幸福中毒

幸福中毒

作者 文字を打つ軟体動物

https://kakuyomu.jp/works/16818093080112159096


 孤独な大学生が幸福やで幸福の錠剤を手に入れ、依存し、店が閉店して手に入れられなくなり絶望する話。


 現代ホラーファンタジー。

 怪談的な、世にも不思議な物語を彷彿させられる。


 主人公は、孤独な大学生。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在、過去、未来の順に書かれている。

 読者に涙を誘う型が用いられており、「苦しい状況→さらに苦しい状況→願望→少し明るくなる→駄目になる」の流れに準じている。

 三幕八場の構成にもなっている。


 それぞれの人物の想いを知りながら、結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。

 夏。主人公は孤独な大学生で、狭い四畳半の部屋で無為に過ごしている。ある日、水道、ガスが止められ、公園に行って蛇口をひねる。部屋に戻ると熱中症になると考え散歩していると、「幸福屋」という怪しげな店を見つけ、そこで「幸福の錠剤」を手に入れる。

 錠剤を服用すると、彼は幻覚を 幸福の量でⅠ、Ⅱ、Ⅲの錠剤を取り扱っており、値段は一錠につき一律五百円。メリットとデメリットは比例の関係にあるという。錠剤の効果が薄れると、日に二度訪れ、彼はさらに強い幸福を求め、Ⅰなら週に一度と店主に言われても錠剤を大量に摂取。このとき店主の顔を見た。顔がなかった。

 一夜で十錠を使い切る。翌日の早朝Ⅱを一錠購入する。さらに幸福を求めるも、現金がないことに気がつく。そこにビラ配りからもらったチラシには、『即日三万円!』の文字。

 怪しげな運び屋のバイトをし、三万円を手に入れ、幸福を手に入れようとして、ふと考える。なぜ錠剤を真っ先に考えたのだろう。

「Ⅲの購入も、Ⅱの過剰摂取もおすすめはできません。幸福というものは、身も蓋もないことを言ってしまえば快楽物質と同じようなものでございます。一度に摂取する量が増えれば、今までの量では満足できなくなるのです」

 店主の言葉を聞きながら、Ⅲを五錠購入する。帰宅後、五錠を一気に飲む。頭に浮かぶ映像は混ざりきって、脳が理解を拒むような混沌を生み出し、浮遊感に包まれながら、これ以上の幸福は訪れないと気付く。

 最終的に、彼は「幸福屋」が閉店し、錠剤を手に入れられなくなり、絶望に陥った主人公は、窓口のカウンターに置かれていた手鏡を覗き込む。自分の顔が映っていなかった。


 ぐちゃぐちゃの布団の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関係してい、どのような結末を迎えるのか気になる。

 なんだろうと思わせる書き出しがいい。

 遠景で乱れた布団、錠剤の入っていた包装シートを、近景で狭苦しい四畳半を描き、心情で主人公はどうしようもなく渇き渇望していると語る。

 ここだけで、孤独と貧しさと飢えを感じ、可愛そうに思えてくる。

 ネオンサインを求めて這いずり回る自分を、幸福中毒じゃないかというほど、幸福ではないのが伝わる。

 他者に影響を及ぼすほどの人生破綻者のような、一人でもがくさまは品行とはかけ離れ、孤独に苛む姿に目をそらしながらも怖いもの見たさで見てしまう。哀れみと同情のような思いをしながら共感していく。読者にも、自分が幸福ではないという共通点が潜んでいるから。


 冒頭の導入のあと、次からが本編。いわゆる過去話。

 ここでも遠景で「セミは騒ぎ、熱風が部屋を包む」様子を、近景では暑い初夏に狭い床に寝転ぶ様を描き、心情で、ミよりも友も彼女もなく、四畳半だけが居場所だと語る。

 ここでもまた、寂しい主人公が語られている。

「怪しげなバイトで稼いだ金と、返せる見込みもない奨学金で暮らす日々」水道とガスが止められ、すでに借金地獄に入っている感がある。

 貧乏だけど、スマホはあってスクロールすることで、まだ自分は大丈夫だと確かめている感じがよく出ている。

 干からびて死にそうだと蛇口をひねるも、「救いは一滴しか出てこない」直接、水と表現せずに、それでいて伝えたい文言を使って表しているところが良い。

 とくにいいのは、主人公の動きで内面を示しているところ。読みがいある文章を読むことで、読み手に気持ちが伝わってくる。

 長い文にはせず、こまめに改行をしている。一文も長くならないよう句読点を用い、長文と短文を組み合わせてテンポよくして感情を揺さぶっている。

 口語的で読みやすい。短い文章や断片的な描写が多く、主人公の内面の葛藤や感情、混乱や依存の様子を強調して書かれている。錠剤の効果や幻覚の描写は幻想的で、非常にリアル。現実と非現実の境界が曖昧に描いているのが特徴的。なにより主人公の孤独や依存の様子が詳細に描かれているところは、感情移入しやすい。

