ラムネ色の傷痕

ラムネ色の傷痕

作者 夜賀千速

https://kakuyomu.jp/works/16818093081866238117


 藍は同級生の涼音に恋をするが、その恋は叶わず、涼音の告白も失敗に終わる。藍は自分の感情を抑え、高校生活を送る中で異性の中原絢人と付き合うが彼を愛することができず、同性が好きな自分を認め、彼と別れる。同性を愛することを受け入れ、涼音への思いを海へ投げ捨てる藍の話。


 現代ドラマ。

 同性の恋愛を扱っている。

 主人公藍の視点から描かれる、初恋と自己発見の物語。

 繊細な感情描写と五感を使った豊かな描写が魅力的。主人公の内面の葛藤や成長がリアル。

 内面的な葛藤や感情の揺れ動きが丁寧に描かれており、素晴らしい。


 主人公は、藍。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。恋愛ものでもあるので、作品全体が出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の流れに準じて構成されている。結末は、卒業で「感慨にふける」かしらん。


 それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと、男性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 十五歳

 藍は、親友の涼音に対して恋心を抱いている。ラムネみたいに涼音の弾けるような笑顔や爽やかな香りに心を焦がしながらも、その気持ちを伝えることができない。涼音と過ごす夏の思い出は藍にとって特別なものだった。涼音の初恋は失敗に終わり、藍はその姿を見て内心喜んでしまう。同時に好きな人の不幸を喜んだ自分自身に、死ねばいいと思った。

 十六歳

 藍は高校生になり、新しい環境で中原絢人という男子生徒から告白される。藍は彼と付き合うことにするが、心の中では涼音への想いが消えない。夏祭りの日、絢人と手をつなぎ、キスをしようとする瞬間、藍は彼を愛していないことに気づく。追いかけてきた彼に、「あのさ。ごめん、私、女の子が好きなんだ。だからさ、ごめん、もう無理だと思う」と打ち明ける。彼とはその後、話さなくなる。

 十七歳

 藍は涼音への想いを断ち切れず、心の中で苦しみ続ける。ある日、涼音が他の男子と手をつないでいるのを見て、藍は絶望し、自殺を考える。しかし電車に飛び込む勇気がなく、反対方向の電車に乗り込む。藍は海を見たいという衝動に駆られ、海岸に向かう。

 海岸で藍はラムネ瓶を見つけ、その中のエー玉を海に投げる。涼音への感謝と共に、藍は自分の青春を受け入れ、前に進む決意をする。ラムネ色の傷痕を抱えながらも、藍は新しい未来に向かって歩き出すのだった。

 

 三幕八場の構成になっている。

  一幕一場 状況の説明、はじまり

 主人公(藍)は涼音に抱きつかれ、海辺での思い出を振り返る。涼音への恋心を抱きつつも、それを伝えられないでいる。

 二場 目的の説明

 涼音との最後の思い出を作るために海に行く。夏の魔法のような思い出を美化し、心に残そうとする。

 二幕三場 最初の課題

 涼音への恋心を諦め、過去の思い出として胸にしまい込む。しかし、涼音の告白が失敗し、藍は内心で喜んでしまう。

 四場 重い課題

 高校生になった藍は、異性愛者ではない自分に気づき、涼音への恋心を忘れられないまま生きている。新しい恋人(中原絢人)との関係を築こうとするが、心から愛せないことに苦しむ。

 五場 状況の再整備、転換点 

 夏祭りで中原絢人と一緒に過ごすが、彼とのキスを拒絶してしまう。自分が異性愛者ではないことを認め、彼に告白する。

 六場 最大の課題

 涼音への未練を断ち切れず、心の中で葛藤する。涼音の存在が藍の心を縛り続ける。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 涼音が他の男性と手を繋いでいるのを見て、藍は絶望する。自殺を考えるが、最終的に思いとどまり、海へ向かうことを決意する。

 八場 結末、エピローグ

 海でラムネ瓶を見つけ、涼音への思いを再確認する。ラムネ瓶を壊し、エー玉を海に投げることで涼音への未練を断ち切る。藍は青春の傷痕を抱えながらも、新たな一歩を踏み出す決意をする。


 ラムネの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どのように関わりを見せ、どんな結末に至るのか、興味を持って読み進めていく。

 タイトルと書き出しから、失恋する話なのかもしれないと思った。ある程度、作品内容を想像させるタイトルは興味が惹かれるので、付け方がいいなと思った。

「十五歳、浅葱」は現在過去未来、導入本編結末の順に書かれている。 

 

