目醒め
目醒め
作者 霜月 偲雨
https://kakuyomu.jp/works/16818093081164273092
創作に行き詰まり悩む作家がある夜、猫と出会い、不思議なカフェでカステラを食べて創作意欲を取り戻す話。
疑問符感嘆符のあとはひとマスあけるは気にしない。
私小説的現代ファンタジー。
創作とスイーツは切っても切れない素敵なパートナー。
疲れてくると、脳がブドウ糖を欲して食べたくなる。
主人公は、創作に行き詰まりを感じている作家。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在、過去、未来の順に書かれている。
絡め取り話法で書かれている。
主人公は夜中に訪れるカフェでスイーツを楽しむことが好きで、そこで筆を進めることができる。しかし、日常の中で感じる寂しさや悲しみ、創作の行き詰まりに悩んでいる。
ある夜、自由に歩き回る猫を見た主人公はその後、現実でも猫に導かれて不思議なカフェにたどり着く。
カフェで出会った猫とカステラが、主人公に新たな創作のインスピレーションを与える。
主人公は、創作の過程で感じる渇望や満たされない感情を抱えながらも、書き続けることで自分自身を見つめ直し、再び創作意欲を取り戻す。カステラを食べることで新たな創作意欲を取り戻し、再び創作に向かう決意をする。
基本構造で書かれいる。
序盤は夜中のカフェでの描写と主人公の内面の葛藤。
中盤は夢の中での猫との出会いと現実での猫の導き。
終盤は不思議なカフェでの体験と新たな創作意欲の芽生え。
我々の舌を誘惑する謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。
書き出しが非常に興味を引く。
遠景で「夜中に食べるスイーツ」と示し、近景で「罪悪感や背徳感の蜜に包まれた、凶暴な美味しさを纏い、我々の舌を誘惑する」と具体的に説明し、心情で「一度知ったこの味は思い出の苦味」と語られる。
夜中に食べるスイーツの罪悪感と背徳感は、思い出の苦味であるとはなんだろう。読者になんだろうと考えさせることで、興味を引き、共感させていく。
「罪悪感や背徳感の蜜に包まれた、凶暴な美味しさ」夜中に食べるスイーツの誘惑とその背後にある罪悪感を表現し、「一度知ったこの味は思い出の苦味」そのスイーツの味が、過去の記憶や経験と結びついていることを示している。
主人公にとって、書けなくなった経験を差していると考える。
わかるわからない関係なく、なんだろうと読み進めると今度は
遠景で「ひっそりとした時間が流れる名前のない店」と示し、近景で、カウンターには猫が我が物顔で居座りと、さらに具体的に示し、心情で「猫になることができたら」と思いを馳せている。
どこかにある名前のない店で、夜にスイーツ、甘いのではなく苦みのある味といったら、眠気を覚ますコーヒーを使ったゼリーかもしれない。そんなことを思わせて読めば、「ここにくると筆が進む」ときて、主人公は作家なのだとわかる。
おそらく普段、執筆に困っているのだ。だけど、夜に名もなき店に訪れて、カウンターに猫がいて、スイーツを食べると筆が進む。まさに秘密の隠れ家のような、特別な書斎のような場所なんだと想像させることで、読者はより共感していく。
しかもクイズのごとく、小出しに、それでいて数々のヒントを散りばめながら物語が進んでいくも、ちっとも、苦味の正体にたどり着けず、主人公の自分過去語りがなされていく。
長い文で五行以上で改行される。句読点を用いているが、一文が長いところもある。執筆に苦しむ様子詩的かつ動きのある表現で書かれおり、しかも落ち着きと重々しい印象を与えてくる長文で書かれている。
動きのある表現は、読み手に想像させることで、主人公の苦悩を追体験されるため、よく伝わってくる。
「夢を見ると記憶が整理されるとは本当のことみたいで、翌朝は脳を丸ごと洗ったかのような心地よさだった」から、そうなんだと思い、夢をみたい、もしくは自分が夢を見た朝はどんな気分だったかを思い出させてくれる。そうすることで、物語の世界へ入っていけるだろう。
夢を見て、整理されたとはいえ、執筆に思い悩んでいる気分までは引きずっているのだろう。カフェに入り、猫が鳴くまで、長い文はもちろん、長文が続いている。
『夜明けと蛍』は、n-buna(ナブナ)による楽曲で、夢を追い求める過程での苦悩や希望を表現されている。
つまり、作中の主人公と似た状況にあり、「今日は『夜明けと蛍』の気分だった」とは、希望や夢を追い求める過程での苦悩や希望をいだいている心境にあることを表現していたのだろう。
