魚拓

魚拓

作者 よしこう

https://kakuyomu.jp/works/16818093082827043472


 佐山家には先祖代々の魚拓が飾られている。ある日、父・哲夫と引きこもりの次男・隆史は魚拓が生き返るという同じ夢を見、蔵から庄内竿を見つけ、釣りをすると魚拓ほどの鯛を釣る。飾られていた魚拓が色褪せたため倉庫に片付けることとなった際、出てきた古紙の文字を見て、隆史は前向きに生きる決意をする話。


 会話文の書き出しはひとマス下げない等は気にしない。

 現代ドラマ。

 さらっと高校生がこういう作品を書くのかと感服する。

  夢と現実が交錯する描写が魅力的。

 和紙のメッセージが感動的で、前向きな気持ちにさせてくれる。


 三人称、佐山哲夫視点、隆史視点で書かれた文体。シンプルで読みやすい。


 メロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。

 佐山哲夫は六十二歳の男性で、山形県鶴岡市に住んでいる。彼の家には先祖代々の魚拓が飾られており、その魚拓には大きな鯛が描かれている。哲夫には二人の息子がいるが、次男の隆史は三十二歳で無職、家に引きこもっている。

 ある日、哲夫は夢の中で魚拓の鯛が生き返る夢を見始める。その夢は何日も続き、哲夫は庄内藩の歴史を調べるために、鶴岡市立図書館に向かった。歴史書にははじめて魚拓をしたのは庄内藩藩主酒井忠発で鮒。その後酒井公は武士道の荒廃を憂いて海釣りを奨励とある。使った釣竿は竹製の長い竿、名前を庄内竿という。職務に支障が出ないよう、太陽が沈んだあと二十キロの道程を庄内竿を担いで行軍し、その後魚を釣ったという。

 夢の中で見た竹製の釣竿「庄内竿」を実際に見つけ、夢との奇妙な一致に高揚する哲夫はその晩、男が隆史と向かいあって座り、持っていた庄内竿を手渡す夢を見る。

 蔵を探すと、庄内竿がでてきた。哲夫は隆史に夢の話をすると、息子も同じ夢を見たという。

 哲夫は隆史に釣りをさせることにする。

 車で釣り場へと送り届けられた哲夫は釣りをしてみるがなかなか釣れない。そこに中年男性の釣り客が声をかけてくる。隆史ははじめてと話すと、親切な中年男性の助けを借りて大きな鯛を釣り上げる。家に飾られている魚拓ほどの大きさである。

 この経験を通じて、隆史は少しずつ変わり始め、前向きな気持ちを取り戻す。

 次の日、魚拓はかすれてしまっていた。額を外して倉庫へしまわれることとなる。額の隙間に古く黄ばんだ和紙が挟まっていた。

 青取之於藍、而青於藍、氷水為之、而寒於水。

 学び続けよ、さすれば拓ける。

 隆史は前向きに生きる決意をする。


 五つの構造で書かれている。

 導入、哲夫の家族と魚拓の紹介。

 葛藤、隆史の引きこもりと哲夫の悩み。

 転機、哲夫の夢と庄内竿の発見。

 クライマックス、隆史の釣り体験と心の変化。

 結末、魚拓の和紙と隆史の決意


 魚拓の謎と、主人公たちに起こる様々な出来事の謎が、どのように関わり、どんな結末に至るか気になる。


 人物紹介からはじまる書き出し。

 遠景で「佐山哲夫は今年で六十二になる」と示し、近景では、先祖代々の木造家屋に住み、昔と変わらず魚拓が飾られていると説明ぢ、心情で額縁に入れられた魚拓は大きな鯛と釣ったものらしいと語る。

 哲夫の視点で、先祖代々の魚拓について語られていく。

「文字は墨が滲んで読めなくなってしまっている」とあり、この文字を書き写されたものが額に挟まっており、ラストで出てくる「青取之於藍、而青於藍、氷水為之、而寒於水」だったと推測される。


 佐山哲夫と佐山隆史、親子の視点で書かれているが、本作は隆史の話だと考える。彼は引きこもりで出てこれないため、彼の障害をクリアするためのサブキャラとして、父親である哲夫からの視点ではじまっているのだろう。

