生死選択基本法

生死選択基本法

作者 一文字零

https://kakuyomu.jp/works/16817330667906342915


 十八歳になると「生か死か」を選択できる生死選択基本法のある世界。セイは疑問に感じて生きている。友人のシンは死を選択しようとするも、セイとの対話で一度は生きることを決意するも、最終的には自殺してしまい、友の死を通じて社会や自分の考えを深く見つめ直す話。


 近未来SF。

 セイとシンの友情や生きる意味について考えさせられる。


 主人公は男子学生のセイ。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。涙を誘う型で、苦しい状況→さらに苦しい状況→願望→少し明るくなる→駄目になるの順に書かれている。


 それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。 政府が施行した【生死選択基本法】により、十八歳になる全ての国民は「これからも生きていくかどうか」を選択できるようになった。主人公のセイはこの法律に疑問を抱きながらも、友人のシンと共にその選択を迎える。

 シンは最初「死」を選ぶが、セイとの会話を通じて「生きる」ことを決意する。しかし、シンは再び絶望し、自ら命を絶ってしまう。

 セイはシンの死を受け入れられず、法律の是非や社会の在り方について悩む。シンの死を通じて、セイは「幸せになりたい」という全人類共通の願いを再確認し、社会問題の解決を模索するが、希望を見出すことは難しいと感じる。

 シンの墓前で、セイは「手遅れなのか」と呟き、彼に手向けられた花々が枯れていく様子を見つめる。


 四つの構造で書かれている。

 導入、生死選択基本法の説明とその背景。

 展開、セイとシンの対話、シンの「死」の選択。

 クライマックス、シンの再考と最終的な自殺。

 結末、セイの内省と社会への疑問。


 生死選択基本法の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 どのような世界か、説明からはじまっている。

 遠景で「『これから生きていくかどうか』を自由に選択できる世界の話」と示し、近景で主人公が生まれてしばらくしてか、政府が施行した【生死選択基本法】について説明し、心情で生きることを選択したものは、これからも社会生活を送ると語る。

 選ばなかったものは、「国から安楽死が認められ、特殊な施設でその生涯を終えることになる」そういう世界の話である。

 主人公が生きているときに、突然そのような法律が施行され、国民全員が生死を考えなければならない状況となって、大変だなと興味を抱く。

 読者層である十代の若者、それ以降の世代においても、希死念慮を抱いていたり、生活苦から生を手放そうと考える人はいるだろうから、興味や関心を抱かせるテーマの作品である。


 尊厳死の考え方に近い「自らの人生の存続の是非を問う権利を認めることは、人権を尊重することに繋がる」論調が強まったことから施行され、ほとんどの国民はこの法律に賛同しているという。

 現代よりも、さらに個人主義が進んだ世界なのだろう。

 家族間の結びつきも、希薄になっているだろう。

 こうした世界での日本の人口はどうなっているのだろうか。

 人口は国力に繋がり、国力は公共サービスにも直結している。経済力も低下し、食料自給率も下がり、国民の税負担率はますます持って増加しているだろう。自殺を選択した人間の私財は没収、すべて国庫に収められることになるにちがいない。

 移民を受け入れている、あるいは今よりも人口が増加しているかもしれない。

 生死選択基本法の背景や社会の状況について、もう少し具体的な説明があると良いのでは、と考える。


「ほとんどの国民はこの法律に賛同しており、学校でもこの法律について教わるようになっている」とあれば、道徳観も変わってきていると想像される。

「自らの意思で生まれてきた訳ではないにしろ、尊い命を自らドブに捨てるような行為は道徳的ではないのではないか」

 こうした考えは、友人のシンにも「親友である前にお互いそれぞれ独立した人間だ。セイは昔から考え方が自殺止めようとしてくるような昔の人みたいなんだよ。時代遅れだぞ」と言われている。

 主人公が、読者と同じような道徳観を持っているのは、親や大人の影響を受けているからだろう。

 カードをめくるように、今日から死ぬことが選べますよとなって、喜んで飛びつくのは、自殺したいと考えている人達で、多くの大人は、そういう選択肢があるんだよ、と明言するのは悪くないけど実際するかどうかは別だよね、と考えているのでと想像する。

 人間は前の世代を否定し、自分たち世代を肯定する考えがある。

 法律を作った世代より前の人は反対意見を持っているだろうし、賛成した人も、自分たちよりも上の世代の考えたことなので、押し付けてくるなと反発意見が出てくるのが自然。

 主人公は勉強ができるので、そうした様々な意見を得て、自分の考えをもって、施行された法律に対して違和感を覚え、死を選ぼうとする友達に対して、「えっ……死ぬって……お前正気か?」「そんな……やめてよ。シンには、生きてて欲しいよ……この世界でも、必ず生きられるよ……」といえるのだろう。

 実に人間らしく、共感する。


 長い文、五行くらいで改行。句読点を用いた一文はそれほど長くない。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶっている。ときに口語的。シンプルで読みやすい。対話が多く、キャラクターの感情考えが対話を通じて自然に伝わりやすい。