マスターに運ばれてきた「カステラ」を機械的に口へと運ぶ場面は、短文と長文の組み合わせてテンポよくして、感情を揺さぶるところもある。
口にしたあとの感想は、自身の気持ちを物語り、身の上話を吐露してく。詩的表現のあとの後半、吐き出すような感情、一文は短く改行がこまめにされていく。前半とは違う軽やかさを感じる。文章の書き方で、主人公の気分や性格を表現しているのだ。
作品全体に一貫しているのは、詩的で感傷的で美しい文体。
五感を駆使した詳細な描写。内省的で哲学的な語り口。夢と現実が交錯するような幻想的な雰囲気。主人公の内面の葛藤や感情が丁寧に描かれている。とくに五感を駆使した描写が豊かで、物語の世界に引き込まれる。
視覚は夜中のカフェの薄暗い雰囲気、都会の喧騒、細い路地、カフェの内装などが詳細に描かれている。聴覚は雨の音、chillな音楽、猫の鳴き声などが描写されている。嗅覚はコーヒーやカクテルの香り、都会の排気ガスとゴミの匂いなどが描かれている。
味覚はカステラの味、夜中に食べるスイーツの美味しさが描写されている。
触覚は空気の感触、布団から一歩を踏み出す感覚などが描かれている。
通常の五感描写は、視覚、聴覚、触覚が多く書かれ、嗅覚や味覚はその後に来る。理由は、意識しなくても書きやすいから。
でも本作の場合は、内面の葛藤が多く語られる中で、聴覚や嗅覚、味覚が目立ち、触覚が少ない。感覚を刺激する刺激情報を意識して書いているのだ。
嗅覚や味覚は主観に頼るところが大きい。
つまり、それらの表現がおおいということは、主人公の内面がより多く描き出されているといえる。
わかりやすくいうなら、読者は本作を通して、物書きである主人公の頭の中を覗き込んでいるような感覚を体験しているのだ。
読みづらかったり小難しかったりする感覚をおぼえるのは当然。他人の考えであって、読者の考えではないから。
だからこそ、読者とはちがう感性に触れる感触を、読書を通して味わえるのだ。
主人公の弱みは、創作の行き詰まりや満たされない感情に悩んでいること。孤独感や寂しさを感じていること。自分の作品が誰にも望まれないのではないかという不安。
創作する人が感じるものを、主人公は抱えている。読者層である十代の若者をはじめ、創作する多くの人が共感するだろう。
創作できなくなれば、自分は何者にもなれなくなる。
主人公は、意味のない話や一度読んだら忘れてしまうような話を書きたいと思っていた。誰の記憶にも残らないような話を描きたかったのだ。
主人公は、自分の一部を切り取るように、空の美しさや鳥の力強さ、楽器の繊細さ、ロックの叫びなどを描いていた。言葉がとめどなく流れ出し、それを掴まなければどんどんこぼれ落ちていく感覚を楽しんでいた。
でも、頭に浮かんできた言葉が跡形もなく消え去り、パソコンに向かっても無があるだけになってしまう。思いついたことが手のひらからこぼれ落ちるようになり、すぐそこにあるのに届かないという感覚に苛まれていく。
そこで、自分を無にすることに心血を注ぎだす。SNSや歌、読書、寝食をしないなどを試みるも、無になる瞬間は訪れなかった。
最後の一口のカステラを食べ切ると、新しい物語のかけらが生まれた。希望の光が見え、焦りもなくなった。猫とカステラが主人公に創り出す行為の大切さを思い出させてくれたのだ。
カステラは、食べることで感じる渇きが、主人公の内面的な渇望や満たされない感情と、創り出す行為や希望の象徴として描かれている。また、カステラはオランダから伝えられたもの。自分の外部から新しい視点やインスピレーションを与えてくれる存在。
カフェに導いた猫については、自由で気ままな存在から、主人公の憧れや理想、夢や希望を象徴。また、猫は主人公の外部に存在し、内面の葛藤や孤独感を際立たせる役割も果たしている。
どちらも、主人公の内面の葛藤や孤独感を際立たせ、主人公が求めている自由や理想、創作意欲、満たされない感情を象徴しているのだ。
だから猫とカステラがセットで描かれていると邪推する。
ラストで珈琲を注文するのは、新たな始まりを迎える準備ができたことを示し、覚醒を意味している。
読後、珈琲を注文したところで、目醒めを感じさせているのだから「ここからが目醒めだ」とするのは少し強調しすぎなのではと、やや感じた。それだけ、濃い珈琲を飲んで目醒めることを表現したかったのかもしれない。
詩的で感傷的な文体が特徴的な作品で、内面の葛藤や感情がこだわって書かれていて、凄いなと感服した。
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