 遠景で「藍、大好きー!」とはじまり、近景で涼音が主人公に抱きつき、心情で「爽やかな香りが鼻先をくすぐり、私の胸を焦がしていく」と語る。

 素敵な関係。

 だけど、「ねぇ、涼音。最後の思い出をつくるために海に行こうだなんて、らしくないこと言ったよね」とあり、二人の関係が最後なのかなと思わせる。

 中学生活最後の思い出という意味合いだったのかもしれない。読んでいくと、「きみの人生初の告白は、玉砕に終わった。その相手は、学ランが似合わないほどに大人びた男子生徒。謝られながら断られて、私の胸で涙を滲ませるきみ」とあるので、失恋した後に二人で海に来ていたのかもしれない。

 だから、どこか悲しく可哀想に思えてくる。そんなところに興味と共感を抱く。


 また、大きな文章の塊が、遠景近景心情の順番で書かれている。

 遠景は、涼音が主人公に抱きついている部分。

 近景は、藍の独白とバス停でラムネみたいな人だと思う部分。

 心情は、涼音が好きという藍の独白からはじまる過去回想。

 とにかく書き出しが上手い。

 景色との距離感を表現したあとに心情を描いて言うと深みが増して、人間味ある主人公の気持ちが読者にも届いて共感していく。


「いい思い出はさ、記憶が褪せないように、美化して心に残るものなんでしょう。涼音、夏は不思議なものだって言っていたよね。どんなことでも夏の魔法で美化されて、綺麗に記憶は残るんだって。夏という幻がかけたフィルターの中にいたのかな、私たち。それとも理想の夏を、ただ模倣していただけなのかな」

 ここの表現が良い。

 若さと夏は、不思議で綺麗に輝いて見える。それでいて儚さもある。とても意味深である。

 本作の結末を暗示させるような書き出しは、実に上手い。


「バス停バックに清涼飲料水を飲む涼音が本当に可愛くて、それでいて綺麗で。その中にきみがいるなら、煩い蝉時雨も倒れそうな暑さも、瓶に詰めて飾りたいと思ったの。きみの描く世界が、まるで炭酸の中にいるみたいに透けていたから。きみは本当に、ラムネみたいな人だった」

 主人公の嬉しさや楽しさ、涼音に対する思い、どういう人なのかも伝わってくる。


「涼音には何も告げず、ただ笑って別れるのが最善だと思った。静かにやってきた中学の卒業式、きみは泣いていた」

 どうして告げなかったのかは、涼音の初恋が失恋に終わったとき、内心喜んだ自分がいて、それを許せなかったからと思われる。


 この時点で大事なのは、涼音は男子に告白して振られているということ。異性が好きなのだ。対して主人公は同性が好き。二人が結ばれる可能性はないことがわかっている。

「死ねばいいと思った。好きな人の不幸を喜んだ自分自身に包丁を突き刺して、早く常世に行きたかった」

 好きな人が失恋したことを喜んでいる自分なんて死ねばいい、と思っているのだけれども、同性が好きだから失恋を喜んでしまう自分がいると気づいて、同性愛の自分なんて死んでしまいたいと、心根で思ったのだろう。

 だから、この先の結末、二人がうすバレることはないことは、読者は想像がつく。

 けれども、二人の仲の良さや卒業という別れに気づかせないように描いているところは、よく考えられているなと感心する。

 それを引きずって、主人公は高校生になっていく。


 本作の良さは繊細で詩的な文体で、主人公の感情描写が豊かに書かれているところ。

 長い文が多く、改行まで七行以上あるところもる。それでも読めてしまうのは、一文が短いこと。句読点を使い、短文と長文でリズムを作って感情を揺さぶるような書き方をしているし、口語的で、読みやすい。

 なにより、比喩を多用しながら、その比喩がわかりやすく、主人公に適した言葉や表現、作品にあったものを用いているところが実に良い。

 どの部分でもいえるので、たとえば「諦めたはずの恋だった。過去形にして小さく折りたたんで、胸の奥の引き出しにしまい込んで、いつか忘れなければならない恋だった」。動作もふくまれた比喩なので、引き出しにしまうことを読者もしたことがあるだろうから想像しやすく、主人公の気持ちを追体験しやすい。