 五感の描写が豊富で、物語の雰囲気がよく伝わってくる。

 視覚的な刺激では、錠剤の毒々しいピンクの光、ネオンサイン、狭い四畳半の部屋、錠剤による幸福、公園の蛇口から溢れる水などが鮮明に描かれている。

 聴覚ではセミの鳴き声、講義の退屈な時間、胡散臭い店員の声など。触覚は錠剤が口の中で崩れる感覚、熱風が部屋を包む感覚など。嗅覚では、幸福屋の店の危険な香り、勝利の瞬間の甘い匂い。味覚では錠剤の甘味と苦味、幸福の味が描かれてる。

 他の五感との組み合わせや、感情や行動とともに描かれているので臨場感がを感じるところがいい。


 錠剤を飲んで幸福をみるとき表現にこだわりを感じる。はじめは、知らない家族をみたり、プロボクサーの勝利する興奮だったりの説明なのだけれども、錠剤が増えるごとに「――片手に何かを握りしめている/目の前に誰かが倒れている/甘い匂い/視界は不明瞭――」「――鼓動/不明瞭/冷たい/甘い/暖かい/不明瞭/暗い/白い――」「――不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭/不明瞭――」という文字の羅列になっていく。

 主人公の日常で描写と区別するための表現だけれども、薬に頼ると、情感が薄れて説明的になっていくのが面白い。

 わかりやすくいえば、幸福の錠剤によって幸福を得るごとに、大きな言葉をつかうように書かれていく、

 たとえば、「男が食事をした」という文章があるとする。

 これだけでは、男の人相風体年齢職業、どこの国の人なのかなどはわからないし、食事といってもなにを食べているのか、いつの時間のものなのかも読み手には伝わらない。

 それと同じ表現が、過剰な薬を飲んで幻覚をみている描写に使われている。

 主人公自身も、感じているものが一体なんなのか、わからなくなっていくのが、読者にもよく伝わってくる。なんだこれ、という感じだ。

 

 主人公の弱みは、孤独でコミュニケーション能力が低いこと。

 だから自分の身の回りにあるスマホをさわっては、無為に過ごす日々に危機感を持てなくなっている。そこに幸せはない。

 ないから、人は求め、「幸福屋」を見つけ「幸福の錠剤」を試し、幸福感に依存していく。自制心が弱いことも弱みの一つ。だから、錠剤の誘惑に抗えない。

 かつては衣食住が満たされて、心を満たそうと求めていくのだが、現代は衣食住よりも繋がりを優先される。そのつながりも、リアルで強固なものではなく、スマホのゆるいつながり。誰かと関わり、必要とされたり、たよりたよられ、付かず離れず、なんとなくの関わりが求められる。

 主人公は空腹を満たすより、スマホをいじるのを優先する。怪しげな高額バイトを見つけるためだったのだろう。

 坂の上から転がり落ちていくように、堕落していく構図が描かれており、過去にどのような行動をしたのか、眼の前にある問題や葛藤が描かれている主人公の次の行動は予測しやすい。

 コミュニケーション能力が低いから、講堂前でビラを配る学生から受け取ってしまう。自制心が弱いから、お金欲しさに怪しいバイトをして三万円を手にいれる。

 その金を衣食住に回せると気付く展開は、一瞬予想外で驚かされるも、でも結局は幸福の錠剤を買ってしまうのだ。

 

 主人公の内面の葛藤や感情が詳細に描かれている一方、他のキャラクターの描写が少ないため、広がりが欠けるような印象があるかもしれない。大学に通っているのなら、楽しそうに誰かと過ごしている学生の様子を具体的に描いて、主人公の孤独を際立たせるとか、幸福屋に行くときにも、誰かに見られないようにするみたいな動きがあってもいいのではと、あれこれ想像してみる。それでも、主人公の孤独や依存の様子がリアルに描かれていて、読み手には強い印象を与えてくれる作品に間違いない。


 途中、店主の顔がなかったことが描かれている。のっぺらぼうだったのか。それがわかっても、気味悪がることなく、怪しく思わずに主人公は通い続けていく。このときにはもう引き返せないところまできていたのかもしれない。

 主人公自身、錠剤の飲み過ぎで顔がなくなったのは、幸福中毒になり、自分自身を見失ったことを象徴しているのだろう。

 幸福を追い求めるあまり、自分のアイデンティティや存在感を失った。だから、鏡に顔が映らない。

 店が閉店したのは、依存しすぎた結果、これ以上幸福に頼ることができなくなった証。幻想や妄想に頼らず、彼自身で幸福を見つける必要があるというメッセージがあるのだろう。

 つまり店主は具体的な人物ではなく、主人公の欲望や依存の象徴。顔がないのは、彼が誰でもなく、何者でもない。つまり、すべて幻だったと邪推する。

 幸福を求めるあまり、心の中で「幸福屋」を作り出した。想像の産物である店主には顔がなく、妄想による幸福の依存もできなくなって、突然閉店した。

 読み終えてタイトルを見ながら、考える。幸福を求めるあまりに妄想する人が多いのは確かだが、必ずしも悪いことではない。妄想は、心の安らぎや創造を促しながら、現実とのバランスを保つことが大切となってくる。

 主人公を反面教師にし、妄想を利用しつつ現実をしっかり見つめて、充実した生活を送りたいものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る