ザ・ナックルズ

ザ・ナックルズ

作者 大城時雨

https://kakuyomu.jp/works/16818093077183838385


 県立沼津南高校の二軍の三番手投手の上井は、寿のナックルボールに魅了されて習得に専念し、間桐学園との練習試合ではナックルボールで三振を奪い、春のベンチメンバーに選ばれ県大会での活躍を期待され、練習に励むことを決意する話。


 現代ドラマ。

 土台となっている野球の設定や描写をしっかり描きながら、高校球児のサクセスストーリーになっているところが素晴らしい。

 いい作品。

「現役高校球児が描く」とあり、納得の出来である。


 主人公は、県立沼津南高校の二軍の三番手投手の上井。一人称、僕で書かれた文体。シンデレラプロット、マイナスからのスタート→失敗の連続→出会いと学び→小さな成功→大きな成功の順に書かれている。


 男性神話と絡め取り話法の中心軌道に沿って書かれている。

 もちろん、三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場、状況説明

 主人公の上井は、県立沼津南高校の二軍の三番手投手。彼は精密なコントロールを武器にしているが、ストレートの速度や変化球のキレが足りず、一軍に上がれない。

 二場の目的の説明

 ある日、練習試合で失敗し、悔しさを感じながら親友の三浦と河川敷グラウンドで練習をしていると、間藤学園の強豪選手たちに絡まれる。そこで謎の男・寿と出会い、彼の投げるナックルボールに魅了される。上井は寿にナックルボールの習得をお願いし、寿の指導のもとで練習を始める。

 二幕三場の最初の課題

 チームではピッチャー練習にかなりの自主性を与えられていた。各々が個人の課題に取り組む姿はほぼプロ野球。上井にとっては好都合だった。ナックルボールの習得に専念し、寿の指導のもとで練習を続ける。

 四場の重い課題

 監督にナックルボールを見せる機会が訪れ、上井は成功を収める。監督は上井の成長を認め、間桐学園との練習試合での登板を約束する。

 五場の状況の再整備、転換点

 上井は寿との練習を続け、寿は結婚で姓が変わっているが、かつてのプロ野球選手の江戸川歩であり、監督とバッテリーを組んでいたと知る。寿は上井に自分の過去を語り、上井と自分の共通点を見出す。三浦もナックルボールの捕球を練習し、上井と共に成長する。

 六場、最大の課題

 間桐学園との練習試合が始まり、上井はブルペンで準備を進める。試合は投手戦となり、六回に間桐学園が二点を先制する。監督の指示で三浦が代打として登場し、同点に追いつく。上井は次の登板に向けて準備を整える。

 三幕七場、最後の課題、どんでん返し

 上井は間桐学園との練習試合で登板する。一点取られたらサヨナラの場面で、上井はナックルボールを駆使して打者を抑える。一番打者をファーストゴロに打ち取り、二番打者にはシェイクを使って三振を奪う。三番打者の高原にはファールを打たれるが、最後はナックルボールで三振を奪い、ピンチを切り抜ける。

 八場のエピローグ

 間桐学園との試合から一週間後、上井と三浦は監督に呼び出され、春のベンチメンバーに選ばれる。監督は二人の成長を認め、県大会での活躍を期待する。上井は寿に報告し、さらにナックルボールの練習に励む決意を固めるのだった。


 握りしめられる白球の謎、これから主人公に起こる様々な出来事の謎が、どんな巡り合いながら、最後はどんな解決と結末を迎えるのか、まさに手に汗にぎるほど期待が高まる。

 書き出しがいい。

 主人公最大のピンチの状況から始まっている。

 遠景で、主人公が置かれた状況、どこにいるのかを描き、近景で、さらに詳しい状況である九階裏の2ボール2ストライク2アウトの2塁にいる状態が描かれ、心情で「打たれてたまるか。せっかくみんなで繋いだリードを僕が途絶えさせるなんて、あってはならない」心の叫びに、ぐっと共感する。

 野球を見たことがある人ならば、次の一球で勝敗が決する場面が思い浮かんでくるだろう。

 

 本作は、ラブコメでごまかしているあだち充の野球漫画よりも、野球の場面、状況描写が実によく描かれている。(あだち充の漫画は、あれはあれで面白いんだけども)

 本作のように野球に青春を費やしている高校球児がいるのでは、と思わせてくれるほどの出来栄えなのが実に素晴らしい。

 野球試合の緊張感や臨場感、練習のシーンが詳細に描かれており、その場にいるかのようにリアルに感じられる。登場人物の関係性や主人公の成長が丁寧に描かれており、主人公の悔しさや希望、努力が如実に伝わってくるところもいい。努力や葛藤が共感を呼んでいる。

 おまけに主人公が、戦う武器としてナックルボールを習得する過程を通して、成長していく姿が描かれている。ナックルボールという特殊な技術に焦点を当てているところも、興味深い。

 ほぼ無回転でボールを投げることが特徴のナックルボールは、縫い目が空気抵抗を受けることで、ボールが不規則に変化する。通常、球速は遅めで、時速100キロ未満のこともあるが、近年では時速130キロ程度の速いナックルボールを投げる投手も出てきている。