 父親から、どこに住んでいて、どういう家族構成で、隆史はどういう人間なのかを代わりに語ってもらい、読み手にわかりやすく紹介していく。

 夢を見て、図書館で調べ、釣り竿を蔵で見つけ、隆史に話すと同じ夢を見たと語るのは、隆史一人ではクリアできない障害だったから。

 クリアするたびにサブキャラは退場する。

 釣り竿を受取釣りをすることになってから、それ以降は哲夫が出てこないのだ。釣りを教えた親切な中年男性も同様。

  

 雪深い東北の山形にある、先祖代々の古ぼけた木造の家といったら、きっと大きいのだろうと想像する。なにせ、蔵があるくらいだ。

「当時企業勤めだった哲夫は東京に転勤したときに東京の本社で事務職をしていた美咲と結婚し、二人の子宝に恵まれた」「長男は優秀で国立大を卒業して大企業に入社した」

 この辺りは、憧れや羨ましい思いを感じる。

 次男は優秀な兄と比較し、受験の失敗もあって劣等感を抱き、三十二歳で引きこもりをしている。

「普段は二階の自室に引きこもっているが食事になると下に降りてきて飯を食べる。その度に哲夫は口酸っぱく小言を言うのだが全く聞く耳をもたない。そればかりか逆に開き直っている節がある。これには妻と二人途方に暮れているのだ」

 リアルに描かれている。

家に伝わる魚拓も、「この魚拓、なんで外さないの? 毎回飯の度に頭にぶつかりそうになって邪魔で邪魔で仕方が無いんだよ」というほど。

 可愛そうだなと感じ、共感していく。


 長い文ではなく、数行で改行。句読点を用いて一文も長過ぎることはない。長い文は、説明や落ち着き、重々しさ、弱い感じが現れている。

 夢と現実が交錯する描写、伝統と現代の融合、家族の絆と再生のテーマを描いているのが特徴。

 五感の描写が物語に臨場感を与えている。

 視覚は魚拓の鯛「鱗の一枚まで丁寧に写されており、まるで生きているかのようなその片目はこちらをジーっと睨んでいる」、夢の中の鯛「額縁の中の鯛はピチピチと跳ねて躍りだし、だんだんと色彩も鮮やかになっていった」、夢の中の男「髪を髷に結った背の低めの男が玄関の引戸から入ってくるのが見えた」

釣り場の風景「釣り場に人はいなかった」

 聴覚は夢の中の音「夢の中で額縁の中の鯛はピチピチと跳ねて躍りだし」、釣りの音「鯛はビチビチと体を震わせて暴れていた」、中年男性との会話「『随分と古風な釣竿だねー。』」

 触覚は釣りの感覚「急に隆史の手に電流の走ったような感覚が来た」、魚の感触「男はタモでそいつを掬い上げた」

 嗅覚は古い家の匂い「蔵は埃まみれであった」

 味覚は食事の場面「今日も隆史は食卓に座ると食事をとりはじめた」具体的な味の描写はない。


 主人公の弱みでは、哲夫は次男の隆史に対する無力感と悩み。

 息子に邪魔と言われた魚拓は、「自分が物心付いたときから家にあったものでずっと同じ場所にかかっている」とある。

 少なくとも、六十年くらい前からあるのかしらん。

 同じ夢をみて、気になり、図書館で調べ、「歴史書にははじめて魚拓をしたのは庄内藩藩主酒井忠発で鮒。その後酒井公は武士道の荒廃を憂いて海釣りを奨励とある。使った釣竿は竹製の長い竿で名前を庄内竿と言う」「職務に支障が出ないように太陽が沈んだあと二十キロの道程を庄内竿を担いで行軍し、その後魚を釣るというのだ」とあり、夢でみたのは明け方だとしていることから、江戸時代から伝わっている魚拓だといいたいと推測。

 しかも、蔵には庄内竿も出てくる。

 家にある魚拓は佐山家の歴史であり、家宝でもあっただろう。夢の話をしたのも、けっして邪魔扱いするようなものではないことを伝えたい思いもあったと考える。

 隆史は劣等感と引きこもりの弱みをもっている。


 昔、鶴岡を治めていた荘内藩は、藩内に磯釣りのための遠足を奨励する御触書を出していた。鶴ヶ岡城下から庄内浜の釣り場まで出かけるには十二~二十キロの道のりを歩かなければならず、その距離を長い竿をかついで夜中から歩き、山越えをすることで体力、胆力の鍛錬ともなったという。

