さよならの速さを教えて下さい

さよならの速さを教えて下さい

作者 千桐加蓮

https://kakuyomu.jp/works/16818093084555091459


 教育学部在学中の事故で教師になる夢を断たれ、現在は孤独な生活を送る主人公のもとに妹の有希が訪れる。手渡された写真をきっかけに兄妹の絆を再確認し、自分自身の生き方や過去との向き合い方を見つめ直していく話。


 現代ドラマ。

 また凄いものを。

 さよならの意味について深く考えさせられる。


 主人公は、妹の有希から「先生」と呼ばれる事故で記憶を失くし、自堕落な生活を送る三十歳男性。一人称、僕で書かれた文体。有希からのメールは、彼女の一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 主人公は、かつて教育学部に所属していたが、ある雨の日、歌手のようでアイドルに近い存在だった母のストーカーが運転する車に衝突され、母は即死、主人公は意識不明の重体、妹も血だらけで病院に搬送される。犯人は運転席で死亡が確認された。 

 事故によって記憶を失った主人公は現在、自堕落な生活を送りながら、古いアパートで生活している。

 ある冬の日。主人公のことを「先生」と呼ぶ妹の有希からメールをもらう。人間の記憶や雨の落ちる速さなどを例に挙げながら、「さよならの速さ」について問いかけられる。

 妹の有希がアパートを訪れ、過去の写真を受け取る。スーツ姿で子どもに囲まれていた。主人公は事故の記憶や母親の死、現在の生活について考える。

 妹の涙を見て、さよならの速さについて考え、『もう、僕は先生を辞めさせていただきます』写真の裏に書く。

 物事の基準は今しかなく、自惚れも自滅する人もいない世界で生きていることを誇りに思い、誰かを救えると信じて生きていたいと願う。「有希、先生って呼んでくれてありがとう。もう、学校の寮に戻っていいよ。来てくれてありがとう」妹に感謝の言葉を伝え、さよならの速さの答えを見つけていく。


 四つの構造で書かれている。

 序章、主人公が自堕落な生活を送る日常描写。

 展開、妹・有希の訪問と過去の写真を通じた回想。

 クライマックス、主人公が「さよならの速さ」を問いかける場面。

 結末、主人公が生き方を見つめ直し、未来への希望を見出す。


 さよならの速さの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どうか変わり、どのような結末に至るのか気になる。

 手紙の書き出しに興味がそそらえる。

 冒頭の客観的状況は、妹から送られてきたメール。おまけに実に意味深な内容に、なんだろうと思わされるところが良い。

 遠景で「拝啓、先生はいかがお過ごしでしょうか」と主人公を先生と呼び、近景で「今日は、さよならの速さを教えて下さい」問われ、心情で人の脳が忘れることについて、雨の落下時間を踏まえて、念を押すように「さよなら、はどれくらいの速さなのでしょうか」と問いかける。

 答えが簡単に出せない謎をかけられる主人公に同情し、共感を抱く。相手の子は、「どれくらいのスピードで追いかければ、さよならの相手に辿り着くのでしょうか」と問いかけ、先生とはサヨナラしたくない、でも先生のメールから絵文字が消えている。さよならをするつもりではないのか、粗相をしたのか、飽きたからなのかと、心配する内容が綴られている。

 この時点では、先生と生徒という関係なのかと考えられるので、何かしら特別な関係なのかと、気になり共感を抱く。

 

 それでいて、「僕のことを、先生と言って慕うとは。馬鹿げた女子高校生だ。スマホの画面をメールアプリからホーム画面に戻し、小さくため息を吐く」とあり、先生と生徒という関係ではないらしいことがわかる。

 では主人公はなんだろう。

 興味が移るとともに、「僕は毎日、朝から晩まで浴びるように酒を飲んで寝、自堕落な生活を送っている」と、先生と呼ばれるには似つかわしくない生活を送っている。


「自堕落な生活を送っている僕にも、時々「やらなくては」と思うことがある。それが、あの小さな窓から見える風景をカメラで撮影することだ」

 そういって、窓からカメラをかまえて何気ない風景を取っている。

 

「『あなたはどうして生きているのですか?』そう聞かれると、僕は答えられなくなる。いや、おそらく死ぬことが怖いから、生きているのだろうと思うだろう。だけどそれは、ちゃんとした理由になっているのか」

 難しいことを考えている。

 人は、その答えを探すために生きている。答えなどない。


「僕が、高校生だった時。生きることに理由なんていらない。生きてさえいればいいことがあるに違いない。そう笑って答えていたのかもしれない。聞いたところ、性格上そんな人だったらしい。さよならの速さを教えてほしいのは、僕も同じだ」