 ナックルボールの握り方は、指の第1関節(ナックル)でボールを握る説があるが、これは名前の由来の一つの説に過ぎない。ボールの変化は、縦、横、前後の三軸方向にランダムに発生し、必ずしも「揺れながら落ちる」わけではない。

 投げた本人でさえどこに落ちるのかわからない。だから、ボールを取るキャッチャーも取るのが難しく、バッターも打ちづらい。ナックルボールは制御が難しいため、失投すると簡単に打たれてしまう「諸刃の剣」的な性質をもつ球である。 

 

 長い文にならないよう三行ほどで行変えを行い、一文が長くならないよう句読点を入れ、短文と長文を組み合わせてリズムを良くして感情を揺さぶってくる。ときに口語的で、主人公の内面や感情が詳細に描かれ、会話が多く、テンポが良い。セリフから登場人物の性格が感じられる。野球の専門用語や技術的な描写が多く、リアリティがあるのも特徴。

 五感の描写では、視覚や聴覚、触覚がよく描かれている。

 視覚では、試合中の緊張感やボールを握るときの描写、河川敷グラウンドの風景、寿の投げるナックルボールの無回転や不規則な動き、打者の表情、打球の飛び方、選手たちの動きなどが詳細に描写されている。

 聴覚では、バットにボールが当たる音、キャッチャーミットに収まる音、寿や監督の声、審判のコール、観客の歓声が臨場感を持って描かれている。

 触覚では、ボールを握る感触、手汗の不快感、投球時の腕の動きや感覚、力の入れ具合などが具体的に描写されている。

 臨場感を感じるのは、視覚や触覚など、他の感覚描写を組み合わせながら、主人公の行動、思考、感情をあわせて描いているからである。

 たとえば「グラブの中で手を動かし、握りを変える(行動、触感)。人差し指・中指を縫い目にかけ、そのまま残りの指で支えるのが、僕流のカーブ(思考、視覚)。これで抑えられなきゃ、終わりだ(感情)」

 通常は、思考→行動→感情の順に描く。

 だけど、緊張感を生み出すときは先に、行動を描く。

 行動の情景、思考の語らい、最後に感情の感想を添えることで、主人公の気持ちに読み手は共感し、その場にいるような感覚を覚えるのだ。

 野球の知識や描写だけではなく、文章の書き方、表現が上手い。


 主人公である上井の弱みは、ストレートの速度が遅く、変化球のキレも足りないこと。また、精神的にも自信を持てず、 緊張感やプレッシャーに弱い場面がある。精神的に揺さぶられやすく、挑発に乗りやすい。試合での失敗が続くことで自己評価が低く、一軍に上がれない。

 そんな弱みがあるから、克服しようと三浦と練習するし、間藤学園の強豪選手たちに絡まれ、寿との出会い、ナックルボールに魅了されて、自分のものにしようとする展開となり、面白いドラマになっている。

 本作は、努力の過程を描いている。

 主人公の敵対する悪は、間藤学園の強豪選手だけでなく、主人公自身の弱さでもあった。

 ナックルボールを身に着け、小さな成功を積み重ねていく姿に、読み手も、頑張れと応援したい気持ちを抱いて感情移入していく。

 主人公の目標が明確に書かれ、性格や価値観、過去にどのような行動を取ったか、直面している問題や葛藤を描写されているので、主人公が、間藤学園との練習試合で三浦とバッテリーを組んで投げるのは予測は着く。

 高速ナックルとはあまりに球速が違うため、タイミング外しとして使える『2つ目のナックル』のシェイクを投げる展開は、予想外で驚きと興奮を覚える。

「シェイク」は、ナックルボールのように揺れながら落ちる変化球の一種。元千葉ロッテマリーンズの投手、小宮山悟が開発したもので、二〇〇五年に初めて公開。シェイクは、フォークボールの握り方と基本的に同じで投げ、無回転で揺れるように変化するという。

 決め球にナックルを使うか否かの駆け引きに、他の球種が必要になる。投げるフォームが同じなため、バッターのところへきたときにどう変化するのかは読みづらい。

 しかも、ファーボールとはいえ、ナックルが打たれる。シェイクも打たれる。おまけに挑発され、寿やボールも馬鹿にされる。

 弱気になるも、寿の言葉に自身を取り戻し、自分のナックルボールを信じて全力で投げて抑え込むことで、弱かった自分を克服する展開は、読んでいて清々しかった。

 

 これだけ書けるならば、嗅覚や味覚の描写を織り交ぜて、さらに臨場感を増すことができそう。脇役の背景や個性をもう少し描写したり、試合や練習以外の日常生活の描写を増やすことで、キャラクターの人間味を引き立てたり。主人公の内面を更に深めて感情の変化をより鮮明にしたりすると、物語にどっぷり使って読むことができる作品になるかもしれない。

 でも、それをするだけの字数がすでにないので、本作はこれで十分な出来だと思う。


 上井の成長や努力がリアルに描かれたいい作品だったと思い、読後感が本当に良かった。

 読後にタイトルを読み直しながら、ナックルズというのなら、相棒の三浦の成長もほしかったかなと、ちょっと思った。


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