灯李(ともり)
灯李(ともり)
作者 筆入優
https://kakuyomu.jp/works/16818093081425911167
恋人の灯李を失ったウツギは、記憶転送装置「ムネモシュネ」を使って蘇らせようとするも、博士の反対にされる。設計図を盗み出し、自分の娘、トモリに記憶を転送させるも妻に気づかれ家を出ていく。トモリに影響を及ぼすようになり博士に助けを求めたウツギは、自身に記憶を転送するようお願い。独房に二人で過ごす話。
SF。
感情豊かで読み応えのある作品。
すこし、物悲しくもあった。
主人公はウツギ。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。灯李の「私」で書かれた部分もある。現在、過去、未来、の順に書かれている。
それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。
主人公のウツギと恋人の灯李は、治安の悪い街を歩いている。
灯李は春木博士の発明に賛成しており、ウツギは反対している。博士の発明は「ムネモシュネ」という記憶転送装置で、常識的な記憶を非常識な若者に送り込むものだ。
ある日、灯李が交通事故で亡くなり、ウツギは彼女を蘇らせるためにムネモシュネを使おうと決意する。しかし、博士は未完成の装置を使うことに反対し、ウツギは装置を盗む計画を立てる。
設計図を盗み出し、独自に開発を進める主人公。彼は妻ノアと娘トモリと共に暮らしているが、トモリに亡き恋人灯李の記憶を植え付ける計画を進めている。
ムネモシュネが完成し、トモリに灯李の記憶を転送するが、ノアに見つかり、計画が露見する。ノアは激怒し、家を出て行く。トモリは灯李の記憶を持ちながらも、自分自身の人格を保っているが、灯李の記憶が彼女に影響を与えている。
最終的に主人公は博士に助けを求め、トモリから灯李の記憶を取り除くことを決意する。
主人公は自分に灯李の記憶を転送し、独房で二人。寂しくはなかった。
三幕八場の構成になっている。
一幕一場の状況の説明、はじまり
治安の悪い国を歩くウツギと灯李。ウツギの叔父である春木博士は、常識的な人間の常識関連の記憶を採取し、コンピュータやSDカードに保存、非常識な若者の脳に送り込む装置「ムネモシュネ」を使って新たに生まれてくる若者に早いうちから常識を教えてようと考えている。ウツギは春木博士に反対し、灯李は賛成している。調査の帰り、スポーツカーが突進してきて彼女ははねられてしまう。
二場の目的の説明
病院で目がさめた主人公。灯李の手術は失敗したと医者が報告し、彼女が死んだことを知る。博士に研究室へ連れて行くよう懇願する。
二幕三場の最初の課題
研究室で「ムネモシュネを使う」と伝えるも、博士は「未完成だ」と答える。「あと三年もすれば完成するだろう。なかなか、バグが治らないんだ」
四場の重い課題
主人公は「灯李を蘇らせる」という。何度も反対して研究所をやめた。その時の理由を今聞いて正解だったと博士はいい、倫理観も常識もない非常識ひどい計画だと忠告される。
博士にも恋人がいたが、テロに殺されてしまった。常識を持つ人が増えれば治安が良くなると信じて研究をしてきたという。
だが主人公には、二年前の灯李のデータがある。バレないように盗み出す方法を考え、設計図をポケットに入れて研究室を後にする。
五場の状況の再整備、転換点
設計図を盗み出してから結婚のことばかり考えていた。いずれ子供を作り、ムネモシュネを接続すると決めた。二年前にノアと結婚、テレポーテーションマシンを作っていると嘘をつき、トモリということもを設けた。ムネモシュネの本来の機能にノアが勘付くことを毎日恐れている。博士からの連絡を立ち、自分にとっての正義を守り抜くために作り続けていた。
六場の最大の課題
