。前半は、主人公はまだ小説を書くのは苦手な印象があるので、もし描くなら端的に、わかり易い表現をつかうのがいい。後半に用いるなら先生から話を聞いてから。徐々に増やし、多少凝った表現でも……と思うも、主人公は、エモくさせてやるもんかと言っているので、用いるならそれ以前までかしらん。


 先輩の指摘どおり、情景描写をもう少し具体的にすると、物語に深みが出るのではと考える。

 先輩のように小説が書けるわけでもない主人公の視点で書かれているので、情景描写はこの子は苦手だから書かないでは、心情描写だけ読み解いていくのには限界がある。

 ご存知のように描写は、「情景描写」「外見描写」「心情・心理描写」「雰囲気描写」「行動、出来事」「説明、考え」の六種ある。

 前半は部活動をしているけれど、季節や時間、場所、周囲などはフワッとしている。雰囲気は感じられる。

 部室の匂いや温度、外の風景などを具体的に描写して、物語に没入できるようにするのはどうかしらん。

 でも本作の主人公は高校生で、意識されている読者層と同じ十代の若者。幼い子供より視野が広く、知識も多い。スバルが言っているように、先輩はもう大人のチケットを握りしめた三年生であり、スバルも、チケットが確約された高校生。

 それでも情景描写が少ないのなら、スバルはどこか幼いところがある、と表現したいのかもしれない。

 作中でも「シャイな幼稚園児のように僕は先輩にわざと冷たい態度をとる」といった表現がある。

 主人公自身もそう思っているところがあるのでは、と考える。

 小説が書けないキャラは情景描写が書けないことはなく、苦手なりの情景描写を描くと思う。

「外からは運動部の大きな声。青く晴れた空から強い日差しが降り注ぐ、外はまさに青春って感じだ。僕はその光景を空調の効いた部屋の中から眺める」

 こういうところは、天気の良い放課後だとわかるけれど、季節はいつなのかといったら、初夏かもしれないし、夏かもしれない。このあと、「先輩は夏を過ぎても週に一回ほど、顔を出しに来ていた」ので、夏休みだったのかもしれない。


 主人公の弱みは自分の小説に自信がなく、先輩の意見に対して反発しがちなところ。描写力やわかりやすさに欠けていると指摘され、他人からの評価を恐れ、本気で書くことに躊躇し、小鐘先輩の期待に応えられないことへのプレッシャーに感じている。

 だからこそ、「でも……うん。すごくいいね! センスあるし、文章に魂がこもってる!」と褒められたときは、嬉しかっただろう。

「――言葉という海の波が荒れ始めたのを感じる。その上を走る僕の列車が、沈んでしまいそうなほどに」「言葉の荒波の中、そんな言葉が急にきらりと輝いて聞こえてきた」「突然、雲の裂け目から光が差し込んで、波は穏やかになった」「敵意を剥き出しにしていたように感じた海はどこに行ったのか、いつのまにか海は本来の青さを取り戻していた」「車両が小さく揺れる」「――その瞬間、僕には分かった気がした」「車窓の先で文字という魚たちが嬉しそうに泳いでいる。そうか、これか」

 スバルが創作にハマった瞬間の、心の流れ、変化の比喩的表現は『銀河鉄道の夜』の話と、先輩との最後の日の別れに登場する駅の場面にも通じていて、実にいい。


 今回は前回の話では描かれていなかった、顧問とのやり取り、対話の場面がある。

 ここで明かされる小鐘先輩と御船との話が、良かった。

 どうして彼女が小説を書くのか、その一端がみえてきた。彼女は御船にもう一度小説の面白さを見せるため、御船が励んでいた文芸部を存続させるために書いていたのだ。

 そのことを教えてくれたのは、先輩ではなく顧問の先生。

 現在の文芸部が幽霊部員ばかりになったかを知り、自分たち後輩部員の存在が才能ある先輩たちの時間を奪っていることに気づかされ、無駄にしたくないと決意する。この場面は、本当に重要。

 しかも、先輩が賞を取った作品がどういうものだったのかも明らかになる。

 文芸部に御船を戻し、救いたい想いが込められていた。

 ここも重要。

 御船が『つまんなくなった。それに別に続ける理由もないから』と書くのをやめたように、先輩は大学に進学したら書くのを辞めてしまうらしい。

 御船に対して小鐘がしたことを、今度は、主人公が小鐘のために執筆する。書くのを辞めるのを撤回させて、もう一度書いてもらうために。

 対になっている構造が、文芸部を継続し、部長になることで引き継いだことも含めて、同じ道を歩いている感じがよく現れていて、実にいい。


 教室で男女が青春しているのを、主人公が目撃するのは、フラグを折っているのだと思った。そっちの道には進まないよ、と。本作では、そう感じられた。これを描いているから、駅での先輩との別れの場面が生きてくる。

