こもれびを言葉にのせて
こもれびを言葉にのせて
作者 沢田こあき
https://kakuyomu.jp/works/16818093074487706050
コズエは、交通事故で亡くなった姉ヒナタの影響を強く受けている。ヒナタの言葉や存在がコズエの心に深く刻まれており、母親との関係もぎくしゃくしている。ある日、コズエはヒナタの思い出のラジオを通じて、ヒナタの声を聞く。ヒナタの言葉に触れることで、コズエは自分の感情と向き合い、母親との関係を修復する話。
現代ドラマ。
ファンタジー要素もある。
相変わらず、さすがだと感服する。
詩的な表現と感情の深さが魅力的。
言葉の力や家族の絆という普遍的なテーマも、多くの読者に共感を呼ぶにちがいない。
主人公は、コズエ。一人称、わたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。
母は絡め取り話法、コズエは女性神話とメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
ヒナタの言葉はいつもコズエを苛立たせながらも惹きつけてやまなかった。交通事故で亡くなった姉ヒナタがいなくなった後も、その言葉はコズエの頭の中で響き続けていた。
ある日、コズエはヒナタがフリーマーケットで見つけたポータブルラジオのスイッチを入れる。ラジオからはヒナタがよく口ずさんでいた曲が流れ出し、コズエの母親はそれを消すように命じる。コズエは母親の命令に従うが、心の中ではヒナタを失った悲しみと母親との関係に対する苛立ちが募っていた。
コズエはラジオの音量を最大にして母親に反抗するが、母親はラジオを消し、コズエは家を飛び出す。丘を駆け下り、林の中でラジオを再びつけると、『寂しそうな顔してるよ』ヒナタの声が聞こえてくる。『みんなはあなたをよく知らないだけ。大丈夫よ。わたしが隣にいるから。わたしならコズエのことをわかってあげられる』ヒナタの声はコズエを慰め、彼女の感情を理解しようとする。
コズエは幼い頃の記憶を思い出す。
近所の子どもたちの遊び仲間に入れてもらえなくて、公園の隅でぽつんと立っていると、『コズエが一人でいたくなかったら、いつでもわたしを呼んでいいのよ』顔を覗きこんでほほえむヒナタ。でも内心、「勝手なこといわないでよ。寂しい思いなんかしたことないくせに」と嫉妬が入り混じった感情を抱いていた。
『言葉ってなんのためにあると思う?』
聞こえづらくなった声を追いかけてダイヤルを回すと、しまっていたはずの記憶がまた浮かび上がる。お父さんが家を出ていった夜、二人で並んで寝たベッドの中で、ヒナタがふと口にした言葉だった。
『言葉はね、心をのせて届ける道具になるの。上手に使えば、どんなに遠く離れた相手にも、受けとってもらうことができるのよ。だからコズエ、届ける言葉も、受けとる言葉も、大事にしてね』
ダイヤルを回しても、もう彼女の声は聞こえてこない。
ヒナタの優しい言葉が、妬ましくて腹だたしくて仕方なかったが、綺麗な言葉を使えるようになりたいと願っていた。どうしてわたしは、間違った言葉の使い方しかできないのだろう。
「お願いヒナタ、何か話してよ。隣にいてよ。ヒナタがいてくれないとわたし、どんな言葉を使ったらいいかわかんない」
声を上げて泣いていると、母親がコズエを見つけ、二人はお互いの感情を言葉にして伝え合う。
「あなたを遠ざけるような態度をとってしまってごめんなさい。一人で抱えこませてしまったわね。ヒナタがいなくなった悲しみを、言葉にするのが怖かったの。あなたがどうでもいいわけないじゃない。コズエもヒナタも、大好きなんだもの」
母親はコズエに対する愛情を再確認し、
「わたしも、ごめんなさい。ひどいこといってお母さんを傷つけちゃった」
コズエも母親に対する誤解を解く。ヒナタの言葉が二人を繋ぎ、沈黙から救い出してくれたことを実感する。
いつか自分も言葉を上手に使えるようになりたいと願うコズエは、ラジオのノイズに混じって、ヒナタの優しい声が、そっとささやいたような気がした。
四つの 構造で書かれている。
導入 ヒナタの言葉と存在がコズエに与える影響が描かれる。
対立 コズエと母親の間にある緊張と対立が明らかになる。
転機 コズエがラジオを通じてヒナタの声を聞く。
解決 コズエが母親と和解し、ヒナタの言葉の意味を理解する。