 しかも、面白いところは面白くかかれているし、悲しいところは悲しく書かれているのもいい。

「きみがいるなら、煩い蝉時雨も倒れそうな暑さも、瓶に詰めて飾りたいと思ったの」「きみのやわらかな肌が私の腕に当たった時、わずかに触れた体温。そこから、絶え間なく広がっていった血の海。日川浜で望んだ、あの瞬間の夕暮れの色。いつまでも残しておくべきじゃない」

 主人公はかなり感情、思いが強い。そんな性格が表現から読み取れる。

 とにかく、表現が具体的に書かれているのがいい。

 ただ気持ちを吐露していくのではなく、主人公の動き、動作を示した書き方がされている。

 大きな言葉を使わず、読み手に作者が思い浮かべているものを届けようと、言葉を一つ一つ選んで、追体験できるように書かれているところが素晴らしい。だから、主人公の気持ちがよくわかる。

 五感を使った描写が多く、読者に強い印象を与える。特に視覚や触覚の描写が秀逸。視覚、触覚、嗅覚などを使った描写が豊かで、読者に強い印象を与える。

 視覚は、涼音の弾けるような笑顔、夕暮れの色、花火大会の光景、ラムネ瓶の透明なガラスなど、鮮やかな色彩描写が多用。海岸の風景や夏の空、青い水平線など、自然の美しさが詳細に描かれている。

 聴覚は、さざなみの音、蝉時雨、花火の音、電車の音など、環境音が物語の雰囲気を高めている。涼音の声や、藍の心の声も重要な要素として描かれている。

 嗅覚は、涼音の爽やかな香り、潮風の匂い、雨の匂いなど、嗅覚的な描写が感情を引き立てている。

 触覚は、海水の冷たさ、砂の感触、涼音の肌の温もり、絢人の手の大きさなど、触覚的な描写が登場人物の感情を具体的に伝えている。

 味覚は、涼音が飲む清涼飲料水や、アイスクリームの味など、味覚的な要素も物語に彩りを添えている。

 五感描写が豊富な一方、背景描写がやや多く感じるかもしれない。物語進行に必要な描写に絞ると、より読みやすくなると考える。


「十六歳、薄縹」

 遠景で「あの時好きな人の幸せを願えなかった私は、まだのうのうと生きていた」と示し、近景で「早く死ねばいいのになんて思いながら大それた自殺もできない自分に、更に嫌気が差した」と説明。

 心情で「私はいつの間にか高校生になっていた。高校生。その文字を見る度足元がぐらついて、背筋がぞっとした。私の魂は、今でもあの海にあるのに。一歩ずつ着実に、大人に近づいていく自分。鏡に映る生気のない顔を見て、唇を噛むと血が滲んだ」と語る。

 どう思っていたのかではなく、主人公の動きで気持ちを示しているところがいい。涼音に告白もできず、死ねばいいのにと思いながらも生きていて、大人に近づく自分が許せない。

 死にたくても死ねない、好きなのに言えない。大人にもなりたくないのに大人になっていく。思っていることが何一つ出来ずに窮屈に押し込められていくような状況に唇を噛む。

 血が滲んだのは、赤い涙を流しているのだ。

 可愛そうだと感じるところで、共感をする。


 風景描写もつかって、主人公の心情も表しているのもいい。

 告白されたとき、

「耳を疑った。放課後の教室、カーテンが揺れる。窓から覗く空は薄っすらと赤みがかっていて、小説の中に入り込んでしまったみたいだった。目の前にいるのは、ただのクラスメイトだったはずの男子。何が起こっているのか、よく状況を掴めない」

 最初に、主人公の行動から始まっている。そのあと、「放課後の教室、カーテンが揺れる」時間と場所を描きながら、カーテンが揺れることで、主人公の驚いている様、思考を表現し、「窓から覗く空は薄っすらと赤みがかっていて、小説の中に入り込んでしまったみたいだった」ここでも風景と比喩を用いて、主人公の思考を描き、そのあとで、眼の前のクラスメイトの男子について、感想や感情を述べている。

 緊張や突発的な状況を表すときに、行動からはじまる。

 だから、いかに主人公にとって驚くことが起きたのかがよく分かる。「ドキッとした」などと触接的に書くのではなく、動きで示していくことで、読み手に伝わる書き方をしているのが素晴らしい。


「『え……嬉しい』彼は下を向き、そう呟く。不覚にも可愛いと思った。そう感じることのできた自分自身に対し、喜びが沸き上がる」

  

