包み込むもの

包み込むもの

作者 潮珱夕凪


 一歳上の美咲に告白され付き合うも、大学進学を機に別れたが、今でも好きで彼女になりたいと思っている紗綾は、再会した美咲に彼氏ができたことを知り、悲しむ話。


 現代ドラマ。

 切ない場面を切り取るように描いているところが良い。


 主人公は、紗綾。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。


 それぞれの人物の想いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。

 主人公は約束の午後七時三十分より早く待ち合わせ場所、アイスの自販機近くの錆び朽ちた滑り台のある公園に到着し、思い出に浸りながら美咲おすすめのソーダバーを食べている。一年前の夏、バレーのチームメートで一歳上の美咲に告白されて付き合うも、大学進学を機に別れたが、今でも好きで、また彼女になりたいと思っている。

 そこに別れた恋人、美咲が現れる。

 再会を喜ぶ主人公だが、美咲の薬指に指輪を見つけ、彼女が新しい恋人を持っていることを知る。美咲は主人公を抱きしめ、彼氏ができたことを伝えられる。自分には美咲しかいないと伝えると、顎をぐっとあげられ、唇を交わす。唇がやっと離れ、見つめ合う二人。主人公が「月が」といって、美咲は抱きしめて「綺麗でした」と噛みしめるように耳元で言葉を紡ぐ。

 主人公は美咲に身を預けながら、自分以外の人を愛していることに悲しむのだった。


 四つの構造で書かれている。

 導入は主人公が待ち合わせ場所に早く到着し、思い出に浸る。

 展開は美咲が現れ、再会を喜ぶ。

 クライマックスは美咲の指輪を見つけ、彼女が新しい恋人を持っていることを知る。

 結末は美咲と口づけるが、彼女が他の人を愛していることに苦しむ。


 早く着きすぎた謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 主人公の嬉しそうな気持ちからはじまる書き出し。

 遠景で、「――早く着きすぎちゃった」と嬉しそうに思っている(感情)雰囲気をまず全体で描いてから、近景で時計を見ると、約束よりも早くきていること(思考)を示し、心情で迷いなくソーダーバーのボタンを押して(行動)みせる。

 何かしらの意志、期待を感じさせる。

 美咲と久しぶりに会うので、浮かれているのだろう。

 期待とは逆に、情景は「沈んだはずの陽の余韻を冷ましていく」とあり、辺りは暗くなってきている。

「眼下には慣れ親しんだ町が広がっていて、橙の明かりが、同じ方を向いて並んだ窓にぽつり、ぽつりと灯っている」から、親しい誰かと会うことを楽しみにしていることを強調させている。

 情景描写が上手い。


 高台の公園と思えるところで、一人きりでいる主人公。ちょっと寂しさがある。でも誰と会うのか気になる。こうしたところに共感を抱いていく。


 回想で「斜陽にトンボの羽が輝いていて、川の照り返しに思わず目を細めて歩いていたさなか」とあるのが実にいい。このトンボは象徴的。二人が一緒になることを表している。でも、そういうことはわかりにくいので、「私が美咲の彼女になった日のことだった」と書くことで誰にでも伝わる。


「暗闇の中から不意に人影が現れる。私の身体は前のめりになった。立ち上がるなり片足が浮いて、駆けだしてしまう」この動きの書き方がいい。普通、暗闇で人が来たら不審者だと警戒する。待ち人か、それとも不審者か、どちらにしても、すぐに動けるように前のめりになるのだろう。

 その途中で、相手が誰かわかったのだろう。だから、「立ち上がるなり片足が浮いて、駆けだしてしまう」のだ。

 余計な説明をせず、動きで描くことで、読みがいのある文章となる。


 長い文ではなく、前半は三行四行で改行。後半は五行以上連なるところが出てくる。長い一文は後半にいくつか見られるが、落ち着きや重々しさ、遅さ、弱さを表している。場面をじっくりみて確かめたり、ショックを受けたり、そういうところで意図的に使われている。ときに口語的で、登場人物の性格や気持ちが現れた会話が自然で、キャラクターの関係性がよく表れている。主人公の内面的な感情描写が細かく、リアルに描かれていて、共感を呼び起こしてくる。


 二人の再会で「木々の生い茂っている道を抜け切ると、星明かりが美咲を照らし出す。高い鼻が右頬にかけて影を伸ばしていて、唇はぽってりと深紅で彩られている。私はそのまま美咲の胸に飛び込んだ。甘ったるいシャンプーの匂いが鼻の奥を撫でる」とあり、忍んで会っている感じがする。