 のちに、主人公は事故で記憶を失くしていることが語られてくるのだけれど、この時点ではまだわからない。ただ、他人行儀に感じる。

 また「さよならの速さを教えてほしいのは、僕も同じだ」からは、最近さよならを体験したのかもしれない、と思わせてくる。


 長い文ではなく、数行で改行。句読点を用いた一文は長くない。

 口語的で、シンプルでありながらも感情豊かな描写が特徴。内省的なモノローグが多く、主人公の心情が丁寧に描かれている。

 主人公の内面の葛藤や寂しさがリアルに伝わってくるところがいい。また、主人公と妹の関係が温かく描かれていて、共感を抱く。

 一番は、「さよならの速さ」という哲学的なテーマが深く掘り下げられているところだろう。

 五感の描写として、視覚は住宅街の風景や天気、部屋の散らかり具合が詳細に描かれている。テレビの映像、写真など。

 嗅覚は洗剤の香りやビールの冷たさなど、具体的な描写が多い。

 触覚はマフラーの感触や冷たいビール缶、歯ブラシの感触がリアルに伝わる。

 聴覚は、玄関扉を叩く音、妹との会話など。

 味覚はミント味の歯磨き粉。


 主人公の弱みとしては、過去への執着。事故前の記憶を取り戻せないことへの苛立ち。

 事故で母をなくし、妹は泣いている。

 兄は、記憶がないから涙をこぼせない。

「いつか思い出す。そう思って生活していたが、とっくに数年が経過していた。この世に生を受けた赤ちゃんが、小学校に入学するくらいの年が経ってしまっている」

 教育実習をしていた形跡があるので、浪人せずに入学していたなら、二十二歳だったと推測。現在三十なので、事故から約八年が経過したのだろう。妹が小学生になったくらいに、事故にあった模様。

 また、自堕落な生活も弱みである。

 自分を変えることができない無力感にあると想像できる。

 事故で記憶を失くしたとあるが、どの程度なくしたのか。

 日常生活ができるので、日本語話せるとか、右手と左手がどちらか、といったことは憶えているのだろう。頭を強く打ったことによる高次脳機能障害で、歩行もままならないこともあるけれど、そういったことはどうなのかしらん。

 忘れたといっても、多くは事故前後の記憶を思い出せないが事故以前の記憶をどこまで失くしているのか。その辺りはよくわからない。

 約八年の間に、覚え直したため、妹だと認識できているのかもしれない。 内省的な描写が多いわりに、そのへんは読み取りにくい。

 そうでなくとも、妹との関係性を知るためにも、対話がもう少し多ければいいのではと考える。

 でも本作は、さよならの速さについて言葉をかわす兄妹の場面を切り取って描いている。記憶喪失はオマケみたいな印象に感じる。

 もっと早い時期、妹が中学生のころに、こういう話はできなかったのかしらん。

 妹は寮暮らしをしている。父親はいないのだろうか。母がなくなってから、兄妹はどうやって生活してきたのかしらん。


 どの程度、記憶を失くしているのかしらん。

 人によるので一概にはいえないが、記憶を失くした場合は、事故以前の記憶をなくす。なので、赤ん坊みたいなものであり、同じように見たり聞いたりさわったりしながら物事をもう一度学習していく。

 ただ、一度なくしたものをもう一度覚え直す場合は、本院の頑張り次第にもよるけれど、覚え直す部分においては早く回復できる。つまり、勉強や知識の暗記。かつて行った場所を訪ねるもいいし、友達と再会して話を聞くのもいい。思い出さなくとも、どういう生き方をしてきたのか、自分史の年表を埋めるように自分で作っていくことである程度は、周りの人間と同じふるまいが早くできるようになる。

 兄をよく知る妹がいたが、当初は妹の存在も分からなかったに違いない。わからないから「どちら様ですか」と聞けると思いこんでいるのは間違いで、忘れた人はそんなことは聞かない。相手をじっとみて観察し、自分との距離を測る。周りの人たちを伺って、なんとなく知っていくのだ。

 入院しているときから、おそらく記憶がないことを把握していたため、周りの人は気遣って接したと考える。

 主人公は、見た目三十かもしれないが、生きてきた時間間隔は八歳の小学生。それでも大人みたいにいろいろと考えることができるようになっている。

 だから、この年齢で、妹はさよならの速さを兄に聞いたのだろう。

 それ以前なら、答えることは容易ではなかったに違いない。


 作中で「さよならの速さ」は、別れの感情やその過程を表現するために、大きく三つのことについて使われている。

・記憶の消失

 人の脳は時間が経つにつれて記憶を忘れていく速度を示しています。別れた相手の顔や仕草、癖を忘れていく過程が「さよならの速さ」として表現されている。

・感情の変化

 別れの寂しさや怖さを感じないまま、日常生活を続ける中で、別れの相手に対する感情が薄れていく速度を示している。

・追憶と現実

 別れた相手を追いかける速度や、別れを受け入れる速度がどれくらいかを問いかけ、過去の記憶と現実の間で揺れ動く感情を表現している。


 他には、比喩として用いられている。

「もし、さよならの速さがわかる教師になっていたら。きっと僕は、大声で泣いていたんだろう」

 ここでは、母の死だろう。

 作品全体では、人生、寿命、天命、生き方、あるいは出会いと別れ、触れ合いを象徴しているのではと考えると、主人公がなにを望んでいるのかが腑に落ちていく。


 読後。タイトルを読みながら、主人公は生き方を教えてほしいと切望していたのだと感じた。母をなくし、記憶を失くし、妹の悲しみをわかってあげられず、思い出すこともなく、自分の生き方もままならない。

 つまらない景色でも、カメラに収めることで何かが変わるかもしれないという期待から新しい記憶を作り、保存しながら現実と過去と向き合い、何かが変わるかもしれないという希望を持ちながら、妹と一緒にカメラに収めることで未来に対する希望や期待を持ち続けていく。

 生きづらさを感じ、孤独や寂しさを抱えている読者も、自分の生き方を見つめ直す主人公の姿に感動を覚え、明日へ向かって歩いていける。そんな作品だと感じた。



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