「くすんだラムネ色なんて忘れて、私の心を彼色で塗り替えてしまおう」ここの比喩がいい。

 涼音のことを忘れて、自分の恋を青春を生きようと、このときは思っている。

 

「すぐにクラス中に広まってしまった。友達はみんな私のことを羨ましがり、いいなぁと口々に言った」

 こういうことは、広まるのは早い。別れた話も。

 夏祭りのあと、二人は別れるが、そのときも夏休み明けてから広まるかもしれない。中原絢人が誰かに話していたら、主人公が同性が好きということも一緒に広まるかもしれない。

 涼音や中原絢人といったキャラクターをもう少し深掘りされていると、物語に厚みが出てくるかもしれない。主人公が見たり聞いたりしたきれいな部分だけしか見えてこない。

 涼音は、彼女が好きだから好きなところだけしか見えない。

 中原は、愛していないので深く知ろうとしていない。

 そんな想いが主人公にはあって、深堀りされていないと思う。


 夏祭りで、キスする前の雰囲気が実にうまく書けている。

「花火が終盤に差し掛かったころ、彼の手が私の手に触れた。彼の大きな手。異性と手をつないだのなんて、幼稚園の時以来だろう」

「ふと、彼が私の顔を見た。数秒間見つめ合い、ああ、これはそういう雰囲気なんだ、と悟る」

「空気に身を任せて目を瞑ると、彼の指が私の頬を触る。心を落ち着かせて、次の瞬間を待つ」

 まず説明し、そのあとで感想をそえる。それをくり返すことで、読み手にも届いていく。


「『え』耳元で響いたその声に、私は目を見開く」とある。

 主人公がキスを受ける行動をしたことに驚いて声を上げたのだろうか。つまり彼は最初、キスをしたかったわけではないのかもしれない。

 そのあと、ごめんといって、主人公は後退りして逃げ、彼を愛したことがなかったんだ、自分なんて死ねばいいと思っていく。

 そんなことも知らず、彼女が逃げてしまったので追いかけていき、「藍、なんで」と声を掛ける。続く言葉があるとするなら、「急に走って離れたの?」かしらん。

 そしたら、「あのさ。ごめん、私、女の子が好きなんだ」といわれるのだ。彼にしたら「は」「何それ」だし、

「だからさ、ごめん、もう無理だと思う」

 といわれても、なにもいえない。

 彼はなにも悪くない。可哀そうで仕方がない。


「その後、彼とは一度も話さなかった。音沙汰もなく、ただ日々が流れていく」

 二人の恋は終わったのだ。

「でも、それでも。誰のことを考えても、頭にちらつくのはきみの横顔だった」

 ここで一瞬、彼に未練があるのかなと思わせておいて、

「涼音、きみのことなんてはやく忘れたいのに、あぁもう全部、染み付いて離れないの」

 やっぱりそうなのねと言う流れは、主人公の心情がどんどん伝わってくる。

 少女漫画でも見られる展開、中原との破局を経て、いままでは秘められていた思いが溢れていく。

「あまりにも美しいラムネ色の記憶が、ただただ私の首を絞める」という一文は、十六歳のラストをうまくまとめている。


 本作は恋愛の話で、内面を主に描いている。しかも現代ドラマなので、ファンタジーやアクションものと違い、派手な動きが描きにくい。だからこそ、心の動きを主人公の動作や風景、情景の動きを描いて示していくのが大切なことを、本作は教えてくれる。


「十七歳、露草」では、「今は三限目か、ちらと時計を見てそんなことを考える。心が風邪を引いている、それは欠席理由になりますか」とあり、主人公はズル休みをしている。

「梅雨の酸素はどこか知らない街みたいな青さが滲んでいて、虚しさだけが肥大化していく。大して暑くもないのに、扇風機は弱のまま稼働し続けている。雑音が雨の音と重なって、どうしようもない気持ち悪さが私を苛む」

 主人公は高校二年生になり、季節は梅雨を迎えていた。

 夏の出来事から半年以上が経過。

 スマホの検索画面で「あい」を入力すると、哀、藍、逢、と表示されて、愛がない。自分の名前もアイだと思い出し、涼音が自分の名前を読んだことが去来し、「ねぇ、愛って何だろうね。誰か、教えてくれないかな。憂いが私を包んでいる、抜け出せないから爪を立ててる。どうして記憶の中のきみは、願っても消えてくれないんだろうね」涼音に対する想いが募っている。