三年の月日が経った。ムネモシュネは完成。博士も完成させたが、結果として、実用化される日は見送られることとなった。七歳になったトモリに、誰かの記憶をもらうことは怖いと思うか尋ねると、「幸せな記憶だったら、トモリは嬉しい」と応える。
トモリにセットしているところにノアがやってきた。最近テレビでムネモシュネを見ていたため、すぐに外すように迫る。はじめからこうするつもりだったと話し、ノアは出ていく。
三幕七場の最後の課題、ドンデン返し
灯李の記憶を持つトモリは、見た目や口調が似ている。灯李からトモリに戻ると、「七歳ぐらいのときから、十五歳の今まで、ずっと。自分の中に別人がいるみたいな感覚がある」という。そして灯李に戻り、「こんなことしていいと思ってるの?」と問いかけてくる。救われたかったと答えると悪いことだと言われ、「私はこんなことじゃ救われない。感覚も気持ち悪いし。研究所時代からいきなりこの時代にタイムスリップしてきたみたいでさ」
灯李は、春樹博士にトモリちゃんから自分の記憶を抜き出してもらうといって歩き出す。主人公は博士に電話し迎えに来てもらう。
八場の結末、エピローグ
博士に迎えに来てもらう。研究所でトモリから記憶を抜く。娘の髪に触れながら、自分求めていたのh代用品で、完璧な代物ではなかったこと、灯李の容れ物としてしか見ていなかったことに気づく。最後、博士に灯李の記憶を自分に送ってもらうことを頼む。膝を抱える主人公は、灯李と二人、寂しくなかった。
湿った空気が充満する廊下の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どんな結末に至るか気になる。
冒頭の書き出しは、現在からはじまっている。数行後から本編、過去話がはじまる。
なので初見ではモヤッとする。
遠景で、廊下に湿った空気が充満を視覚と触覚、嗅覚で示し、近景でいつなのか、どこなのか体感と視覚をもって描き、心情で、聴覚と視覚で黒い虫が通り過ぎていくのを語る。
夏の蒸し暑い夜、廊下やトイレ近くのしけっぽい場所にいる状況が伝わってくる。心地のいい場所ではないため、そんなところにいる主人公はかわいそうに思えてくる。
その場面から一転し、「壁の落書きはぼやけたフォルムで、一つ一つの文字が太い。治安の悪い国らしい、スプレーを用いた落書きだ」となる。
独房にいるラストと書き出しがつながるように書かれていて、読もうとすれば読めるように描かれているのがわかる。
冒頭は、独房にいる主人公が湿っぽい環境から、灯李が事故にあったあの日も湿っぽい雨が降っていたことを思い出して本編がはじまると読めばいいのかもしれない。
主人公には思い合う彼女がいて、特別な研究をしている。そこに襲う悲劇。読み手はそれらに共感を抱いていく。
長い文にならないよう五行で改行。句読点を用いて、一文は長くない。シンプルで読みやすい文体。 登場人物同士の対話が多く、キャラクターの感情や関係性がよく描かているのが特徴。内省的、主人公の内面の葛藤や感情が丁寧に描かれている。
後半はとくに、主人公の計画が露見するまでの緊張感、感情や葛藤が深く描かれており、共感を呼ぶところが良い。
五感を使った詳細な描写が情景が鮮明に浮かび、物語に深みを与えている。
視覚的な刺激としては、廊下の湿った空気、天井から滴る水滴、黒い虫、壁の落書き、雨に濡れた街、針のような雨、猫の死体、スポーツカー、手術室のランプ、博士の研究室、ムネモシュネの装置。ムネモシュネの失敗作が散らばる部屋、直方体のマシン、トモリの顔が灯李に似てくる描写など。
聴覚は、カサカサと奇妙な音、雨の音、クラクション、車の唸り声、手術室の音、博士の声。ノアの子守唄、ムネモシュネの電子音、トラックの轟音など。
触覚は全身に汗をかく感覚、水たまりに倒れ込む感覚、傘を奪おうとする感覚、灯李の手を握る感覚、針と地面が体を打つ感覚。トモリの髪の感触、灯李の頬を手のひらで温める描写など。
嗅覚は車内のタバコの匂い。
味覚はないが、コーヒーを啜る描写。
