隣の君はあまりにも遠い

隣の君はあまりにも遠い

作者 オーミヤビ

https://kakuyomu.jp/works/16817330662720125475


 隣町に通う女子高生に恋をしている男子高校生は、彼女はすでに亡くなっていることを理解し、しかも一年前に枯れも亡くなっている話。


 現代ファンタジー。

 見せ方が上手い。

 感情豊かで情景描写が美しい作品。


 主人公は、田舎の男子高校生。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に流れている。


 女性神話の中心移動に沿って書かれている。

 主人公の男子学生は、一年前に死んでいる。

 主人公は田舎の高校生で、帰りの電車で毎日同じ時間に乗り合わせる彼女はとの時間を大切にしながらも、彼女がこの世の存在ではなく既に亡くなっていることを理解していた。「また明日ね」彼女は霊園の近くで降りる。

 主人公も家に帰ると、家族が夕食を囲みながら、机にはよく笑った顔の写真と線香が立てられていた。カレンダーの明日の日付には真っ赤な字で一周忌と書かれている。

 彼もまた亡くなっていることが明らかになるのだった。


 ガタンガタンと車体を揺らす単線電車の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どんな関わりをして、どういった結末に至るのか、興味がある。

 音からはじまる書き出しが良い。

 聴覚は距離を感じる。

 遠景で単線電車の様子を、近景で夕日が差し込む車内を描き、心情で「眠ってしまいそう」と続く。

 読者にも覚えがあるような体験からはじまり、眠いのに「まだ寝まい」と眠気を我慢しているところはちょっとつらそうで可哀想。

 また、もう一年も経つのかと、時間の過ぎた早さに思いを馳せている。なにかしら、思い出に浸るような出来事があったのかもしれない。思い出すのは嬉しいことか、悲しいこと、つらいことなのか。そういった場面から人間味を感じるし、共感を覚えていく。


 主人公はなくなっており、原因はわからない。が、学校帰りの出来事だったのかもしれない。

「僕ら2人だけを乗せた列車は動き出す」と、単線電車について書かれている。

 この電車には、死人しかのらないのかもしれない・


 長い文ではなく、こまめに改行され、句読点を用いて一文も短く書かれている。ときに口語的で、性格がわかる自然な会話が挟まれていて、読みやすい。主人公の内面の感情や思考、葛藤が丁寧に描かれているとこや、徐々に明らかになる真実が読者を引き込んで感じが良い。

 五感を使った描写が豊富で、情景がリアルかつ鮮明に浮かぶ。視覚では電車の中の風景や彼女の外見、夕陽の光、車窓から見える景色などが詳細に描かれている。聴覚は電車の音、彼女の声、アナウンスの音など嗅覚は彼女の甘い香り、家の中の夕食の匂いなど。触覚はワイシャツの袖を捲る感覚、彼女が近づいてくる感覚などが描写されている。味覚は描かれていないが、家での夕食の描写で、肉じゃがや味噌汁の味が想像できる。

 すでに死んでいる状態なのに、生きているときのような描写がされていて、生き生きしているように感じる。好きな彼女と一緒にいるからかもしれない。


 主人公の弱みは、引っ込み思案なこと。だから彼女に話しかける勇気がなかなか出なかった。

 意気地なしなこと。彼女に触れることが未だにできない。

 自分を卑下し、友達が少ないことを気にしていることもあげられる。

 彼女をはじめてみかけたのが新学期はじめの春。

 主人公が乗る車両に乗ってきたのは、桜の花が散った頃。

 亡くなったのは、真夏でもなく、梅雨のようなジメッとした暑さもないころ。四月終わりか五月ごろの初夏と推測。

 彼女が亡くなったのは溺れたからだろう。

「海とかプールとか苦手でさ。前に溺れたときから」

 主人公が声をかけたのが昨年の夏の終わり。

 読者は、主人公は生きているものだと思って読んでいるので、すでに亡くなっている彼女と、どんな因果かわからないが、逢魔ヶ時だけ、単線電車で出会ってしまったと語られている。

 だから、主人公も死んでいる展開には驚かされる。

 同時に疑問も残る。

「僕らは、出会うことのない関係だった。もう、住む世界が違うのだ。端的に言って、あの世とこの世が交わる可能性などゼロに等しい」

 現在は、二人は死人なので、あの世の存在だから交わる可能性はゼロではない。

 つまり、主人公が生きていた一年前の春に見かけた彼女は、すでに死んでいたことになる。

 出会うはずのなかった二人が出会い、主人公が死んで、去年の夏の終わりにようやく声をかけたということかしらん。

「もはや相手にされる希望は薄いだろう。でも、彼女ならあるいは……」とあり、はじめ主人公は、彼女が死んでいることに気付いていなかった可能性がある。


 読後、タイトルをみて、未だ彼女に自分が死んでいることを打ち明けられずにいるのだろうと思った。ラストの「『もう、一周忌か』光陰矢の如し、とは言ったものだ」は、自分がなくなって一年が経ったことを表向きでは表現しながら、彼女を見かけ、好きになってから一年が経つことも意味しているのではと邪推する。

 はたして、この恋はどうなるのかしらん。隣の君はあまりにも遠いとつけられているのも、わかる気がする。


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