花火

花火

作者 伊島

https://kakuyomu.jp/works/16818093081540619685


 三年前なくなった幼馴染のみくりが、成仏前に一緒に花火を楽しみたいと申し出て、海水浴場で花火をし、互いに好きだと告白。気づけば部屋で寝ていて、マンションから見える花火を彼女と一緒に見て眠る話。


 現代ドラマ。

 ホラーかも、と思った。

 でもジャンルはホラーではなかったので安心した。

 花火の描写、みくりとのやり取りが生き生きしている。


 主人公は、███。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公の幼馴染のみくりは、高校一年生のとき亡くなった。

 三年後の八月三十一日。主人公はインターホンの音で目を覚まし、死んだはずの幼なじみ、みくりが訪ねてきたことに驚く。みくりは成仏する前に花火を一緒に楽しみたいと提案し、二人は花火を買いに行く。海水浴場で花火を楽しむ中で、みくりは自分の死について「私ね……本当は死にたいワケじゃなかった……。死にたくなんかなかった……」語り、何か言いたいことはないか尋ねる。

「今まで僕と一緒にいてくれてありがとうな」逆に聴けば、みくりは主人公のことがずっと前から大好きだったと告白し、主人公も同じ気持ちだと伝える。

 目が覚めると、自分の部屋にいた。全てが夢だったかのように感じたとき、遠くで花火の音がする。マンションから見える色とりどりの花火を見て、「今年も……███くんと一緒に見れて嬉しいなぁ」「███くんは……嬉しくない?」みくりの声が再び聞こえ、「嬉しいよ……嬉しいに決まってる……」答えると、彼女が嬉しそうに笑う。夢か現かわからなくなるも、どうでも良くなった主人公。

「ごめんね、███くん。勝手にいなくなって、一人にして、寂しい思いをさせちゃってごめんね。これからは、また一緒に居ようね」

「ああ……そうだな」

 花火の音の心地よさに再び眠る。火薬の香りを感じながら。


 インターホンの音で眠気が去る謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どんな結末に至るのか気になる。


 書き出しが意味深である。

 遠景で、インターホンの音で眠気がどこかへといってしまい、近景ではため息をこぼしてインターホンのモニターを見に行き、意図的に作り出された暗闇が見えているのを示し、心情でおそるおそる声をかける。

 正直、いつなのかがわかりにくいが、眠気から夜、寝ていたのだろう。インターホンから住んでいる自宅に主人公はいる。

 モニターには、人間が意図的に作り出している暗闇、カメラの前に手をかざし、暗くて他に見えない状態になっているのだろう。

 寝ていたところを起こされて、怪しげな訪問客。これだけで、なにか気持ち悪さがあるし、可哀想な感じがする。

「インターホンの古さのせいで音質は悪かったが、僕はハッキリとその声を聞き取ることが出来た」とある。

 なりすましの迷惑電話を受ける側の心境を彷彿させるけれども、主人公には、相手がみくりだとわかる。

「僕はハッキリとその声を聞き取ることが出来た」は、相手がなにをいったのかを、はっきり聞けたのか、それとも相手が誰なのかを判別できたのか。どちらとも取れる曖昧な表現。おそらく前者だとそうそうする。

 相手の言葉を聞いて、「久しぶり……███くん」という言い方をする相手は、みくりしかいないと、行き着いたのかもしれない。

 夜に女性が訪ねてくる主人公、ということがわかる。友人や知人、恋人かもしれない。それだけ愛されている証拠だ。

「みくりのものだと思われる声は、迷うことなくそう答える。それがイタズラであるとは思えなかった」

 相手がはっきり答えたので、いたずらではないと判断したと受け取れる。

 それでも、「鍵を開け、念のためにドアガードはしたままでドアを開ける」と警戒もしている。こういう冷静な判断ができる性格を持ち合わせているのがわかると同時に、相手がみくりだとわかり、「ああ、一緒だ」と死んだ幼馴染との再会に安堵する様子は、人間味を感じる。一連の過程から、主人公に共感していく。

 説明ではなく、どういう心境や性格、葛藤があるのかを感じられる動きが示されているところもよかった。


 全体的に読みやすい。長い文にせず、こまめに改行し、一文も短くわけられている。

 感情の描写が豊かで、口語的だったり、みくりとのやり取り中心の会話が自然、しかも多い。一人称視点で、主人公の内面の感情や思考が詳細に描かれている。

 五感の描写は豊かに描かれていて、視覚的情報は花火の色や形、みくりの姿、海水浴場の風景などが詳細に描かれている。聴覚では、インターホンの音や花火の音、みくりの声などが描写。嗅覚は火薬の香りが強調され、触覚は、みくりの手の感触や花火の熱さなどが描かれている。