 実に切ない。


 ここでも、現在過去未来で書かれている。冒頭部分は現在を描いていると考える。

 その次は過去回想で、ホームで違う高校の制服を着た涼音が男と歩いているのを目撃し、立ちすくむ、

 それが七月十七日であり、片思いが終わって失恋。

「これが私の命日になるんだと、本気で思った」と、死を覚悟する。

 そうでないと、ズル休みしている理由がわからないから。

 高校一年生の夏以降、主人公が不登校になっている可能性も考えられるけれど、それだったら、状況描写で「空から絶えず流れる世界の音が、部屋に響いていく。心に穴が空いたけど、それを埋めるのも面倒になった」とはじまり、「今は三限目か、ちらと時計を見てそんなことを考える。心が風邪を引いている、それは欠席理由になりますか」と皮肉めいたことを思ったりしないだろう。

 涼音が男を見て、その日は帰宅し次の日は午前中は家にいて、午後から家を出て、駅へ向かったのだと想像する。


 もちろん、雨が降って憂鬱で、いまだに涼音のことを引きずって、学校をサボり、検索から涼音を思い出し、午後から学校へ行こうとして、涼音を見かけ、乗るはずだった電車が発車。ホームにいて、飛び出そうとするもできなくて、反対方向へ向かう電車に飛び乗ったと読めると思う。むしろ、この読み方のほうが、スムーズだ。


 主人公の弱みは、自己認識の遅れ。自分の性的指向に気づくのが遅れ、異性との関係で苦しむ。その結果、感情の抑圧を抱えてしまう。高校になって涼音への思いを抑え込もうと中原と付き合っては見たものの同性が好きだと認め、涼音に思いを馳せるも、彼女には彼氏が出来ており、想いを伝えることも出来ずに失恋してしまい、苦しんで死のうとする。

 本当に同性しか愛せないかどうか読み手にはわからないけれども、素直に読むと、涼音といっしょに思い出作りした夏の日が、主人公にとって忘れられないものになってしまい、いつまでたっても忘れられないから次の恋に行けないのだと思う。

 簡単にいえば、藍の心は涼音の想いをこぼさないようにコップに水が満たされた状態なのだろう。それでは、誰とも好きになれない。

 駅の雑踏で、異性と歩く涼音をみて、想いが溢れてしまったのだろう。でも報われないし、追いかけることも出来ない。彼女の弱みでもある感情を抑え込むことで、自分を傷つけることしかできなくなって、電車に飛び出そうとする。この流れは主人公の性格や価値観、感情を抑え込んだ過去、直面した問題や葛藤が描けているから予測しやすい。

 踏みとどまってくれる展開は、予測できるできないではなくて、素直にほっと胸をなでおろして良かったなと思える。解決はしてないのだけれども。

 

 海へ行く流れは良かった。

「唐突にそう思った。最期に一目、もう一度海を見たい。別に、今日が最期にならなかったとしても、それでも。とにかく海が見たい、潮風に吹かれたい。海が見える小さな駅で、ただ青を眺めていたい」

 冒頭の、「涼音。最後の思い出をつくるために海に行こうだなんて、らしくないこと言ったよね」につながるのだろう。

 海でさえあれば、涼音との思い出を想起でき、少しでも彼女を感じていたい現れでもあるだろう。

「ソーダ水に浮く、いちめんの青の中。炭酸を抜いたばっかりの空が、光と共に瞳に映る。耽る妄想と、いつかの心」

 涼音に抱きつかれたときの感じを覚えている主人公にとって、海に入水するのは、涼音に抱きしめてもらうことと同じ。

 好きな人に抱かれて死にたいと願うのは、絶望して死を選んだ人間の最後の願望なのだ。


 涼音と一緒に行った海ではないが、初心に帰る如く、思い出の地で見つめ直す。ベタな展開だからこ大事で、涼音にありがとうとさようならがいえたのだ。


 一旦砂浜の方へと戻っている。

「遠くにひとつ、ガラス瓶が転がっているのを見つけた。駆け寄って確認すると、案の定ラムネ瓶だった」とあるので、視界の端になにかあるのを見つけたのだろう。

 涼音のことを思っていたから、無意識に見つけられたのだと考える。

 