記憶を扱う作品でもあるので、嗅覚や味覚の描写追加して、さらに表現を豊かにしても良かったのかもしれない。でも、本作はSFなので、知能指数を下げずに判断力を下げるには、臨場感ありすぎる表現は控えたほうがいいのかもしれない。
主人公ウツギの弱みは、博士との意見の対立。
「若者の治安が悪化の一途を辿っているのは、一年前から社会問題としてメディアでも取り上げられていた。一方、僕は十年後には改善されるだろうと楽観視していたとある。しかし、春木清春博士は違った。一刻も早い治安の回復を望んでいた。理由はわからないが、とにかく強く望んでいた」
落書きだけではなく暴力的な行動も示すのか。スポーツカーの暴走もその一つ、なのかもしれない。
それでも博士の動機や背景について、もう少し詳しく描写すると、キャラクターの深みが増すかもしれない。
主人公の弱みは、灯李の死による精神的なショックと悲しみから、ムネモシュネの開発と使用に対する倫理的な葛藤につながっていく。
灯李は、博士の考えに賛同している。
ひょっとすると、なぜ博士が作ろうとしているのかを知っていた、あるいは理解していたのかもしれない。
博士のムネモシュネは、藤子作品にある『T・Pぼん』に登場する圧縮学習と似たようなものだと思われる。
必要な常識を短期間で習得させ、守らせる。「常識的な人間の常識関連の記憶を採取し」送り込むするから、仕様に対して倫理云々という問題がでてくるのだと思われる。
そうしたムネモシュネの使用に対する倫理的な側面を、もう少し掘り下げると物語にさらに深みが出せるのではと邪推する。
他にも主人公は、灯李に対する感情的依存の弱みを持っている。そのため、灯李への執着とそれによるトモリへの不適切な行動へとつながっていく。子供を道具のように扱うところは、マッドサイエンティストを感じさせる。
同時にもう一つ、恐怖と不安という弱みも持っている。
ノアに計画が露見することへの恐怖と不安を抱きながら、七年も研究をしてきたのだ。
その恐怖とは、主人公の良心だったのだろう。だが、トモリにセッティングし、止めに来たノアを床に押し倒し、計画をすべて語る。
彼女は家を飛び出している。ノアからすれば、驚きとともに、可愛そうだ。それにしても、いままでどうやって生計を立ててきたのだろう。主人公は研究に明け暮れてばかり。ノアは財産を持っていたのかもしれない。もう少し描かれていると、彼女の行動や反応に対する理解ができる気がする。
彼はそのためにこれまで行動してきたので、予測できる。
でも、トモリの中の灯李に「こんなことしていいと思ってるの?」と言われる展開に、主人公はさぞや驚いただろう。
トモリが「ううん。私とは生まれも育ちも違う別人が住んでて、その人が私の全てを乗っ取る……みたいな?」と語っているが、おそらく乗っ取るのではなく主人公を止めるために、意見するために体の所有権を求めていたのだろう。
それにしても、「七歳ぐらいのときから、十五歳の今まで」の八年間も、トモリは灯李の記憶とともに過ごしてきたとは。記憶によって口調はともかく、面影まで似てくるものなのだろうか。
最終的に主人公がどのような結末を迎えたのだろう。
独房に入ることになったのは、どういう罪だったのか。勝手に設計図を持ち出し、ムネモシュネを作り、娘に使用したことかもしれないけれども、もう少しわかるように描いてもいいのではと考える。 くどく書く必要はないけど。
読後、タイトルを読みながら、物悲しく思う。灯李はもう亡くなっていて、頭にあるのは記憶のコピーに過ぎない。好きな人の面影を抱いて、一人膝を抱えてうずくまっているのと変わらないのだ。
ノアやトモリは、主人公に振り回されてしまった。トモリはノアと一緒に暮らしているのだろうか。博士は主人公の叔父なので、博士が引き取ったのかしらん。
でも、読み応えがあってSF作品として良かった。
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