 また、苦くて食べることができないことから、庄内地方特産の苦竹を加工して作られる「庄内竿」の文化も生まれた。

 釣果を誇る魚拓の文化も庄内が発祥とされ、致道博物館には日本最古の魚拓が保存されている。

 荘内藩の中で、釣りはとても身近で日常生活に深く溶け込んでいたといわれており、今現在も「黒鯛」は市の魚として親しまれている。


 隆史は「大学にはしばらく通っていたがすぐにサボり気味になり、オンラインゲームに興じるようになってしまっていた」とあるので、中退しているかもしれない。

 同じ夢を見たことで、なにか感じたのだろう。

 そもそも、夢の中で庄内竿を渡されたのだ。その竿が家にあるとなれば、釣ってみようと思うもの。

「釣りは一人でするものだ。頭を空っぽにして魚に挑んでみなさい。日暮れ時には迎えにくるから」

 釣り場に置いてきたのが良かった。

 釣り以外に、他にすることがないのだから。

 どんなものでもそうだけれど、はじめて釣りをして うまくいくものではない。

「釣りとは不思議なものである。初対面で、年齢も違うのに二人は不思議なほど打ち解けあったのである」

 不思議な説得力がある。

 また、「その男は地元の庄内弁のしの字もない共通語で話しかけてくる」この表現が良い。他所から来た釣り客な感じが出ている。

 大物の鯛を釣るが、「『それじゃあダメだよ、いいかい見ていなさい』と甲斐甲斐しい指導がはじまった」とあるように、何度も失敗をしては指導が入ったに違いない。だから、つりげることができたのだ。

 一度の失敗は、一度の成功で償えばいい。その機会を、隆史はようやく手に入れたのである。


 このとき釣った鯛は、魚拓を取ったと思われる。

「隆史は昨日釣り上げた鯛と魚拓の鯛を照らし合わせた」とあり、釣った鯛をそのまま置いておくことはしないだろう。

 以前は生き生きしていた魚拓がかすれてしまっているように見えたのは、隆史の心が変化したからだろう。たとえるなら、額に飾られていたのは、これまでの古い隆史。

 昨日釣り上げ変化した自分とくらべたことで、より変化に気づけたのだ。


 最後の和紙が、作品全体と隆史がえた教訓そのものだったのが実に良かった。


 読後。タイトルを見て、魚拓とはつまり、足跡と考えることもできる。これまでどう生きてきたのか。そして、これからどう生きていくのか。先祖代々飾られてきた魚拓は、これまでの目標だった。でも、その目標では進めなくなった隆史には、新たな目標が必要だったのだろう。

 釣りという体験を通して得た経験が、彼の今後の指針となったのは間違いない。公的には三十四歳までは若者扱いで仕事があるが、三十五歳を過ぎると選べる仕事が減るので、タイミングとしては良かったと思う。


 額から見つかり古紙に書かれていた『青取之於藍、而青於藍、氷水為之、而寒於水』は漢文の『荀子』に出てくる言葉。


 君子曰、

「学不可以已。」

 青、取之於藍、而青於藍、

 氷、水為之、而寒於水。

 木直中縄、輮以為輪、

 其曲中規、雖有槁暴不復挺者、

 輮使之然也。

 故木受縄則直、金就礪則利、

 君子博学而日参省乎己、

 則智明而行無過矣。


 昔の君子が言っている、「学問は途中でやめてはならない。」と。

 青は、藍草から取ってできるものだが、藍草より青く、氷は、水が変化してできるものだが、水より冷たい。

 木がまっすぐで定規にぴったり合うようでも、湾曲させて輪にすれば、其の曲がりようはコンパスにぴったり合うようになり、枯れて乾燥しても二度とまっすぐにならないのは、湾曲させることがそうさせたのである。

 同様に木は定規に当てられれば、まっすぐになり、金属は砥石で磨かれれば鋭くなり、君子になるには幅広く学び一日にわが身の行動を繰り返し反省すれば、知恵がはっきりして行動にも間違いがなくなる。


 子孫が反映するために、先代からのありがたい教えである。

 主人公が学び受け取ったように、読者である私達も肝に銘じたい。


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