 それ以前に、主人公は小鐘先輩が去ることに対する寂しさや不安を素直に表現できない弱みがある。それは主人公の性格や価値観、過去にとった行動、直面している問題や葛藤から、「やめないで下さいね、なんて言葉が喉の下から湧いてくる。やめろ。その言葉はダメだ」が言えないのは、わかってくる。

 それでも「それでさ、今日で文芸部に来るのも最後になるんだ」といわれる展開は、ドキッとする。


 別れ際、小鐘先輩が「私がいなくなっても作品は部室に残してあるから」と言ったのは、スバルに対して「自分がいなくなっても小説を書き続けてほしい」というメッセージを伝えているのだろう。

 先輩がスバルに対して、文芸部での活動を続けてほしいという願いを込めた言葉だ。

 また、「ねぇ、スバルくんならどうする? この列車を、――どう描く?」という問いかけは、スバルに対して自分の視点で物事を描くことの大切さを伝えていると感じる。

 スバルが、自分自身の視点で物語を描くことを奨励しているのだろう。

 主人公のスバルは、先輩の言葉に対して「まだ話したいことは沢山あった。もう少し文芸部にいて欲しかったって、そう素直に言えば良かった。――大学でも文芸続けてほしいってもし言っておけば……。きっとそんな後悔はもう意味がない」と考えるのは、スバルが先輩に対してもっと素直な気持ちを伝えたかったという後悔の気持ち。

 だがしかし、スバルは「美化するくらいならいっそ、僕は、僕は……! 僕らの青春を安易にエモくさせてやるものか」と結論に達する。

 スバルが自分たちの青春を単なる美しい思い出として終わらせるのではなく、もっとリアルで真実味のあるものとして捉えたい、強い意志の現れだろう。

 つまりスバルは、先輩の言葉を受けて、自分自身の視点で物語を描くことの大切さを理解し、先輩がいなくなっても自分の道を進む決意を固めたのだ。


 顧問の先生と主人公の会話は冗長気味な感じがする。簡潔にするには、顧問の先生が化学教師であることや、生徒会や吹奏楽部の副副顧問であることは、物語の進行に大きな影響を与えない場合は削除しても良いと考える。滅多に顔を出さない、ということをいうための説明だと思う。

 会話の中で重要な情報や感情を伝える部分は強調して、それ以外の部分は削減してもいいかもしれない。同じ意味を持つ複数の文を一つにまとめることで、会話をスッキリさせることで、読みやすくなるのではと考える。


 決意を固めた主人公は部長となり、文芸部を継続させながら、自分の作品を書き、先輩に読んでもらおうと思っている。

「読んでくれる人のために魂削って小説を書く、それこそ最高の自己犠牲の形じゃないか」「この作品が名作だとは言えませんが、それでもいつかちゃんと名作を書くために僕はまだまだ成長していくつもりです。だから。だから、この作品の価値がどんなものであっても――。大声でつまんないって言ってくれ」

 どんな作品を書いたかはわからないけれども、きっとスバルなりに最高だと思えるものを書いただろう。そして、大声でつまんないと言われるものを。

「あーもう、つまんない! これなら私の方が上手く書ける!」

 そういわせて、もう一度、小説を書いてもらうために。


 読後。こういう話だったのかと、ようやく腑に落ちる思いがした。

 全体として、非常に完成度の高い作品。キャラクターの個性が際立っていて、小鐘先輩の率直な言葉とスバルの内向的な性格の対比が魅力的だった。

 創作に対する姿勢は、個人によって大きく異なるので、魂を削るような自己犠牲的な姿勢は必ずしも良質な作品や読者の満足につながるとは限らない。

 読者を意識しつつ、作家自身の創造性や独自性を失わないことが理想なのも百も承知。過度に読者の期待に応えようとすると、作品の魅力が失われる可能性があることも知っている。プロの作家が、読者を意識しながら自身の創作理念を貫きつつ、悩み抜いて作品を磨いていることも、どこかで聞いて頭の隅っこに入っている。

 それでも、魂削って書くときがある。

 主人公が小鐘先輩に感謝し、彼女にもう一度書いてもらいたいという強い願いのために自分の時間やエネルギーを惜しみなく注ぎ、感情や経験を込めて全力を尽くして書いた作品が、まさに魂を削って書いたもの。

 スバルがしたように、カクヨム甲子園に応募しているどの作家も、そんな姿勢で書いたに違いない。

 そんなことを思わせてくれる物語だった。

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