 主人公とみくりとのやり取りが面白い。

「うわ、███くんのこと久しぶりに見た。ちょっと身長縮んじゃったんじゃない? 老化現象?」

「そんな年老いてねぇよ……」 


「じゃあ上がってもいい?」

「ああ……ちょっと散らかってるけど……」

「もう慣れてまーす」

「いや、ちょっとやないやないかーい!」


 花火を買いに行くときも、騒ぐみくりに「ほら、もう店に着くから静かにしなさい」と注意すると、「うわっ! ママじゃん! ママ!」と返されるなど。

 読んでいて、生前の仲良かったときのままの様子が感じられて、作品の中では生き生きしている部分。しかも、非常に現実味を感じる場面だ。

 面白いのは、相手の言葉にかぶせていくところ。

 主人公にママというみくり。買い物中、みくりは小声になったものの、延々とママだなんだと言っていた。「ね~え~、ママ~。無視しないでよ~」「まだ言ってんのか。お前を産んだ覚えはないぞ」「うわ。認知してくれないんだ……」

 一緒だったときは、さぞかし楽しかっただろう。


「ぼんやりと月明かりのにじむ海面と、果てのない暗い色の水平線の景色も相まってか、今までいた世界とは別の世界に来たような錯覚に陥ってしまう」

 おそらく、彼女と一緒にいる世界は現実ではない。その証だと思われる。花火を買う描写が簡素なのもそのせいだと推測する。

 

 主人公はみくりの死後、何事にも身が入らなくなり、運動もほとんどしなくなったこと。

 そんな弱さがあったから、みくりの再会に対し、驚きや戸惑い、一緒にいるときのやり取りなど、感情の揺れ動きが描かれ、現れている。

 海水浴場へ移動した後、疲労感に全身が襲われ、「███くんがへばってるところ初めて見たかも……。やっぱり老化しちゃってるんじゃない?」といわれる。

 花火を買ったコンビニから一時間歩いているのだ。距離にして、推定四キロ。

 しかも、彼女と会うまでは寝ていたし、いまは夜。

 季節は夏。

 運動不足もあるかもしれないが、日中の暑さによる疲労もあっただろうし、寝込みを起こされ一時間も歩けば、いくら十代といっても疲れるだろう。


 花火の描写が美しく、情景が目に浮かぶ。二人の関係性がよく伝わる。

 三年前、みくりが高校一年生のときに、どうして死んたのかわからない。本人は、「私ね……本当は死にたいワケじゃなかった……。死にたくなんかなかった……」もう少し詳しく書かれていると、物語に深みが増したかもしれない。

「本当は死にたいワケじゃなかった」とあるので、自殺したのかもしれない。自殺したことになっているけれど、したかったわけではない、という意味かと邪推する。

 花火を買うときやり取りで、「ね~え~、ママ~。無視しないでよ~」「うわ。認知してくれないんだ……」とある。

 母親との確執が、死んだ原因にあるのかもと邪推する。

 海で溺れかけている。「どこまで行けるのかなって思って試してみたら、普通に溺れかけちゃってさ。ホントに死ぬかと思ったよ」

 こういうノリで生前実行したら、死んでしまったのかもしれない。


「よほどの希死念慮が渦巻かない限りは、きっとあの若さで死にたい人間なんて、そうそういないハズだろう」

 本作の読者層は、十代の若者が多い。少なからず、希死念慮を抱いている人にも、本作は語りかけているのかもしれない。

 

 これまでの主人公の性格や価値観、過去にどのような関係だったか、直面している問題や葛藤から、彼女のことをどう思っているのかに、なんと答えるのかは予測できる。

 でも、答えようとして夢から覚めてしまう展開は、予想外で驚かされた。


 寝ていた主人公が起こされ、死んだ彼女と花火をし、気づけば部屋にいて、住んでいるマンションから花火が見える。彼女の声がし、夢か現か道でも良くなり、火薬の匂いで眠るラストを迎えた本作。

 死んだ彼女が訪ねてきて花火をするまでは夢で、音と火薬の匂いで目を覚ました主人公は彼女の声を聞き、「火薬の香りを感じながら」「暖かくて、明るい方へ」「優しく引っ張っていってくれる」と思っている。

 ひょっとすると、花火ではなくマンションが火事になっている状態で、主人公は彼女の元へ行こうとしているのではと邪推する。

 主人公は、幼馴染のみくりを亡くしてから、何事にもイマイチ身が入らなくなってしまい、運動もほとんどしなくなっている。希死念慮を抱いていてもおかしくない。そんな主人公を、みくりは迎えに来たのだろうか。

 でも、本作のジャンルは現代ドラマ。

 ホラーではない。

 素直に、夢から覚めて、マンションから花火を見ていたらみくりが現れ、声をかけてくれたのだ。それも夢か妄想か、現実かはわからない。

 でも、寂しかった主人公にとって、また彼女の声を聞けて嬉しかったに違いない。

 ところで、彼女は成仏しなかったのだろうか。


 打ち上げ花火のはじまりは、江戸時代まで遡り、享保十八年(西暦一七三三年)に隅田川で行われた水神祭が由来と伝えられている。 当時、関西や江戸では、飢饉や疫病の流行により、多数の死者がでていた。 その死者たちの慰霊や悪疫退散のために水神祭が催され、打ち上げ花火が上げられたのが最初。

 ひょっとすると、マンションから見えていた花火が終わったら、成仏したかもしれない。


 二人のやり取りが楽しかっただけに読後、花火の終わりのようなしみじみと切ない気持ちを感じた。

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