雪融けのケロイド

雪融けのケロイド

作者 冷田かるぼ

https://kakuyomu.jp/works/16818093080252201954


 冬佳が文芸部の三年生、春松優斗に一目惚れして、文芸部に入部し、先輩への恋心を短歌に込めるも伝える勇気はない。その後、手紙に書き留め、部室のゴミ箱に捨てることで自分の恋心を終わらせる話。


 純文学的現代ドラマ。

 割礼の話。

 詩的で、繊細な表現がすばらしい。


 主人公は女子高校一年生、藤野冬佳。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。詩的で繊細な表現が特徴的。キャラクターの心情や人間関係をリアルに描く。主人公の内面的な葛藤や感情を深く掘り下げ、会話と内省が織り交ぜられている。短歌を通じて感情を表現する手法が物語に深みを与えている。

 恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の流れに準じている。


 藤野冬佳には小学生からの幼馴染、水村秋乃がいる。秋乃はいつも、自分のことを一番わかっていながら、秋乃自身の思うままに行動してしまうずるい人、と冬佳は思っていた。

 藤野冬佳は、高校初日に学校で見かけた三年生の春松優斗に強く引かれる。幼馴染の水村秋乃と部活見学し、文芸部を訪ねる。すると以前見かけた彼がいた。文芸部は候補。主人公はチア部を見に行きたい秋乃に折衷案を出すも、機嫌を損ねさせてしまう。

 彼は文芸部の部員であり、文芸誌の作品に感銘を受けた冬佳は、彼と同じ部活に入ることを決意する。

「勝手に部活入るとか信じらんない、一緒に入るって言ったじゃん」

 怒る秋乃は、自分も文芸部に入るといい出す。放課後、彼女とともに文芸部へ行き、入部する。初めて書いた小説を彼は褒めてくれた。帰り、秋乃は、彼に恋心を抱いていることを告白。応援してよと言われ、自分の感情を抑え込むことができず、答えられなかった。主人公は自己嫌悪と葛藤を深めていく。

 その後、冬佳は自分の感情を抑え込むために物語を書き続け、その過程で自己嫌悪に直面。自分の作品が拙く、醜く、汚いと感じ、自分自身の価値を疑い始める。

 六月中旬、彼が部活を引退する日。作品を作る気配のない秋乃に顧問の先生がしびれを切らし、短歌コンテストのプリントを主人公に押し付けた。秋乃はともかく、主人公に短歌づくりは向いていない。それでも書いて出せと言われ、主人公と秋乃は、短歌コンテストのために短歌を書く。主人公は自分の恋心を短歌に込める。

「なになに、冬佳も恋してるの? 聞いてない、教えてよ」

 にやにやしながら話しかけてくる秋乃。わかっているくせに、と言葉が出そうになる。先輩と居られる最後の部活を、濁った気持ちで過ごしたくなかった。主人公は、席に戻って書きかけの小説を再開。最後の部活は終わり、秋乃が一緒に帰りませんかと声をかけている。

「黒板消しておきますね。お疲れ様でした」

 二人が出ていったあと、主人公は黒板の短歌と向き合う。自分のはすぐ消えたのに秋乃の短歌は全然消えず、チョーク粉が雪のように降り注ぐ。消し終えて部室を出ると、眼の前に彼がいた。

「はは、なんか、地雷踏んじゃったみたいで一人で帰っちゃった」

 納得行く展開。安堵感が胸に広がりながら薄情だと思っていると、

「こうなったらふゆちゃんを暗い中一人で帰すわけにもいかないし、待ってた」「あ、チョークの粉付いてるよ」

 彼は肩をぱっぱと払ってくれた。一緒に階段を降り、歩きながら短歌を褒められる。学校生活のしょうもない日常話や、今年の文芸誌の話、先輩の進路など、とりとめのない雑談を続けていたら、あっという間に家に着いてしまう。

「じゃあ、引退とは言ってもまた時々は部活に顔出すと思うからさ。またね」

 自転車に乗って、反対方向へと帰っていく先輩に手を降った。逆方向なのに送ってくれてなんて優しい人だと思いつつ、自分が断ればよかったのにと罪悪感を抱く。

 夜中に目を覚まし、彼に一目惚れした想いを手紙に綴っていく。

 小説を書きたくて書いているのではなく、感情を押し込めるために書いていたことを、文芸部に入って気付いた。自分には小説は向いてない。彼に読んでもらう必要はない。無理だけど、もし明日の私にこれを渡す勇気があったら渡そうと思いながら、書き終える。最後の一文「もう、ひどく恋しい貴方と二度と関わらないで済むことを願います」と、歪んだ文字が意地を張っている。