ヒナタの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
主人公のモノローグによる書き出し。
遠景でヒナタの言葉について(思考)示し、近景で具体的に説明(感情)して、心情でポータルブルラジオのスイッチを入れる(行動)を取っている。
ヒナタがフリーマーケットで見つけたラジオで、流れてきたのはヒナタがよく口ずさんでいた、「淑女が流す涙のような」しっとりとした静かな曲調が流れてくる。
かなしくて寂しい曲、バラードでもあるだろう。
決して明るくない。
静かでしっとりと、ゆったりとしたテンポ、それでいて感情的でクラシカルな要素があると想像する。ショパンの「ノクターン」や、エリック・サティの「ジムノペディ」のような曲だったかもしれない。
母に消すようにいわれ、ラジオを切ると「ページを繰る音が大きく響き、以前は会話で埋まっていたはずの、何もなくなった空間に、じわじわと吸いこまれていった。またこの沈黙。こんなときはいつも、自分が消えてしまったような気分になる」いたたまれないような、孤独と窮屈さを感じ、共感する。
しかも、姉のヒナタがなくなって一年が経とうとしているとわかる。それは悲しく、共感を抱く。
姉の持ち物であるラジオで、姉がよく歌っていた曲が流れてきて、おまけにその歌は「淑女が流す涙のような」曲なのだ。母としては、傷口に塩を塗られているような、悲しさと辛さと責め立てられているような感覚を覚えただろう。だから、消すようにいったのだろう。
「ううん、そうじゃない。ヒナタが生きていたときだって、お母さんはわたしのことなんかぜんぜん見てくれていなかった」
姉は三つ年上。「明るくて美人で、何をやらせても完璧にこなしてしまう少女だった」とある。
父親が家を出ていった後、母親としては、まだ幼いコズエよりも長女のヒナタを頼るだろう。そもそもヒナタはしっかりしている性格だったらしいので、なおさらだ。
その様子が、コズエには自分を見てくれていないと思ったに違いない。
コズエがラジオを付けるのは、姉がいなくなって寂しいからだろう。姉を身近に感じられる象徴は、ラジオしかないのかもしれない。
「何でもいいから言葉がほしくて、沈黙なんか聞いていたくなくて、すがるようにラジオのスイッチを入れた。カチリ」とある。
「以前は会話で埋まっていたはずの、何もなくなった空間」で聞こえていたのは、姉の声だったかもしれない。
ペットの犬が留守番するとき、テレビやラジオの音が聞こえていると、人の気配を感じられるから寂しさを感じにくくなり、落ち着きやすいという。
コズエが「何でもいいから言葉がほしく」は、寂しさもあるだろう。それに、母親と二人、うまくいかない。姉がいたときは大丈夫だった。この状況をなんとかする、いまを救う言葉を、コズエは求めていたのだ。
デジタルよりもアナログで、周波数を合わせてきくラジオは、ノイズがよく交じる。むしろ、ノイズばかりでその向こうにかすかに人の声がする、そういうラジオを聞いたことがある人なら、コズエが聞いた。ノイズまじりの人の声は想像できるだろう。
本当にヒナタの声だったのか、そういっているのかはわからない。
ノイズの中に人の声がして、姉に似た声だと錯覚し、昔に姉から言われたことを思い出したのかもしれない。
長い文ではなく、数行で改行。句読点を用いた一文は長くない。
短文と長文を組みわせテンポよくし、感情を揺さぶってくる。ときに口語的。登場人物の性格がわかる会話文。ヒナタの言葉や自然の描写が詩的で美しく。物語に深みを当ててくれているところが良い。コズエの内面の葛藤や感情が丁寧に描かれていて、共感を呼ぶ。
言葉の力と対話の重要性、家族の絆という普遍的なテーマが扱われているのも、本作の良いところ。
五感の描写は、非常によく描けている。
たとえば、「のどかな午後だった。絹のような(比喩)風がさらさら頬をなで(触覚)、カエデの葉から落ちたこもれびが、足もとでたゆたっていた(視覚)。そのとろりとした光はとても温かくて(触覚)──なのに指先は冬の日みたいにかじかん(触覚)で動かなかった」というように、複数の感覚描写を用いて、臨場感を描いている。
視覚は、自然の風景や光の描写が豊かで、特にこもれびや雨に濡れた葉の描写が印象的。
聴覚は、姉ヒナタの声、ラジオの音や自然の音(風や雨の音)が効果的に使われており、物語の雰囲気を高めている。
触覚は、冷たいシーツや風の感触、涙が頬を伝う感覚など、触覚的な描写がリアルで感情に訴えかけてくる。