「ありったけの力を込めて。瓶が地面に当たる。衝動で亀裂が入る。ガラスの破片が、辺りに飛び散っていく。堤防の白に溢れた、幾つもの透明」

 思い切り投げたら、防波堤のコンクリートの地面にあたって砕けたのかしらん。


「欠片を必死に集めていると、堤防の上に、ガラスの球体が転がっていることに気が付く。ラムネ瓶の中に入っているのはビー玉じゃなくて、エー玉だ。未完成なビー玉じゃない、完成しきったエー玉。AはBよりも至高の、夏の結晶」

 割って放置するのはまずいと、冷静になったのだろう。だから拾っているのだと考える。冷静の中でみつける涼音の象徴。それをもって、再び海へ。

「胸のあたりまで海水に浸かる」

 A玉を抱きしめて入水するのかと思いきや、「重く苦しい水圧に押しつぶされそうになりながら、私はエー玉を海に投げた」主人公が取ったのは、決別だった。

「すずね、ありがと」


 冒頭から、涼音はラムネみたいな人とあったので、ラムネやエー玉が、いい味を出しているのもよかった。

 おそらく主人公とは正反対の性格のキャラだと思われるので、涼音は感情を抑え込まず、明るく行動していたと想像する。

 涼音との関係性や背景について、もう少し具体的なエピソードがあると、キャラクターの深みが増して、ラストが盛り上がったかもしれない。

 全体として、非常に感情豊かで素晴らしい。藍の内面的な葛藤と成長が丁寧に描かれていて良かった。欲を言うなら、「水中を漂う私の手には、何も握られていなくて、でも、きっと大丈夫だと、そう思った」がモヤッとした。

 主人公はエー玉を海に投げ、ありがとうといって、沈んでいった海を見ている。そのあと、主人公の心象風景が語られて、真っ青な青春の傷口がどこまでも青かった。

 ラムネ(涼音)なんか、私に必要ない。なにも握られていなくても、きっと大丈夫、だと思う。

「水中を漂う私の手には」はなんだろう。

 これも心象風景、もしくは比喩だろう。 

 きっと、海の青が青春で、青春という水の中を漂う主人公の手に、誰かの手を握っていなくても(一人でいても)、きっと大丈夫という意味かもしれない。

 最後がわかりにくいので、読後の余韻が冷めてしまう感じがしたので、くどくど書かず、わかりやすくあっさり終わったほうがよかったのではと、余計なことを思った。 


 エー玉がいい味を出していた。

 エー玉とは、ラムネの瓶に入っているガラス玉のこと。瓶のフタとして使用できるほど歪みのない玉を指す。玉入りラムネ瓶が製造され始めたころ、規格に合格した玉を「A玉」、フタとしては使用できない規格外の玉を「B玉」と呼んでいた。

 生産の過程で傷が入ったりして規格外となったB玉は、当時ラムネを売っていた駄菓子屋などで子どもたちに配られ、それが遊び道具としての「ビー玉」になったという。

 涼音は、歪みのない、いい子だったのだ。

 異性を愛せるという点も含めての表現だったのかもしれない。

 だとすると、主人公はビー玉になるのかしらん。


 ラストは感慨深い。

「ただ、私の心に、ラムネ色の傷痕が残る。苦しくてもがいて波に飲み込まれそうで、視界が真っ青で。それでも私にとっては、これが青春なんだ。青春の傷口は、どこまでも青かった。ラムネなんてそんなもの、もう私には必要ない。ゆらゆらと水中を漂う私の手には、何も握られていなくて、でも、きっと大丈夫だと、そう思った」

 涼音がいなくても、主人公はもう大丈夫。前に進んで歩いていけそうな気がした。


 読後にタイトルを見直して、いいタイトルだったと思った。

 読む前は悲恋ものだと思ったし、そうだったけれども、けっして悲しいだけではなく、青春の鮮やかさを感じた。

 また、タイトルを見て『春の羇旅』にまとめられている、「少年は少女の瑕瑾青芒」が、ふと思い出された。

 少女は少年を連れていたため、少女だけなら完璧だったのに、という意味の歌である。彼女は男を連れていたから瑕瑾(ほんのちょっとした傷)が生まれた。青々と伸びた芒は青春をあらわしているので、本作ならばラムネにあたるだろう。

 藍の感情に深く共感し、物語に引き込まれた。

 特に涼音への思いとその断ち切る場面は感動的で心に残る。

 とにかく五感を使った描写が豊かで没入できてよかった。

 いい作品でした。

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