 翌朝、秋乃は家に来なかった。一人で部室へ行くと、消せたはずの短歌の跡が残っている。さよなら、先輩。ごめんなさい。直接先輩に気持ちを伝えることができず、恋を捨てる様に想いをしたためた手紙を部室のゴミ箱に捨て、自身を解放するのだった。


 部屋に充満したラベンダーの香りのする鬱陶しい朝の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どんな関わり合いを持ちながら、どのような結末を迎えるのか、興味を持って読み進めていく。

 詩的で感情豊かに書かれていて、主人公の内面、葛藤を深く掘り下げることに重点が置かれているところが、読み応えがあって面白かった。


 主人公は、内向的で自己嫌悪に陥りやすく、自分の気持ちを言い出せない性格、孤独を感じるところや、一目惚れした彼を好きになる幼馴染に応援してと言われるなど、かわいそうに思えて共感したくなるようなキャラクター。

 母親や毎日のように迎えに来て声をかけてくる幼馴染の秋乃がいるなど愛される存在で、自身も彼に一目惚れするといった人間味があること、それでいて子どものような純真さがあって、幼馴染の秋乃の意見に流されるわけではなく、弱みがありながらも自分の気持ちを大事にしてやり抜こうとするところにも、共感を得やすい。


 一人称、主人公が語り手。モノローグで書けるため、読みやすく、わかりやすい文章で表現でき、彼女の心情が明らかにわかり、感情移入しやすい。

 自身の内面を描くときに伝えるのではなく、動きで示す書き方をしているところはいい。

 とくに、五感を駆使した描写であふれているところがいい。

 ラベンダーの香り、パンの焼ける匂い、春の暖気、夕日の光、梅雨のじっとりとした空気、チョークの摩擦音、オレンジのアロマオイルの香り、新品のキーボードのさらさらした手触り、秋乃から仄かに香った期待、春の終わりを告げる生ぬるい風など、視覚だけでなく、嗅覚や聴覚、触感を刺激する描写が全体的に散りばめられて描かれており、読者自身の記憶を思い起こさせて追体験させ、物語世界をリアルに感じさせているところが、非常に良い。


 一文が長く、読点を入れてほしいところもあるけれども、全体的に見れば文章は長すぎず、ときに口語的だったり、短い分と長い分のバランスをつけているところもあって、リズムカルな文章から感情を伝えてくる。自然な会話が意識されていて、セリフから登場人物の性格が読み取れる。終盤はともかく、一つの段落が五、六行くらいに区切り、間に会話を挟んでリズムとテンポを良くし、読みやすくしている。


 冬佳の弱みは、自分の感情に対する不確実さと他人との関係性に対する不安、自己嫌悪と自己否定、自分の感情をどう表現すべきか迷いがあるところ。

 春松先輩に対する感情を抑えきれず、彼女の行動を左右する。また、幼馴染の秋乃との関係も微妙で、彼女の気持ちを理解しようとするものの、常に失敗してしまう。

 自分の小説を「拙くて、醜くて、汚い」と評し、自身を「薄情な人間」と評価する。

 秋乃が先輩に恋心を抱いていることを知ったとき、自分の感情を抑え込むことしかできず、自己嫌悪に陥っていく。

 先輩に対して抱いている恋心に、罪悪感を抱いてしまっている。

 揺れたりぶら下がったり、こうした弱さがあるから、本作のドラマが興味深く展開されていくのだろう。

 完璧な人はいない。十代の若者はとくにそう。高校生になり、部活を見学し、入部、先輩との交流や友人との会話、恋など、読者層である十代の若者との共通点であろう。

 

 恋愛ものなので、好きになってもらおうとする過程が描かれている。敵対する幼馴染に対し、主人公が好きになった人と結ばれてほしいと願わせてくれる構図ではある。


 一目惚れという普遍的なテーマを、新鮮で感情豊かな視点で書かれている本作。五感を用いた詳細な描写と主人公の性格や価値観、直面している問題や葛藤について、内面世界を深く掘り下げつつ、感情の揺れ動きを丁寧に描き出しており、どんな行動を取るのかは予測しやすい。