 生と死、社会問題をテーマにした深い内容。友情や生きる意味について深く考えさせられるのが特徴。セイとシンの友情がリアルに描かれている。

 五感の描写

 視覚は桜の花が咲き誇る春の描写など、季節感が伝わる。

 聴覚はシンの啜り泣く声など、感情が伝わる音の描写。

 触覚はパンの食感など、日常の細かい描写がリアル。


 主人公の弱みは、内向的なとこ。自分の考えを深く内省するが、行動に移すのが遅い。

 一度は、死ぬことをやめてくれたシン。大学受験の入試日、彼からもうだめだと電話がある。「俺は今すぐにでもシンの元へ会いに行き話がしたかったが、入試会場を飛び出すことは、流石にできなかった」とあり、行けない気持ちはよくわかる。主人公にとっても、大事な受験なのだから。

「秋にオレ、なんとか大学決めて総合型で受けたけど、なんか知らないけど落ちたって言ったじゃんか。そんでよく考えたら、将来やりたいこともないし、もういいかなって思ったわ」

 大学受験がうまく行かなかったこと、やりたいことがなかったことが、彼に死を決意させたらしい。

 また、主人公の弱さとして感情的なこと。シンの死に対して強い感情を抱くが、それをどう処理するかに悩んでいる。

 友人の死をきっかけに、自責の念にとらわれるようになっている。

 シンの内面や他のキャラクターの背景について、もう少し描写があると物語がさらに深まる気がする。

 彼が勉強ができなかったのはなぜだろう。

 主人公は親友だったはず。中学の卒業のとき、「正直言うとさ、お前がもし女だったら絶対お前に惚れてるわ、オレ。マジでそんくらいお前と気ぃ合うよ」といっていた。

 彼は同性愛者だったのかしらん。そうではなくて、それだけ仲が良いということなのだけれども、主人公は勉強を教えたり見たりしなかったのだろうか。一緒に遊んだこともあるだろうから、彼の好きなもの、得意なことも把握できたと思うのだけれども、どうだったのかしらん。


 シンは「あのな、お前は小中高と学校の成績良かったから、分かってくれると信じて言うけど、この社会には様々な苦しみがあるよな? その対価たる幸せってのはな、苦しみの量に見合ってねぇんだよ。これは感じ方の問題だと思うが、オレは人生において幸せよりも苦しみの方が多いと感じるから、オレは死を選ぶんだよ」といっている。

 今も昔も、この点は変わっていない。「この世は苦しきことのみ多かりき」である。不幸なんて、そのへんにゴロゴロしている。それが世の中であり、現代のみならず、時代を下れば下るほど躓いてころぼど世界中にあった。



「そもそも、『幸せになりたい』という思いは、全人類が持つ唯一の共通項だと、俺は信じている」とある。 

 誰もが幸せを求めたがる。そもそも、幸せを求めているところに問題がある。求めるべきは、満足だ。

 幸せは、仕合わせと書く。

 英語ならHAPPY。ドイツ語ではGLUCK。

 すべて、「偶然」という意味である。

 幸せは偶然の産物だと、古代から知られてきた。

 偶然を願って生きる生き方は、がっかりすることが多くなるのは当たり前。なぜなら、偶然はたまにしか起きないし、自分の頑張りや努力、行いとは関係ないから。

 だけど、自分がまじめに努力を尽くすなら、勉強や仕事、生活や生き方においても満足が得られる。

 満足は、自分の行いの結果として得られるものだから。


「人生は修行のようなもの」なのは、はじめからできる人間などいないから。できるように努力して頑張る過程は、辛いことや悲しいこと、ときには理不尽な目に合うこともあるかもしれない。

 理不尽とは、頑張りで得た成果を横取りしていくもののことである。

 たとえば、給料から差っ引かれる税金。そのお金は公共事業や社会福祉など国民生活に使われているが、昼寝をしたり裏金作ったり無駄金に使いすぎて足らないからと、増税を強いてくる人達を養うためにも使われている。

 本作なら、生死選択基本法を施行した政治家であり、そういう風潮や論調に持っていったメディアを含む社会に問題があり、それらは主人公を含めた国民一人ひとりが決めた結果なのだ。

 行き過ぎた個人主義や自由主義が原因かもしれない。どう生きていくのかを考えるなら、前提条件として自殺者を出さないことからはじめるべきだろう。

 だから、社会問題を解決する糸口は自分たち一人ひとりが持っていることにまず気づくことが、第一歩。だから、手遅れではない。

 ただ、たとえ法律が撤廃される世が来ても友人は戻らない。その点は手遅れだと涙を飲むしかない。


 読後。死を考えることで、生き方をより考えることができるところは、本作の良さだろう。友人を生かす道はなかったのだろうか。

 スイスでは一九四〇年代から、特定の条件下で自殺幇助が合法化されており、自殺幇助を受けるには、つぎの基準を満たす必要がある。


・自分の行為を自覚していること

・衝動的な行為ではないこと

・一貫して死にたいという意志があること

・第三者の影響下にないこと

・自身の手で命を絶つこと


 多くの場合、激しい痛みや「耐えられない」症状を伴う不治の病を患っているか、耐え難いほどの障害を抱える人が対象となっている。

 スイスの自殺幇助の法的枠組みは「自殺ツーリズム」と呼ばれ、世界中から自殺幇助を求めてスイスを訪れている。他国での安楽死や自殺幇助に関する議論にも影響を与え、生命倫理や個人の自己決定権に関する重要な議論を引き起こしており、世界的に注目を集めているという。

 生死選択基本法も、法改正が求められていくかもしれない。

 野﨑まどの小説『バビロン』が、ふと浮かんだ。

 

 

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