嗅覚は、雨の匂いや草花の香りが描かれており、場面の雰囲気を豊かにしている。
味覚の描写は少ないが、感情の「苦さ」が表現されており、コズエの内面の葛藤を感じさせている。
状況描写、比喩もうまい。物語の感情的な深みと読者の共感を引き出すために効果的に使われている。
「ポータブルラジオのスイッチを入れる。ダイヤル式のレトロなこのラジオは、ヒナタがフリーマーケットで見つけてきたものだ」は、具体的なイメージを描いて、場面の様子を鮮明にしている。
「丘を駆けおりて、林の入り口に生えている松の下にしゃがみこむ」は、主人公の行動と背景をくわしく描き、読者をその場に引き込んでいる。
「お母さんの瞳は曇りガラスのようになってしまって」は、母親の感情状態を視覚的に表現、読者にその悲しみを伝えている。
「涙が頬を伝い、まるい粒となって地面に落ちていく」は、主人公の感情の高まりを視覚的に表現し、その痛みを感じさせている。
「激しい音が滝のような勢いで流れでて」という比喩は、ラジオの音がどれほど強烈であるかを強調し、感情の爆発さを象徴している。
「ヒナタの言葉がこもれびを届けてくれたみたいに」は、ヒナタの言葉がどれほど温かく、希望をもたらすものだったかを表現している
「カエデの葉から落ちたこもれびが、足もとでたゆたっていた」は、自然の美しさと静けさを視覚的に表現し、雰囲気を豊かにしている。
「冬の名残を含んだ風が、丘を走りぬけていく」は、季節の移り変わりとともに主人公の感情の変化を象徴している。
主人公の弱みは、自己評価の低さ。コズエは自分を「できそこない」と感じている。姉ヒナタと比較し、劣等感を抱いて苛んでいる。
また、感情の抑圧も抱えており、自分の感情をうまく表現できず、母親との関係がぎくしゃくしている。
『言葉はね、心をのせて届ける道具になるの。上手に使えば、どんなに遠く離れた相手にも、受けとってもらうことができるのよ。だからコズエ、届ける言葉も、受けとる言葉も、大事にしてね』
かつて、姉が言った言葉を、主人公は忘れていた。
でも、ラジオのノイズの中できいた姉の声から思い出すことができた。
「ついさっきお母さんに叫んでしまった言葉が、ノイズと一緒に目の前を回りだす。どうしてわたしは、間違った言葉の使い方しかできないんだろう。お母さんとわたしの距離は、今も遠く離れたままだ」
主人公は自分の欠点に気づけたけれども、
「お願いヒナタ、何か話してよ。隣にいてよ。ヒナタがいてくれないとわたし、どんな言葉を使ったらいいかわかんない」
抱えたひざに顔をうずめ、声をあげて泣いてしまう。
そもそも主人公の年齢がいくつなのかわからないが、姉が高校生だったら中学生だし、ヒナタが中学生なら主人公は小学生。
わからないと泣いて、母親が探しに来てくれて抱きしめてくれるのは小学生、中学一年までが受け入れられやすいのではと考える。
「ああ、ヒナタ。あなたの言葉が忘れられないのは、そこにのっていたあなたの心が、こんなふうに温かかったからなのね。まるで、むかし公園で見たこもれびみたい」
ここが、凄くいい。
言葉に、ヒナタの心がのせられていたから、どんなに遠くても相手に届くのだ。
ラジオのノイズから聞こえた声も、ヒナタの心がのっていたから、なくなったあとでも、主人公に届いたのだ。
二人が仲直りしたときの、荘厳な状況描写が印象深い。
「丘の上の草花は、黄金色に笑いさざめく。舞い踊る風がまとうのは、高く透明な鳥の声。流れていく雲はゆっくりとした春の時間をにじませて、雨に洗われた松の葉のすき間から、淡い光がさしている」
まるで、自然や世界、宇宙のすべてが祝福してくれているかのようだ。
「いつか、言葉を上手に使える日がくるだろうか。誰かに寄り添い、誰かを救うことが、わたしにもできるだろうか。あなたの言葉がこもれびを届けてくれたみたいに」
主人公が思い、問いかけると、「ラジオのノイズに混じって、優しい声が、そっと、ささやいたような気がした」と締めくくられている。
きっと、「大丈夫よ」とささやいたと想像する。
読後。タイトルを見直しながら、実に素敵な作品だったと手を叩く。感情の深さと詩的な美しさが素晴らしい。ヒナタの言葉や自然の描写が美しく、心に響く作品に間違いない。
涙を誘いつつ、読後も良かった。
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