 短歌に想いを込めたの予想を裏切る展開、ラストの展開にも意表を突かれ、興奮と驚きを感じられたと思われる


 高校初日の朝、起きたところからはじまり、高校生活をスタートさせていく様子が細かく描かれていく。そのため、進行がやや遅いと感じるかもしれない。

 朝起きて、ご飯食べて登校する書き出しは、よく見かける。幼馴染との関係性を書く必要があったからだと思うけど、玄関先で会うか、登校途中から書き出すとかして、秋乃の描写を深めても良かったのではと考える。

 先輩と出会い、主人公と幼馴染が文芸部に入部するまでを全体の三分の二を要し、その後は先輩最後の部活の日が描かれている。そのせいもあってか、秋乃や先輩が何を考え、感情や動機がもう少し知れたらいいなと考える。

 主人公の内面がよく書かれている割に、高校生活の他の場面が書かれていない。家、幼馴染がいない教室、部活のとき、ずっと同じなのだろうか。他の側面もあると、より主人公が描けるのではと考える。


 主人公の部屋に漂うアロマはラベンダー。リラックス、鎮痛効果に優れ、リラックスるのに適したオイルの一つ。

 対して、先輩はオレンジ。

 甘い香りが特徴で、リラックス作用もあるが、気分を鎮静しすぎることなくリフレッシュさせてくれるオイル。

 使っているオイルが、それぞれのキャラクターの性格を表しているのではと考えられ、この時点で、二人の恋はうまくいかないかも、と暗示しているのではと推測する。

 どちらかといえば先輩は、幼馴染の秋乃と近いと考えた。

 けれども、「はは、なんか、地雷踏んじゃったみたいで一人で帰っちゃった」とあるので秋乃は、スイートレモンやグレープフルーツといった爽やかな柑橘系オイルが似合うキャラクターかもしれない。


 自己嫌悪が強すぎるのは、ラベンダーのせいかなと考えた。

 最後、主人公は自分の感情を抑え込む結末を迎える。

 部屋にはずっとラベンダーの香りが充満していることを、夜中に目を覚ましたときに描かれていたら、よかったのではと邪推する。

 でも。ベッドに入る前に加湿器をつけて焚いたのは、こっそり買ってあったオレンジのアロマオイル。

 オレンジは先輩の象徴。

 先輩への思いをつのらせては、幸せになるのが怖く、迷惑をかけてしまうならば諦めてしまえばいい、死にたくなるような恋をそのままにしておいては行きていけないからと、毛布をかぶってオレンジの香りから逃げてしまう。

 鎮静効果と元気になる香りは、喧嘩してしまう。

 だから二人は結ばれない結末を迎えるのはわかるけれども、主人公が自分の感情を抑え込む理由が描かれていないので、その部分をもう少し詳しく描けていたら、心情により深みが出るのではと考えなくもない。

 周囲よりも内面がよく描かれているので、自己嫌悪を抱きやすい子供のような性格をしていると感じた。

 おそらく、そんな考えに至ったのは、幼馴染の秋乃の影響があったのだろう。

 わかりにくいけれども、主人公は彼女なりに殻を破ろうとしていており、幼馴染との関係を精査して、先輩との恋を終わらせる結論を選んだ。だから自身の感情を開放でき、新たな自分へと一歩進めたのだろう。

 

 ケロイドになった傷跡とは、初恋が実らず終わった証。

 本作は、割礼を描いているのだ。

 子供から大人になるための必要な儀式であり、広くは、入れ墨を入れたり、バンジージャンプしたり、髪を染めたりピアスを開けたり。自身の身体に傷をつけることで、大人の仲間入りをする。

 親からもらった身体が無垢な状態にあるのは、まだ子供だという意味であり、冒険にでて擦りむいたり転んだりして怪我をして帰って来ることで、以前よりも一回り大きくなることが成長には必要なのだ。

 主人公が、自身の感情を抑え込んで恋を終わらせたのは、傷を作って大人になろうとしたからだろう。


 読後、タイトルを読み直しながら、雪のような無垢だった主人公は一目惚れの恋を終わらせ、ケロイドの跡を作り、成長した。

 つぎはいい恋をして、実らせることを切に願う。


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