 昼日中、明るなかで堂々と会うのではなく、まるで人目を避ける感じに。気づかれては困る、そういう後ろ暗いところを想像させつつ、彼女たちの動きは再会を喜んでいる。

 動きと五感の嗅覚描写をするところで、臨場感があっていい。


 とにかく情景描写が豊かで、五感を使った描写が多いのも素晴らしい。情景が目に浮かぶ。

 視覚は夕焼け、星明かり、美咲の姿、指輪、町の明かりなど。

 聴覚はヒグラシの鳴き声、蚊の音、風の音。お互いの息遣い。

 嗅覚はシャンプーの香り。香水の表現あり。シャンプーの匂いはあるけれど、香水はどうやって気づいたのか。二つの匂いがぶつかったり、混ざったり。胸に飛び込んでいるので、髪と体、匂いが違ったのだろう。シャンプーに気づいた後、首元や手首などの匂いに気付く動きをしてから、「香水、前からつけてたっけ?」と尋ねるといいのではと想像する。

 触覚はソーダバーの冷たさ、美咲の抱擁。

 味覚はソーダバーの味。

 

 香水について、「うーん……大学入ってからかな」はぐらかしている。このあたりに、美咲の申し訳無さを感じる。連絡して再会し、きちんと伝えに来たのだから、身だしなみも整えているところからも、決して主人公のことをいい加減に思っていないということがわかる。


 主人公の弱みは、美咲への未練と愛情。

 別れた後も、彼女のことが好きだから、美咲が他の人を愛していることへの嫉妬と悲しみを感じてしまう。おまけに、自分の感情をうまく表現できないので、彼氏ができたことを知って、言葉が出なくなる。

「なんとなく、察してはいたはずなのに」とあるので、今日の再会以前に、彼氏ができたのでは、という予感はあったのかもしれない。

 それでも美咲と会えることのほうが強かったから、冒頭では嬉しそうな感じが出ていたのだろう。

 美咲の新しい恋人について、もう少し具体的な情報があると、主人公の苦しみがさらに深まるかもしれない。

「なんで、普通の恋してんの? 普通の恋ができんの? 私には、美咲しかいないんだよ……!」主人公が泣きながら尋ねるのは、性格やこれまでの行動、葛藤から予想できる。

 そのあと、美咲に唇を押し付けられる展開は主人公も読者も、驚くところだろう。


「何と言えば美咲は離れていかないだろう。どうしたらこれからも二人でいられるだろう」

 そう考えるのは、無理からぬこと。

 だって、美咲から唇を重ねてきたのだから。

「美咲が私のことをまた好きになるわけないのに、私は雄叫びにも似つかわしい声を上げていた。『月があっ……』」

 主人公は、どうしたら二人でいられるのか、考えて出した答えだったのだろう。

 それに対して美咲は主人公を抱きしめながら耳元で、「綺麗、でした」とつなげる。

 二人の恋は終わったのね、という感じがよく現れている。 


 読後。とにかく本作は目に浮かぶような情景描写がい良かった。

 ソーダバーの扱いが、それぞれの心情を上手く表現しているのもいい。

 美咲がおすすめしたソーダーバーは、主人公にとっては好きな相手、二人の関係を象徴している。

 そんなソーダーバーを、美咲から食べたいと口を開けると、

「自分のがあるでしょ」といわれてしまう。しかも美咲は、自分のを食べようとする。

 そのあと美咲は投げ出して主人公を抱き寄せるので、ソーダーバーは地面に落ちてしまう。

 主人公は、自分の握ったまま。

 美咲に彼氏がいると知って、「ソーダバーが一滴二滴、サンダルの隙間にぽたり、と垂れた。素足から全身に冷たさが走り、毛が逆立つ」「握りしめたソーダバーの棒が手のひらに強く食い込む」

 主人公の悲痛さを描き、自分には美咲しかいないと訴えると、口づけされ、「人工的なソーダバーの酸味が口に流れ込んできて、はっとした」

 美咲の気持ち思いも一緒に伝わってくる。やがて唇が離れ、「月が綺麗でした」=「好きだったよ」と美咲に終わりを告げられると 、主人公の足元には「溶け切ったソーダバーで水たまりができていた」とあり、彼女の悲しみ、涙を表していると推測。

「私は棒だけになったソーダバーをぎゅっと握りしめて目を瞑り、美咲に身を預ける」は、アイスの棒は食べ終えた後に残るもの、つまり思い出であり、二人の関係が終わったことを表している。

 最後の一文「そんな二人を、遠くから街明かりが包み込んでいた」は、二人が好きあっていた証であり、灯りが消えれば終わってしまうことを感じる。

 余韻が切ない。


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